![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/9f/4b1a1df8fed0fcc8515fce6e43021a8d.jpg)
上海万博の写真ばっかりで飽きてしまったので小休止。
最近おもうのですが、ブログをはじめるにあたって、毎回明確なテーマがないのですよ。
このブログもいちにちいちまいとうたっていますが、あんまり良い写真撮ってないしなぁ。
旅行写真多いしなぁ。
テーマそって運営されている方は本当にすごいとおもいます。
このあいだ吉祥寺にできた新しいショッピングモールにムーミンスタンドなるものがありまして。
ジュースが売っているの。
タピオカジュースのタピオカがね、にょろにょろの種だって言うの。
っていうかにょろにょろって種で培養可能なのか?!
おどろいた。
ムーミン、個人的に大好きです。
なんか哲学に溢れてるわよね。
知り合いのムーミン好きの人はヤンソン氏に対して、
『この物語はトんでないと書けないよなー』と評していた。
もちろん尊敬の念をこめてね。
ムーミンって深い。
道徳的ではないし。不条理でもあるし。
子供のときっていろんなことに不満があったし。世の中間違っていると感じることがたくさんあった。
逆に変に美化したり期待したりもした。
大人は大人っていうことだけで偉そうにしてるし、ずるいとおもっていた。
先生は先生なんだから正しいことを教えてくれると信じていた。
大人はずるいのが当たり前だ。
先生だってふつーの人間。
子供っていえる立場の頃、大人の都合のよさを責めたし、
先生に疑いの心があっても表に出さなかった。
子供っていうのはきっとそういう環境で育たねばならぬ宿命なのだ。
その中で見つけた疑問を解いていくうちに大人になる。
ときに、ヒントを与えられながら。
疑問を解いていくうちに、妥協だとか黙認だとか今まで心になかったものが芽生える。
それが芽生えたころはひどく悲しい気分だった。
でもしょうがないのだ。
世の中不条理なんだから。
その中で生きてかなきゃいけないんだから。
ムーミンをみると、そんなことをぼんやりと考えてしまう。
なんか思いのほか、長くなってしまった。
ぜんぜん、小休止じゃないじゃん。
水族館はいい。
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海の動物はのびのびしていて見ていても気持ちがいい。
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ぺんちゃん。
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なんか右の子が手をとって引っ張っているみたい。
水槽の中で彼らは何をおもうのだろう。
毎日同じ場所。同じ仲間。
私はきっと耐えられない。
保障された寝床。安定した食事。
その代償はなんなのだろう。
彼らは海に思いをはせることがあるのだろうか。
冷たい氷の感触を恋しがるだろうか。
それとも水族館の世界しか知らずに生まれ育ったのだろうか。
どちらにせよ、人間は贅沢な生き物だ。
いつでも珍しい生き物が見にいけるようにガラスの向こうに閉じ込めている。
それがいいとも悪いともわからないけれど、
楽しくて美しいことには違いは無い。
本を読むのは好きだが、本ばかり読む人は苦手だ。
特に実用書だとかハウツー本を好んで読むタイプの人が苦手だ。
あれに似ている。
参考書を買って満足している受験生に似ている。
文面だけを読んで、知った気になっている。
著者がどういう経験を経てその思考に至ったか。
それを考えた上で文面を噛み砕かないと真意はわからないと思うし、応用はできない。
また、読解能力の無い人が読み解くと、言葉通りのことしか実行しなかったりする。
例えば、『わからないことはわからないと言おう』と記してあったとする。
これはあまり詳しくない分野に対し知ったかぶりをせず、知らないことを教えてもらったり、苦手だと打ち明ける姿勢が必要なのだと捉える人もいる。
一方で、言葉のまま受け取り、少し考えればわかるようなことや、相手から情報を引き出せればわかるような範囲の内容でさえ『わからない』と打ち切って思考をやめてしまう人もいる。
わからないという言葉は使い方によってコミュニケーションの拒絶にもつながる。
思うのだが、私は成功者の書く本というのはその人だから書けた本であって、
その人だから成功したに過ぎないのではないかと考える。
そしてどの人の本も、根本的なことはさほど変わらない。
ただ結論に至るまでのケースが多数あるだけで、そこの違いだけではないかと。
ビジネス書で物事を考えなくとも、みえる人には世界が見える。
例えば木という植物の前で木の仕組みや一生について考える人がいる。
寝そべって形を変えながら流れる雲を眺め考える人もいる。
自然や生活の中で吸収できる情報はたくさんある。
そして何よりからだで感じて習得したほうが、
羅列された言葉なんかよりもずっと重みや真実味がある。
本来、哲学って言うのはそういうものではないだろうか。
何かを知るには、経験が大事なのではないだろうか。
最後に詩を紹介します。
金子みすずの『海とかもめ』
海は青いとおもってた、
かもめは白いと思ってた。
だのに、今見る、この海も、
かもめの翅も、ねずみ色。
みな知ってるとおもってた。
だけどもそれはうそでした。
空は青いと知ってます。
雪は白いと知ってます。
みんな見てます、知ってます、
けれどもそれもうそかしら。
それはある時 ぱっ、と咲いて
二日ほどしてしおれて無くなってしまった。
かわいい花だった。
しおれてしまった時、悲しくて仕方なかった。
なにが悪かったんだろうと後悔した。
けれど、あとからサボテンの花とはそういうものだと知った。
小さい花だった。
お寿司についてくるプラスチックの菊を連想させた。
特に香りもなかったし、
とびきり美しい花というわけではなかった。
なのに、いまでもサボテンを見る度に、あの花を思い出す。
もいちど咲かぬか、と問いかけている。
儚いからいつまでも記憶にのこるの?
もう、戻れないから恋しくなるの。
失ってしまったものほど思い出が鮮明だ。
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買ってしまうものの一つにガラス細工がある。
大きな猫は長崎に行ったときに買ったもので、
今思うとどこにでも売ってそうなガラスだなぁなんて感じる。
でもどうしても欲しくって買ったのだ。
スノーマンとひよこはいただきもので、
ウサギとおばけはイクスピアリで買った。
なんだろう。もろい素材だから余計に欲しくなる。
壊れやすいものは、はかないものは、魅力的だ。
危うさがいい。
決して壊したくはないけれど。
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この日、パリは雨が降っていた。
冬のヨーロッパはとても寒かった。
日本と違い、湿気こそないが、
乾いた冷気と重い石畳が足元からしんしんと体を冷やす。
冷たい雨の中で見上げたエッフェル塔は、
暗い街をそうっとてらしていた。
見守るようにそうっと。
今度は晴れた日に行ってみたい。
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おんなじ写真。加工してみた。
きょうは桜木町にいってまいりました。
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横浜って、建物のバランスが良くてなんか好きです。
東京ほどごちゃごちゃしてないし。
ちょっと歩くと海、あるし。
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空が広いのも好きなポイントですね。
あと、夜景も好き。
観覧車がね、素敵なんです。
あんな街の真ん中に位置してるのにぜんぜん違和感なくって。
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赤レンガ倉庫にも行きたかったのですが、今回は断念。
あそこ冬に行くとほんとヨーロッパみたいよね。
もっと秋が深くなったら馬車道とかも散歩しよう。
横須賀とか鎌倉も久しぶりに行きたい。
千葉県民ながら私、神奈川が大好きなのであります。
歴史もあるし、異国情緒も溢れていておしゃれよね。
あくせくしてなくってちょうどいい感じが好き。
涼しくなったので天気が良い日は散歩が気持ちいい。
秋は楽しい季節です。
3OCT 2010 桜木町、みなとみらい周辺
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/37/a08f0ed3d4cba30ab63288211ab0847c.jpg)
今まで、本物のハイビスカスを見たことがなかった。
ハイビスカスの存在を知ったのは中学生の頃だった。
当時PIKOというブランドが流行っていて、みんなPIKOのTシャツを着ていた。
このときTシャツに描かれていた花がハイビスカスだということを、クラスの誰かに教わったのだった。
描かれていたそれはなんだか底抜けに元気で明るく、ひどく無神経な花だ、という印象を抱いた。
ばかみたい。
着ているみんなも ばかみたい。
色使いも気に入らなかったし、ロゴも嫌いだった。
PIKOに対して妙な敵対心さえ覚えていた。
こうしてPIKOから入ってしまったハイビスカスの第一印象は最悪だったのである。
それから十年以上も時が経ち、
PIKOに敵対心もなくなり卑屈な中学生でもなくなった私は、
この夏、初めて本物のハイビスカスにであった。
気まぐれなスコールに打たれながら、赤く大きく咲き誇るその花は、
強く、たくましく、美しかった。
自然の厳しさを知りながらも、苦労を表に出さずに
道行くものに元気をくれる。
やさしい、やさしい花だった。
私は、ハイビスカスに謝りたい気持ちでいっぱいになり、
そんな美しいハイビスカスを描いたPIKOに謝りたくなった。
ほんとにほんとにごめんなさい。
でもきっとハイビスカスが人だったら、許してくれると思う。
『いいのよ、むかしのことなんて』
そう笑い飛ばして、でも内心傷つきながら。
ほんとにほんとにごめんね。
30AUG 2010 沖縄にて
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/9b/90fbbbadfca517fd4d939952e37c64f9.jpg)
子供の頃から、私は虫が苦手だった。
嫌い というよりは
怖い という感じであった。
虫取り網で捕まえた蝉だって、虫かごに入れることができなかったし
カマキリが教室に出てきたときなんか真っ先ににげた。
今だって、クモを発見すると太ももにじんましんがでるくらい嫌いだ。
(どういうわけか、今の家はクモがよく出る)
初めて『ちょうちょ』をみたとき、彼女たちが虫だったなんて微塵にも思わなかった。
ふわふわと ひらひらと宙を舞う様はどう見ても美しく品があり、
花にとまって羽を休める姿は
妖精のようでもあり、身分の高いお嬢様のようにもみえた。
それが虫であると教えられたのは小学校の『せいかつ』という授業の中だった。
頭、胸、腹。三つに分かれていて、足は六本。対の羽を持つ生き物。
このときちょうちょが蝉やカマキリと同じ昆虫であるということを知った。
納得しつつも半信半疑だったのを覚えている。
彼女たちを、私はとてもいとおしく思う。
たとえ昆虫であろうと、美しいものは美しい。
それに、私は今になっても
彼女たちが虫であるという事実さえ信じては居ないのだから。
photo; 1 sep 2010 美ら海水族館