勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
振り返りながら 日々の生活も綴ります

コロナ禍の第9 歓喜の歌 合唱

2020-12-20 | 歴史・文化

年末の風物詩と言えば、クリスマス・ソングと並んで聞こえてくる「歓喜の歌」のメロディ。

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ベートーヴェンの「第九」(交響曲第9番「合唱付き」)は、1824年に音楽の都ウィーンで発表(初演)されて以来、人類共通の芸術と称されるほど親しまれてきた“お宝”です。聴くだけではなく、歌う方、演奏する方なども含め、これほど多くの人の人生に潤いを与えているクラシック音楽はないですね。→交響曲第9番 (ベートーヴェン)ウィキペディア

嵐のようにドラマティックな第1楽章、神々の豪快なダンスを思わせる第2楽章、世界の調和を音楽にしたような第3楽章(ちょっと、ウトウトしちゃう?)と続き、第4楽章は新しい社会への期待。第1~第3楽章までを軽く否定しつつ、「私たちの音楽はこれなのだ、さあ歌おう」と始まるのが「FREUDE フロイデ(歓喜)」というわけです。その後で、熱く歌われる友愛や勇気にも共感すれば、新しい年はきっといいことがあるはず!

日本では第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が、12月に3日連続の「第九コンサート」を行って絶賛され、年末に「第九」を演奏する習慣へと受け継がれたと言われている。

さらには「うたごえ運動」を背景として合唱が盛んになり、アマチュア合唱団が「第九」を歌い始めた。コンサートには合唱団員の家族や友人たちが駆けつけたためチケットが売り切れることもしばしば。こうした状況が功を奏し、年末の「第九」が完全に定着したと言われている。

また、1998年2月、長野冬季オリンピックの開会式で、小澤征爾さんの指揮により世界五大陸を中継でつないだ「第九」が演奏された。東日本大震災の後、コンサートなどが自粛された時期にも東京で犠牲者を追悼するためにも、第九(ズービン・メータ指揮)が演奏された。

日本だけではなく国外でも、歴史に残るような機会に「第九」は演奏されている。たとえば1989年12月にはベルリンの壁が崩壊した直後に、指揮者のレナード・バーンスタインが声をかけて欧米の名門オーケストラ楽員がベルリンへ集結。「フロイデ!(歓喜)」を「フライハイト!(自由)」と置き換えて歌われた。それだけ強く訴えかけるパワーが「第九」にはあるのでしょう。

 

コロナ禍の中、自由・喜びを与えてほしいですね。

でも、今年はコンサートが中止になったり、無観客で公演されたり、動画で配送されたり、苦難が続いてますね。→38回目のサントリー1万人の第九は無観客:こちら

「コロナに負けるな!歓喜よ響け!」と銘打った「日本語で歌うリモート『第九』上映会」が鎌倉芸術館で開催される。同館の風物詩となってきたベートーベンの「第九」公演は、コロナ禍を受けて開催が危ぶまれたが、オンラインレッスンや映像技術を駆使した新たなスタイルでの12月20日実施が決定。今年も「歓喜の歌」がホールに響くことになった。12月24日から動画も配信される予定と→こちらの報道

<追記>

「コロナに負けるな!歓喜よ響け!」と銘打った「日本語で歌うリモート『第九』上映会」@鎌倉芸術館 →こちらの映像(1月5日まで)

 

 

第九(合唱)の出だしの歌詞(ドイツ語)と日本語訳:

O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.

(ああ 友よ、この音楽ではない
そうではなくて 心地よく 喜びに満ちた歌を始めよう)

上記以降の歌詞とその日本語訳は→こちらを参照

 

カラヤン指揮のベートーヴェン《歓喜の歌》1986 動画(24分)を楽しんでみましょう

 

日本語で歌う第九"歓喜の歌" 2011 動画 (7分)を楽しんでみましょう:

 

<追記>

上記で演奏されている日本語の”歓喜の歌”の作者の「なかにし礼」さんが、12月23日に心筋梗塞のため東京都内の病院で死去された。82歳。

筒美京平さん、中村泰士さんに続いてなかにし礼さんもか?惜しい人が次々と亡くなるのは何か寂しい。ご冥福をお祈りします。合掌。

 

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