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庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

戦争

2014-02-18 10:17:00 | 拾い読み

もし我々が戦争を亡くさなければ、戦争が我々を亡くすだろう。
‐H・G・ウェルズ

If we don't end war, war will end us.
- H. G. Wells (September 21, 1866 - August 13, 1946)

ウェルズが核戦争を意味していたことは明らかだ。幸いにも(と言うのは極めて不謹慎なことだが)、1945年以降、核が戦争の為に直接使われたことはなく、まだ我々人類は滅亡していない。

しかし、世界のいたるところで戦争は続いて、地球上には何千という核弾頭がある。これを無にすることはまず不可能だろう。それがどのようなものであれ在るものは使われ得る。それを制御(コントロール)する術と能力を人間が持たない限り。

ユネスコ憲章が謳(うた)う通り、その要が人間の心にあるとるなら、核を科学的・政治的にコントロールする方法の開発よりもさらに困難な、人間の心の世界の開発にもっともっと精力を傾けるべきだろう・・・と私は思う。



ユーモア

2014-02-17 10:20:00 | 拾い読み

ユーモアは人類に与えられた最大の天恵(天の恵み)である。
‐マーク・トゥエイン

Humor is mankind's greatest blessing.
- Mark Twain

まったくだなぁ・・・少なくとも繊細な言葉を使ったユーモアの能力は人間にしか与えられていないのかもしれない。他の動物のこと、特にイルカやクジラなどの海生哺乳類の言語能力については、今後研究が進み、意外と人間に近い、あるいは人間以上のユーモアに溢れる会話を楽しんでいる事実が明らかになるような気がしているのではあるが・・・。

誰だったか、「自分の苦境を笑えるかどうかで、その人の人間的・知的程度が分かる・・・」というようなことを言っていた。人生は笑ってばかりもいられないが、笑いが幸せの尺度であるなら、そのような人はどんな時にも幸福でいられるということになる。

だから、ユーモアは人が幸せであるための最大の道具の一つと言えるのかもしれない。 しかし、これを使いこなすのは結構むつかしいよ。



今日はさすがに

2014-02-15 19:27:00 | 海と風
寒かった。北風のためだけではない。8m程度の順風12㎡で久しぶりにジャンプしたら右のサスペンションラインが切れてしまった。その修理を寒風吹き抜ける浜でやっいる内にすっかり体が冷えてしまった。             (写真→あっちゃん撮影)

この12㎡は私が初めて手に入れたラムエアで、もう3年以上かなりハードに使っている。まあ、ライン類は典型的な消耗品なのだが、切れる前にもう少し丁寧に点検しておくべきなのかもしれない。

堀江の小さな海も、北風がまともに入ると、こんな具合にそれなりの波が立ってくれる。ただ、海岸近くでの大ジャンプは気を付けたほうが良い。今日は斜面上昇風でカモメがゆったりとソアリングしていた。



明日に

2014-02-15 10:11:00 | 拾い読み

明後日にできることを明日に延ばすな。
‐マーク・トゥエイン

Never put off till tomorrow what you can do the day after tomorrow.
- Mark Twain

普通は今日できることを明日に延ばすな・・・というところだが、マーク・トゥエインはこういうことを言うから面白い。未来は不確定であるから、やりたいことがあったら、今すぐに着手しておけ・・・というようなことだろう。

人間には出来ることと出来ないことがある。そして自分に何が出来て何が出来ないかを知ることは、そう容易なことではない。例えば、歩いて月に行くことなど、誰にとっても出来ないことは明らかだが、やってみなければ分からないことも多々ある。そして、たいがいの場合、やりたいと想うことの多くは出来る可能性を内包している。

もちろん夢や目標は必ずしも実現するとは限らない。しかし、目標を100%実現する確実な方法はある。それは、目標点に到達するまで止めないあきらめない、ということだ。

そして大きな目標は細分化して一日分の小さな目標に置き換えてみる。すると、当初とても達成できそうもないと思われた夢や大目標への道程が日常的な楽しみに変わる。後は地道な継続あるのみである。当たり前のことだが、忘れがちな、私の方法論の一つである。



怒り

2014-02-14 10:01:00 | 拾い読み

怒りは酸である。注がれたどんなものより、その容器自体を害する
‐マーク・トゥエイン

Anger is an acid that can do more harm to the vessel in which it is stored than to anything on which it is poured.
- Mark Twain

これは非常によく分かる。私もこれまで、つまらないことで何度となく腹を立てることがあり、自らを不必要に傷つけてきた。30代の頃には大量に吐血して胃に穴が開きかけたこともある。内に向かった怒りは間違いなく自分を痛める。外に向かった怒りが他人(ひと)を傷つけるかどうかは、その人の度量による。

では、怒りはどうして起こるのか・・・とりあえず狭量(人間としての小ささ)が思いつくが、その奥にはやはり無知があるように思う。事態の全体像やそれに対する自己のとるべき姿勢がはっきり見えていれば、腹が立つ前に問題は解決してしまうからだ。

そういえば、アインシュタインは"Anger dwells only in the bossom of the fool." 「怒りは愚か者の胸にのみ住む」と言っていた。しかり!である。

仏教では怒りに似た感情に瞋(しん)という字を充て、根本煩悩のひとつと教える。貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒の一つだ。ここで「怒」を使わなかったのは、人間の心の世界を徹底的に追求した仏教世界が、怒りに積極的機能さえ見出していたからに違いないと私には思える。

寺院の入り口に立つ金剛力士像(仁王像)の怒りの姿は筋骨隆々でいかにもたくましいけれども、いつも怒っていたら内臓を壊してとてもあんな姿にはなれないだろう。

そして、人は本当に怒るべきTPOでは、正しく静かに、できれば楽しく怒らなければならないと私は思うのである。単なる羊の群れの一員にならないために。そのTPOの多くが大小の「有無を言わせぬ権力」であることは言うまでもない。



8㎡

2014-02-13 15:35:00 | 海と風
今日も堀江北東強風。昼を挟んで8㎡で2時間ほど走る。このカイトはほとんどストーム仕様だ。標準ではピッチが低すぎることが多いので、コントロールラインを10cmほど縮めて使っているのだが、バーを目いっぱい引き込むとカイトが失速する。

フロントラインのトリムを引き込んでピッチを最大限下げた状態で、このカイト特有の性能が出てくるような気がした。つまり、ラインの伸びを計算に入れたメーカーの初期設定は基本的に間違ってないということだ。

今日も沖のトップブローは15mほど。海面はグシャ波でエッジを効かせてスピードを出すのは難しかった。

それにしても私の体重で12~13m/s辺りが適正風ということになると、やっぱり相当に安定したコンディションでないと楽な走りはできないだろう・・・などといいながら、時には鱗立ち泡立った海面と格闘するのも、この世界の楽しみ方ではある。

饒舌は

2014-02-13 09:52:00 | 拾い読み

静寂を保って馬鹿だと思われる方が、口を開けて(多くを語って)全ての疑いをなくすよりも良いことだ。
‐マーク・トゥエイン

It is better to remain silent and be thought a fool than to open one's mouth and remove all doubt.
-Mark Twain (November 30, 1835 - April 21, 1910)

饒舌は銀、沈黙は金ということか・・・人は多くを知ると多くを語りたくなるのが普通かもしれない。しかし、ことの多少は何と比較するかによって決まり、どんな分野でも造詣が深くなればなるほど、知らないこと分からないことが増加し、自己の無知と未熟を悟るのが大人(たいじん)のあり方だろう。ソクラテスはとうの昔に無知の知を説いている。

そして現代マスコミ業界に登場する、いわゆる学者・評論家・コメンテイターなどの皆さんの饒舌なこと。人間が元気に言葉を喋ることは健康法の一つでもあるのだろうからそれも良い・・・が、過ぎたるは及ばざるがごとし。私はテレビ番組の多くで、彼らのお喋りにうんざりして、時々消音スイッチを押すことがある。



堀江強風

2014-02-12 15:31:00 | 海と風
久々の堀江強風だった。北東から10m以上。とりあえず12㎡をセットするが、海岸の砂が飛び始めた。トップブローは明らかに15m近く吹いている。

結局めったに使わない8㎡でジャストだった。しかし、これだけ吹くとほとんど走るだけで、他にできることが少ない。この季節の北東風は特に上下に波打っている。不用意にジャンプすると空中で何が起こるかわからない。つまりは、まだこういう海上の風に十分には慣れていないということだ。

それでも空は明るく太陽は温かく、なんも寒さを感じなかった。2時間ほど気合の入った走りをしてスッキリした気分である。

年齢

2014-02-12 09:06:00 | 拾い読み

20歳だろうが80歳だろうが、学ぶことをやめた人間は老人である。学び続ける人間はいつまでも若い。人生でもっとも偉大なことは、精神を若く保つということである。
‐ヘンリー・フォード(フォード・モーターの創設者)

Anyone who stops learning is old, whether at twenty or eighty. Anyone who keeps learning stays young. The greatest thing in life is to keep your mind young.
‐Henry Ford (July 30, 1863- April 7, 1947)

私はこれまで自分の年齢をあまり気にすることなく生きてきた。20歳で成人した時は、「ああ、これで大人になったのか・・・」という感慨はあった。

しかし、30歳、40歳、50歳、と歳を重ねる自分はあっても、特段の感慨はなかった。もちろ否応なく流れる歳月の中では、否応なく様々な出来事が起こり、自分の外にも中にも大小幾多の変化はあった。

ところが、あと半年ほどで60歳・還暦という時に至り、ちょっと今までとは違うぞ・・・と感じることがある。孔子先生のいう耳順「六十にして耳したがう」からは程遠いが、「四十にして惑わず」や「五十にして天命を知る」がいっぺんにやって来つつあるのではないか・・・という奇妙な感覚である。

何に惑わないのか、何が天命なのか・・・などは、気恥ずかしいのでここでは触れない。



冬の夏

2014-02-11 10:34:00 | 拾い読み

底冷えの冬の最中(さなか)に、不屈の夏があることを、遂に私は知った。
‐フランスのノーベル文学賞作家 (1913年11月7日 - 1960年1月4日)

In the depth of winter I finally learned that there was in me an invincible summer.
‐ Albert Camus

今朝の室温3℃。松山はこの冬3回目の雪が降っている。まさに底冷えの冬の最中だ。北の地方の冬の寒さは、私の想像の範囲にのみ収まる。

カミュの言う冬はもちろんこんな気象的な意味ではない。彼の経歴をちょっと見てみると、晩年、といっても47年の短き生涯(交通事故)だが、サルトルとの論争やアルジェリア独立戦争に対する政治的姿勢などによって孤立していった・・・とある。

孤立や孤独は自由の異名のようなものだ。そして、それに耐えるためには厳とした自律を支える、真夏のような情熱も必要なのだろう。 

私の後ろを歩きなさるな。君を導くことなどできないよ。私の前を歩きなさるな。君についていくことなどできないよ。ただ私の横を歩き、我が友となりたまえ。

Don't walk behind me; I may not lead. Don't walk in front of me; I may not follow. Just walk beside me and be my friend.