家康の海外交易(1)
17世紀初め、日本国内と統一し、江戸幕府を開いた徳川家康は、海外との交易による経済発展を模索する。
特に交易したい相手国は中国「明」だったが、「明」は海禁政策をとり、海外との自由な貿易を禁止していた。
そして、「明」に臣下の礼をとる国に対してのみ、交易をおこなっていた。(朝貢貿易)
日本に対しては、室町時代の「倭寇」による海賊行為や、秀吉の朝鮮出兵による戦いがあったため、
厳しく門を閉ざしていた。
そのため、「明」と交易をおこなっていた東南アジアの国々を介しての出会い貿易が必要となる。
1604年、幕府は大名や商人に「朱印状」(貿易許可証)を発行し、海外との交易を後押しする。
渡航先はフィリピンのマニラ、ベトナムのハノイ、ダナン、タイのアユタヤ、カンボジア、
マレー、台湾など、東南アジア全域にわたった。
朱印状は日本人の海外渡航・帰国が禁止される1635年までの31年間に378通も発行された。
そして、350隻以上の日本船が海外に渡航したのである。
〔参考文献〕
1.「徳川家康のスペイン外交」、鈴木かほる、新人物往来社、2010
2.「三浦按針-その生涯と時代」、森良和、東京堂出版、2020
3. Wikipedia:「朱印船」
4. Wikipedia:「サン・ブェナ・ヴェンツーラ号」
5. Wikipedia:「かくれキリシタン」
参考図:Wikipedia:「朱印船」