前担任がいじめの発端? 福岡の中2自殺 頻繁に差別的発言(西日本新聞) - goo ニュース
福岡県筑前町の三輪中学校2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺したとみられる事件で、同中の合谷(ごうや)智校長は15日、1年生時の担任だった男性教諭が男子生徒に対して不適切な対応や発言をするなど、「教師によるいじめ」があったとして、両親らに謝罪した。校長は男性教諭の対応が「(自殺の)1番大きな引き金になった」「子どもたちによるいじめの大元になった」と述べた。(中略)
両親と学校側のやりとりによると、男子生徒が1年の時、早退してインターネットをしていたことについて母親(36)が担任に相談した内容を担任の男性教諭が翌日、授業中に同級生の前で暴露。このため、男子生徒は差別的なあだ名で呼ばれるようになり、「学校に行きたくない」と言い出したという。
今年9月には、男子生徒が運動会の騎馬戦の練習中に落下して腕を負傷。「手の骨が折れたかもしれない」と訴えたが、男性教諭は「おまえはまたうそをつきよる」と答えたという。
男性教諭は両親に「(男子生徒は)からかいやすかった」と釈明。教諭の言動が生徒のいじめを誘発したとする両親らの追及に「その通りです」と答え、面談後、「一生(罪を)償っていきたいと思います」と語った。
両親はこの男性教諭の差別的な発言として、生徒たちをイチゴの品種になぞらえ、成績順に「(高価な)あまおう」「出荷できないイチゴ」などと呼んだ‐などを指摘。西日本新聞の取材に対し、複数の同級生が一部、同様の証言をしている。
父親(40)は「生徒を人間扱いしていない。一生、絶対に許せない」と怒りをあらわにしている。
2006年10月16日(月)10:10
何をかくそう、私は元いじめられっ子である(小学校高学年時)。
私個人が受けたいじめについては、色々思うところはあるにせよ、総じて「でもあの当時の自分も、かなりイタい子供ではあった」とも総括している。どうイタいか細かく語るのは、恥ずかしいしニュアンスも伝わらないので省略するが、ただ「忘れ物多い」「朝起きられない」「牛乳飲めない」「スポーツ苦手」「なのにお調子者」という羅列だけで、そういう目に遭う典型パターンのいくつかを満たしていたことは、察しつくと思う。
5・6年通じて昼休みは大体一人だった(常時ではない)。2回ほど、すごく辛い目に遭った直後に、校舎の屋上から飛び降りる自分の姿が頭をよぎることもあったが、高いところから落ちてグチャッとなる想像のキツさの方が勝ったので、実行には至らなかった。
ちなみにその頃、いじめ以外でもっともストレスな一言といえば、一部同級生のアドバイス「もっと自分から中に入ればいいのに」であろうか。既に「身分としてのひとり」が定着していると自覚する身で、今さら出来上がった輪に入ろうと努める、その最初の一歩がどれだけ重いものか。善意の助言だけに、その場は「わかった。がんばる」と言うしかなく、がんばると言った瞬間に、翌日からの「ひとり」は100%自己責任という構図がまたストレス。
「いじめられっ子の人生」について語らせれば、矢部美穂にも決して劣らぬネタを持つと自負する私であるが、そんな私が福岡のニュースを聞いて思う感想は、この三輪中の先生が実際酷かったのか事実関係解らないにせよ、一般論として「担任のいじめはやっぱりすごく堪える」ということである。
過去記事でちょっと触れたこともあるが、5・6年の担任だったIという先生が、イタい児童であった私を、それはもう嫌いで、日に蔭にいじめ抜いていたので、その莫大な圧迫感だけはなんとなく解るのである。「身分としてのひとりを自覚」と書いたが、担任に加担されると、そういう身分がクラスで公認された気分になることもあって、すごくキツい。
急にムカついてきたので、そんなIと私のある日のエピソードを一つ。これも躾といえば躾という意見もあるか知れないが。
【以下思い出話】
学校が保有する専用の宿舎で、泊りがけの郊外学習に来ていたある日。郊外学習であろうと、ひとりはひとりであり、自由時間に校庭で野球やサッカーに興じる同級生に馴染むべくもなく、私は時間を持て余してぶらぶらしていた。
宿舎の1階から2階に上がる階段の上がり口に戸棚があって、旅館にあるホッケーゲームのミニチュアみたいな盤ゲームがしまってあったのだが、生徒がそれに触れるのは禁じられていた。
ヒマだった私は、たまたまあてどなく薄暗い廊下から階段の下にたどり着き、そこでなんの気なしに戸棚に触れたりしていた。
いきなり背後で「何やってるんだお前!!」という怒声が響き、私はギョッとして振り返った。Iだった。年齢にもかかわらず、いつもパイプを愛好しているIだったが、その日はたまたま紙巻タバコを手にしていた。
2回ほどビンタを張られてよろめいたと思うと、床にうつ伏せで押し倒された。次の瞬間Iが背中に馬乗りになり、左手を後ろに取られた。私は重さと怖さで息が出来ず、過呼吸気味に口をパクパクさせるだけだった。
Iは「この手が悪いんだ、この手が」と叫びながら、掴んだ私の手の甲にタバコの火を押し付けようとした。私は暴れると火が付いてしまうかと思い、左手じゃない部分をバタバタさせながら、泣いて抵抗した。
時間が実際どれくらいであったのかは覚えていない。最後にIが何を言い捨てたのかも良く覚えていない。いつの間にか、Iの姿は消えていた。火傷をすることはなかった。今思えば、本当に火をつける気はなかったと思う。跡残るし。
親には事実を打ち明けられなかった。打ち明けなかった理由は、全部がそうではないが、過去記事に既に書いているので省略。
・・・思い出話なので、一応文字をセピア色にしてみました。
ちなみに6~7年後、私の弟が同じ小学校に入学して、たまたまIと遭遇することがあったらしいのだが、わざわざ近づいてきて「君のお兄さんって○○君なんでしょ?お兄さん変わってたもんねえ」と7歳の子供に言ったという(弟報告)。まあ確かに変わってたかも知れんが、でも「ガキに馬乗りになって根性焼きのマネするほど変わってねえよ」と思ったのも事実。
更に10数年後(去年)、ある集まりで、同じ学年で私以外のクラスを担任していた先生2名(退職済)に会う機会があったのだが、その時「I先生は随分○○君に厳しかったよねえ、2人で心配していたんだよ」となんか凄く笑顔でいわれ、その他人事ぶりに、10何年か越しのゲンナリを味わったものである。
まあ、そもそも先生なんてそんなものではないかとも思うけど。狭い世界で、自分より知的レベルの劣る人間(子供)に囲まれ、根拠もなく先生と呼ばれているような人に、過度な人格を期待する方がおかしいというのが、まず私の教師観。日教組がどうとか以前の問題。
少しでも良い環境をと、子供をお受験に走らせようとする世のお母さんに、念のため言うと、一応これインターエデュ・ドットコムに単独カテゴリーもある受験小学校の話である。油断は厳禁。最後は親(または親同士のつながり)でしかない。いじめなんて特に。逆に言えば、教室で席に座らないで駆け回るとか、教師に平気でたてつくとか、そういう子供を断固押さえ込むのも、最終的には親同士の役目だと思うが。
福岡県筑前町の三輪中学校2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺したとみられる事件で、同中の合谷(ごうや)智校長は15日、1年生時の担任だった男性教諭が男子生徒に対して不適切な対応や発言をするなど、「教師によるいじめ」があったとして、両親らに謝罪した。校長は男性教諭の対応が「(自殺の)1番大きな引き金になった」「子どもたちによるいじめの大元になった」と述べた。(中略)
両親と学校側のやりとりによると、男子生徒が1年の時、早退してインターネットをしていたことについて母親(36)が担任に相談した内容を担任の男性教諭が翌日、授業中に同級生の前で暴露。このため、男子生徒は差別的なあだ名で呼ばれるようになり、「学校に行きたくない」と言い出したという。
今年9月には、男子生徒が運動会の騎馬戦の練習中に落下して腕を負傷。「手の骨が折れたかもしれない」と訴えたが、男性教諭は「おまえはまたうそをつきよる」と答えたという。
男性教諭は両親に「(男子生徒は)からかいやすかった」と釈明。教諭の言動が生徒のいじめを誘発したとする両親らの追及に「その通りです」と答え、面談後、「一生(罪を)償っていきたいと思います」と語った。
両親はこの男性教諭の差別的な発言として、生徒たちをイチゴの品種になぞらえ、成績順に「(高価な)あまおう」「出荷できないイチゴ」などと呼んだ‐などを指摘。西日本新聞の取材に対し、複数の同級生が一部、同様の証言をしている。
父親(40)は「生徒を人間扱いしていない。一生、絶対に許せない」と怒りをあらわにしている。
2006年10月16日(月)10:10
何をかくそう、私は元いじめられっ子である(小学校高学年時)。
私個人が受けたいじめについては、色々思うところはあるにせよ、総じて「でもあの当時の自分も、かなりイタい子供ではあった」とも総括している。どうイタいか細かく語るのは、恥ずかしいしニュアンスも伝わらないので省略するが、ただ「忘れ物多い」「朝起きられない」「牛乳飲めない」「スポーツ苦手」「なのにお調子者」という羅列だけで、そういう目に遭う典型パターンのいくつかを満たしていたことは、察しつくと思う。
5・6年通じて昼休みは大体一人だった(常時ではない)。2回ほど、すごく辛い目に遭った直後に、校舎の屋上から飛び降りる自分の姿が頭をよぎることもあったが、高いところから落ちてグチャッとなる想像のキツさの方が勝ったので、実行には至らなかった。
ちなみにその頃、いじめ以外でもっともストレスな一言といえば、一部同級生のアドバイス「もっと自分から中に入ればいいのに」であろうか。既に「身分としてのひとり」が定着していると自覚する身で、今さら出来上がった輪に入ろうと努める、その最初の一歩がどれだけ重いものか。善意の助言だけに、その場は「わかった。がんばる」と言うしかなく、がんばると言った瞬間に、翌日からの「ひとり」は100%自己責任という構図がまたストレス。
「いじめられっ子の人生」について語らせれば、矢部美穂にも決して劣らぬネタを持つと自負する私であるが、そんな私が福岡のニュースを聞いて思う感想は、この三輪中の先生が実際酷かったのか事実関係解らないにせよ、一般論として「担任のいじめはやっぱりすごく堪える」ということである。
過去記事でちょっと触れたこともあるが、5・6年の担任だったIという先生が、イタい児童であった私を、それはもう嫌いで、日に蔭にいじめ抜いていたので、その莫大な圧迫感だけはなんとなく解るのである。「身分としてのひとりを自覚」と書いたが、担任に加担されると、そういう身分がクラスで公認された気分になることもあって、すごくキツい。
急にムカついてきたので、そんなIと私のある日のエピソードを一つ。これも躾といえば躾という意見もあるか知れないが。
【以下思い出話】
学校が保有する専用の宿舎で、泊りがけの郊外学習に来ていたある日。郊外学習であろうと、ひとりはひとりであり、自由時間に校庭で野球やサッカーに興じる同級生に馴染むべくもなく、私は時間を持て余してぶらぶらしていた。
宿舎の1階から2階に上がる階段の上がり口に戸棚があって、旅館にあるホッケーゲームのミニチュアみたいな盤ゲームがしまってあったのだが、生徒がそれに触れるのは禁じられていた。
ヒマだった私は、たまたまあてどなく薄暗い廊下から階段の下にたどり着き、そこでなんの気なしに戸棚に触れたりしていた。
いきなり背後で「何やってるんだお前!!」という怒声が響き、私はギョッとして振り返った。Iだった。年齢にもかかわらず、いつもパイプを愛好しているIだったが、その日はたまたま紙巻タバコを手にしていた。
2回ほどビンタを張られてよろめいたと思うと、床にうつ伏せで押し倒された。次の瞬間Iが背中に馬乗りになり、左手を後ろに取られた。私は重さと怖さで息が出来ず、過呼吸気味に口をパクパクさせるだけだった。
Iは「この手が悪いんだ、この手が」と叫びながら、掴んだ私の手の甲にタバコの火を押し付けようとした。私は暴れると火が付いてしまうかと思い、左手じゃない部分をバタバタさせながら、泣いて抵抗した。
時間が実際どれくらいであったのかは覚えていない。最後にIが何を言い捨てたのかも良く覚えていない。いつの間にか、Iの姿は消えていた。火傷をすることはなかった。今思えば、本当に火をつける気はなかったと思う。跡残るし。
親には事実を打ち明けられなかった。打ち明けなかった理由は、全部がそうではないが、過去記事に既に書いているので省略。
・・・思い出話なので、一応文字をセピア色にしてみました。
ちなみに6~7年後、私の弟が同じ小学校に入学して、たまたまIと遭遇することがあったらしいのだが、わざわざ近づいてきて「君のお兄さんって○○君なんでしょ?お兄さん変わってたもんねえ」と7歳の子供に言ったという(弟報告)。まあ確かに変わってたかも知れんが、でも「ガキに馬乗りになって根性焼きのマネするほど変わってねえよ」と思ったのも事実。
更に10数年後(去年)、ある集まりで、同じ学年で私以外のクラスを担任していた先生2名(退職済)に会う機会があったのだが、その時「I先生は随分○○君に厳しかったよねえ、2人で心配していたんだよ」となんか凄く笑顔でいわれ、その他人事ぶりに、10何年か越しのゲンナリを味わったものである。
まあ、そもそも先生なんてそんなものではないかとも思うけど。狭い世界で、自分より知的レベルの劣る人間(子供)に囲まれ、根拠もなく先生と呼ばれているような人に、過度な人格を期待する方がおかしいというのが、まず私の教師観。日教組がどうとか以前の問題。
少しでも良い環境をと、子供をお受験に走らせようとする世のお母さんに、念のため言うと、一応これインターエデュ・ドットコムに単独カテゴリーもある受験小学校の話である。油断は厳禁。最後は親(または親同士のつながり)でしかない。いじめなんて特に。逆に言えば、教室で席に座らないで駆け回るとか、教師に平気でたてつくとか、そういう子供を断固押さえ込むのも、最終的には親同士の役目だと思うが。
のまいぬです。
Iっていう先生も 今の世の中やったら かなり問題になってるんやないでしょうか?
読んでてすごく 憤りを感じました。
昔から おったんですね・・。
生徒をいじめる先生って・・(T^T)
これからもよろしくお願いします。
地方とか公立の事情は良く知らないのですが、先生の質というのが昔と今で変わったかといわれても、確かに、私の経験ではなんとも言えません。
うちの学校も変な学校で、例えばいじめじゃなく体罰ですが、4年の時に隣のクラスの若い担任が一人クビになって。ビンタで子供が鼻血出したか鼓膜破ったかで。それ自体はまあ問答無用なのかも知れませんが、先生が辞める日の朝、朝礼台で全校生徒に向かって延々自己批判させられて。
泣きながら「○○君は僕にビンタされて、ウッ、鼻血を出しまし・・・ウッ(嗚咽)」みたいな。なぜそんなしょうもない吊るし上げ方するかなと、子供心に思った記憶があります。あと、本文で触れた別クラスの先生2名のうちの1人は、今の奥さん元教え子の母親(W不倫)。
これで20数年前。歪んでたというべきか、時代を先取りということか、言うならば野島伸司脚本チックな母校ではあったと思います。今は知りませんけど。
将来教師になるかどうかはまだわかりませんが、子どもが大好きなことと、塾、家庭教師でアルバイトをしていることからせっかく大学に4年間もいくのだし、教職免許を取ってみようという軽い気持ちから日々、教育について学んでいます。
そんな中、今回の事件について世の中はどう感じているんだろうと思いインターネットで検索していたら、このページを見つけました。。
私は先生がいじめるなんてドラマの中の世界で現実では全く想像できませんでしたが、、、やっぱりいるんですね。
そんな人が教師になれるような日本の教育システムがおかしいと感じました。。I先生もありえないですけえど、それを傍観している他の先生も結局他人ごとなんですね。ひどすぎます。
今の現場の先生たちはもちろん様々な問題をかかえていてとても大変だと思いますが、I先生みたいな先生は本当にいりません!!!!!!
本当むかつきます!!!!!暴力が必ずしもいつも悪いものだとは思いません。
しかし、このI先生みたいな人は即刻先生やめてほしいです。
私は学校の先生にはならないと思いますが、子どもと関わる仕事をしたいと思っているので、子どもにできる限りの愛情を注いでいきたいと思っています☆
通りすがりのコメントですみません。
今回はお越しいただき有難うございます。
実際に、今後人と接する仕事をされていくとなると、一口に子供と言っても、全然予期せぬ動きをするガキや、個性的なキャラの持ち主、好き嫌い分かれるタイプの子など、様々な想定外に遭遇しては右往左往することも多々あると思います。
難しいのは、相手を選べないことですね。
それに加えて、保護者や上司という更なる想定外が関わりますし。
教師や保育士というものになったことありませんが、とりわけ新米「先生」なんていうのはおしなべて、今まで気づかずにすんでいた、「人」に対する自分の許容ラインを、嫌が応にも思い知らされる日々なのではと想像します。それもまじめな人ほど。
私も一応幼児の親ですが、この「思うに任せない」がデフォルトの生物を毎日前にしては、突発的にキレそうになったり、あたふたしたり、後から「ああ自分まだまだでした」と己のキャパの壁を省みたり、その繰返しです。
ただ「今日も思うに任せなかった」けど、「でもまあしょうがねえや」と、どこかで適当にリセットできる余地が今はまだあり、だからこそ明日の「思うに任せなさ」をまた心待ちに出来る余力がキープ出来るとも言えるのですが、それも結局は、話す家族がいたり別に仕事もあったりで、大変救われているということかも知れません。
何を言いたいんだか自分でも良く解らなくなってきましたが、とりあえず好きなことが思うに任せないとき「でもまあしょうがねえか」と思える程度には、ゆとりある社会人生活が送れると良いなあと祈念しております。ご来訪ありがとうございました。