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木洩れ日ものろーぐ

思い立ったが吉日を基調に、言の葉から日々を透かして

氷上の屈強な魂

2006年02月23日 00時37分31秒 | 日々の点描
 フィギュアスケート、見入っていました。
 冬季オリンピックで唯一(?)興味を引かれるのが例年これです。
 朝、時間もないのについ、じいっと目で追っていたけれど、見られたのは村主さんのみ。なかなか情感たっぷりの隙のないダンスをしてらしたと思う。

 個人的には荒川さんのほうが印象的だった。
 なんというか、リンクの上での存在感が違う。氷の上にぽつんと浮いているような感じは微塵もなく、氷全土を自分のオーラで満たす、くらいの気迫が伝わってきて圧倒された。
 そのあたり、コーエン選手やスルツカヤ選手に劣らないものだったと思う。
 彼女らの表情の妖艶で自信にみなぎっていることといったらなかった。あれは美しいでしょう。

 荒川さんの力強く雄大な演技を見ながら、やはり魅力となるのは、全身に宿る、挑む者のしなやかさだなと考えていた。
 緊迫した状況下にあって、自分の芯を揺るがせにせず、冷静さを保つことは最大の課題だろうけれど、心の状態というのは意志を超えて身体に表れてしまうもの。
 評価を待つ身だという謙虚な自覚は、実は自分を縮こまらせてしまうだけ。
 評価の目を押し返すくらいの強気が、かえって輝きになるのだ。
 ふと自分の受けた面接が思い出された。

「いい結果を出すためにも楽しんで滑ること」
「欲を出さないで、でも向かっていく気持ちで」

というようなことを彼女が言っていた。本当にそれが一番だと思った。

オリバー・ツイスト

2006年02月19日 02時46分15秒 | 日々の点描
 映画「オリバー・ツイスト」を観た。

 やさしいと言えばやさしいのだけれど、個人的には物語が単純な気もした。
 というと原作まで批判しているかのようだけれど、原作は読んでいないのでそうではない。
 ただ、映画について「子供寄り」と評する意見に頷けるような作品だった。

 どんな目にあっても礼儀正しさと純粋さと善良さを失わないオリバー。
 それが揺るがない法則であることは分かるのだけど、その背景があまり見えない。
 原作にあったオリバーの出自設定をそのまま使っていないからかもしれない、と後から思ったけれど、性質のよさが根本的に血筋に依拠したものであるなら、そこも踏襲しないといまいち説得力に欠けると思った。
 でないと、人格さえ顧みられない弱い存在が、単に本能的な生きる知恵として善良に振舞っているかのように見えてしまう。
 善良であることに理由がいるのかと言われれば確かにそうだけれど、奇跡の聖人の話ではないはずだろう。

 ブラウンロー氏が、成り行きとは言え、一度はスリと勘違いしたような彼を家に留め置こうというほどに運命を感じるまでの過程も、やや突飛な一足飛びの展開に感じられる。
 こちらにとっては大前提であるオリバーの純真さも、物語内の登場人物にまで自明のことであっては奇妙ではないだろうか。

 きれいすぎるほどきれいにに繋げてあったのは、悪党ビル・サイクスの犬ブルズアイを種にしたドジャーの笑い話と、主人ビルの最期。
 もはや指名手配犯の看板のようになったブルズアイをロープに絡めて水に沈めようとしたビル。その当人が、最後には自分のつくったロープの輪で、ブルズアイのひと声によって文字通り首を締められる。
 輪をつくった時点で予感がしてしまうのは、やはり伏線がきれいすぎるから。
 できた犬だから悪党を告げ口することもない、と冗談にされた犬が絞首刑の実行役となる、やさしい皮肉。

 一貫して、主人公のオリバーの存在の淡いこと。
 周りが濃すぎるからかもしれないけれど、終始、あちらへふわりこちらへふわりと吹き寄せられる羽のように映った。
 あれが純真無垢を描くということなのだろうか。
 恩義ある悪人たち(フェイギンやドジャーら)の中にあっては彼らを褒め、自らも倣って見せる適応力を持ちながら、別の恩義ある善人(ブラウンロー氏)の傍にあってはまるで初めからそこにいたかのごとくである。
 その柔軟性がオリバーツイストを救う「無垢な性質」であるのか。だんだん混乱してくる。
 ここに込められているメッセージがどういうものなのか、物語は分かりやすいわりに、伝わりにくく感じた。

非日常感覚

2006年02月18日 01時39分13秒 | 日々の点描
 品川の原美術館へ行きました。
 現在、「オラファー・エリアソン 影の光」展が行われている。


 
 画像は持ってこられなかったのでパンフレットを撮ったものになるけれど(いいのかな…)、内容的にはこういう感じ。同期から話を聞いて惹かれて行ったのだった。
 思ったほど規模は大きくなく、こじんまりしていた。10数室の部屋にそれぞれ一つずつの作品がセッティングされていて、それを見て回るというもの。部屋の空間自体が作品と言える。
 上に載せた作品の部屋は、入る前は部屋と分からないほどに暗い。目が慣れるまで手探りすり足で部屋の奥へ進む。すると、霧吹きの幕にかすかにかかっている虹色が、歩いている自分の動きに合わせて揺らぐ。これは視覚的にちょっと面白い。

 人が見ているわけだからあまりうろうろできないけれど、他を見てから二度目に入った時、ほうと思うことが起きた。
 外国人が入ってきたのだ。私たちが壁に張り付くようにして作品を離れて見ている中、その外国人は、部屋の中央に降っている霧雨に近づいていき、なんと裏へ回った。
 はっとしたのは間違いなく私だけではなかった。裏からこちら側を向いて作品を見ているその人に、皆驚いた。何も、遠巻きに作品を見ることはなかったのだ、と。
 日本人だけだった時には行儀よくとばかりに壁際にいたのが、それを境にぞくぞく作品の周りを回り始めた(笑)。それはそれで日本人ぽいけれど。
 別に、実際は壁際から見ないと意味を成さない作品ではあった。裏からでは虹色はないし。でも、こう見なくではいけない、とおそるおそる作品に距離をおくよりは、よほど近しいものになったと思う。

 何しろ、そこはそういうタイプの展示らしいのだ。
 2階に「此レハ飲ミ水ニ非ズ」というような作品があり、お風呂を壊したような部屋に花が2輪添えてあるのだけれど、そこを、前に見ていた人に倣って入口から覗いていたら、おそらく学芸員的役割であろう人に、「中に入ってちゃんと見てください!」と言われ、入ったと思ったらいきなりドアを閉められた
 しばしその何とも言えない空間に作品の一部として埋没…。正直ちょっと不気味で怖かった。でもとにかく体感型の展示ということなのだ。だから、その外人さんにはなるほどと思った。

 光の色の輪の回転とか、影の揺れとか、部屋の四隅だけが光に照らされているとか、色々あったけれど、興味があったのは色のない部屋。
 正確には「単色の部屋と風が吹くコーナー」と銘打たれたものだけれど、部屋が真黄色一色なのだ。そこへ入ると、黄色の視界なのだけど、世界がモノクロになる。
 どんな色のものも、黒やグレーの濃淡に摩り替わってしまう。赤いハンカチが灰色になっている。部屋にいる人が、人種に関わらず肌の色がうす墨色。独特の写真を見ているような感覚に陥った。あれは面白い。
 人がいなくなるとつまらないのだけど、色んな被写体がいると見入ってしまった。入口を入るなりぶしつけに眺められることになるけれど。

 ということで、地味ではあるけれど、全体的に妙な面白さが漂っていた。

寒+冷

2006年02月17日 20時24分39秒 | 日々の点描
 今日は寒い。うかうかしていたら粉雪まで舞い飛ぶほどだった。
 そんなお休み日にまた、通常時間出発をした私。どおりで芯から寒いと思った…。
 でも、不思議と、仕事に行くのでないと、そういう悪条件もあまり苦にならない気がした。寒さも眠気も、ゆるめた心にかかれば威力を弱めるらしい。気の持ちようって大事みたいです。

 途中飛ばしてラストから。
 結果的に締めくくりは、パンチェーラのジェラートだった。
 ダブルの組み合わせは、海のジェラート(塩)とラムチョコレート。いつも何かしらくせがあるなと感じるのだけど、今日のは疑問なくおいしいと思える味だった。
 …一応寒い日なんですけどね今日は。



お鍋日和

2006年02月17日 01時45分35秒 | 日々の点描
 先輩たちと「あんこう鍋コース」を食べに行った。
 神田「嵐山」(らんざん)。
 発端は私のあんきも好きで、こうなったら鮟鱇のバリエーションを堪能してしまおうということになった。
 先付、お刺身、あんきものポン酢、から揚げ、鍋をあんきもを溶いたたれと共に、雑炊、抹茶アイス。
 やっぱり好みからいえば、お刺身とあんきもでしょうか。
 から揚げも、骨がついているのに骨ごと食べられて歯ざわりが面白かった。
 鍋の鮟鱇は、ちょっと骨ばっていて身を食べるのにはあまり適していなかったかもしれない。
 雑炊は、ややだしの味が濃い目に感じたのは私が薄味派だからだろうか。京都人の親が驚くほどの薄味の味覚をしているようだから、ここはあまり言いますまい。
 おいしいにはおいしかったのだけど、どうしても以前食べたふぐ鍋の感動が思い出されてしょうがなかった。お刺身もポン酢和えも、雑炊も、その時の満足のほうが勝っている気がした。…それともあれは、修論の多忙中を押して出かけたからひとしおだっただけとか?
 でも、あんきも好きは依然継続中です。お酒飲みの好むものをお酒じゃないもので当たり前のように食べる。

 にしても、今日はすごくよく笑った。
 言葉の連鎖反応と言うか、些細な事からどんどん話が拡散展開していって、あまりの面白さに夢中になって、鮟鱇より話がメインを占めた。
 二人の時とは全然違う面を見せる先輩もまた面白くて意外で楽しかった。雰囲気的にもいい酔い方をしたらしかった。

お手製

2006年02月17日 00時49分56秒 | 日々の点描
 今日先輩から「手作り」のチョコレート菓子をいただきました。
 昨日の今日であるだけにあまりにタイムリーで、どこかから、ほら、それを見本に!とかいう声が飛んできそうな気がした。
 手作り願望はまだあるんだとか言ったところを狙いすまして手作りがやってきたみたいで、ちょっとたじたじ(笑)



苦言もしくは予約

2006年02月16日 00時44分07秒 | 日々の点描
 職場のバレンタインは、課の女性でお金を出し合って、女性を含む課の全員でチョコレート菓子を楽しむ、という至極平和的な様相だった。
 職場近くの人気の洋菓子を買って皆で舌鼓一切の期待と不安定さを取り去った、むしろ心地よい形といえましょう。だから女性に評判です。
 ということで、つつがなく終えた、と思いきや、今日になって「かのんにチョコもらってないよねー」と口を尖らす者あり。他課のことを様子見がてら聞いてみたら、へびを出してしまいました。
 しかも、手作りがお勧め…というか要は所望らしいのだった。
 手作りタイプに見えるんですか私が、という疑問もあるけれど、タイプ以前に私は、味から言ってとても手作りをあげて満足できる境地にない。チョコならやっぱり下記のところでしょ、という一念が捨てられません。
 でもせっかくのロマンチスト保護のため、言うのはやめた。…まだあるんですね、手作り願望。いいんです、聞いてる分にはかわいいので。でも青年、実は水面下では女性が女性にあげるのが斬新なのよ今は、などとは余計に言えない。かなり王道思考な、無邪気に男の子的意識の人なので(笑)。
 でも今から来年のおねだりされてもね…。

開会式が

2006年02月12日 01時58分23秒 | 日々の点描
 オリンピック開会式、センス抜群(個人的好みで)。
 スポーツに熱狂的な興味はないのだけど、セレモニーは別。

 印象的だったのは、変幻自在な炎の立体感
 迸る火炎がとてもエキサイティングできれいで、目を奪われました。
 スキージャンプのマスゲームも芸術的に面白かったし。白い息とか、飛んだ瞬間の体を伸ばすところとか。
 ダンサーたちの宙吊りのアクロバットも、ああいう形のは稀有だったように思う。かっこよかった。人によっては、くも男とかクリオネとかイカとか、散々な(?)形容が出てきたけれど…。
 でもあの鳩はよかった。よく考えました。白鳩は思い出があったりする。とても悲しいエピソードだけど。

 白って例外なく儚いのだろうか。
 昔、襲われて怪我をした白鳩を保護した。懐っこい鳩で、よく看病を受けた。私など、うちの猫そっちのけで付き添った。君は猫好きじゃなかったのか、というくらいにうちの猫から護ってヒンシュクも買った。寝ても覚めてもその子。必死だった。
 でも、壊死した翼を落とす手術中に、心臓が止まった。帰ってきたあの子は、鳥なのに横たわっていた。あからさまに命が抜けているのが耐えられなかった。
 立っているのが辛いと手の甲にもたれかかってきたあの子。なのに、目の前の横になったその子。くっくっと横目で見上げたり首を傾げたりしていたあの子。でも今は抜け殻のその子。だけど、もう痛くないこの子。
 あれは途方もない喪失感だった。春休みだったから助かったんだろうな。古い記憶になった…。

 なんか暗い話になってるけれど、もとはセンスのいいセレモニーの話、でした。

バランスの支点

2006年02月09日 23時28分23秒 | 日々の点描
 別に、上司だから先輩だからその勤務年数に比例して管理能力が備わっているだろうなどと、考えたことはありません。
 でも…一番下っ端の者が仕事の進捗状況を一番苦慮しているという状態は、さすがにどうなんだろうと思う。
 もともと2人で回していた仕事を1人で負うのは無理だ、と思うのは、もしかして実は弱音であり間違いなのかと思いかけていたけれど、2人のうちの1人であった前任者の力強い言葉のおかげでその揺らぎは解消した。
 解消はした、けれど、それが現状に反映しないと意味がない。
 では正常なもとの体制復活を切り出すのがいいのか。まるでもとから今の状態だったかのような、この雰囲気の中で?
 休みます、あなたも休んでいいから、と言われても、あの遅滞の中平然と休むには休まないよりも労力がいる気がする…。
 両極的な思考の間を、行きつ戻りつです。

ゆるゆると

2006年02月08日 23時04分58秒 | 日々の点描
 ただ今、LaQuaからの帰り道。
 リラクゼーションをテーマとしたいわゆるトリートメント&ビューティー施設なのだけど、正直今までその種のものを信用していなかった。先輩の発案でもなければ、自発的に行ったかどうか…というところだった。
 自分の好きなお店を選んで自由に入ることにはなったものの、時間や予約との兼ね合いで、結局私が候補にしたお店は上から順々に消えていき、あまり信用してなかったマッサージのお店へ。
 知らない人に触られたら緊張で固まりこそすれ、リラックスとはほど遠いんじゃないかと思っていた。のが、数分後には完全に心変わりしていた。
 うつ伏せになって首筋からほぐされ始めた時点で、一瞬意識が遠くなるほどにじわっと痺れのようなものが走って、それがすごく気持ちよかった!
 どこかからいびきが聞こえてたけれど、あれは身を委ねたら簡単に眠ってしまうだろうなと思った。
 他愛ない質問にも答え損ないそうになる…というか、せっかく遠のいた意識を引き戻すのがもったいないような感覚になるのだった。
 結構張っていたらしく、施術後は身体は軽いしどうしようもなく眠いしで、幸せだった(笑)
 第一候補だった、初のヘアトリートメント、次の機会にでも行こうかな。




節分

2006年02月04日 03時00分41秒 | 日々の点描
 今年もまた、恵方巻を食べる。
 南南東へ向かってひたすら黙って食べました。
 途中ゼスチャーを交えるあたりかなり怪しい光景だったけれど(笑)。

 そして夜闇に豆をまく。
 鬼は外、と戸外に叫べないのでささやき、福は内、と家に撒き散らせないので拾えそうな範囲に投げる…小規模にまとまった豆まき、鬼やらいでした。

蟲愛ずる姫の共感

2006年02月04日 01時47分43秒 | 日々の点描
 私が初めて「風の谷のナウシカ」に出会ったのが中学生の時だから、かれこれ13年くらいになるのだ。と思いつつ、今回もまた見ていました。
 ほぼこれまでの人生の半分
 お姉さん(?)だったナウシカが年々幼くなっていくのが侘しい…。勝手に年をとっておいて言うのもなんですが(笑)。

 でも、当時の衝撃は今でも昨日の記憶のようにはっきり思い浮かべられる。
 新聞のテレビ欄でタイトルを見た時は実写映画だと思って疑わなかったところへ―というか正直「鹿」の話だと思ってたような気がします確か―いきなりアニメが始まり、あの障壁画ちっくなオープニングが続き、あとは別世界の渦の中…。
 あれがジブリファン…ひいては宮崎駿ファンの始まりだったんだなあ。多分、自分が虫や動物に肩入れする人種だったことも関係しているんでしょう。主人公を通して作者にも共鳴するみたいな。

 今更を承知で言うけれど、この作品で宮崎さんの操る言葉や表現は、とても神秘的で古典的で、よく練られています。だから物語構成の壮大さと相まって、子供がたった1度見ただけではすべてを理解し切れなかった。
 とくに、頭脳派のクシャナ殿下の言葉や、辺境一の剣士ユパ、宣者の大ばばさま。挙げるときりがないけど、言葉遣いが格式高い。
 分かりやすくなくてもあれだけ引きこまれるところは凄いけれど、分かってもなお何度でも、TVに来るたびに見ようという気にさせるところがどうにも凄い。そして、一度として泣かずに済んだためしがないことも。
 おおよそ、慣れるとか飽きるとか、褪せるとか薄れるとか、そういう現象が一切当てはまらない。
 あの枯渇を知らない感動は、ため息ものです。

テリトリー拡大

2006年02月02日 23時59分38秒 | 日々の点描
 いつだったか、それまでミルクチョコレートしかチョコレートと思っていなかった私が、突然ビターを無性に食べてみたくなったことがあった。そうしてひとたびビターの味を知ったが最後、ミルクでは物足りないと思うようになってしまった。
 なんとも急激な路線変更だったけれど、ビターのほうが塩分も脂肪分も少なくて成分的にヘルシーだし、悪くなかったんでしょう。
 で、この間似たような現象がおきた。
 先輩からドリップコーヒーをもらったのである。コーヒーは飲まない徹底した紅茶主義だったから、一瞬困ったものの、なんだか妙に素直にもらっている自分が約一名。
 これまた虫の知らせと言うか、どうやら正解だったらしいです。
 うち一つの味に、コーヒーも悪くない?!と思わされてしまいました。
 ビターチョコを好きになったところに、濃厚な渋みをよしとする兆候は表れていたのかもしれないけれど。まあブラックを好むことはさすがにないでしょう。

PRIDE & PREJUDICE

2006年02月01日 23時16分34秒 | 日々の点描
 先日、「プライドと偏見」を観てきた。

 すれ違う恋心の張り詰めた拮抗を描きとおすのかと思えば、喜劇的な場面が綿密に散りばめられた、笑い泣きしてしまえる物語だった。
 ベネット家の自称「繊細な神経」の夫人や遠い親戚コリンズ氏などの、念入りとすら思える滑稽な言動が、核となっている恋の暗い危うさを中和していた。

 何より、次女エリザベスの知的な切り返しと、その原動力たる勝気さはやはり魅力的。相手が誰であっても決して物怖じせず、無闇に恥じず、無駄に譲歩せず、凛と顎をあげて思うところを述べてのける気丈さがとても気持ちがいい。
 直接的で、攻撃的な響きさえ抑えない、言い過ぎの感すらある気取らない物言いがいっそ清々しい。

 エリザベスもダーシーもかなり毒舌で皮肉屋だけれど、決して厭世的ではないのだった。こと2人が対峙して言葉を交わす場面においては特に。むしろ、そういう自分の言葉によって掘り起こされる「相手との繋がり」を強く求める、魂のもがきのように聞える。
 互いに反目しあい、挑戦的な言葉を投げつけ合うその奥に、相手を理解したい、させてほしい、という想いが見え隠れした。向き合う気がなければ早々に切り上げているだろう。

 その一方で、ダーシーの所業について噂を耳にするたびに、反感を強めるエリザベス。
 でも、その反感が強ければ強いほど、裏を返せばダーシーへの想いが強いことを表すわけで、知的なはずの彼女がダーシーの事に関しては冷静さを失って、真相よりも周囲の「見解」に惑わされてしまうのがとても写実的だった。
 その不安定さ、愚かさがむしろ可憐にうつった。

 至る所でなかなかいい味を出しているのが、ともすれば薄れがちな存在感の持ち主ながら、ここぞという時に静かな強い支柱になるベネット家の父。
「コリンズ氏と結婚しなければ母さんと絶縁だ。
 結婚したら私と絶縁だ。」
 ベネット夫人に結婚の説得をせっつかれる中、娘の目だけを見ていたずらっぽくこぼすこの科白がなんともじんわりする。
 この人はエリザベスと関わるごとに何かと素敵なのだ。エリザベスへの深い健全な愛情が惜しみなく表現されて、その思慮深さが父娘の血筋を思わせる。

 それにしても、エリザベスとダーシーのプライドと偏見は確かに物語を大きく揺るがすけれど、彼らがあまりに強く純粋であるせいで、あまり危機感がなかったように思う。
 根底にある当時の女性の地位や立場も、結婚というものの現代とは違う意味合いも、彼らの前にはほとんど深刻な意味を持たなかったように見える。
 あったのは互いの間の心の障壁だけ。だから、氷が解けるのを待つような、不思議な感覚だった。どうも感想が書きにくい作品だ

 最後に、外せない要素として、音楽がとてもきれい。
 「プライドと偏見」に行ってENTERから入ると一部がBGM的に流れるので、一度聴いてみるのもいいと思う。
 ピアノを主とした転がり弾むようなメロディーが、瑞々しさに満ちた女性たちの快活な様子を余さず表現している。よくしゃべりよく笑う、一時も止まっていられない溢れんばかりの輝きが、音楽だけでも目に浮かぶよう。
 観ずして作品の雰囲気が掴める…かもしれない。

ヘルシー志向で

2006年01月31日 23時53分43秒 | 日々の点描
 カスピ海のチーズケーキ。
 3度目に通りかかって、とうとう買ってしまった(長…)。
 どうやら大阪にある有名なお取り寄せスイーツらしいけれど、とりあえず私は知らなかった。注文殺到というそのお店が、東武池袋店に滞在中(明日まで)。
 試食にひっかからなかったら買わずじまいだったかな。

 カスピ海のヨーグルトを熟成させて、フランスのキリクリームチーズと組み合わせたのだそう。
 ベイクドはベイクドなんでしょうが、後味がレアチーズで、食感がスフレ、最下層は歯ごたえのいいクッキーという、しっとりとさくさくの同居したさっぱりチーズケーキでした。
 よくあるといえばよくあるけれど、ヨーグルトの甘酸っぱさはやはり効いていると言っていいんじゃないでしょうか。表面をうっすら覆うジャム(?)がまたポイントで、おいしかった。
 紹介サイトから買えるようです。ちょっとアピールの激しさに面食らうけれど(笑)。