
神田旅籠【はたご】町は、昌平橋【しょうへいばし】の北側にあたり、中山道【なかせんどう】の第一の宿場である板橋宿【いたばししゅく】、日光御成街道【にっこうおなりかいどう】の宿場町である川口宿【かわぐちしゅく】への街街道として、旅籠【はたご】が数多く立ち並んでいたため、「旅籠町【はたごちょう】」と呼ばれるようになりました。「ハタゴ」とは旅の食物雑品【しょくもつざっぴん】を入れる籠【かご】のことです。
また、この土地には有名な寺子屋【てらこや】の、「芳林堂【ほうりんどう】」がありました。芳林堂【ほうりんどう】は、有馬藩士金子政成【かねこまさなり】が安政4年(1857)に開業しました。その後に火災にあって旅籠町【はたごちょう】に移ってきました。芳林小学校【ほうりんしょうがっこう】(現在の昌平【しょうへい】小学校)の名前も、この芳林堂【ほうりんどう】に由来していると言われています。現在この地は、日本の最先端を行くIT産業のメッカとなっています。
町会の該当区域は、外神田一丁目1番地5~7号、3番地、4番地1~8号、18~23号、5~9番地及び外神田三丁目1・12・13番地となっています。
当町会の神輿は昭和33年に南部屋五郎右衛門【なんぶや ごろうえもん】によって作られました。平成17年3月13日に神輿を、2尺5寸から2尺7寸へと大きくし、ますます迫力を増しました。当町会の御輿の迫力を感じて下さい。総勢300名の担ぎ手により、宮入します。
また今年は、いつもは裏方を勤めている婦人部の皆様が初めて宮入で担ぎます。