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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

神田松枝町会

2007-05-13 11:10:26 | 平成19年 神田祭 神輿宮入
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 この界隈【かいわい】は、昭和40年代のはじめまで神田松枝町【かんだまつえだちょう】と呼ばれていました。名前の由来は、江戸城の大奥にいた「松ヶ枝【まつがえ】」という老女の名に由来します。

 旧松枝町あたりを中心にして、江戸のころまで、「お玉【たま】が池【いけ】」という広大な池がありました。桜の名所だったことから、当初は「桜ヶ池【さくらがいけ】」と呼ばれ、池畔【ちはん】に茶屋が建っていました。「お玉」というのは、この茶屋にいた看板娘の名前です。

 景勝地【けいしょうち】・お玉が池の周辺には、江戸の文人【ぶんじん】や学者が多く暮らしていました。その一人である伊東玄朴【いとうげんぼく】ら蘭方医【らんぽうい)達が、安政【あんせい】5年(1858)、種痘館【しゅとうかん】を設立しました。このお玉が池種痘所【しゅとうしょ】が、いまの東大医学部の出発点、だといわれています。
 
 町会の該当区域は、岩本町二丁目5~7番地、10~12番地となっています。


 当町会は神輿ばかりではなく、山車【だし】にも御注目下さい。当町会の山車は唯一宮入りする羽衣【はごろも】の山車です。昭和13年に製作された極彩色【ごくさいしき】の神輿とともに新調された金色に輝く冠をつけ、宮入りする姿をぜひご期待下さい。なお今年、人形の面【おもて】を新調いたしました。若き能面作家による作品です。ご注目ください。



東神田町会

2007-05-13 10:58:31 | 平成19年 神田祭 神輿宮入
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現在の東神田【ひがしかんだ】界隈【かいわい】には、橋本町【はしもとちょう】、江川町【えがわちょう】、富松町【とみまつちょう】、久右衛門町【きゅうえもんちょう】といった町がありました。

 橋本町【はしもとちょう】の町名は、牛馬の売買や仲買【なかがい】をする幕府の博労役【ばくろうやく】の橋本源七【げんしち】がこのあたりに土地を与えられたことにちなんだ、といわれています。この町の南に接する馬喰町【ばくろちょう】 (現・日本橋馬喰町)にも博労【ばくろう】が住んでおり、馬市【うまいち】が盛んに開かれていたそうです。

 江川町【えがわちょう】は宝永【ほうえい】年間(1704~1711)に開かれた町で、伊豆韮山【いずにらやま】の代官【だいかん】江川家の屋敷があったことから名付けられた町です。

 富松町【とみまつちょう】、久右衛門町【きゅうえもんちょう】は、享保【きょうほう】3年(1718)の火災の後、神田川北岸よりこの地に移ってきた町です。

 大正12年の関東大震災後の復興計画にあたり、江戸時代から長く続いてきた町名が大きく変わることになりました。昭和9年(1934)に、橋本町、江川町、富松町、久右衛門町が合併して東神田になり、昭和13年(1938)に東神田町会が成立しました。

 町会の該当区域は、東神田一丁目1~5番地、12~17番地、東神田二丁目8~10番地となっています。


 東神田町会の神輿は昭和29年、浅子周慶【あさこ しゅうけい】の作品です。台輪【だいわ】寸法2尺7寸。他に類の無い東神田型【ひがしかんだがた】となっています。鳳【おおとり】は新一万円札裏、平等院鳳凰堂屋根錺【びょうどういん ほうおうどう やねかざり】に範【はん】をとる浅子型【あさこがた】です。堂嵌【どうはめ】の極彩色【ごくさいしき】に彩【いろど】られた「獅子の子落し」と4匹の狛犬【こまいぬ】は必見です。神田随一の華麗な町神輿として内外に広く知れ渡っています。



神田大和町会

2007-05-13 10:50:02 | 平成19年 神田祭 神輿宮入
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 この地が「大和町【やまとちょう】」と呼ばれるようになったのは、享保【きょうほう】年間(1716~1736)の頃です。内神田にあった大和町の人々が移ってきたため、大和町代地【やまとちょうだいち】となりました。

 幕末のころには、この町から隣の東竜閑町【ひがしりゅうかんちょう】にかけて、駄菓子問屋【だがしとんや】が数百軒ほど軒【のき】をつらね、ずいぶん賑わっていたといわれています。またここには、蝋燭【ろうそく】や、べっこう細工、箪笥【たんす】などをつくる職人も多く住んでいました。

 明治2年(1869)、大和町代地は合併して、神田大和町【かんだやまとちょう】となりました。

 明治44年(1911)に町名は大和町と変わりますが、昭和22年、神田区と麹町【こうじまち】区が合併し千代田区になると、ふたたび神田大和町に戻ります。そして昭和40年、住居表示の実施により周辺の町の一部と合併して岩本町二丁目【いわもとちょうにちょうめ】になりました。

 町会の該当区域は、岩本町二丁目13~17番地、19番地となっています。


 当町会の神輿は、昭和13年に宮本重義【みやもと しげよし】により作られました。総勢400名の担ぎ手により、宮入れを行います。
唐破風屋根金梨地塗り【からはふやね きんなしじぬり】、二重勾欄【にじゅうこうらん】神輿です。屋根には「黄金の鳳凰」が飾られています。是非、ご注目下さい。



室町一丁目会

2007-05-13 10:37:38 | 平成19年 神田祭 神輿宮入
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室町一丁目は、昭和7年に、「旧室町一丁目・二丁目」等の町が合併して、室町一丁目となりました。

 日本橋魚河岸【にほんばしうおがし】、呉服屋【ごふくや】、両替店【りょうがえてん】が栄え、現在にまで至り、老舗となっている店も多く、商業・金融の中心地となっています。
 
 宝町一丁目内にある「三越【みつこし】」は延宝【えんぽう】元年(1673)に越後屋号【えちごやごう】で旧本町一丁目に店を出し、「店前現銀無掛値【たなさきげんぎんかけねなし】 」の看板を掲げ、現金による正札【しょうふだ】販売商法と、切り売り商法の新商法によって今日になすまで、室町と三井家とは、呉服屋、両替店の経営から、明治以後の室町一帯は三井系列の会社とともに成長を遂げてきた、といってよいほどです。明治37年「三井の越後屋【みついのえちごや】」を二字につめて「三越【みつこし】」と改めたといわれています。

 町会の該当区域は、日本橋室町一丁目全域となっています。


 総勢300名の担ぎ手により宮入を行います。大神輿【おおみこし】は昭和13年、後藤直光【ごとう なおみつ】作です。大きさは2尺8寸、平屋台【ひらやたい】、三方胴羽目【さんぼう どうはめ】です。
扇木【おうぎ】や厚手の鋳物【いもの】、彫金【ちょうきん】で細工され、木彫【きぼり】を施さない神輿です。鳳凰【ほうおう】の翼が大きく、首が長いことも特徴の一つです。日本橋の橋の上や、三越本店前での神輿ぶりは大興奮!
必見です!!