江戸時代この界隈【かいわい】は、江戸の中心地として発展し数々の大名屋敷が立ち並んでいました。また、かつて、この地には神田明神の創祀【そうし】の場所である、「将門塚【まさかどづか】」がありました。
この丸の内一帯が大きく変貌【へんぼう】をとげたのは明治23年(1890)になります。陸軍が一帯を三菱社【みつびししゃ】に払い下げ、以後、三菱社【みつびししゃ】は大規模な再開発をしました。地域内の道路整備を行い、続々【つぎつぎ】と洋風の建築物を建てていきました。赤レンガの建築物を中心としたそれらの建物が、ロンドンの景観を思わせるようであったといわれています。
さらに大正3年(1914)には東京駅も完成しました。第一次世界大戦による空前の好景気を追い風とし、丸の内は一気に日本を代表するオフィス街へと成長を遂げました。
こういった歴史を持つこの界隈が、正式に「まるのうち」と呼ばれるようになったのは昭和4年に、丸ノ内一~三丁目という町名が誕生してからのことです。そして昭和45年、町名の表記が片仮名の「 ノ」(丸ノ内)から平仮名の「の」(丸の内)へと変更され、現在に至っています。
当町会は、この地域に所在する企業・団体及び商店等を会員として、昭和32年に設立されました。
当町会の該当区域は、丸の内一・二・三丁目、大手町一丁目及び二丁目となっています。
平将門公【たいらのまさかどこう】を思わせる勇壮【ゆうそう】な姿を、とくと御覧下さい。
江戸時代よりご祭神【さいじん】・平将門公がお乗りになった神輿が関東大震災で焼失して以来、80年ぶりの復活です。この神輿は、史蹟【しせき】将門塚保存会【まさかどづか ほぞんかい】の参与【さんよ】法人会員を務め、大手町・将門塚の隣接する三井物産株式会社より地域社会との交流・史跡旧跡【しせき・きゅうせき】の保存・伝統文化の継承による町おこし・社会貢献活動の一環として史蹟【しせき】将門塚保存会に寄贈【きぞう】された神輿です。一般的な神輿の形式とは異なる「入母屋造【いりもやづくり】」で台輪【だいわ】3尺5寸の大神輿です。当町会内で働く男女、総勢950名の担ぎ手により宮入りします。日本有数の大手企業人の心意気を宮入参拝の担ぎで魅せます!