関西中小企業研究所のイベント

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関西中小企業研究所第67回研究会 (社会的課題に挑戦する若手経営者たち【特別講演会】)ご報告

2016-05-20 11:20:10 | 中小企業

自産自消ができる社会へ―マイファーム

      

          株式会社マイファーム代表取締役

  講師   西辻一真さん

 

 

2016年5月20日、ティグレ会議室で、株式会社マイファーム代表取締役の西辻一真さんに「自産自消ができる社会へ~マイファーム」と題して講演していただきました。以下にご報告します。

 

 

自産自消の社会を目指して

 

 

小松先生の紹介にもありましたように、小松先生の講座で講演をさせていただくのは今年で7年目になります。会社を始めて9年目ですので、ほぼ創業期から毎年こういう場に来させていただいています。毎年僕の中で思っているのは、講義の中で1年間どのくらい成長できたのかということを発表できるのが楽しみなってきています。今日は特に2015年から2016年にかけて始めた事業について報告したいと思います。

最初に、会社のお話、私のお話をさせていただきます。私たちの会社は2007年からスタートした会社です。ずうっと同じことをしています。「自産自消ができる社会をつくる」ということを理念に掲げて活動しています。自産自消ができる社会と言うのはどういう社会かというと世の中の人みんな野菜が好き、農業が好きという「好き」に溢れる社会をさしています。自給自足と同じではないですかということを聞かれますが、自給自足と言うのは自分たちで作って自分たちで食べてみようということです。食べることが最終成果物になっていますが、「自産自消という社会」は農業と言う行為を通して得られる喜びとか辛さとか楽しさ、みんなでやれる気持ちよさとかのプロセスを楽しんでもらうという思いを込めて「自産自消の社会」と呼んでいます。当時、会社をつくる時にどんな社会をつくればいいのかということをメンバーとしていた時に、「自産自消」という言葉をつくってそれを広めましょうよということになりました。「自産自消」が広まっていけば、いつの間にかその中にマイファームも加わっていることになるだろう。そういう状態になれば最高だよねと言うことで、「自産自消ができる社会」と言うことになりました。ちょっとロジカルに「自産自消」を説明すると、自然と人間の距離が近づくということで、喜びにあふれる社会が実現するということです。ですから、マイファームでしている仕事は、自然と人間が近づく仕事をしています。皆さんもそうですが、僕も野菜づくりをしていると自然は一定のスピードで動いていて、僕達の気持が早くなったり遅くなったりしてもそれに合わせてくれません。僕達の方から自然に近寄っていかなければ、距離はちじまらないということに気付きます。しかし時には、自然の方から僕達に近づいてくれることもあります。それに気付く瞬間は、豊作の時です。100しかできないと思っていた時に120できることがあります。そんな時、自然が近づいてきてくれたような気持になります。また、農業大学校の生徒さんで、ブルーベリーの収穫体験のできる農業がしたいですという方がおられます。その方が、「西辻さん、自然と人間の距離が近づけばいいんですよね」と言われました。

その時、僕は固定概念で「平野区や江坂あたりに農場があるとか」「都市の近郊でブルーベリー農場をする」と想像しました。その生徒さんは「トラックの上で栽培します」と言うのです。トラックの上で栽培して、「人にいる所に自然を連れてきます」というのです。なかなか面白い発想するなと思いました。そのブルーベリートラックを大阪駅に持ってきたとすると、何が起こるのか?大阪駅前の人がブルーベリーの収穫体験をするということで終わってしまいがちですが、私はそこで終わって欲しくありません。ブルーベリー収穫の楽しさを味わってもらったら、そこから田舎や地方へ行きブルーベリーからブドウになっても、野菜作りになってもいいので、足を延ばしてもらえる様な仕組みづくりをしてもらえたらという気持ちをその生徒さんにつたえました。ということで「自然と人間の距離が近づくように、近づくように」とサービス構成をしています。

 

 

「もいだ瞬間」を提供できる流通革命

 

 

自産自消の社会をつくる上で、世の中の一つをぶっ壊そうと思うことがあります。それは何かと言うと流通革命を起こしたいということです。流通革命と言うと「それでは西辻さん、トラックを持つのですか?」という話になるかもしれませんが、そういう話ではありません。自分たちが野菜作りや、農業の側にいると気付くことがあります。「いままでに食べた野菜の中で一番おいしかったのはなんですか?」何がいたいかと言うと、「一番の贅沢はもいだ瞬間の野菜を食べること」です。テレビを見ているともぎたてのスイートゴールド(トウモロコシ)をスタジオで食べて「わあ、おいしい」と言っていますが、本当においしいのはもいだ瞬間です。テレビ局に送られてくる時点で、鮮度は劣化しています。そう考えると、一番の贅沢というのは野菜を畑まで取りに行くことではないかと思います。僕が今何を考えているかと言うと、流通機能を持たない流通をしたいと思っています。本当に食べたい野菜は、自分で注文して農家さんに取りに行ってくださいというサービスです。取りに行けないのであれば、うちが宅配代行しますという普通の流通になりますが、それって気付くようで気付けないのです。

固定概念で美味しい野菜を食べたいと思うと、ネットで高い野菜を注文すると手に入ると思いがちですが、そうではありません。わざわざ自分が出向いて取りに行き、その瞬間に食べるのが一番おいしいのです。そこに僕達はなかなか気付かないのです。今であれば、スーパー玉手で野菜を買ってバーベキューをします。もしかして1年後にバーべキューの形がかわるかもしれません。平野区のトマトの農園でトマトを採って、富田林でピーマンを取り、足を延ばして京都の九条ネギを取り琵琶湖でバーベキューをすることになるかもしれません。そこには最高の週末があります。ときには、奥さんの誕生日に自分の手料理を食べてもらおう。その時に、食材からあつめてこよう。淡路島で玉ねぎをとってきて、神戸西区の人参をとってきました。自宅に戻ってカレーをつくりました。絶対奥さん喜んでくれると思います。そんな贅沢があってもいいのではないかと思います。これも「自産自消の社会」だからできることの一つではないかなあと思って会社をつくっています。

 

 

会社のプロフィール

 

 

会社のプロフィールを少しだけ紹介します。うちの会社ができて9年目になります。なかなかこの世界難しくてですね、9年目にして連結決算6億円か思われる方もおられるかと思います。農業と言うのはじっくりじっくりと効果が出てくるところがあります。成長率としては遅いと思います。この世界で、早く大きな売り上げを上げるというのはけっこう至難の業です。ですので相当マニアックな人しか入って来ないという特徴がありかもしれません。この世界はイノベーションが起こっていない領域だとつくづく思いますます。農業はレッドオーシャンと思われていますが、私の目から見ればめっちゃブルーオーシャンです。たくさんやらなければならないことがたくさんあます。つい先週、嬉しいことがありました。和歌山の農業総合研究所さんがマザーズに上場の承認を得てました。農業系ベンチャーと言うと世の中に7社ぐらいしかないのです。その7社と言うのは2005~7年あたりに出来て、生き残っていて独立系という会社です。関西でいうと農業創業研究所さんとか内なんかが残っています。関西から出ってくれてうれしいなあと思っています。本社は京都にありますが、これは私が京都出身だからではありません。大学時代に京都に居まして、その地の利を生かしたいと思い京都で創業しています。よく東京に行きませんかと言われるのですが、行く気は0%です。イノベーティブなことを考えようとした時に、色んな脳みそが動きます。たくさんの情報が入っていることが前提ですが、全然違うシナップスが結びつく瞬間があります。その結びつきは東京にいる時より京都にいるときの方が多いとかんじています。社員さんが41名、アルバイトさんが109名、全部で150名ぐらいの会社です。特筆すべきことは何かと言えば、一番年配の方は86歳、一番若いアルバイトさんは16歳です。非常に年齢層が広いというのが特徴です。元来、農業と言うのは誰でもできることなのです。働くことを拒まない産業で、特殊な能力を必要としないのです。ただ、特殊技術が必要ではないので、誰にでもできる仕事でもあります。参入障壁が非常に低いということも言えます。しかし農業界に入る参入障壁は非常に高いのです。ちょっと分けの分からない構造になっています。16歳の子は鳥の卵を一生懸命拾っています。86歳の人は一生懸命トマトをつくっています。幅広い年齢の方が働けるいい産業だとつくづく思っています。マイファームは4つの事業をしています。1つ目は貸農園をしています。農園事業部で農業体験をする所です。この農業体験をするところが全国に100ヵ所近くあります。もう1つが農業教育事業です。農業専門学校と農業高等学院の2つがあります。八百屋さんの流通事業があります。その他の新規事業で行くと直営農場で、蜂を飼ったり、山羊を飼ったり、鶏を飼ったり、野菜生産したり、植物工場したりと色んなことをしています。それとレストランをしています。事業な話の前に会社のメンバーの話をします。私のことは後から話をします。まず、副社長の谷さんです。なぜ、マイファームが誰にもたたかれずにやってこれたのは谷則男さんのお陰です。谷さんが、行政やJAとの交渉窓口になってくれています。なので、JAさんとも仲良くやっていますし、行政さんとも良好です。その次なんですが、ベルグイアースと言う苗の会社が四国にありますが、そこの社長さんに社外取締役をお願いしています。なぜこの方がいるかというと、私は一度マイファームを出ていまして、潰れかけの時にもだってきました。その時には社会の信頼を失っていますので、俺の信頼を使えと言ってくださった方が山口一彦さんです。専務の浪越隆雅君は、マイファームに来る前に、東京でタウンワーク誌の営業マンをしていまして、マイファームが出稿をしていました。タウンワーク誌=リクルートを辞めてマイファームに就職すると言われてこられました。アルバイトから始められて、職員になり、執行役員になり、取締になり、専務になりました。本当にたたき上げの方です。彼がマイファームを大きくしてくれているなあと感じています。あと二人おられます。管理本部を担当している松山芳寛さんで細かいことに注意をしてくれています。その次が、平野幸廣さんでして、流通・小売を担当しています。農業界では「平野が来ると収入が増える」と言われています。彼が農家さんの所に行き、そこの野菜を買うというと、その農家さんがどんどん儲かるという嬉しい伝説があります。何をしているかと言うと、「この野菜はここがよかったですね」「ここを改善すればもっとよくなりますよ」と農家の方に情報をフィードバックしています。こんなエピソードがありました。営業の女性が農家の方が納品伝票を書けないので、「納品書をくれないのです」と報告していました。その時、平野さんは取引どうするつもりと聞きました。マイファームは納品伝票がないと取引をしないことにしています。営業の女性が「納品伝票書けないと言っているので、取引は難しいですね」と言いと平野さんは「それをできるようにするのが、お前の仕事やろう」と叫んでいました。女性の職員は納品伝票の書き方マニュアルをつくり、丁寧に農家の方を指導して納品伝票書いてもらい取引ができるようになりました。農家さんに対してそこまでの細かな対応をしているから農家さんが付いてきてくれているのだと改めて感じました。レッドオーシャン・ブルーオーシャンの話ですが、伝票を書けるようになるだけで商売が成立するのです。こんなことがほかにもいっぱいあると思います。まさしくブルーオーシャンだと思います。

 

 

自分が求めるサービスがないので会社を設立

 

 

僕のお話をすると、経営者になりたくて経営者になったわけではないのです。よく言われるのですが、経営者ぽくないと言われます。社内で「さん」で呼んでいますし、社長と言われると「社長」と呼ばないでくれと言います。世の中に自分が求めるサービスがないので、自分がつくらなければしょうがなかったので会社を立ち上げたのです。だから社長交代と言われた時も、抵抗なくやめました。もともとは福井県の三国町と言うところで生まれました。三国町の生まれで農家の息子さんだったんですかと聞かれます。父親はサラリーマンでして、農家とは全然関係ありまさせん。父がサラリーマンなので社宅で暮らしていました。社宅暮らしがよかったと思います。社宅には裏に空き地がありまして、そこに野菜を植えていました。もう一つは、父親が転勤族でしたので、友達がいなかったので遊ぶこととは庭いじりすることでした。なかなかいい人生をいただいたなあと思います。農業界で1つ間違いがあります。一人前になるには10年ぐらいしないとなれないということが言われますが、私は5歳の時に大きな大根をつくっていました。10年もしなくても野菜は作れるのです。どうしたらいい大根がつくれるかと考えていました。朝起きてから夜寝る前まで1本の大根と向き合っていて、その違いに気付いて水やりをしたり、虫を取ったり、太陽の向きに葉っぱを変えてあげるとかをしていれば最高の大根ができます。野菜作りとは自分の子供のように野菜と向き合うことです。ところが農業となってくると1本の大根と向き合っていると仕事にならないので、1万本の大根と向き合うことになります。1万本の大根と向き合う時にどうするかというのがポイントになってきます。大根に対する愛情が1万分の1にならないように、ある人は農薬を蒔き、ある人は肥料をやる、ある人は植物工場をする。愛情が1万分の1にならないように妥協点を見出すというのが従来の農業です。どれだけ多くつくるのか、どれだけ重いものをつくるのかというのが評価されてきたのが従来の農業でした。最高の大根をつくるためには1本の大根に向き合うのが真理です。これが僕のサービスの根本にあります。それから僕がどこに行ったのかと言うと、高校の時に大きな気付きがありました。僕はこんなに小さなところで野菜づくりをしているのに、なんでこんなに広い農地が空いているのだろうという疑問です。これが自分の中のターニングポイントです。自分の中では、使っていない農地があることが不思議でしょうがなかったのです。ここに大きなポイントがあります。とても間違いをしていました。ぼくは野菜作りのスぺシャリストですが、農業の専門家ではなかったのです。畑を持っている人は農業の専門家です。つまり、僕はいい間違いをしていました。できた野菜を売りさばくということを全く考えていなかったのです。農業にした瞬間にそのものを売りさばくと言うことを考えなくてはならなくなります。いい間違いをしたので、農家さんも出荷しなければいい野菜をつくるということです。出荷しないと楽しく作れるのに、出荷するとなるとしんどくなるのです。本質的にそう思っています。本質的に野菜作りの嫌いな人はそんなにいないと思います。「農」を「業」にした瞬間にそれはめちゃくちゃ増えます。僕は高校生の時にいい意味の勘違いをしたので、もったいないからそこで野菜作りをしたいと思ったのです。僕はそのまま大学に進んで農学部に入り野菜作りも研究をしていました。農学部の学生は100人いるのですが卒業して農業やりたいという人はゼロです。その意味で、めちゃくちゃいい経験させてもらったなと思っています。医学部に行って医者になりたいとか、薬学部を出て薬剤師になるという人は多いと思いますが、農学部に入って農業をするという人はほぼいないのです。農業生産管理学というのは高槻農場というところで仕事をするのですが志望者はゼロです。だからするすると進むことができました。育苗学(?)に行ったり獣医学に行ったり、動物学に行きます。農業生産管理学というのは人気がなかったのでそちらの方へするすると入れました。農業生産管理学というのは何かといますと、新しい作物ができるとその作物を美味しくつくるための研究をする所です。その作物を植える畝の高さはこのぐらいにしょうとか、水をやる量はこれぐらいがいいのではないかということを比較対象実験する所です。僕はアスパラガスとか小麦とか桃とかお米とか大豆の栽培などをしました。色んな作物を栽培させてもらったのが自分の中では大きかったと思います。

大学時代に大きなターニングポイントが1つあります。国立大学の農学部の位置付けは、日本の食糧危機をどうするか?もう少し大きく言うと世界の食糧危機をどう救うかというために農学部があります。政府はそう考えているのですが、僕は野菜作りが楽しいので、空いているところがあるのでそこで野菜作りをしたいのです。ぼくは大学4年の時にそんな重い十字架背負わされてもかなわないと考えていました。21~2の学生時代に世界の食糧危機の解決のために頑張るなどという意識は湧きませんでした。大学を早く卒業して農業の道に進もうと思いました。農業の道に進もうと思ったのですが、ここに大きなハードルがありました。今の仕事にみんなつながっているのですが、農業の始め方が分からない。農地をどうしたら手に入れられるのか、農器具はどこで手に入れたらいいのか?分からないづくしでした。分からないづくしなのでとりあえず先送りしました。ということで、リクルートグループの「NEXT」に就職しました。ここで社会人経験を積んで農業の道に入ろうと思いました。NEXTはリクルートの100%子会社でして、魂は完全にリクルートでした。入社式の時に面白いことをやれと言われたので、誰もしないので全社員の前で勇気を出して「ネギダンス」というのをやりました。それから1年間、あだ名は「ネギ」でした。しかもダンスがあまり面白くなかったので、1年間朝会の司会をやらされました。

だからこんなに喋れるようになったのです。その当時は雄弁でもなかったですし、明るくもありませんでした。それもいい経験をいただいたなあと喜んでいます。3年間は勤めようと思ったのですが、実質1年で辞めています。なぜ1年で辞めたかというと、その当時江副さんという方がおられまして、機会は自らつくれと言われていました。2006年に岐阜県の肉の偽装事件が起きたときでした。北海道では御漬物の食中毒が起こりました。毎回テレビを見ると食に関する事件がいっぱい報道されていました。世の中の人が農業に不信感を持つので、これはやばいと思いました。農業界を代表するつもりで変えたいと思いました。社長に農業界が僕を呼んでいるので、会社辞めますと告げました。4月に入社して11月に言いましたらビンタされまして、100年早いと言われました。その時「100年後には生きていません」と口答えしました。可愛がってくれていましたので、申し訳なかったなあという思いがありまして、毎年サツマイモを1トン送りまして感謝の気持ちを伝えています。もういらないと言われるまでやろうと思っています。なぜこの話をしているかといいましと、社会に出たら絶対に信頼を裏切るなという大切なことを教えてもらったからです。会社で常に信頼を失うなということを言われ続けていました。これは後からの布石になりますので、覚えておいてください。そんなこんなでマイファームという会社をつくって運営を行っています。

 

 

自産自消のできる社会とは?

 

 

自産自消のできる社会というのを説明しますと40万haの耕作放棄地があります。休耕地と遊休地を加えるとあと2倍ぐらいになると言われています。僕は使われていない農地を使いたいという思いがありますので、耕作放棄地をターゲットにしています。何でもかんでも耕作放棄地として扱うのは無理があると思います。耕作放棄地というのはプロの人が御米作りをしていて辞めた所なので、僕がやれば失敗すると思いました。プロの人ができないところを僕がしても、失敗します。例えば、小松先生が農地をいっぱい持っていて亡くなったとします。そうすると家族の人が相続しますが、家族は農業ができないので近所の方に農地を貸し出します。貸し出される農地はいい所から借りていかれます。残ったということは絶対条件の悪い所ということになります。そこを前の人がやっていたようにやるというのは相当に難易度が高いです。新規に農業する人は絶対に手をつけてはいけない所です。新規の人が手をつけてもいいところは、一等地ですよね。農政課とか農業振興課のかたがよく地域おこしとか、地方支援といわれますがこれは死神ですよね。一番悪い場所をどうぞと言っているようなものです。本当に地域おこし、地方振興というならば、その地域で一番いい土地を持っている人にその土地を新規就農者に使わせてあげてよと言ってくれることが大事なポイントです。ですから、マイファームは新規就農者には耕作放棄地を進めません。僕の思考回路は農家さんに勝てないので、都市部の所でニコニコ笑いながら農業体験をするような所をつくろうと考えていました。そうすることで2006年にあった食への不信感を払拭できるのではないかと思い、京都の久御山という所で耕作放棄地を借りて、農業体験を始めました。少し説明しますと、類似産業としてそれまであった市民農園とかは、1年間1万円ぐらいで借りれます。僕は当時、純粋な気持ちで間年6万円で提供し始めました。6万円で提供し始めた理由は、年間6万円もらえないと僕が生きていけないからです。ここは大事なポイントで、農業界では生きていけない値段で値付けされているものが多くあります。それを適正なサービスを提供し値付けなおしました。1万円だったところを6万円にしてしまったのでお客さんが付きませんでした。ですからマイファームの1年目の売り上げは160万円でした。160万円の売り上げの多くは家庭教師をしていた個人収入をそっと会社につけていました。実質は6組でしたので36万円でした。しんどかったのですが、いろんな販売促進をしてお客さんを増やしていきました。これがマイファームの原点です。こう考えていきますと理にかなっていますよね。24歳のとき、僕は「業」ができる分けではなくて野菜生産がすごく好きでしたので、この気持ちをサービスにするにはどうしたらいいかを考えました。僕が野菜をつくるよりも、僕からや野菜づくりの話を聞いてもらう方に価値があると思ったので、収穫体験から始めました。マイファームはフランチャイズもやっているのですが、口下手の方はコミュニケ―シュンの練習から始めましようということになります。このように自分にとっての価値とは何なのかということを突き詰めた結果ここに来たわけです。

 

 

アグリイノベーション大学校で人づくりから農業支援事業へ

 

 

2つ目のサービスがアグリイノベーション大学校です。農業教育で難しい所なのですが、農業を楽しいと思ってもらえたら、もっと学びたいという欲求を次に持つのではないかということで農業教育の方に向かいました。2010年から農業大学校はスタートしています。野菜作りが楽しいと思ってもらえたら、もっと楽しいと思ってもらうたえことはいい。野菜作りのプロフェショナルになってもらうためです。野菜作りのプロフェッショナルな方々が目指すところは、グラインガルテンですね、週末農業ですね、田舎暮らしですねという未来がありました。野菜作りには取り組んでいるが、農業の「業」には目をつむっているのではないかという気持ちが僕の中でふつふつと湧きあがってきました。当時マイファームアカデミーというのと他社さんがやっていたアグリイノベーション塾というのを統合事業としてアグリイノベーション大学校に変えて、田舎暮らしコースと農業をちゃんとするコースというのをつくりました。卒業後は農業を確りする、田舎暮らしをするという道に出ていきましようというサービスをつくりました。農業をする場合、先ほどの死神の話ではありませんが、農業で生計を立てるのは難しいので、そのためのプラットホームを確りつくりましょうということになりました。そこでマイファームとしては、卒業生が野菜作りを始めたら、僕達が野菜を買い取るというスキームからはじめました。これが流通事業につながっています。今お話したことをまとめますと、都市部の耕作放棄地は体験農園で行きます。体験農園で興味を持ってもらったら農業教育へ行きます。農業教育を卒業したら耕作放棄地を当てがいます。新規就農に者に耕作放棄地を当てがってはいけないと言ってますのでここではロジックの誤りがあります。この矛盾を通過するような方法が1つ目に耕作放棄地でしかできない農業を提案しています。分かりやすいのでいくと養蜂業です。大阪では養蜂は認められていません。蜂が都市部をとんでいると危険ですが、耕作放棄地ではオ―ケです。その他にも耕作放棄地でしかできない農業があります。マーファームはたくさん鶏を飼っています。この谷町で鶏を飼うとうるさくて近所迷惑になりますし鶏糞がくさくて公害になります。耕作放棄地であれば文句を言う人はいないです。まだまだありますね。近畿大学の先生でナマズの肥育をしている方がいますが、ナマズは農薬が使われていない田んぼが一番いいのです。もう1つは、ぼくらが卒業生にあてがう耕作放棄地は、行政への手続きもぼくらがやります。最近ですとブドウ農家のどの場合、耕作放棄地を綺麗に直す補助金があります。なのでそれを使ってもらえるように手続きまでやります。耕作放棄地を優良農地に変えて卒業生に手渡します。これで完結してもいいのですが、「農」から「業」に入っていますので2018年度以降は農家支援事業に変えようかと思っています。

 

 

毎年2万人の就農者を生み出したい

 

 

これから未来の話をします。農業の世界で問題になるのは農業をする人が減ってる分けです。この事実に対して、日本で農業をする人たちがいなくなってもいのではないかと主張する方もいます。海外から農作物をいれて、日本の産業が残ればいいのではないのかということになります。この人たちとよくディスカションしますが、農業の大切さとか、マーケットの話をします。面白い話をしまうと、某IT起業家で今は個人で活動されていますが、「そもそもお前ところに投資しても、こんな産業いるの?」という口調で話されます。「僕はいると思います」と反論しています。そこへは踏み込まずに、2025年には専業農家は90万人になると言われています。今現代は140万人いますのでどんどん減っていくということになります。2025年に90万人になるためには政府は毎年2万人の農業者を増やす必要があるとしています。つまり2025年に於いて90分の20は新しく農業に入ってきた人たちになるということです。僕はここに目を付けていて、新しく農業をする人たちが安心して飛び込んで来れるような仕組みづくりをしています。そのためにやっているのが流通で1つが八百屋さん。これは何かというとスーパーの中に棚を貰いマイファームコーナーつくることです。自社の八百屋もあります。マイファーム・エージェントですが、リクルート・エ-ジェントのパクリでして、卒業生のための人材紹介派遣業です。現在までに4人できまして内2人は内に就職していましてドーピングしています。もうすぐ始まりますがもう器具のレンタル業を始めます。目的は卒業生の方がいかに収入を得られるかということが狙いです。卒業生が鹿児島にいたり石川にいたり東北にいたりします。そこに管理費をわたして農器具を4台わたしてレンタルしてもらっています。今年で9年やっていますので農地の問い合わせが3600件あります。3600件あって僕達がはけているのが200~300件しかないのです。ほとんどは僕達の営業圏でないので厳しいですと言って断っていますので、ここを世の中にフルオープンにしょうかなあと思っています。農地の検索サイトをつくろうと思っています。

 

僕が大学を出て農業をしょうと思ってもできなかったのですが、この時代になれば農業をしょうと思えば、農地を探してもらえて手続きをしてもらって借りて、野菜作りを始めるときに農器具も用意されていることになります。種は種苗屋さんかホームセンターに行ってもらえば手に入りますので、野菜作りが始められます。農器具レンタルでも農地検索サイトのどちらかに登録していただいていますので、マイファームファミリーの一員です。顧客データ―が入っています。連絡して「何をつくられますか?」と聞いて内で扱っているものであれば買い取りますということになり販路の心配もいりません。1年か2年やってもっとうまくやりたいということであれば、学校に入ってください。学校に入って企業に就職するのもありだと思うのであればマイファーム・エージェント使ってくださいということになります。農業を始めたいと思った時に、なんでもできるプラットホームをつくりたいと思っています。この仕組みを2020年までにつくりたいと思っています。新しく農業を始めようとする方がこのプラットホームを使ってくれたら9分の2のシェアは握れると思います。そこを目指したいと思います。シェアを握ると言いましたが、莫大なシェアを握るということではありません。「自産自消」という社会は本当に素晴らしい社会なんだよということを言える人たちをまたつくりだすことが狙いです。

 

 

マイファームは「対立軸をつくらない」リーディングカンパニー

 

 

2007~9は子育て世代ばかりでした。2011年に震災があった時に、この方々はほとんど解約されました。今はアクティブシニャーがとても多のいです。サービスの内容も創業の当時と比べると相当に変えています。

アグリイノベーション大学校ですが、その位置付けは農家に丁稚奉公するでもないし大学の農学部で研究するでもなくて、実践的な経験を通してビジネスと現場がいい感じに混ざった感じです。卒業するときには、分野を決めて一歩踏み出せるようにしています。お蔭さんで生徒さんの数が増えてきています。卒業生の25%は独立しています。25%の方は農業関係に就職しています。残り25%が田舎暮らしを始めています。残り25%の方が人生に迷っている。この人たちにも農業の道に進んでもらえるようにいろいろと考えています。市民農園で1間年の使用料1万円をマイファームでは6万円にしましたが、今ではこれより高いところがどんどんでてきています。10万円のサービスの所も出てきていますし、15万円のところも出てきています。笑ってしまうのですが、市場の開拓者というのは値付けを自由にできます。市民農園の経営者の方と話をしていると、「市民農園の月の利用料はだいたい5千円ぐらいですね」と言われます。その値段は「僕が勝手に付けた値段です」と心の中で思っています。市場のリ―ディングカンパニーになることは非常に大事だと思っています。農業大学校ですが、2010年に年間60万円でスタートしました。西辻はまた詐欺ぽいことを始めたと農家さんからいわれましたが、農業大学校を続けていたら、他社さんの大学校の値段もだいたい同じです。なるほどと思います。この考え方の根本には、ボランティアではないということです。事業としてやらなくては続けることはできないということです。そのために適正な価格をつけようと思っていました。高いという人もいますが、よく見てもらいますと破格です。ビジネスをやっている方からはよくこの値段でやってられるなといわれます。この値段、農家さんから見たらぼったくりと言われます。ここにビジネスのチャンスとリスクが存在します。その他にも小売店や直営農場の経営をしています。マイファームは宮城県の亘理町という所で6haのトマト農場を経営しいています。この農場では危険な農薬ではないのですが、農薬を使っています。体験農園は無農薬です。学校の授業はどっちも教えています。2011年、亘理町では震災で農業ができなくなりました。生活ができなくなるので、慣行農法でやれば農業できますよという事で始めました。もちろん有機農法でやりたいのですが、それでは生活が成り立ちません。有機栽培や地球環境のポリシーより目の前の農家さんに付き合っただけということです。農業界でいうと対立軸をつくりながら歩んできた方が非常に多いので、すぐに敵・味方という対立軸で見ます。敵も味方もない、みんな仲間だということでやってきました。このことを言い続けてきましたので、このようにしています。農業界ではこのことが大事だと思います。

 

 

消費者を意識する農業へ移行します            

 

 

ここから僕の頭の中をお話したいと思います。国の政策で大きく進められているのが2つあります。1つは農業の規模を大きくしましょうというのもです。規模を大きくして効率をよくして野菜作りをしようというものです。2つ目には、独自産業化というのを進めて農家さんが加工や販売にも目を向けていきましょうというものです。僕は26歳の時に農水省の審議委員をやらせてもらったので、官僚の方の気持ちもよく分かります。官僚風に言うとどっちも同じことを言っています。大規模にしょうが加工や販売をしようが、つくる人が顧客のことを考えなさいと言っているのです。例えば、大規模に農業しますといって大根100haでつくり、市場に出す人はいないです。100haの土地がありますし、大根をつくる技術があるので、吉野家に行って味噌汁に大根を使ってもらえるという契約が取れてから栽培します。これが普通です。大根をつくっていました。それを市場に出荷しました。大根を食べる人のことは考えていませんでした。市場でなんぼで売れるのかに関心がありました。お客さんは市場ぐらいでしょう。これを脱却しないといけないですよねということです。自分のつくった大根がどこのスーパーで売られて、どこの飲食店に提供されて、だれが食べているのか?食べた人はどんな感想を持っているいのかをちゃんと考えましょうよというのが目的です。政府は官僚として何が言いたいのかというと、既存の農業というのは食べているのが誰かということを意識しなかったのですが、これからは意識する世界に入って行きましょうよ。そのための方法は大機規模化する方法と第6産業化する方法がありますよねということです。しかし、僕はこれにはちょっと難があると思っています。今の農家さんの平均年齢は67歳です。70歳の方にこれから顧客の顔を見ましょうよというのはなかなか難しい。これから毎年2倍の面積を増やして吉野家に交渉行きましょうよというのも難しい。だからここには新しい血が入らなければならないと思います。場合によるとプレヤ―をチェンジしないといけない場合があります。そこのところがまだ政策として追い付いていないのです。だからイチゴ農家さんにイチゴジャム作ったら売れるのではないですかというアドバイスがあり、ジャムの在庫が山のように積まれるということが後を絶ちません。大事なことはスーパーに行ってもらいイチゴの種類はこんなにたくさんあるのですね。ジャム以外にこんな商品もできるのですねと気付いてもらうことだと思います。そして、自分達にもそれができるのかと考えてもらうことです。

農業というと農産物で評価されるとおもっていました。お米をつくる人と陶器をつくる人とを比較すると、陶芸の場合ですと陶芸教室を開いたり、腕を磨いて芸術品にするということを思いつきます。農業の場合だったら、御米作りで環境に貢献すること、環境という価値を上げることができます。一緒に農作業体験したら気持ちいい。16歳から86歳までの人の話しをしましたが、年齢の枠を超えて一緒に何かができます。生産物でだけで評価でいないことがまだまだあるのですが、相変わらず農産物で評価するという傾向もあります。ここから脱却しない限り農業に先はないと思っています。自然と人間の距離が近づくというのは、人間と自然が交差しているのです。農業って楽しいな、素晴らしいな、気持ちいいなということになれば、農業に理解ある消費者が生まれます。理解ある消費者をつくるためには農業界が積極的にこういうことをやっていく必要があると思うのです。こういう話を農家さんとすると、それは国・JAの仕事と返ってきます。僕は農業に携わる人が全員やらなければならないことだと思います。だから大きな声で農家さんに言います。「つくっているところを見せてあげて下さいよ」と。「採っているところを手伝いにきなさいよといってよ」と言います。

 

 

軸をずらせば、ブルーオーシャン  

 

 

9分の2の人たちが新しく農業を始めるというのはプレヤ―チェンジです。ここのところは「軸ずらし」ということを言っています。軸を農産物づくりという所から、軸をいっぱいつくり中心の軸を少しずらします。つまりマーケットチェンジです。よく1泊2日で農業体験行きませんかというのをよく見かけますが、ここのところをよく理解していれば1泊2日でどんな価値を提供できるのかということを示せるはずなんです。例えば、ライザップの場合30万円ぐらいで1ヵ月に5キロぐらい痩せるというサービスです。1キロ6万円かかっているのです。だから1泊2日の過酷な農業体験をして1キロ痩せるのなら、6万円でライザップより安いと募集してもいい分けです。その瞬間にマーケットがチェンジしているわけです。グランピングというのが海外ではやっています。海外のセレブ達がやっているキャンプの豪華バージョンです。サファリ―の山の中でテントを張って暮らすみたいな感じです。ライオンに食われないのかと心配になりますがね。それは置いとくとして、気持ちをリフレッシュさせるためのサービスです。日本でグランピングをやっているところはまだまだ少ないです。もし気軽に白浜の近所に棚田があって、そこにオシャレなテントがあって、金曜日にそこに行きませんかと女性を誘っていくとすると、農業という世界に恋愛という感情ぽいところから引っ張ってくる観光業になります。僕としては、次の朝一生懸命農業体験して欲しい分けですが、返りにスーパーにより白浜さんの野菜コーナーを見つけて買ってもらえたら最高です。これが僕のサービス業だと思っていて、この世界はブルー中のブルーです。やりたい放題です。市場がないから値付けは自分生んでし放題です。

 

 

会社が倒産しかけたときに、人生を正直に生きることで道が開けた

 

 

2011年の時に大変なことが起こりました。この時何を思ったかというと、ここは日本一の耕作放棄地やと思ったんです。日本で一番耕作放棄地のことを考えているのは自分だと勝手に思い込んでいたものですから、自分が行かなくてどうすると考えました。そして行き支援に入りました。原発事故がありまして、貸農園のお客さんが解約するという大変な状況でした。「私たちを見捨てて何をしているのですか?」という社内からの大変なブーイングが起こりました。僕は見捨てているわけではなくて、この先に道があると思っていたのですが、今日の僕が当時の僕を見るとそれはやはり見捨てていることになると思います。なのでぼくはすごく反省をしています。この時に会社でクーデターが起こりました。忘れもしませんが、6月28日、僕の誕生日に取締役会が急きょ開催されて取締役を解任されました。そういうことがここで起こりました。解任されていますので、その当時の名刺には創業者と書いていました。肩書がない時期がありました。1年後にマイファームに残ったメンバーから、連帯保証をしていましたので債務超過で潰れるから申し訳ないと連絡がきました。「分かったからぼくにもう一度社長に戻らして」ということで、2013年の秋に戻りました。戻りまして会社のふたを開けてみると、お客さんはほとんどいなくなっていたし、銀行からの融資を受けられないということになっていまし、スタッフはいなくなっていました。どうするのよという感じです。その時にベルグアースの山口さんに後ろ盾になってもらい、再建させると決意して何を血迷ったのか、出資を募り始めました。債務超過の会社が出資を募り、出資をできないという人にはお金を貸して欲しいと頼みまして、1億円を借りることができました。そのお金を会社に入れました。BS上は資産があるように見せて、アグリイノベーション大学校をつくり、小売業を始めました。このことで農業を変えるというパンドラの箱をあけました。2013~5年と毎年黒字にして2016年になりました。起業家の方であれば必ず悩むのですけれども会社が潰れそうな時に、それまで投資してくれていたVCや個人投資家の方々に対してどうするかということです。感情論を無視するのであれば、損しましたねということで済ませます。感情論でいくとぼくに期待している人達に対して示しがつかないので、集めたお金で個人投資してくれた方々には1.2倍の金額で株を買い取りました。残りのお金を会社に入れて事業を再開しました。ネクストウェアーという所で何を学んだかというと、絶対に人の信頼を裏切るなということです。買い戻す条件として黒字になればもう一度株を買ってくださいという事をお願いしました。このように考えているときに相談したのが山口社長です。山口社長は「お前の考えているようにやれ」と背中をおしてくれました。僕の9年間の起業家人生を考えたときに、MBAを取ってるわけでもないし、起業家の勉強をしたわけでもないし、社長になりたかったわけでもないのです。スキルがあるわけではないので、自分の歩んできた人生を正直にやっているという感じです。

 

 

遠くへ行きたいならみんなで行きなさい

 

 

最後にすごく感じていることがあります。「早く行きたいなら一人で行きなさい、遠くへ行きたいならみなで行きなさい」アフリカになる有名なことわざなのですが、取締役会で首になった時にネクストウェーの先輩から教えてもらった言葉です。「いつも行き急ぐ癖がある。一人でどこを目指しているの」と言われました。「自産自消のできる社会」と応えると「それって遠いな。スタインボルトが42.195キロを走れるはずがない」という返事が返ってきました。「遠くへ行きたいのだろう。それだったら10人のスタインボルトがいたらいいのだろ。遠くへ行くのなら皆で行かないとだめだぞ」と諭されました。そこから僕の創業者スタイルはかわりました。今までは思ったらこれしょうと一人ではじめましたが、今はぼく一人でしているわけではありません。事業部長や新しくジョイントしてくれた人からこれをやりたい、あれをやりたいと出てきています。僕は今、組織図の一番下にいて失敗しても大丈夫と応援する立場に回っています。それまでは一番上にいて全体をぐいぐい引っ張っていました。そこで人生だいぶ変わったなあと思います。親からも子供のころとはだいぶ変わったと言われます。子どもの頃はいきなり突拍子もことをしますので変人といわれていました。親から「理解できる突拍子に変わってきたね」と言われるようになりました。それは遠くまででみんなで行く経営スタイルになったからだと思います。

最後におさらいをすると、僕は「自産自消ができる社会」をつくりたい。自産自消ができる社会というのは農業が好き、野菜作りが好き、好きであふれる社会を指しています。それをロジカルに言うと自然と人間が近づくこと。これを社会に広めていくことがマイファームのエネルギーでもあり目指すところでもあります。9年経営をしてきて、黒字も出してきていますので、やっと企業経営者の方と経営談義ができるようになってきたなあと思います。まだまだ未熟なところがありますので勉強しながらやっていきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

 

 

 

質問  いま私は看護師に対して体験の場を提供する仕事をしています。農商工連携というお話がありましたが、病院では看護職が不足しています。2025年には団塊の世代が後期高齢者になってきますのでさらに増えることが予想されています。潜在看護師さんが74万人おられまして、現場復帰していただくための採血のところで注射を打つ実習キッドを大阪大学の先生と一緒になって開発しました。ブランクがありますと看護師に戻りたくても戻れないということになりますので、安い金額でたくさん実習していただいて復帰していただこうと考えています。西辻社長の方で農業体験のイベントをやれていますが、私どもの実習体験とのコラボが可能かお考えいただきたいというのが1点目です。

民泊が解禁されましてインバウンド4000万人の目標で海外から多くの人がやってきますので、農業と組み合わすことができないかと思います。古民家を借りて農業体験を組み合わせてみるのも面白いのではないかと考えています。食べログなどに紹介されますと人気になりますのでいいのではないかと思います。

 

回答  採血というところから行くと、トマトのエキスを抜き取って成分の分析をして、野菜も生きてるでしょうみたいなことが可能だと思います。リアルなところで行きますと、農業体験する前に採血してもらって、農業体験してトマトを食べてもらった後に再度採血してもらい比較するというのが面白いのではないかと思います。

最近、インバウンドから京都の農業体験をしたいですという変な問い合わせが多いのです。清水寺とか高台寺に来て下さいと言っているのですが、山奥の古民家で農業体験がしたいという声があります。何回も日本に来ているので、田植えがしたいとか、九条ネギが食べたいとか違った経験をしたいという観光客の人が増えています。京都は大阪とは逆で民泊は厳しく取り締まられています。

 

 

 

質問  お話の中では、「ファミ―ゴ」や「農地バンク」についてのお話が少なかったようにおもうのですが?

 

回答  農地バンクについては先ほど説明しましたが、農家さんからマイファームに問い合わせのあったデーターを公開します。すべての情報を公開するとややこしいことになりますので、ある程度のまでの情報公開になります。関心のある農地があればクリックしてもらえれば、直接農家さんところには行かずにマイファームに連絡が来てマイファームでコーディネイトさせてもらいます。行政に集まる休耕地や耕作放棄地はあまり使いものにならないケースがありますが、マイファームに集まってくる農地は、マイファームに使ってもらいたい優良な農地で、マイファームが対応できない農地です。行政に集まる農地とマイファームが提供する農地の質は全然違いますので驚かれると思います。西宮や寝屋川にこんな農地あったんやという話になります。自治体とも対立する関係になりたくないので、ちゃんと手続きをしてから借りられるようにしたいと思っています。

アミィーゴに関してはほとんどボランティアです。先ほど食べログの話がありましたが、なぜお店は探せるのに農家は探せないのか?農家さんの方がメーカー的意識を持っているからだと思うのです。農家さんにサービス業だという意識を持ってもらうために、小売業だという頭を持ってもらうためにやっています。農家さん検索サイトもくっているところです。

 

 

 

小松先生の方からのまとめの発言

 

 

 西辻社長、貴重なご講演ありがとうございました。

私がまとめというのはおこがましいことなのですが、今日お話をうかがって特に重要だなと感じたことをお話させていただきます。ビジネスを通した社会貢献というのはいろいろなところで展開されています。西辻社長ご自身が社会起業家と呼ばれるのをあまり好まないと言われています。社会的事業で貢献するという時に一番大事なことは持続するということだと思います。継続しなければ非常に中途半端なものになります。そこで何が大事かという時にブルーオーシャンということを言われていました。既存の事業者が着目しなかったことにチャンスがあるということです。既存事業者が着目しなかった周辺領域にあるということです。農産物をつくるだけではだめだということ、6次産業化と言われていましたがいろんなヒントがあるのではないかと思います。ビジネスチャンスをいくらつくっても一番難しいのは人とかかわりだと思うのです。西辻さんほどの方でもご苦労されていましたのを私もつぶさに見させていただきました。講演の中になかったようなご苦労もされています。そのご苦をどのようにして解決されてきたのかというと、トップダウン型のリーダーではなくて情熱を語ることにより、周囲の人と対話することにより共感の輪を広げていくというのが西辻さんの強みではないかと思います。社員さん全員に数分間いま考えていることを喋ってもらうということを毎月やられています。会社や社長に対する疑問や不満も述べてもらうこと場でもあります。それに対して西辻さんが応えるという形でやられています。過去の講演で印象に残ったことを紹介してしめにさせていただきたいと思います。

「自らの事業が社会を変えるという信念がなければ経営はできない。そこに共感してくれる人がいれば事業パートナーとなりえる」

「本気の思いがあれば人に伝わる。人とのつながりが一番重要である」

「組織を運営するうえでメンバーの情熱をそろえることが大切である。そのために社員たちと感動を共有できる議論をすることが大切である。

今日は本当に貴重な知見をいただいたと思います。本当にありがとうございました。

 

2016.5.20