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関西中小企業研究所第80回研究会のご報告

2017-06-27 14:03:43 | 中小企業

中小建築設計業は

“うまい、やすい、はやい”で勝負

講 師     株式会社スパイラル取締役所長

                一級建築士 宮後繁樹さん 

 

2017年7月21日にティグレ会議室で、「中小建築設計業は“うまい、やすい、はやい”で勝負する」と題して、株式会社スパイラル取締役所長・一級建築士の宮後繁樹さんに講演していただきました。以下に報告します。

 

時代とともに「うまい、やすい、はやい」は変わる

 

 株式会社スパイラルの宮後です。一級建築事務所を経営しています。

 

 今日のテーマは「中小建築設計業は“うまい、やすい、はやい”で勝負」するということです。中小建築設計業という職種は一般的にはないのですが、私の所が中小建築設計事務所ですからこのようなテーマにしています。

  

 「うまい、やすい、はやい」といういのは、すべての業界・すべての職種にあてはめることができると思います。各業界・業種で「うまい、やすい、はやい」を取り入れることができれば、新しいシステムをつくりだすことができると思います。

 

 弊社で4年前から、「うまい、やすい、はやい」を取り入れてつくりあげた営業戦略があります。新しい営業戦略で大きな「成果=売上」を上げていますので、ヒントを皆さまに包み隠すことなくオープンにしますので、皆さまのお役にたてれば幸いです。

 

「うまい、やすい、はやい」のキャッチフレーズを知っている方は、手をあげていただけますか? 50代以上の方はみなさんご存知ですね。若い方はご存知ないかもしれませんが、ほとんどの方が知っておられます。

 

「うまい、やすい、はやい」は、吉野家のキャッチフレーズですね。吉野家の「うまい、やすい、はやい」をひもといてみたいと思います。

 

 吉野家は、創業100年で東京築地が始まりです。このときのキャッチフレーズは「うまい、やすい」でした。卸売市場ですから早いのは当りまえです。大阪中央卸売市場にゑんどう寿司がありまして、つかみ寿司が有名です。1回しゃりをつかんでネタをのせて寿司として出てきます。忙しいけれど寿司を食べたいというニーズに応えています。卸売市場では早いのは当たり前です。

 

 1970年代、私が8歳ぐらいのときです。「早い、うまい、安い」に変わりました。「早い」が出てきました。「うまい」ことより「早い」ことが求められた時代です。

1980年から1990年代になりますいと「うまい、早い、安い」に変化しました。「うまい」が初めて前に来ました。安いものを売る時代ではなくなってきたということです。皆さんが裕福になって来て、うまいものを食べたいよなということになってきました。そして、「早い」「安い」になりました。

 

 2000年代にまた、変化します。同業のすきや、松屋、なかうが出てきますので、「うまい、やすい、はやい」に変わりました。吉野家だけの時代ではなくなってきました。「うまい」が最初で、「安い」になります。価格競争をあらわしています。そして「早い」の3つになりました。

 

 吉野家の中でも、順番が変わっていきます。もう吉野家は「うまい、やすい、はやい」というキャッチフレーズを使っていないのではないかといわれるかもしれませんが、吉野家ホールディングスのホームページに「大切にする価値観」ということで現在も使われています。

 

自己紹介

 

 自己紹介をしたいと思います。昭和37年、大阪の天王寺で生まれました。夕陽丘にある愛染橋病院で生まれました。大阪の南の方の生まれですから、ガチャガチャとした性格です。

 

 昭和59年に大学は、英文科に入りました。家庭教師についてくれた英語の女性の先生にあこがれて、英語を勉強するようになったのです。将来、英語の先生になりたいと思い、英文科にはいりました。

 

 父親は設計事務をしていまして、私で三代目になりますので、継ぐことになるかもしれません。兄弟は、姉と私の2人ですから、継ぐとしたら私になります。

 

 親父に、「会社を継がなくていいか?」と聞きました。父親に、「お前は何がしたいのか?」と聞かれましたので、学校の先生になりたいと伝えました。「好きにしたらええ」ということで大学に入学しました。いまはなくなりましたが、英知大学に進学しました。

 

 大学4年のときに、親父に呼ばれまして「建築家にならないか」といわれました。「4年前に建築科にはならないと先に話をしていた」と、反論しましたが、1ヵ月悩んで建築家になる道を選びました。

 

 その当時、建築設計事務所というのは、羽振りが良くて華麗な仕事でした。親父が手掛けた作品としては、道頓堀にあるお好み焼きの千房ビルや、むかし、中座がありましたが、その横にキツネうどんの今井なども作品です。もっと昔になりますと、「嘘でも嬉しいよ」という宣伝をしていました鳥取の「レイクホテル東郷」は全部親父の設計です。

 バブルの手前でしたが、羽振りが良くて毎晩ベルサーチのネクタイを締めてミナミの夜に繰り出していました。東大や京大を出ても成功のできない時代に、三代目ですから事業ができるわけですから、建築家の道を選びました。

 

 英語が勉強したかったので、親父にアメリカの大学に留学することを条件に出しました。留学するからには、必ず卒業することを約束して3年間アメリカで勉強しました。1年間は英語を学び、2年間はサンタモニカ市立大学で勉強しました。最後は、フランク・ロイド・ライトのシカゴにある有名な建築物を見て帰国しました。

 

 アメリカの大学を出ているからといって、日本の大学を出たのと同等に扱ってくれません。日本の建築学科を出ると、実務経験2年で1級建築士の受験資格が取れます。22歳で大学を卒業したとして、24歳で受験できます。しかし、全く経験がなければ、2級受験資格を取るのに7年の実務経験がいります。2級を取って5年の実務経験があって1級の受験資格が生れます。最短で12年かかることになるのです。

 

 これではあかんということで、私立の大阪工業技術専門学校に2年間通い5年間の実務経験を積んで、一発で1級建築士に合格しました。そのときすでに30歳を超えていました。アメリカの大学は勉強しないと卒業できませんから、それの経験が生きて1級建築士になれたと思います。

 

 2年間、親父の事務所にいましたが、居心地がよすぎるので、自分で履歴書を書きまして転職をしました。転職した先は某大手の設計事務所です。国立競技場、羽田空港、ディズニーランドなどを設計しているところです。

 

 最初の仕事は、神戸の方でディズニーランドのような施設をつくるので、英語ができるのでということで振り向けられました。辞書を持って仕事をすると思っていましたら、再開発に担当替えされまして、2年間、マンションの設計ばかりを設計をしていました。今でも残っていますが、見ると恥ずかしい気がします。某大手設計事務所を退職しまして、宮後設計からスパイラルになり現在に至っています。

 

 建築業界は良いときと悪いときの循環があります。第一回目の良いときは、バブルの時です。マンションがどんどんたちました。よく儲かりましたので、外車を買い乗り回していました。景気が悪くなると車を売るという経験をしています。

 

 2回目は、ファンドバブルと呼んでいますが、デベロッパーさんがワンルームマンションなどをどんどん販売していました。その後にリーマンショックが起こりました。

 

 3回目は、今起こっています。インバウンドバブルです。以前は民泊ということで盛り上がっていましたが、旅館業の簡易宿泊所を取り新しい事業を始めようということです。マンションは1室で6万円ぐらいの収入ですが、インバウンドになると1室15万円ぐらいの収入になります。建築費は上がっていまして、1坪90万円ぐらいします。建築費は、以前の倍近くになっていますが、利益の採算はとれるし、銀行が融資してくれるのでバブル化しています。

 

 家を建てたい方向けのセミナーを開催しますと、土地を持っておられる方は、3分の1です。あとの方は、土地を持っておられません。ですから、姉が不動産業をしています。私が設計をしていますので、工事を請け負うことにしました。できることは何でもするということです。

 

「うまい、やすい、はやい」はすべての業界に当てはまる

 

「うまい、やすい、はやい」の言葉の中には、すべての業界に当てはまる要素が含まれていると思います。「うまい、やすい、はやい」で商売をしまして、年間2億円ぐらいの売り上げを上げています。3年前は7棟、2年前は9棟、去年は6棟つくりました。1棟3千万円ぐらいですから、だいたいの予想を付けていただけると思います。

 

 そこで質問いたします。

 

 あなたの商売は何ですか? 参加者の中で、商品を販売しているという方はおられますか? おられませんね。

 

 わたくしのところは、技術を売っています。税理士さんであれば、知識ノウハウを売っていますよね。第1次、第2次産業の方は海外に出て行かれて、商品製造販売している事業者の方は現在3分の1を切っているといわれています。私が主催している異業種交流会では、商品を売っている方はほとんどいません。技術、ノウハウ、仕組みを売っておられます。

 

 2つ目の質問です。

 

 それは人に分かりやすいですか? 税理士さんの場合であれば、月に1回訪問します。節税もします。売り上げを上げるお手伝いもします。でもこれは当たり前です。これをいくら話しても、お客さんは、「ああそうですか」ということになります。それでは説明していない部分は何か? いくら? 期間? です。「うまい、やすい、はやい」に当てはめると「うまい」になりますが、話がややこしいので「やすい」から説明します。

 

 安いというならば、「同業の税理士さんと比較していますか?高くてもいいのですが、そのことを説明できますか?安かろう悪かろうになっていませんか?」ということです。これが安いということのバロメーターです。

 

 次に早いです。何日で出来上がりますか? 

 

 私のところは、住宅を設計しますので、プランをつくります。デベロッパーの方は、買う土地が建築的にどんな土地か分からないのです。容積率通り建てられるのか?道路の占める何割あるのか?各市の条例がどうなっているのか?それを加味した情報が欲しいのです。

 

 普通の設計事務所は、最低で3日、キャドで書くと1週間かかります。不動産業者の方は、そんな図面はいらないのです。フリーハンドで書いてもいいのでボリュームを素早く知りたいのです。私のところは1日で仕上げます。しかし、時間がかかるならかかってもいいのです。時間がかかる理由をきちっと説明できればよいのです。

 

 3番目は、うまいです。うまいのは当たり前です。ライバルとの違いを出す、差別化するともいいますが、特徴を出すことです。特徴を出すためには、ライバルとの比較が大事になります。人口が減少してきて、仕事が減り、会社が少なくなってきています。そのときに必要なことは、ライバルと比較し、戦略を練り、自分達だけのものを創り出すことではないでしょうか。つまり商品化です。

 

 商品化とは、明確に表現できること、人に言えること、聞いた人が自分の知り合いに伝えてくれることです。私の設計事務所と他の設計事務所との違いは、商品化ができていることです。

 

商品化とはA4サイズのチラシ

 

 商品化とは、なんとなくボアーとしているあなたの業務を明確にプレゼンできることです。そのために必要なモノは営業ツールです。

 

 技術や仕組みは形がありません。形のないものを商品化するということは、営業ツールをつくるということです。営業ツールとはA4サイズのチラシをつくるということになります。A4サイズのチラシをつくることが目的ではありません。みなさんが持っているものを全部入れることです。そして、「はやい、やすい、うまい」を織り込むことなのです。自分のところは他社と比較してうまいのか、はやいのか、やすいのかの特徴を出さなければなりません。

 

 私の事務所の「注文パック40」というチラシを配ります。「注文パック40」とは、私の設計会社の商品で、注文建築でパッケージにして坪40万円で建てるという商品です。実際は設計料10%がのりますので44万円になります。

 

 4年前まで知らなかったのですが、住宅メーカー向けのビルダー仕様をメーカーは持っています。建売の台所のサイズは、とても使いやすくて2m55㎝のものがあります。トイレとキッチンは、安価で仕入れることができます。ですから、様々の要素を組み合わせていけば、住宅を安く提供することができます。

 

 3年間この話をし続けています。3年前に1回だけしかこの話をしていないのに、「宮後さん、まだあれやっている」と電話がかかってきてきます。「ほんなら、紹介するわ」ということで契約できます。

 

「うまい、やすい、はやい」を自分なりに照らし合わせていくとこうなりました。

 

WIN-WINの関係を築くこと

 

「BUSINESS SPIRAL  INTERNATIONAL」という交流会を主催しています。この会は、A4のチラシをつくるということを目的にしています。同時に、プレゼンテーション能力を高めて、WIN-WINを目指すという戦略を立てています。

 

 会を始めて1年ですが、会員数50名になりました。入会していただくと3回のセミナーを受けてもらいます。1回目は中小企業診断士の高木先生のセミナーを聴いてもらいます。経営とは何か? 営業とは何か? 利益を上げる方法などを教えてもらいます。

 

 2回目は、私がさせていただきます。お配りしたチラシづくりのためのQ&Aを使ってお話しします。チラシをつくることが目的ではないのです。皆さんの中で、今から申し上げることが整理されているかどうかが問題なのです。

 

1、会社や店舗名 

2、仕事のジャンル 

3、電話番号・メール 

4、会社への生き方 

5、営業時間 

6、お休み 

7、サービスの地域 

8、ロゴマーク・キャッチフレーズ 

9、ホームページ 

10、ブログ・SNSの活用 

11、コーポレートカラー、チラシの基調となる色 

12、商品名、サービス名 

13、参考にしたいチラシ、HP等の媒体 

14、ライバル 

15、ターゲット 

16、会社、商品を検索するときのキーワード 

17、店舗・サービスのキャッチコピー 

18、商品のイメージや写真 

19、会社・商品・店舗の特徴 

20、顧客の悩みと欲求 

21、サービスへのこだわり(うまい、はやい、やすい) 

22、あなたの商品が選ばれる理由 

23、お客様の声 

24、自分の欠点 

25、サービスの流れ 

26、どんな思いでいまの会社・商品を始めたのか? 

27、価格 

28、よくある質問 

29、どんな方に最適か? 

30、サービスを受けたら、商品を買ったらどうなるのか? (お客様のゴール)

31、貴方はどうなりたいのか? (パーソナルゴール) 

32、貴方のこだわり 

33、貴方の生い立ち 

34、顧客の年齢 

35、チラシのタイトルなどです。

 

 以上のことを網羅してチラシを作ります。ロゴがない場合は作ります。コーポレートカラーがないときは新しく決めていきます。自己分析をして、ないものがあれば作ってチラシを作成します。チラシをつくるのは当たり前ということです。

 

 さらに、チラシの中身を伝えていかなければなりません。2つ目は、プレゼンテーションの確立です。テーブルミーティングで1テーブルに6名の方がおられます。1回目は自己紹介をしてもらいます。2回目には、自分の商品紹介していただきます。3回目には、質問タイムです。質問されて、即答できなければその部分を考えて頂くということにしています。

 

 3つ目は、WIN・WINを目指す戦略です。1つのテーブルには、5人の方がおられます。5人の後ろには、何十人、何百人もの友人がおられます。その友人に認知してもらえることにもなります。自分の前の方が、自分の営業マンになるわけです。みなさんの営業マンに何かできないかと考えるのは当たり前です。何もしなくてもいいのですが、ないよりもある方がいのではないでしょうか? 私の事務所では、紹介して下さった方に1軒につき50万円のお礼をしています。それをWIN・WINと呼んでいます。大事なことはWIN、WINの関係をつくることだと思います。

 

「脱 どんぶり勘定」―税理士さんが作ったチラシ

 

 税理士の先生がつくったチラシを紹介させていただきます。もちろん、このチラシは税理士の先生と私たちが話し合ってつくりあげたモノです。税理士さんにもいろんな方がおられます。どんな税理士さんなのか?得意分野はどこなのか?どんなことがしたいのか?をお伺いしました。 

 

 飲食店の店舗系で独立しているけれど、夫婦とアルバイトで経営をしている方で、経理がどんぶり勘定になっている人を支援したいということでした。ですから、チラシのタイトルは「脱 どんぶり勘定」、さし絵は「どんぶりとサイコロ」です。ぱっと見ただけで、「どんぶり勘定の経理をしていると、いつまでも経営がよくならないですよ」と訴えかけるものです。

 

 私のところもそうですが、「マンションも設計します。ホテルも設計しますし、店舗も手掛けます。何でもできますよ」では、紹介のしようがありません。今年がこれで行くぞというのを決めてもらって、チラシをつくりあげることです。

 

 この税理士さんの場合は、店舗経営者に向けてチラシを打ちたいということです。店舗経営をしている人を紹介して、うどん屋をしている人、うどん屋をしようとしている人を紹介してということになります。

 

 さらに、「飲食店に特化した税務業務」と書いてあります。これで分かると思います。「毎年、毎年出たとこ勝負しているあなた」「税理士を雇うほどでもないあなた」と書いてありますので、ターゲットが絞り込まれています。

 

 無料診断のクーポンが付いています。税理士さんは決算書が見たいのです。見せてといっても見せてくれませんので、無料で診断するという特典を付けています。決算書を見たら、悪いとは言いません。「もっと良くする方法がありますよ」と声をかけるのです。さらに、うどんやラーメンの割引クーポンが付いています。税理士さんは、顧客になってもらっている飲食店さんに、「このクーポンを持ってきたら5%~10%値引きして」と声をかけています。紹介した人はこのクーポンでWINですし、お店の人はお客が増えてWINです。私は、この仕組みがシステムだと思います。

 

 このクーポンは第1次的なクーポンです。顧客1軒を紹介してくれた方に、12ヵ月の1ヵ月分をステーキの招待券として差し上げる。税務業務で1軒50万円というわけにはいきませんので、これくらいではないかと思います。ステーキであれば、ステーキ屋さんにたのんでパッケージのコースをペアーでつくってもらいます。招待券をもらった人もWIN、ステーキ屋さんもWINになります。自分たちのできることを少し工夫することで特徴を出すことができます。

 

ハードルの低い価格設定―お客さんファースト

 

 次に価格です。税理士さんは本当は1ヵ月5万円、10万円もらいたいところですが、お客さんファーストなので安価な金額にします。「もし、経理とアドバイスによって売り上げが上がったときには、5万円にしてね」といっておきます。大事なことは、はじめはハードルを低くして金額を決めることです。テーブルについている方に、どんなに大きな会社でも最初の1年は2万円にしますとアピールするようにします。

 

 ここで吉野家に学ぶということが出てきます。「やすい、はやい、うまい」の3つにミッションを付け加えることです。売り上げを上げるコンサルティングを、業務以外の社会奉仕としてミッション化することにします。

 

 以上のことをまとめますと、チラシをつくる、クーポンを付ける、招待券をつくることになります。次のステップとして、てんぷら屋さん、ステーキ屋さんなどの店舗ブックを作るということです。

 

 大事なことはA4サイズでつくることです。皆さんが作って来られたときに、税理士の先生が「A4サイズのチラシを作りませんか」ということを提案します。税理士の先生はチラシをつくる、クーポンを付ける、招待券作りを、連鎖させることができるのです。税理士の先生がこんなことまで考えてくれているということになり、営業のツールにもなります。

 

 最後に、異業種交流会のゲストとして招待することです。異業種交流で学ぶこともできますし、商売を広げることもできます。税理士の先生は、こんな事までしてくれるという信頼から、同業者を紹介してくれることになるかもしれません。

 

 最後の最後は、紹介で仕事をいただくのが一番いいのです。紹介してもらったら、1ヵ月分の顧問料を無料にするとかのお返しをすれば、ここでもWIN、WINが起こります。あるいは、てんぷら屋さんでてんぷらを食べてきて下さいと招待券をわたすのもいいですね。

 

 WIN、WINを目指す戦略というのは、できるだけ多くの機会をとらえてWIN、WINを創り出すことです。近江商人的な形をつくっていければいいと思います。

 

吉野家は「うまい、はやい、やすい」のキャッチフレーズを今でも守り続けています。吉野家のホームページからその部分を抜粋して読み上げて、終わりたいと思います。

 

「うまい、はやい、やすい」の3つの要素を思考することに変わりはありませんが、優先順位、その割合・内容は、市場に応じて変化してきました。これからも変化させ続けることに変わりはありません。しかし、うまいが最優先であることは変わりません。うまいは、競争力の生命力だからです。価格の競争であれば、資本力と規模が武器になります。資本力と武器を持ってしても真似することのできないものは、味です。競争力に決め手となる商品の品質は、今後もグレードアップし続けます。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

コーディネーター高木さん

   

 質問して下さいと言っても、すぐには出ませんので、少し感想を述べさせてもらいます。

 

 中小企業は、差別化せよといわれますが、差別化して特徴を出すとすぐに誰かにまねされてしまいます。差別化の反対の言葉をご存じだと思います。差別化と対になっている言葉は、同質化です。 

 

 たとえば、セブンイレブンのレジの横にあるアイスコーヒーは、セブンイレブンが最初に売り始めました。すぐにほかのコンビニもマネをしてレジの横にコーヒーを設置しました。中小企業こそ同質化するということではないかと思います。

 

 宮後さんのところで大手と同じ2千万円の家を建てるとしたら、1千6百万円できます。大手に比べて4百万円安いのです。同じ工務店を使うけれど、材料を安く仕入れて家を建てるからです。また、工務店さんも宮後さんのところで家を建てる方が儲かります。その理由は、宣伝費をかけていないからです。宮後さんのところは、大手よりも安くなり、工務店さんが大手のところと同じ工務店を使うということを顧客に説明しています。大手の仕事と同質の仕事をすると説明しながら、価格面で差別化されています。

 

 宮後さんの話を聞きながら、中小企業は大手と同質化しながら差別化することができるということを学びました。宮後さんは差別化・同質化という言葉を使わずに商売されていることがすごいところだと思います。

 

 私もクライアントを紹介されて会社のお伺いします。すると社長さんは、「F社を入れてコンサルしていたんだ」と、お話されます。それを聞いて私は、「そうですね。6百万円もかかったんですか。F社は固定費が高いからですね」と、話を合わせながら固定費が高いということを指摘していきます。そうすると、固定費がF社は高いのだということとに気付いてもらいます。いちいち「社長、F社は固定費が高い」とはいいません。

 

 このトークは、宮後さんのビジネスのパクリです。パクルことに躊躇はいらないのです。なぜなら、お客さんに安くていいモノを使って欲しいという信念があるから、パクリでものOKなのです。それでは質問をどうぞ。

 

 

質問   私は、行政書士をしています。顧客は人脈を通じて入ってきます。外国人は、日本人を信用していません。日本人は逆に外国人を信用していません。ビザに関する仕事を顧客の満足のいくようにしてあげれば、そこから顧客が増えています。人脈の利用はどのようにされていますか?

 

回答   ワンルームマンションや事業用の場合には、得意先というのはあるのですが、住宅の場合は、すべてが新規です。たまに、家を立てられた方からの紹介というのはありますが、少ないです。家を建てられる場合に、なにがしかの建築屋さんとのつながりがあります。ですから、人脈づくりのほとんどが、異業種交流会でお話しするということになります。強いパイプになり切れないというのが歯がゆいところです。

 

 

質問   「やすい、はやい、うまい」で商売をされていますが、もっと「やすい、はやい、うまい」がでてきたらどうされますか? 外国人が入って来て価格競争になればもっと安い値段を出してくると思います。実際に私の業界では、質がよくても値段の安い方を選ぶという傾向になってきています。

 

回答   秀光ビルドという会社があります。「めちゃくちゃ安い」と宣伝されていますが、そんなに安くありません。お客さんの方からも、もう少し安くならないかというお話も聞きます。85%の確率で契約できるというお話をしました。価格面も安いのですが、図面ができあがっている場合もあります。そんなときに、3日間だけ時間をもらい日当たりのいい家、風通しのいい作り、家族の団欒(だんらん)ができる間取りなどを意識して図面を書き直します。奥さんにそれを見せて、「まあ、素敵」といってもらえたらほぼ100%契約が決まります。安いだけではなくて、そこに何かをプラスすることで喜んでもらっています。

 

 また、これからは設計士も国内だけで生きていける時代ではないと思います。私は現在52歳ですが、あと何年やれるかということを考える年代に入りました。若い設計士さんは、海外に目を向けてフィリピンやベトナムなどの海外に目を向けるべきだと思います。ユニクロや吉野家さんは、価格は低いが品質を上げて勝ちぬいています。ですから生き残れる方法もあるのではないかと思います。

 

 

質問   住宅建設には、波があるようにお聞きしました。仕事としてその他にストック的なビジネスはされているのでしょうか?

 

回答   父親の教訓として「設計事務所は、建築業界のトップたれ」というのがあります。設計事務所には4つのタイプがあります。元請けの設計事務所、デベロッパーの設計をするところ、工務店の下請け設計事務所、最後に申請屋というのがあります。申請屋というのは、1軒40万円ぐらいで申請だけに特化している設計事務所のことです。

基本的に下請けはしたくないので、下請けはしません。お客さんの代理人として工務店を選ぶ立場で仕事をしています。

 

 

質問   古い人からの紹介と一生に1回のことなので、リピートが少ないないというお話でした。お客さんとのやり取りで記憶に残ることをお聞かせ下さい。

 

回答   私は52歳なので私の年代の人は家を建てません。子どもの年代の人が家を建てるのには少し早い。家を建てた方の御親戚や娘さん息子さんから注文が来るときはうれしいですね。私の課題は、リピート率を上げることです。しかし、現実的には、この業界で行われていることは、セミナーを開いて家を建てたい方を囲い込んでいくやり方です。新しい顧客を追い求めているところがあるかもしれません。

 

 

質問   自分の経営を整理されて教えるまでになっておられます。お父さんの会社を引き継いで、うまくいったこともあるでしょうし、失敗したこともあると思います。経営革新の成り立ちに興味がわきました。

     

回答   実は私は親父の会社に2年しかおりませんでした。完成予想図の世界ではトップクラスの伯父で宮後 浩がいます。そこの事務所から独立しています。親父とケンカしていますので、親父の事務所を引き継いでいません。50歳ぐらいのときに、建築の話を聞かれたら、その場で回答できるようになりました。これからの若い企業家に伝授できないかと思うようになり、始めました。

 

 

 

 

 


関西中小企業研究所 第80回研究会のご案内

2017-06-26 13:14:01 | 中小企業

中小建築設計業は
“うまい、やすい、はやい”で勝負

一級建築士事務所・株式会社スパイラル(宮後繁樹・取締役所長)は普通の設計事務所ですが、誰にでもわかりやすい営業戦略で、住宅建築業界にチャレンジをしてきました。

宮後さんの考え方は「明確化」です。
業界の仕組みを理解しつつ、建築主にとって一番大切なものは何なのか?をしっかりと聞き取る努力をしてきました。

また、フリープランでありながら、規格化された仕様で、分かりやすい商品提案を行い、売り上げをアップしてきたのです。

宮後さん自身は文科系大学を卒業後も建築業界に23年従事。士業の持つ硬さを払拭して、エンドユーザー目線のどこにでもいる「オジサン」として、接客を心がけてきたのだと言います。

ふるってご参加をいただけましたら幸いです。

日 時   2017年7月21日(金)午後6時~8時

場 所   ティグレ大阪会議室
         〒540-0012
        大阪市中央区谷町2-6-4谷町ビル8F
        TEL.06-6966-1866

テーマ 『中小建築設計業は “うまい、やすい、はやい”で勝負!』

講 師   株式会社スパイラル取締役所長・
       一級建築士 宮後繁樹さん

宮後繁樹(みやご・しげき)さんプロフィール ●平成7年設立の建築設計事務所、株式会社スパイラル取締役所長・一級建築士。●昭和62年米国サンタモニカ市立大学建築学科卒業。平成元年大阪工業技術専門学校建築学科2部卒業。●以来、建築設計一筋。●平成22年4月、総合建築企業となるべく社名を株式会社スパイラルとし、現在に至る。●昨年、社名の「スパイラル」を冠した異業種交流会「ビジネス・スパイラル・インターナショナル」を立ち上げ、主催する。

会 費 2,000円 (研究所正会員は1,000円、学生は500円)

申 込 お名前、会社名、ご住所を記載の上、kanchuken@estate.ocn.ne.jpまで
      もしくは06-6966-1866(関中研)まで。
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主 催  一般社団法人関西中小企業研究所
      大阪市中央区谷町2-6-4谷町ビル8F
      TEL.06-6966-1866


関西中小企業研究所第79回研究会のご報告

2017-06-26 10:45:22 | 中小企業

                       中小企業がめざすものづくり
        “HILLTOPシステム”への道

           ―楽しくなければ仕事じゃない―

                 講 師    HILLTOP株式会社代表取締役副社長 

                            山本昌作(やまもと・しょうさく)さん 

2017年6月23日、エルおおさかにおいて、HILLTOP株式会社副社長の山本昌作さんに「楽しくなければ仕事じゃない」と題して講演していただきました。以下に報告します。

 

キーワードは「チャンスは平等にある」

 

今日のキーワードは「チャンスは平等にあるということです」。クロスエフェクトの竹田さんの話を聞かれたかと思います。竹田さんは私が京都試作ネットの代表をしていたときに、次の5年間の代表として私が指名しました。竹田さんから「社長のところはずるい。社長のところにしかチャンスは回って来ない。私たちのところにはチャンスが回って来ない」と言われたことがあります。「それは違うで」という話をしたことを思い出します。自分たちの周りにはチャンスはいくらでもあり、通り過ぎているのです。そのチャンスを見ようとしないから見えない。見えたとしてもチャンスをつかもうとしないからつかめないのです。

 

「クリック&モルタル」という諺がアメリカにあります。このことの意味は、インターネットの世界で「クリックすればするほど、自分たちの知らない世界が広がる」ということです。

「こんなことがあるんだ」「こんなチャンスをつかんでいる人がいるんだ」「こんな仕事をしている人がいるんだ」「こんな考え方があるんだ」となります。すると、俺もやってみたいということになるのが人情だと思いうのです。それをつかもうとします。しかし、残念なことに「腕が短い、脚が短い、パワーが足りない」などの問題に突き当たります。考え始めることで、自分の不足している部分に気付きます。「技術が足りない、人材が足りない、お金が足りない」となります。それをつかむことに意欲を持つということは、もはや空想ではなくなります。

 

竹田さんが私に質問してきたときに「それは違うよ。チャンスは平等にある。お前は見ようとしているか?つかもうとしているか?」といったことを記憶しています。竹田さんは一回、心臓のモデルをつくるときに失敗をしています。お話をもらったのに、あまりにも素晴らしいので自分達にはできないと思い断っています。その後、私の話を聞き「あそうか!そういうことだったのか!」と気付いたそうです。自分達の夢を描けるものであれば取り組んでみようと考えたのです。自分たちのストライクゾーンに来る仕事だけを取っていては成功しません。普段している仕事には、それなりのものはありますがそれ以上のものはありません。ストライクゾーンのちょっと外れたところにあるチャンスを見る力、そのチャンスをつかむ努力が必要なのです。自分たちの技術はこの範囲と自分で決めつけているのです。自分たちの技術の少し外れたところに、面白いニッチな新しい世界が広がっているのです。リスクはあります。リスクを恐れていては成長しません。「自分たちは、このままでいのか?」と問うと、やはり夢があるのでリスクを背負うという決断をすることになります。

 

37年前に、全盲の兄のために起業した自動車部品の町工場

 

37年前、私たちの会社は汚い町工場でした。そのルーツは、現社長の兄が重病になりまして、ストレプトマイシンを打ち続けて命は取り留めましたが、全盲になったことです。親父は3年前に亡くなりましたが、経験もない、お金もない、技術もないのに兄のために起業しました。頭の先から足の先まで油汚れになり育ててくれた両親には感謝をしていますが、兄の面倒を自分が見ようとは考えていませんでした。大学のときに商社に内定していましたが、これをどのようにお袋に伝えようかと思っていました。「なんで兄貴を支えへんのか?」とお袋が、怒るとは思っていました。怒られることは、覚悟していました。しかし、自分の人生ですから怒られても就職するつもりでした。怒られました。しかし、途中からぼろぼろと泣かれました。お袋にボロボロ泣かれて、勝てますか?勝てませんよね。このことがあって、親父の会社に入ることになったのです。

 

いまでは、ウォルトディズニー、NASAがお客さん

 

いやいや会社に入るわけですから、大きく会社を変えてやろうと思いました。来る日も来る日も同じ自動車部品をつくる会社でした。現在は、それから大きく変わりまして、社員は10年前に比べて、3倍の100人になりました。また、ほとんど無人で製品をつくるとんでもない会社に生まれ変わりました。この業界では有名な会社です。東京オフィスを荻窪に7名の社員で構えています。ロサンゼルス、アーバインにHILLTOP LABORATORYを3年前にオープンしました。ロサンゼルス空港から車で1時間ぐらいのところにあります。3年で黒字になりました。シリコンバレーに去年の暮れに、事務所をつくりしまして、活況を呈しています。来年は、テキサスに事務所をつくります。テキサスはトヨタも進出していますので、アメリカの中で一番GDPが高いところです。プロトタイプのサプライヤーがアメリカにはありませんので、入れ食い状態です。もう少しアメリカを攻めていきたいと思っています。ウォルトディズニーは私たちが進出する2年前からHILLTOPに注目していたようです。私たちの方は、いきなりウォルトディズニーから注文が来たと喜んでいました。最初に来た注文は、ミッキーの耳でした。ウォルトディズニーはアメリカでは人気がないのです。製品を1個受注して商売をしているような企業はアメリカにはありません。試作品を作ったら、同じ製品を何百個受注して商売をしているのが一般的です。ウォルトディズニーという名前を聞くと、「あんたとことは取引したくない」ということになるのです。NASAは、アメリカでの受注のベスト5にはいります。そのほかに、グーグル、アップル・マテリアル、最近では、ムーバーもお客さんになりました。

 

人の能力を引き出すことで企業は強くなる

 

HILLTOPシステムについて説明したいと思います。私たちは大量生産をやりたくない、生きることとは、知識労働だという考えを持っていました。人を育てることに力を注いできました。アメリカの事務所には、プログラマーはいません。すべて日本の本社でやっています。アメリカの機械は日本と同仕様の機械ですので、アメリカで注文がきますと、プログラムを日本でつくり、アメリカの機械に投げ込むだけで、瞬時に製品ができあがってしまいます。アメリカにおいても、世界最速の製品づくりを実現しています。これが不思議なので、1年間に1500人ぐらいの方が工場意見に来られます。輸送コストはゼロ、通関手続きはなしです。昔はモノをつくる人の人件費が80%ぐらいを占めていましたが、今は30%ぐらいに減っています。あとの70%は、コーディネーター、デザイナーの人件費になります。合理化して人を削減するという考え方は、全くありません。人の能力を引き出すことに力を注いできただけです。人の能力を引き出すのは、私の得意とするところなのです。人間は十人十色です。人の能力を引き出すことが、企業の力を高めることになるのだと思います。

 

2年で大量生産の下請けをやめることを決意

 

以前の工場は、暗くて油だらけで、床がネチャネチャしている所でした。入社2年目でこんな大量生産の会社はやめようと決意しました。自動車部品メーカーの子会社の下請けをやっていました。機械を与えられて、その機械に材料をのせれば製品ができあがります。機械がよく出来ていますので、人の仕事は、素材を供給するだけです。その下請けに呼ばれまして、半年研修に行きました。今、覚えているのは2日間だけです。ここまでできる機械はすごいなという記憶が1日目です。2日目は、1日に7000個の素材を供給しようと思いますと手が腫れるんです。機械に素材をセットしますから、飛んだら大変ですので、強めにセットしましたら手が腫れあがりました。3日目のことは一切覚えていません。仕事には頭を使いませんので、先輩に「この仕事しんどくないですか?」と聞きました。すると、先輩は「あほかお前は、仕事やからしんどいのは決まっている」と言われました。仕事をしていると、時間が気になります。1時間ぐらい過ぎていると思い時計を見ると30分しかすぎていないのです。時計が壊れていると思い、先輩に言いました。「先輩、あの時計壊れていますよ」と。先輩は、「誰しも陥る初期症状や。お前は仕事のことを考えているやろう」といわれました。私は、「はい、仕事ですから」と返事をしますと、「それや、仕事のことを考えるからあかんねん。頭の中を真っ白にする。何も考えたらあかん。体だけを動かして、ふと気付いたら材料がなくなっている。これができなければ、続けていかれへん」といわれたのです。そのとき決めました。この仕事を長く続けることはないと。

 

2年間続けましたが、3年目からはこの仕事をやめました。さりとて、8割の仕事を失うわけですから路頭に迷うような経験をしました。3年間無給でした。無給というのは、給料もないし、休みも無いということです。ご飯を各家庭で食べるとお金がかかりますから、工場の隅で、親父・お袋・兄弟と私の家族で、ほそぼそと食べていました。毎日、午前様です。休みは正月の3日間ぐらいのものです。長男が生まれましたが、起きている姿を見たことがありません。女房が本当に苦労したと思います。子どものことですから病気もします。病気をすれば、病院代がかかります。ミルク代もいります。仕事の8割をやめたのは自分の責任ですから、何としても仕事を取ってくると必死でした。家族を思いやる余裕はありませんでした。自分の中では、善循環だと思っていました。好循環という言葉はありますが、好循環・悪循環ではなくて、善を循環させる善循環と位置付けていました。ですから、家族を振り返る余裕もなかったのです。お金のことを女房に聞くと、親元から応援をしてもらっていたようです。

 

松下電器とマクドナルドから、HILLTOPのヒントを得る

 

マスプロダクションをあの規模でやめて本当に良かったと思っています。日本の製造業は、下請けから抜け出せない状況に来ています。新しいシステムをつくるために悶々としていました。そんなときに、松下電器の炊飯器事業部の話を聞きました。もしこの話を聞くことがなかったら、HILLTOPは生まれなかったと思います。美味しいご飯をつくるとはどういうことなのか?昔、おばあちゃんが「はじめ、ちょろちょろ、なか、ぱっぱ。子ども泣いてもふた取るな」といいました。しかし、「はじめ、ちょろちょろ」とは、どのくらいの温度で、何分ぐらいなのか? 分かりません。それを追求してマイコン炊飯器を生み出す物語があったのです。20人の女子社員が、1人2台のお釜で1日4回ご飯をたきます。炊きあがったご飯をそのつど、色・つや・味を五感を使って記録していきます。半年間やり抜いて、マイコンチップが完成しました。そのおかげで、全世界で美味しいご飯を食べることができるようになったのです。この物語から、モノづくりは、定量的にするのではなく定性的にやらなければならないということを学びました。モノづくりは、定量的にやるのではなく定性的にやる必要があるということは分かるのですが、製造業のモノづくりにどう落とし込んだらいいのかと、悶々としていました。

 

そんなときに、マクドナルドの2号店が京都にオープンしました。今日入った女の子がハンバーグを焼くんですよ。すごいことだと思いませんか? みなさんには理解できないかもしれませんが、すごいことなんです。気分のいい日も、悪い日もありますが、ハンバーグは同じように焼き上がります。これは不思議なことなんです。働いている女子の職員さんにマニュアルを見せてくれと頼みますと、「そんなことすると、手が後ろに回る」といわれました。当然のことなので、ハンバーグを焼く所だけを口頭で教えてもらうことにしました。口頭で教わったことを頭にメモしました。今でも記録しています。現在は両面焼きですが、当時は片面焼きです。そこに書かれてあったのは、「マイナス18℃に冷凍された45.4グラムのミートパティーを、200℃の鉄板で20秒でシェアし、55秒でターンして1分45秒でリフォームしなさい」ということでした。これでハンバーグが焼けるんです。いちいち、女の子が職人気質で焼いていたら、硬かったり、柔らかかったり、生焼けだったりします。素材の大きさ、鉄板の温度、ミートパティをひっくり返す時間などのモノをつくる環境をデータ化すれば、同じことが再現できるのです。いま聴くと当たり前のことですが、私達、製造業の現場では職人気質で仕事をしていました。その日の気分しだいで、ハンバーグを焼いているようなものです。「今日は気分がいから、めちゃくちゃ美味しハンバーグができたで」「昨日、飲み過ぎたので今日は調子悪い。生焼けだと問題が起るので、少し硬めに焼いとこ」。こんなことが、製造業の現場で日々起こっていました。マクドナルドは、ハンバーグを焼くことが世界戦略ではありません。たまたまハンバーグをキーにして世界戦略を立てただけです。

 

職人の技術を数値化することで、HILLTOPシステムができた

 

鉄工所の連中は、「俺は職人や。それを数値化するとはとんでもない」となるわけです。そこを真向から勝負しました。名古屋工業大学で非常勤ですが、企業内デジタル・ナレッジマネージメントを教えていますが、徹底的にやりました。工場のなかで定性的にモノをつくるのをやめましょうということです。まずは、仕用書をつくりましようということにしました。抵抗する職人さんにとっては、苦痛以外のなにものでもなかったと思います。職人さんからすると材料はある、機械も空いている、時間もあるから仕事をさせてくれということになります。仕事しなくていから、「どんなふうにしたのか?」「どのくらいの回転数でしたのか?」を全部書いてもらいました。ものすごく嫌がられました。周りがほとんど敵でした。しかし、自分のやっていることは絶対に正しいと思っていました。

 

今では人を管理・監視してはならないといっていますが、そのときは別人でした。絶対に成功する。お前らに成功体験させたるという鬼の形相でした。しかし、データがそろってない中で無人化でモノをつくろうとしていましたから、ありえないことが起こりました。「機械の前に誰も人がいないではないか!」と社長の親父が来て、こっぴどく怒るんです。その親父に、「今はそんなことをするよりも、最適なものをつくるにはどうしたらいいのかというデータづくりの方が大事なんです。それができたら必ず楽になりますから」と説得をしました。約1年半かかりました。400万円ぐらい修理費がかかる大きな事故も起こりましたが、1年ぐらいするとリピーターがつくようになりました。その仕事はデータがありますから楽に仕事がこなせるようになりました。しかし、職人たちは反対したことがあるので、決して楽になったとはいいません。私がHILLTOPシステムという概念をつくりましたが、1年半もすると潰そうと思ってもつぶせなくなりました。

 

少し先を見据えて仕事をする インダストリー4.0は当たり前

 

要するに、目先のことをするのではなくて、少し先のことを見据えて仕事をするということです。ドラッガーマネージメントに出てくる木こりの話と同じです。「木こりさんが、木を切っている。だんだん刃がちびって来て木が切れなくなってきている。そこを通りかかった旅人はそれを見て、木こりさんに刃を研いだ方がいいですよとアドバイスします。木こりはそんなことは分かっている。しかし、今日中に木を切って出荷しなければならないので急いでいるのだ。刃をといでいる暇がないのだ。」というのが落ちです。切れない刃物を使っていつまでも切り続けるのか? すぐに切れる刃物にするのか? 先を見ると刃物を切れるようにすることが重要だということがすぐに分かります。目の前のことだけに振り回されているのが今の日本の製造業です。製造業だけではなくてサービス業なんかもそうですな。インダストリー4.0といわれていますが、使われていてはだめなのです。使いこなすことが大事なのです。人はちょっとボタンをかけ直すだけで、大きなモノが生れます。今でもそう信じています。

 

夢を見失い工場から火災発生

 

HILLTOPシステムはよく儲かりました。順調に推移していました。モノをつくるより、プログラムをつくる頭脳労働に移行していたからです。「チャンスは平等にある!」「何が自分の夢なのか?」などということを考えなくなりました。このシステムをブラッシュアップすればいいと思っていました。この考えが大きな転機になりました。15年間、話をしてこなかったことがあります。自分は生還してきているので美談になるのですが、1人のパートさんの命が亡くなっているので話せませんでした。15年たちまして、自分の生き様だと思えるようになりましたので、最近、話をしています。

 

火事にあいました。2002年12月22日午前11時ごろです。2階の事務所で計算をしていましたら、もくもくと工場から煙が上がってきました。これはあかんと思い、女子社員に近所から消火器を借りに走らせました。私は消火器を持って火の手の上がっている仕上げのところに行き火を消し止めました。仕上げのところにあってはならないストーブがありまして、パートのおじさんが、商品を落としてそれを受取ろうとしたときに、ストーブを倒したようです。ここから火が出て広がって行きました。仕上げ用の有機溶剤が爆発しましたので、それを消し止めて良かったと思って外に出ようとした瞬間、有機溶剤が部屋中に充満していましいて、バカーンと火柱があがりました。これを消し止めましたが、3回目も上がりましたが、3回目も消し止めました。デブラカンがあるので火柱が立っていたのです。デブラカンを素手で持ちました。そのとき、ジュッと手をやけどしましたが、熱いと思いませんでした。それを持って部屋をでると、消火器の泡で滑りました。消火器の泡は、本当によく滑ります。消火器の泡で滑り、有機溶剤を体にかぶりました。一気に体中を火が包みました。恐ろしく熱かったです。焼身自殺すると転げまわるといいますが、本当に転げ回ります。手を見ると、被爆者の手のようになっていました。これはすごいことになったと思いました。

 

正月5日に 危篤状態

 

病院に入りました。病院に入ると治ると皆さん思うでしょう。顔、両手、両足全部やけていますのでミイラのようになっていました。しかし、元気でした。主治医に正月明けには退院できるでしょうかと聞きました。主治医は「何にもなかったらな」と返事してくれたのですが、意味がよく分かりませんでした。正月明けの5日、私は危篤状態に陥りました。その日、もう一人の人は亡くなりました。ですから私には、正月5日はいやな日になりました。皮膚のない水ぶくれ状態ですから、空気中の雑菌が繁殖しました。気道熱症になりましたので、呼吸ができませんから、喉を切り開いて人工呼吸器を取り付けました。痛みが全身を追いますので、意識を抑えて1ヶ月間40度の熱を出し続けました。40度の熱が、40日間出るはずがないといわれるかもしれませんが、出ます。

 

私は死人と同じでした。顔、体、手足など前身をアイシングしていました。1日6リットルの生理食塩水と抗生物質・栄養を、自由落下の点滴では体に入らないので、ポンプ付きの点滴で入れていました。1ヶ月間、意識不明のままで過ごしたのです。ほとんど助からないような状態でした。病院の中で、ベスト30に入っていました。ベスト100まではほとんど死ぬのです。私は上位を占めていましたから、絶対死ぬと思われていたようです。1ヶ月の間に3回お迎えが来ました。皆さんはお迎えなんか絶対来ないと思うでしょう。しかし、本当に来るんです。今でも、はっきりと覚えています。私が見たのは、真っ暗な中に道がありまして、そこをとぼとぼと歩いているんです。私が、もうぼちぼち帰らなあかんでというのですが、ずっと歩いていました。これを2回見ました。このときは、心肺停止のときだったのではないかと思います。3回目は、正体は分からないけれども、うごめいているモノがよってくるのです。これは怖かった。そのとき、交渉しているのです。不思議ですが、3という数字が出てくるのです。3ヶ月というのは短すぎるので、3年は生き延びさせてくれと交渉して、生還しました。

 

生還したときには、夢がどうのこうのとか、チャンスは平等にあるとかはどうでもよくなっていました。社員達は、「副社長を一生懸命支えなあかん」と頑張ってくれていました。それを聞いて、あきらめていた自分が恥ずかしくなり、新しいビジョンに向かって進むことができたのです。退院したときに、直接、亡くなられた方のお宅へお伺いして線香を上げに行きまいた。一生分泣きました。自分の中では、一生忘れられない瞬間です。

 

製造サービス業という新たなステージへ

 

もう一回「チャンスは平等にあるんだ」ということをやり直し始めました。今から14~15年前に東京大学の菊池先生のセミナーに包帯を巻いたまま参加しまして、ロングテールに出会いました。ロングテールとは、恐竜のしっぽのことです。恐竜の尻尾は、太い所から細く長いところまであるように、大量生産の太いところをやめたのだから、細く長い部分に特化した、多品種少量生産に徹する仕事をする覚悟を決めました。そのためには、営業コスト、流通コスト、製造コスト、在庫コストのかからない方法を探し出せばいいと思いつきました。HILLTOPシステムをブラッシュアップすることになったのです。ビジョンを徹底的に議論しました。「どこに向かっているのか?何をしたいのか?」を明確にしました。恥ずかしくて言えなかったロボットをつくるということを提案しました。そのためのロードマップをつくりました。

 

自分の命は、3年しかないと思っていましたから、やけどをする前とやけどをした後では人間が変わっていました。意思決定は、即断即決でやってきました。残念なことですが、もう15年も生きています。拾った命です。まだまだやりたいことがあります。HILLTOPシステムを使ってモノをつくることはしてきたけれども、「本当にしたいことをしてきたのか? 本当は何をつくりたいのか?」ということです。下請けをやめること、自立した企業には、いろんなファンクションがあります。マネージメント、マーケティング、プロセス、デザイン、エデュケーション、プロジェクト、開発などの機能です。下請けの製造業には一切ない。こんなことをしていると、親会社から「お前とこは、なめてんのかと」といわれます。これらの機能を持つべきだと思っていました。これらを実行して大きく会社は変わりました。製造サービス業という新たなステージに上りました。

 

大企業とのパートナーシップ

 

私たちは、製造業で鉄工所ですが、フランス、フィンランド、中国、日本のデザイナーが4人います。最近、中堅企業・大手さんの能力がどんどん落ちていますから、お客さんよりも私たちの方が能力が上の場合が出てきています。大手のお客さんに「どこが問題になっているんですか?」と聞くと「drowingができないんだ」「そこをやりましょうか?」、「開発ができないので」「そこを手伝いましょうか?」、「デザイナーがいないので」「そこは私たちが請け負います」ということになってきています。いまではマネージメントもやれるぐらいになってきています。人を育てて来ました。その結果、私たちでなければ機能しないところまでになってきています。大企業も私たちをパートナーシップをもって迎えてくれています。人がどんどん増えてきています。10年前に36人だったのですが今は、100人を超えています。

 

仕事は、商品のスケッチから入り、イメージをどんどん膨らませて表現していきます。さらにシステム設計、回路設計、基盤作りまでやってしまいます。3Dプリンターで形状をつくりあげて、基盤を入れ、機能するものを超高速でつくり上げてしまうことができます。

現在、インダストリー4.0といわれていますが、私たちは37年前からやっているのです。針のない注射器や、インフルエンザを短時間で検出できるPCRをいう機器をつくりました。PCRについては、メーカーが昨日、プレス発表したのでもう解禁です。PCRは来年から各医療機関に入りますから、大きなビジネスになるかもしれません。医療機器メーカーは、マスプロダクションに慣れていないので、製造の依頼が来ています。ですから、私たちは、大量生産をしないことにしていましたので、昔、捨てた金型屋さんやサプライヤーさんとか量産メーカーとジョイントしています。ここから一事業部ができると思います。

 

時代はどんどん進んでいるけれども、基本は人づくり

 

その他にも、耳鳴りを矯正する機器をドイツから具現化する依頼が来ています。デザイナーが4人います。グラフィックデザイナーとウエブデザイナーです。モノを作れないけれど、コトをつくることができます。私の名刺をはじめ社員の名刺はすべて社内で製作しています。ムービー制作から作曲までです。フォトブースがありまして、人物の撮影からモノの撮影まですべてをこなしています。写真好き、映像好きの社員はごろごろいます。この力を利用するだけで大きな戦力になります。写真は利益を生みませんが、人が育つという利益をもたらしてくれます。

 

新しい情報がどんどん流れてきています。アメリカのAmazonと博報堂、HILLTOPが共同で、「Smart Maternity Mark(スマート・マタニティー・マーク)」の開発をしています。妊婦さんが電車に乗り込んできても、乗客の方はスマートフォンを見ているので気付きません。Smart Maternity Markを付けていると、スマートフォンに妊婦さんが近くにいますよという情報を流してくれるアプリを開発しているのです。

 

Amazon GOは、入店をして商品を支払いなしに持ち出せるというマーケットです。自己申告のカードをかざして入店すると、必要なものをカバンに詰めてそのまま持ち出せるというシステムです。網膜などの自動認証装置が働いて、カバンに詰めて商品の個数を確認して自動的に支払いできるというマーケットがAmazon GOです。

 

いま一番新しいのは、Amazon Dashです。家の冷蔵庫から不足した品物のバーコードを読み取ると、それだけで商品が注文できるというシステムです。注文した商品は宅配してくれるので、家に居ながら商品を買うことできるわけですから、Amazon GOはいらなくなります。

 

クリック&モルタルで時代はこう変わるだろうということが読み取れます。これは製造業だけではなくてあらゆる分野に及びます。サービス業もその他のIT企業も間違いなく変わってきます。チャンスは平等にあります。情報はたくさんあるのです。「自分がそれをやりたくないのか? やりたいのか?」お金がなくても、人生それほど長くないのでチャレンジすることが大事ではないかと思います。

 

企業理念は、理解と寛容を持って人を育てるということです。人間は座って半畳、寝て一畳です。人を猫のように扱うよりは、その人の能力を生かしてその能力を開発することで付加価値の高い事業体になることができます。一人ではできないことを皆の能力を生かすことで実現できるのです。

 

本日はご清聴ありがとうございました。

 

 

質問   人を育成するポイントをお聞かせ下さい。

 

回答   いい人材をいかに採用するかということです。そのためには、魅力のある環境づくりと表現力豊かな社員を育成することにあると思います。採用のために毎年4~5百万円をかけています。できる限り露出度を高めています。合同説明会に参加し、大学の研究室を訪問して採用にあたっています。毎年1000人から1500人が来てくれます。どんな人材が欲しいかというと、体育会系の頭がよくてコミュケーション力の高い人材を求めています。我が社の人材育成の特徴は、大学の延長のような座学と実技を担当教官を付けて半年間、履修してもらいます。毎日、「学んだことを理解したのか?理解していないのか?」チェックしていきます。会社のすべてのカテゴリーを学んでもらいます。徹底的にサポートします。見事に育ちます。うちの社員は、人のマネージメント、仕事のマネージメント、機械のマネージメントをしています。ワーカーではないのです。人を育てるにはこれしかないと思っています。

 

質問   HILLTOPのライバル企業はあるのでしょうか?

 

回答   似たような会社として、プロットラボスという会社があります。多分、世界最速でつくる会社ではないかと思います。プロットラボスは、本物ではなくてそれっぽいものを世界最速でつくります。私たちは、本物で顧客のニーズの100%以上の105%、110%を目指してモノづくりをしている違いがあります。クオリティーを含めて考えると私達しかないと思います。プロットラボスは日本では受け入れられませんから、アメリカ中心ですが、プロットラボスの顧客がHILLTOPに流れて来ています。


関西中小企業研究所 第8回総会・第79回研究会・懇親会

2017-06-23 13:17:39 | 中小企業

中小企業がめざすものづくり
“HILLTOPシステム”への道

新緑の候、関西中小企業研究所第8回総会のご案内です。

この1年、関西中小企業研究所では中小企業・小規模事業者の経営革新に
焦点を当てた研究会を開催してきました。

その総まとめとして、京都試作ネットのリーダー的企業であり、下請の町工場から
ICTを活用した独自のものづくりシステム(“HIULLTOPシステム”)を構築してきた
HILLTOP株式会社の山本昌作副社長に記念講演をしていただきます。

多くの中小企業が脱下請、自社製品づくり、販路開拓など経営の革新を求められている中で、
HILLTOPの実例はおおいに学ぶところがあります。

また、昨年までに取り組んできた「社会的課題に挑戦する若手経営者たち」のまとめとなる
書籍も総会までに完成の予定となっております。

各界の皆様のふるってのご参加をお願い申し上げます。

                                 一般社団法人関西中小企業研究所


日 時 2017年6月23日(金)午後4時~8時(一般参加は午後5時より)
          午後4時~5時    第8回総会 (正会員の方のみ/5階視聴覚室)
          午後5時~6時半    記念講演(第79回研究会/5階視聴覚室)
          午後7時~8時    懇親会(10F宴会場)

場 所    エルおおさか(5階視聴覚室/10階宴会場)
          ●京阪・地下鉄谷町線「天満橋駅」より西へ300m
          ●京阪・地下鉄堺筋線「北浜駅」より東へ500m
        〒540-0031 大阪府大阪市中央区北浜東3-14 TEL.06-6942-0001

テーマ 『中小企業がめざすものづくりと経営“HILLTOPシステム”への道』

記念講演 HILLTOP株式会社代表取締役副社長 山本昌作(やまもと・しょうさく)さん 

山本昌作(やまもと・しょうさく)さんプロフィール ●1977年立命館大学経営学部卒業。
●同年(有)山本精工入社。1980年株式会社に改組、常務取締役に就任。●2003年より現職。
●大手自動車メーカーの下請としてコストダウンの要求に嫌気がさし、独自の変種変量生産
システムである“HILLTOPシステム”を確立。24時間無人稼動の生産システムを実現する。
●このシステムは多くの顧客から支持され、現在の取引社数は1000社を超える。●2013年、
アメリカカリフォルニア州に進出。●2014年、社名を「HILLTOP株式会社」に変更。名古屋
工業大学工学部非常勤講師、大阪大学非常勤講師なども努める。

会 費    5,000円

申 込    お名前、会社名、ご住所を記載の上
       kanchuken@estate.ocn.ne.jpまで
       もしくは06-6966-1866(関中研)まで。

主 催    一般社団法人関西中小企業研究所
         大阪市中央区谷町2-6-4谷町ビル8F  TEL.06-6966-1866