★第9次 21世紀の朝鮮通信使 ソウルー東京 友情ウオーク      (2023・4・1~5・23)★

ソウルから東京まで(約2,000㌔)、毎日30㌔の道を日本人・韓国人・在日韓国人ウオーカーが共に歩き日韓交流を深めます

出発を前に日韓のウオーカーが景福宮で記念写真

2011-04-01 21:27:20 | 朝鮮通信使ウオーク

4月1日 ソウル→良才 (27㌔)
少し肌寒いが快晴。ソウルの空には青空が広がり、絶好のウオーク日和になった。
昔の位置に戻された「光化門」を背景に、朝鮮時代の誉れ高き「世宗大王」の大
きな座像がそびえ立つ。王宮「景福宮」の前には、日本人、韓国人、そして在日
韓国人のウオーカーが集まり、「第3次 21世紀の朝鮮通信使 ソウル-東京
 日韓友情ウオーク」が9時過ぎにスタートした。今年は江戸時代最後になった
12回目の朝鮮通信使来日からちょうど200年とういう節目の年。だが3月
11日に未曾有の「東日本大震災」が発生、参加予定の3人が被災し、そして
被災地にも考慮して日本コースは断念し、韓国内だけに変更された。20日かけ
て釜山を目指して歩きだした。大地震の発生後、いち早く日本へ支援の手を差し
伸べてくれた韓国の人々に感謝する「被災地にありがとう 大韓民国の友情」と
染め抜かれた黄色いノボリがはためく。ウオーカーの背には「韓国の国民のみな
さん 日本の大地震被害に手を差し伸べてくれてありがとう」の小旗がかけられ
ている。日本隊28人(在日含む)、韓国隊11人に加え、1日参加のウオーカー
35人が加わる。日本隊の平均年令は66才。光化門をくぐり、世宗路の中央に
作られた遊歩道を南へ。先頭には韓国隊隊長で「正使役」の宣相圭・韓国体育振
興会会長と日本隊の遠藤靖夫副隊長が並んで歩く。たくさんのノボリを持ち歩く
ウオーカーを市民が「なにごとかしら?」と立ち止まる。2年前に焼けた韓国の
国宝第一号「南大門」の再建状態が外からも見える。次回のウオーク時には再建
された雄姿を見ることができるだろう。ベンチに座ったハルモニ(おばあさん)
が笑顔で手を振ってくれる。戦争記念館の広場では軍隊の新兵が訓練中だ。
大河・漢江を渡ると歩道には昼食に向かうたくさんのサラリーマンやオフィスガ
ールが行き交う。かつて朝鮮通信使一行は同僚や家族たちと別れを惜しみながら
この川を船で渡った。昔このあたりからは都の賑わいは無く、山林が広がってい
たが、いまは大都会ソウルの発展の中心ともいえる地域で、昔の道は高層ビルの
谷間に消え、わずかにいにしえの場所の跡を示す石碑が残るのみだ。午後1時半
に昼食。「テグタン」という魚の辛味鍋。テグというのが魚の名前だとか。前回
東京まで参加した、任昌善さんや鄭一男さんがここまで共に歩いてくれた。地下
鉄・良才駅を過ぎて地方道に入り、午後4時過ぎにゴール場所の浄土寺に到着。
老師に旅の安全祈願をしていただく。「大震災の犠牲者のご冥福を祈ります。祈
ることと、みなさんの一歩一歩の歩みが地震の犠牲者を極楽往生に導くと信じま
す。しっかりと目的地まで歩いてください」と激励された。

 

 

 

 

 


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