カナの闘病日記

闘病記録&日々の生活について、徒然なるままに書き込みます(о´∀`о)

手術無事に終わった

2019-12-17 12:07:00 | 日記
昨日、14時過ぎに一般病棟に戻りました。痛みは時々あるけど、歩くことも可能になり、夕方には導尿も外れて、晴れて自由の身となったよ

手術当日からの記録。
13日朝6時半に座薬の下剤使用。
7時過ぎに両親到着、7時半に夫到着。8時過ぎまで雑談。その間に例の靴下も履く。
8時10分に看護師さんが迎えに。
手術室に到着するまでに第2集中治療室を横切る。手術後、ここで過ごす場所のはず、と確認。手術室はそこからすぐで、家族とバイバイする。
手術室と書かれた扉の向こうは、想像以上に広くて、デパートのフロアみたいなとこでした。
あちこちのベンチで頭に透明なビニールの帽子を被った人たちが座っていて、私にも手書きで名前が大きく書かれたものを渡された。同意書の確認をするので、待っててくださいと言われ、しばし待つ。
先に私の隣に座っている人、どこを手術するんだろう、目の前は女の子が泣いているベッドが運ばれてる。術衣とは違う色の人が側にいる、きっとお母さんだな、と考えてたら、確認取れたので、行きましょう、と看護師さんがやってきた。隣の人より先だーと、ここにきて焦る私

そして部屋へ誘導される。
全体に緑色な空間の真ん中にベッドがあり、そこに上がるよう指示される。
ベッド以外と小さいな。
点滴と脳波測定などをつけられ、心拍数と連動したモニター音で、私の緊張がバレバレに
それから横になって背中を丸め、硬膜外麻酔の前の痛み止め注射を痛くなくなるまで何度か刺された。痛くなくなったところで硬膜外麻酔の針が入れられ、仰向けになる。
酸素マスクをつけられ、これから麻酔を点滴から入れていくねー、少し眠くなってきた?などやりとりしているうちに、眠ってました。
手術室入ってここまで20分くらいだったと思う。
終わりましたよーとの声で目が覚める。静かな感じで、目は開かないけど、手術後の回復室だと思った。
それからちゃんと意識が戻ったときには、第2集中治療室内、14時だった。ここで夫&両親と再会。
きれいに膜ごと取れたこと、摘出した腎臓がきれいだったこと、腫瘍は黒くて硬くなっていたことなど、教えてくれた。
その後は、ウトウト過ごし、しっかり目覚めたのは、夜中11時頃。色んなものに拘束され、身動きとれない苦しみは、この後3日間続く
14日はテレビどーぞ、と運ばれてきたけど、画面を見るほど気力がなく。ラジオみたいに音声を聞いてた。立ってみましょう、と言われたけど、座って数秒でくらくらして断念。あと、時々咳き込む時があって、痛みが半端なくてツライ看護師さんから、腹筋を使わない方法を教えていただいたけど、理論どおりにはなかなかいかない。
午前中に両親、午後は夫&息子2人がお見舞いに来てくれた。でもボーッとしてて会話もあまりできず。この夜の夢は、仕事している夢で、自由で、解放されました。
15日、一つめの点滴が外れた。立って歩いてみましょう、と言われたが、立って数秒でまたクラクラなかなか思うようにいかない。
しかし、シャンプーもしていただいたり、夕食から食事も出ましたテレビもしっかり見れました。ノワールまで、タイムリーに見ちゃいました。この日も午前中に両親、午後は夫がお見舞いに来てくれた。
そして昨日、16日。導尿以外は全部外れて、いよいよ一般病棟へ。午前に数歩歩いてみたらクラクラもなく。Drいわく、薬の副作用でクラクラしてたのではないかとのこと。病室移動途中、レントゲンを撮ったけど、明らかに子ども用のお部屋でした。まだしっかり立てないからかな?動物や乗り物などが描かれた可愛らしいお部屋でした。
病室は個室の空きがなく4人部屋に。で、ここまで車椅子だったけど、部屋からトイレまでトイレの説明がてら早速歩くことに。なかなかのスパルタです
泌尿器科なので、進化したトイレで、普通にトイレするだけで、尿量が計測されます。便利な世の中ですねー。
15時に両親が来てくれて、ICUの制限されたわずかな荷物しかない状態から、テレビも見れる快適な環境へチェンジ
その後、夕方に夫が荷物を持って来てくれて、このスマホも手に入り、さらに元の生活に近づいたよ。
今日、17日朝から普通食になりました。昨日、両親から差し入れてもらったアラが大助かりアップした写真が朝食メニュー。
先ほど隣りに来た方は、午後から手術みたい。がんばってくださいね。


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