超空洞からの贈り物

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マチュピチュは神話的風景の再現だった?

2009年06月17日 07時02分05秒 | Weblog
 ペルーのマチュピチュ遺跡はインカの巡礼地であり、神話を再現した場所であるという新しい研究が発表され、議論を呼んでいる。マチュピチュは西暦1460年頃にインカの皇帝パチャクテクが宮殿として建設したというのが従来の説だが、その定説に異議が唱えられている。

 標高2430メートルの山の尾根に位置するマチュピチュ遺跡は、スペイン人に征服された後は長い間歴史に埋もれていたが、1911年にアメリカの探検家ハイラム・ビンガムがナショナル ジオグラフィック協会などの支援を受けて発見して以来、世間に知られるようになった。

 今では人気の観光地となったマチュピチュだが、この遺跡がそもそもどのような役割を果たしていたのかについては、さまざまな憶測や議論の対象となってきた。

 研究著者でイタリアのミラノ工科大学の天体物理学者ジュリオ・マグリ氏は、「インカの神聖な場所の多くも同じ視点で見直してみる必要がある」と話す。マグリ氏の説によると、これまでのマチュピチュは巡礼地として構想、建設されたもので、そこでは崇拝者たちが先祖のたどった重要な旅を象徴的に追体験できると考えられていたという。

 インカの神話では次のように語られている。インカ帝国は最初にチチカカ湖にあるボリビア領の「太陽の島」で形成された。最初のインカ人たちはそこから地下をつたって旅を続け、後のインカの首都クスコに近い場所、タンプ・トッコ(Tampu-tocco)から地上に出た。それからワナカウリ(Huanacauri)と呼ばれる近くの丘の頂上まで移動したところ、彼らのうちの1人が石に変身して、重要な寺院になったという。

 マグリ氏は、マチュピチュの特定の建造物はこの旅の重要なランドマークを象徴していると主張する。例えば、石を無秩序に積み重ねたものは、最初のインカ人たちが旅した地下の“空洞”を表現している。

「大地の女神パチャママは無秩序と結び付けられている。同様に、マチュピチュの広場はタンプ・トッコを表し、石のピラミッドはワナカウリの代わりになっている」とマグリ氏は言う。

 マチュピチュのレイアウトは、訪れた人が南東の端にある門から入って北西に導かれるように設計されているが、これは偶然ではないという。

 マグリ氏はWebサイト「arXiv.org」で発表した論文の中で、マチュピチュの南東-北西のレイアウトは、空に上った太陽の経路が、1年を通じてたどられたものだと主張している。最初のインカ人による神話上の旅の方向も南東-北西であり、やはり神として崇拝される太陽の影響を受けていると見られる。

 マチュピチュは聖地として庶民にも高貴な人にも同じように開放されていたらしく、その点はインカの巡礼地として知られている太陽の島とよく似ているとマグリ氏は話す。「私たちの知る限り、太陽の島への巡礼はすべての人に開放されていたが、最深部の聖域にはだれもが入れるわけではなかった。マチュピチュでも同様の方針が採られていただろう」。

 イェール大学の考古学者リチャード・バーガー氏は納得できないようだ。「マグリ氏は特定の建物に関連する天体の運動の重要性を強調しているが、それでも、マチュピチュが王族の避暑地だという従来の解釈と彼の議論が両立しないわけではない。フランスのベルサイユ宮殿にある宗教的な美術や施設が、王宮としての役割と矛盾しないのと同様だ」。

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