ヨブ記
ヨブ記の著者が誰なのかは
はっきりしていません。
ヨブ,エリフ,モーセか
ソロモンなどのが
著者であるという説があります。
ヨブ記の著者が誰なのかによって,
執筆年代が変わってきます。
モーセが著者の場合は
紀元前1440年頃,
ソロモンが著者の場合は
紀元前950年頃が
執筆年代になりますが,
著者がはっきりしていないので
執筆年代もわかりません。
ヨブが家族の中で
祭司の役をしていることから,
族長時代の人物であり,
文書か口伝の方法で伝えられ,
ソロモン時代に,
今日のかたちにまとめられたと
考える人がいますが,
はっきりしません。
●
正しい人ヨブ
(ヨブ1:1)
「ウツの地にヨブという人がいた。
無垢な正しい人で,
神を畏れ,
悪を避けて生きていた。」
○
サタンからの試練
(ヨブ1:12)
「主はサタンに言われた。
『それでは,彼のものを一切,
お前のいいようにしてみるがよい。
ただし彼には,手を出すな。』
サタンは主のもとから
出て行った。」
ヨブは,
サタンから試練を受けます。
☆彡
(ヨブ1:8-12)
「主はサタンに言われた。
『お前は
わたしの僕ヨブに気づいたか。
地上に彼ほどの者はいまい。
無垢な正しい人で,神を畏れ,」
悪を避けて生きている。』
サタンは答えた。
『ヨブが,
利益もないのに
神を敬うでしょうか。
あなたは彼とその一族,
全財産を守っておられるでは
ありませんか。
彼の手の業を
すべて祝福なさいます。
お陰で,
彼の家畜は
その地に溢れるほどです。
ひとつこの辺で,
御手を伸ばして
彼の財産に触れてごらんなさい。
面と向かって
あなたを呪うに
ちがいありません。』
主はサタンに言われた。
『それでは,彼のものを一切,
お前のいいようにしてみるがよい。
ただし彼には,
手を出すな。』
サタンは
主のもとから出て行った。」
○
ヨブの信仰告白
(ヨブ1:20-22)
「ヨブは立ち上がり,
衣を裂き,髪をそり落とし,
地にひれ伏して言った。
『わたしは裸で母の胎を出た。
裸でそこに帰ろう。
主は与え,主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。』
このような時にも,
ヨブは神を非難することなく,
罪を犯さなかった。」
今回の試練に,
ヨブは罪を犯しませんでした。
そして,
神への信仰を失いませんでした。
○
ヨブの苦難
(ヨブ1:21)
「わたしは裸で母の胎を出た。
裸でそこに帰ろう。
主は与え,主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。」
ヨブは苦難の中にも,
主をほめました。
○
ヨブの第2の試練
(ヨブ2:7-8)
「サタンは主の前から出て行った。
サタンはヨブに手を下し,
頭のてっぺんから足の裏まで
ひどい皮膚病にかからせた。
ヨブは灰の中に座り,
素焼きのかけらで
体中をかきむしった。」
サタンは
2回目の試練を与えます。
○
ヨブの第2の試練
を受けて
妻は次のように言います。
(ヨブ2:9)
「すると彼の妻が彼に言った。
『それでもなお,
あなたは自分の誠実を
堅く保つのですか。
神をのろって死になさい。』」
ヨブの信仰
(ヨブ2:10)
「ヨブは答えた。
『お前まで愚かなことを言うのか。
わたしたちは,
神から幸福をいただいたのだから,
不幸もいただこうではないか。』
このようになっても,
彼は唇をもって
罪を犯すことをしなかった。」
ヨブは皮膚病にかかります。
しかし,ヨブは神を呪わず,
この信仰告白をします。
ヨブ記の主題の,正しい人が
苦難に会うのはなぜかの
問いの答えがあります。
試練の中にある信仰者にとっての
最高の信仰告白です。
○
三人の友はヨブに説得
エリファズは
ヨブに次のように言いました。
(ヨブ4:7)
「考えてみよ,
だれが罪のないのに,
滅ぼされた者があるか。
どこに正しい者で,
断ち滅ぼされた者があるか。」
ビルダデは
次のように言います。
(ヨブ8:5,6)
「あなたがもし神に求め,
全能者に祈るならば,
あなたがもし清く,
正しくあるならば,
彼は必ずあなたのために立って,
あなたの正しいすみかを
栄えさせられる。」
ツオファルは次のように言います。
●
ヨブの反論
(ヨブ9:32,33)新共同訳
「このように,
人間ともいえないような者だが
わたしはなお,あの方に言い返したい。
あの方と共に裁きの座に出ることができるなら
あの方とわたしの間を調停してくれる者
仲裁する者がいるなら」」
ヨブは友人たちに責められます。
ヨブは友人に反論します。
☆彡
(ヨブ9:32―35)新共同訳
「このように,
人間ともいえないような者だが
わたしはなお,あの方に言い返したい。
あの方と共に裁きの座に出ることができるなら
あの方とわたしの間を調停してくれる者
仲裁する者がいるなら
わたしの上からあの方の杖を
取り払ってくれるものがあるならその時には,
あの方の怒りに脅かされることなく
恐れることなくわたしは宣言するだろう
わたしは正当に扱われていない,と。」
○
(ヨブ11:14,15)
「もしあなたの手に
不義があるなら,
それを遠く去れ,
あなたの天幕に
悪を住まわせてはならない。
そうすれば,
あなたは恥じることなく,
顔をあげることができ,
堅く立って,恐れることはない。」
3人の友人は,
ヨブの苦難の背後に
サタンと神との対話と,
神の御心を知りません。
三人の友人は
苦難の原因を,
ヨブの罪と不信仰に求めています。
因果応報の理論です。
ヨブにとって,誤った説得でした。
●
ヨブの信仰
(ヨブ13:15)
「神はわたしを
殺されるかもしれない。
だが,ただ待ってはいられない。
わたしの道を
神の前に申し立てよう。」
ヨブは正しい人でした。
しかし,
サタンによって
受難を強いられます。
正しい者の受難についての
ヨブの神への問いかけです。
友人たちは,
ヨブを因果応報で攻めます。
たとえ,神が自分を殺しても,
なおも神を待望するという信仰は,
ご利益信仰に反するものです。
ヨブは,絶対的な信仰でした。
○
死人は生き返らないとつぶやく
(ヨブ14:7-12)
「木には希望がある,
というように
木は切られても,また新芽を吹き
若枝の絶えることはない。
地におろしたその根が老い
幹が朽ちて,塵に返ろうとも
水気にあえば,また芽を吹き
苗木のように枝を張る。
だが,人間は死んで横たわる。
息絶えれば,
人はどこに行ってしまうのか。
海の水が涸れ
川の流れが尽きて
干上がることもあろう。
だが,倒れ伏した人間は
再び立ち上がることなく
天の続くかぎりは
その眠りから覚めることがない。」
○
死人の復活
(ヨブ14:13)
「ああ,
あなたが私をよみに隠し,
あなたの怒りが
過ぎ去るまで私を潜ませ,
私のために時を定め,
私を覚えてくださればよいのに。」
(ヨブ14:7-12)が,
伏線になっています。
神は黄泉の国まで下り,
自分を救ってくださるという
信仰です。
神のへりくだった姿の告白です。
☆
パウロは次のように言います。
(ピリピ2:6-8)
「キリストは
神の御姿である方なのに,
神のあり方を
捨てられないとは考えず,
ご自分を無にして,
仕える者の姿をとり,
人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ,
自分を卑しくし,死にまで従い,
実に十字架の死にまでも
従われました。」
○
ヨブの信仰
(ヨブ16:19,20)
「今でも天には,
私の証人がおられます。
私を保証してくださる方は
高い所におられます。
私の友は私をあざけります。
しかし,私の目は
神に向かって涙を流します。」
●
神は贖う方
(ヨブ19:25,26)
「わたしは知っている
わたしを贖う方は生きておられ
ついには
塵の上に立たれるであろう。
この皮膚が損なわれようとも
この身をもって
わたしは神を仰ぎ見るであろう。」
この箇所での「贖う方」とは,
相手を愛するがゆえに
死という代価を払って買戻し,
ご自分の者としてくださる方,
「救い主」の意味です。
神は黄泉の国まで下り,
自分を救ってくださるという
信仰です。
神の謙譲の姿の告白です。
○
ヨブは,
正しい人(義人)でしたが,
激しい苦難にあいました。
「私は知っている。
私を贖う方は生きておられ,
後の日に,
ちりの上に立たれることを」
(ヨブ19:25)
とヨブは叫びます。
ヨブは苦難の向こうに,
贖い主キリストの栄光を
垣間見ました。
○
ヨブの苦しみ
(ヨブ24;22-25)
「権力者が力を振るい,
成功したとしても
その人生は確かではない。
安穏に生かされているようでも
その歩む道に目を
注いでおられる方がある。
だから,
しばらくは栄えるが,消え去る。
すべて衰えてゆくものと共に倒され
麦の穂のように
刈り取られるのだ。」
だが,そうなってはいないのだから
誰が,わたしをうそつきと呼び
わたしの言葉をむなしいものと
断じることができようか。」
ヨブは,
人はなぜ苦しむのかについての
問いに答えます。
この問いに,
ヨブは因果応報では
答えられないといいます。
○
エリフの言葉
(ヨブ32:8)
「しかし,
人の中には確かに霊がある。
全能者の息が人に悟りを与える。」
エリフの言葉です。
人間の力の尽きるところで,
神の力が働きます。
新しい生へと導かれます。
ヨブは,エリフの言葉にも,
納得できませんでした。
最後に神の直接の呼びかけを
受けて悔い改めました。
○
神の問いかけ 1
主なる神のことば
(ヨブ38:1-4)
「この時,
主はつむじ風の中から
ヨブに答えられた,
『無知の言葉をもって,
神の計りごとを
暗くするこの者はだれか。
あなたは腰に帯して,
男らしくせよ。
わたしはあなたに尋ねる,
わたしに答えよ。
わたしが地の基をすえた時,
どこにいたか。
もしあなたが知っているなら
言え。』」
ヨブに神は突然現れます。
神はヨブに問いかけ,
ヨブに答えよといいます。
○
ヨブの答え 1
(ヨブ40:1-5)
「主はまたヨブに答えて言われた,
『非難する者が
全能者と争おうとするのか,
神と論ずる者はこれに答えよ』。
そこで,ヨブは主に答えて言った,
『見よ,
わたしはまことに卑しい者です,
なんとあなたに答えましょうか。
ただ手を口に当てるのみです。
わたしはすでに一度言いました,
また言いません,
すでに二度言いました,
重ねて申しません』」。
○
神の問い2
(ヨブ40:7-9)
「さあ,
あなたは勇士のように
腰に帯を締めよ。
わたしはあなたに尋ねる。
わたしに示せ。
あなたはわたしのさばきを
無効にするつもりか。
自分を義とするために,
わたしを罪に定めるのか。
あなたには
神のような腕があるのか。
神のような声で
雷鳴をとどろき渡らせるのか。」
○
ヨブの答え2
(ヨブ42:1-6 口語訳)
「わたしはあなたの事を
耳で聞いていましたが,
今はわたしの目で
あなたを拝見いたします。
それでわたしはみずから恨み,
ちり灰の中で悔います」。
ヨブは神の全能性と統治能力
および自分の無知を告白します。
ヨブの信仰です。
☆彡
(ヨブ42:1-6 口語訳)
そこでヨブは主に答えて言った,
「わたしは知ります,
あなたは
すべての事をなすことができ,
またいかなるおぼしめしでも,
あなたにできないことは
ないことを。
『無知をもって
神の計りごとをおおう
この者はだれか』。
それゆえ,
わたしは
みずから悟らない事を言い,
みずから知らない,
測り難い事を述べました。
『聞け,わたしは語ろう,
わたしはあなたに尋ねる,
わたしに答えよ』。
わたしはあなたの事を
耳で聞いていましたが,
今はわたしの目で
あなたを拝見いたします。
それでわたしはみずから恨み,
ちり灰の中で悔います」。
○
神の愛に生き返らされる
(ヨブ42:5,6)
「あなたのことを,
耳にしてはおりました。
しかし今,
この目であなたを仰ぎ見ます。
それゆえ,
わたしは塵と灰の上に伏し
自分を退け,悔い改めます。」
ヨブの苦難は,
神の愛が
彼にあらわれるためでした。
それは,新約聖書によって,
明らかにされます。
(ヤコブ5:11)
「忍耐した人たちは幸せだと,
わたしたちは思います。
あなたがたは,
ヨブの忍耐について聞き,
主が最後に
どのようにしてくださったかを
知っています。
主は慈しみ深く,
憐れみに満ちた方だからです。」
(ローマ5:8)
「わたしたちが
まだ罪人であったとき,
キリストがわたしたちのために
死んでくださったことにより,
神はわたしたちに対する
愛を示されました。」
ヨブは神を自分の目で見たとき,
「私は自分をさげすみ,
ちりと灰の中で悔改めます。」
(ヨブ42:6)と叫びます。
ここでの「悔改める」とは,
「心や態度を変える」
(出エジプト13:17),
「思い直す」
(出エジプト32:14)
と言う意味です。
神に対してとった
高慢な態度を想い直して,
自分を塵(ちり)や灰に過ぎない
ものとして見直し,
神の前に立つといいます。
○
神は,ヨブに祝福を与えます。
(ヨブ42:10)
「ヨブが友人たちのために
祈ったとき,
主はヨブを元の境遇に戻し,
更に財産を二倍にされた。」
ヨブは自分の不完全さを認め,
徹底した悔改めをします。
神はこの悔改めを
もとめていました。
わたしたちの人生の問題の解決,
あるいは
わたしたちが祝福を得る方法,
道が書かれています。
ヨブの祝福は,
神を信じるすべての者が
祝福を知る方法です。
わたしたちの人生の問題の解決は,
神に出会うこと,神を知ること,
神に悔改めることです。
神は,天地の創造主であり,
わたしたちのすべてを
支配しています。
神は力と知恵と愛の方です。
ヨブ記は
すべての人が読んで
祝福を得ることが出来ます。
○
ヨブの祝福(回復)
(ヨブ42:12-16)
「主はその後のヨブを
以前にも増して祝福された。
ヨブは,
羊一万四千匹,らくだ六千頭,
牛一千くびき,雌ろば一千頭を
持つことになった。
彼はまた七人の息子と
三人の娘をもうけ,
長女をエミマ,次女をケツィア,
三女をケレン・プクと名付けた。
ヨブの娘たちのように美しい娘は
国中どこにもいなかった。
彼女らもその兄弟と共に
父の財産の分け前を受けた。
ヨブはその後百四十年生き,子,
孫,四代の先まで
見ることができた。」

2020-04-01