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朝の光(聖書の言葉)

マタイによる福音書2(5-7章)解説

マタイによる福音書2 

(5-7章) 


解説

イエスの宣教


山上の説教 5ー7章  






幸いな人


(マタイ5:1-12)

「この群衆を見て,
イエスは山に登り,
おすわりになると,
弟子たちがみもとに来た。
そこで,イエスは口を開き,
彼らに教えて,言われた。
『心の貧しい者は幸いです。
天の御国は
その人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。
その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。
その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。
その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。
その人たちは
あわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。
その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。
その人たちは
神の子どもと呼ばれるから。
義のために
迫害されている者は幸いです。
天の御国は
その人たちのものだから。
わたしのために
人々があなたがたをののしり,
迫害し,ありもしないことで
悪口を浴びせるとき,
あなたがたは幸いです。
喜びなさい。
喜びおどりなさい。
天ではあなたがたの報いは
大きいから。
あなたがたより前にいた
預言者たちを,
人々はそのように
迫害したのです。」


「心の貧しい者」とは,

へりくだって,

自分は不十分だと認める者です。


「悲しむ者」とは,

神の基準に合わせて,

自分の弱さを認めて悲しむ者です。


「柔和な者」とは,

へりくだって神に従う者です。


「義に飢え渇いている者」とは,

キリストにつながり,

正しい関係をきづく者です。


そして,

聖霊の働きによって日々を

生きる者です。


「あわれみ深い者」とは,

罪や悲しみで苦しんでいる

人びとへの思いやりと,

同情心に満ちている者です。


「心のきよい者」とは,

自分を神に委ね,

神の恵みによって罪の力から

解放された者です。


「平和をつくる者」とは,

神と和解した者です。


「義に飢え渇いている者」とは,

キリストに従い,

神に従おうとする者です。


その人は,人々の拒絶にあいます。


そのような者は,

神に祝された幸いな人です。




あなたがたの義


(マタイ5: 20)

「まことに,
あなたがたに告げます。
もしあなたがたの義が,
律法学者やパリサイ人の義に
まさるものでないなら,
あなたがたは決して天の御国に,
入れません。」


「律法学者やパリサイ人の

義にまさるもの」とは,

イエス・キリストを

信じることによる「義」です。


神の義を受け,

天の御国にはいるには,

イエス・キリストへの

信仰が必要です。


信仰によって,聖霊が働きます。


聖霊の働きによって,

律法を守ることができます。




(ガラテヤ5:16-25)

「私は言います。
御霊によって歩みなさい。
そうすれば,
決して肉の欲望を
満足させるようなことは
ありません。
なぜなら,
肉の願うことは御霊に逆らい,
御霊は肉に逆らうからです。
この二つは互いに対立していて,
そのためあなたがたは,
自分のしたいと思うことを
することができないのです。
しかし,
御霊によって導かれるなら,
あなたがたは
律法の下にはいません。
肉の行いは明白であって,
次のようなものです。
不品行,汚れ,好色,
偶像礼拝,魔術,敵意,
争い,そねみ,憤り,
党派心,分裂,分派,
ねたみ,酩酊,遊興,
そういった類のものです。
前にもあらかじめ言ったように,
私は今もあなたがたに
あらかじめ言っておきます。
こんなことをしている者たちが
神の国を
相続することはありません。
しかし,御霊の実は,
愛,喜び,平安,
寛容,親切,善意,
誠実,柔和,自制です。
このようなものを
禁ずる律法はありません。
キリスト・イエスにつく者は,
自分の肉を,
さまざまの情欲や欲望とともに,
十字架につけてしまったのです。
もし私たちが
御霊によって生きるのなら,
御霊に導かれて,
進もうではありませんか。」




(ローマ8:2-14)

「なぜなら,
キリスト・イエスにある,
いのちの御霊の原理が,
罪と死の原理から,
あなたを解放したからです。
肉によって無力になったため,
律法には
できなくなっていることを,
神はしてくださいました。
神はご自分の御子を,
罪のために,
罪深い肉と同じような形で
お遣わしになり,
肉において罪を処罰されたのです。
それは,肉に従って歩まず,
御霊に従って歩む私たちの中に,
律法の要求が
全うされるためなのです。
肉に従う者は肉的なことを
もっぱら考えますが,
御霊に従う者は
御霊に属することを
ひたすら考えます。
肉の思いは死であり,
御霊による思いは,
いのちと平安です。
というのは,肉の思いは
神に対して
反抗するものだからです。
それは神の律法に服従しません。
いや,服従できないのです。
肉にある者は
神を喜ばせることができません。
けれども,
もし神の御霊があなたがたのうちに
住んでおられるなら,
あなたがたは肉の中にではなく,
御霊の中にいるのです。
キリストの御霊を持たない人は,
キリストのものではありません。
もしキリストが
あなたがたのうちにおられるなら,
からだは罪のゆえに死んでいても,
霊が,義のゆえに生きています。
もしイエスを死者の中から
よみがえらせた方の御霊が,
あなたがたのうちに
住んでおられるなら,
キリスト・イエスを死者の中から
よみがえらせた方は,
あなたがたのうちに
住んでおられる御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも
生かしてくださるのです。
ですから,兄弟たち。
私たちは,肉に従って歩む責任を,
肉に対して負ってはいません。
もし肉に従って生きるなら,
あなたがたは死ぬのです。
しかし,もし御霊によって,
からだの行いを殺すなら,
あなたがたは生きるのです。
神の御霊に導かれる人は,
だれでも神の子どもです。」


 ○


敵を愛しなさい


(マタイ5:44)

「わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し,
迫害する者のために祈りなさい。」


「敵を愛する」とは,

敵に好意を持つ事ではありません。


この愛は,敵の幸せ,

特に永遠の霊的な救いについて,

心配することです。


この言葉を語り,実行できるのは,

イエス・キリストひとりです。


イエスは,

神に敵対していた

私たちを愛してくださった,

ただ一人の方です。


そして,私たちも敵をも

愛する者となります。



☆彡


(マタイ5: 43-48)

「『自分の隣人を愛し,
自分の敵を憎め』と言われたのを,
あなたがたは聞いています。
しかし,
わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し,
迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ,
天におられるあなたがたの
父の子どもになれるのです。
天の父は,
悪い人にも良い人にも
太陽を上らせ,
正しい人にも正しくない人にも
雨を降らせてくださるからです。
自分を愛してくれる者を
愛したからといって,
何の報いが受けられるでしょう。
取税人でも,
同じことをしているでは
ありませんか。
また,自分の兄弟にだけ
あいさつしたからといって,
どれだけまさったことを
したのでしょう。
異邦人でも
同じことをするではありませんか。
だから,あなたがたは,
天の父が完全なように,
完全でありなさい。」






主の祈り


(マタイ6;9-13)

「だから,こう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行われるように
地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を
きょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも,
私たちに負いめのある人たちを
赦しました。
私たちを試みに会わせないで,
悪からお救いください。』
〔国と力と栄えは,
とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。〕」



キリストが,

弟子に教えた,模範の祈りです。


主の祈りは,初めに

3つの神への願いがあります。


御名のあがめられること,

御国が来ること,

みこころがなされることです。


次にわたしたちへの

3つの願いがあります。


日ごとの糧を下さい,

罪をお赦しください,

試みから

お救いくださいというものです。



☆彡



新共同訳での「主のいのり」です。


(マタイ6:9b-13)

 新共同訳

「天におられるわたしたちの父よ,
御名が崇められますように。
御国が来ますように。
御心が行われますように,
天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を
今日与えてください。
わたしたちの負い目を
赦してください,
わたしたちも
自分に負い目のある人を
赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず,
悪い者から救ってください。」






求めなさい


(マタイ7:7,8)

「求めなさい。
そうすれば与えられます。
捜しなさい。
そうすれば見つかります。
たたきなさい。
そうすれば開かれます。
だれであれ,
求める者は受け,
捜す者は見つけ出し,
たたく者には開かれます。」


イエスは祈りには,

忍耐と決意が必要です。


求めなさいには,

求め続けなさい

捜しなさいは,

捜し続けなさい

叩きなさいは,

叩き続けなさいという意味です。


この言葉も,

イエスキリストだけが

語ることができます。



(マタイ7: 11) 

「してみると,
あなたがたは,
悪い者ではあっても,
自分の子どもには
良い物を与えることを
知っているのです。
とすれば,なおのこと,
天におられるあなたがたの父が,
どうして,求める者たちに
良いものを下さらないことが
ありましょう。」







さばいてはいけません


(マタイ7:1)

「さばいてはいけません。
さばかれないためです。」


間違った人を裁くなら,

間違った人に神に立ち帰らせ,

赦しを受けさせる機会を与えないで,

断罪することになります。


私たちが人を裁くなら,

神の哀れみよりも,

さばきを望む態度となります。


(ルカ6: 36 ,37)

「あなたがたの天の父が
あわれみ深いように,
あなたがたも,
あわれみ深くしなさい。
さばいてはいけません。
そうすれば,
自分もさばかれません。
人を罪に定めてはいけません。
そうすれば,
自分も罪に定められません。
赦しなさい。
そうすれば,
自分も赦されます。」




 
良い贈り物を下さる

 
(マタイ7:7-11)

「求めよ,
そうすれば,
与えられるであろう。
捜せ,
そうすれば,
見いだすであろう。
門をたたけ,
そうすれば,
あけてもらえるであろう。 
すべて求める者は得,
捜す者は見いだし,
門をたたく者は
あけてもらえるからである。 
あなたがたのうちで,
自分の子がパンを求めるのに,
石を与える者があろうか。 
魚を求めるのに,
へびを与える者があろうか。 
このように,
あなたがたは悪い者であっても,
自分の子供には,
良い贈り物をすることを
知っているとすれば,
天にいますあなたがたの父は
なおさら,
求めてくる者に
良いものを
下さらないことがあろうか。」


イエスのいう「良いもの」とは,

神の賜物としての聖霊です。

 
神がわたしたちに与えて下さる

良いものはすべて,

聖霊によって与えられます。





2019-11-07

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