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朝の光(聖書の言葉)

ルカ福音書 1 2015.12.17

ルカ福音書


ルカの福音書は,イエスを愛し,

人々にイエスのことを教えた

医者のルカが書きました。



ルカはテオピロと呼ばれる人のために,

イエスについて確かなことを知る

手助けになるようにこれを書いています。


ルカはこの福音書と「使徒の働き」を書いています。


ル力はパウロとともに旅行をしています。




受胎告知

(ルカ1:30,31)

「すると御使いが言った。
『こわがることはない。マリヤ。
あなたは神から恵みを受けたのです。
ご覧なさい。
あなたはみごもって,
男の子を産みます。
名をイエスとつけなさい。』」


このとき,天使はマリヤに,

イエスを宿すことになると告げました。


聖書では,天使が大事な事がらを

告げるときに現れています。


マリヤが天使の言葉を受け入れたのは,

聖霊が降ったからです。



(ルカ1:38)

「マリヤは言った。
『ほんとうに,私は主のはしためです。
どうぞ,あなたのおことばどおり
この身になりますように。』
こうして御使いは
彼女から去って行った。」


神が私たちに臨むときは,

信じられないような出来事が

あることがあります。




イエス・キリストの誕生

(ルカ2:11,12)

「きょうダビデの町で,
あなたがたのために,
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
あなたがは,
布にくるまって飼葉おけに寝ておられる
みどりごを見つけます。
これが,
あなたがたのためのしるしです。」


イエスは,ダビデの町である

ベツレヘムでお生れになります。


当時さげすまれていた羊飼いに,

主の使い(天使)が

キリストの誕生を知らせます。


小さな「飼い葉おけ」が,

しるし(印)となります。


神様は最も大切なことを,

最も弱い人に知らせたのです。




イエス・キリストの洗礼

(ルカ3:21,22)

「民衆がみなバプテスマを
受けていたころ,
イエスもバプテスマをお受けになり,
そして祈っておられると,天が開け, 
聖霊が,鳩のような形をして,
自分の上に下られるのをご覧になった。
また,天から声がした。
『あなたは,わたしの愛する子,
わたしはあなたを喜ぶ。』」


洗礼者ヨハネは,

イエス・キリストが来るのに備えて,

人々に洗礼を授けていました。


イエス・キリストは

ご自分の働きを始める前に,

洗礼を受けるため

ヨハネのところに来ました。


そして,

このときイエス・キリストは,

洗礼者ヨハネから洗礼を受けます。


天から次の声がありました。


(ルカ3,22)

「あなたは,わたしの愛する子,
わたしはあなたを喜ぶ」


イエス・キリストの洗礼は

わたしたちへの模範となります。




荒野の誘惑

(ルカ4:9-12)

悪魔はイエスを
エルサレムに連れて行き,
神殿の頂に立たせて,こう言った。
「あなたが神の子なら,
ここから飛び降りなさい。
『神は,
御使いたちに命じて
あなたを守らせる。』とも,
『あなたの足が
石に打ち当たることのないように,
彼らの手で,
あなたをささえさせる。』
とも書いてあるからです。」
するとイエスは答えて言われた。
「『あなたの神である主を
試みてはならない。』
と言われている。」


 キリストは「第二のアダム」といえます。

アダムが罪を犯したのは,

神の温かい愛のある楽園でした。


アダムは最も恵まれた環境の中で,

言いつけを破りました。


イエス・キリストは

耐えがたい苦しみの中で,

厳しい誘惑を受けましたが,

罪を犯しませんでした。




宣教の開始

(ルカ4:21)

「イエスは人々にこう言って
話し始められた。
『きょう,聖書のこのみことばが,
あなたがたが
聞いたとおり実現しました。』」


イエス・キリストは,

洗礼の後,会堂で教えました。

そのときの言葉です。

「主の恵みの年」が実現したということです。


イエス・キリストを信じる者が,

この恵みに入れるということです。




ペテロを召しだす

(ルカ5:10,11)

「シモンの仲間であった
ゼベダイの子ヤコブや
ヨハネも同じであった。
イエスはシモンにこう言われた。
『こわがらなくてもよい。
これから後,
あなたは
人間をとるようになるのです。』
彼らは,舟を陸に着けると,
何もかも捨てて,イエスに従った。」


イエス・キリストが

ペテロが召されたとき,

ペテロはすべてを捨てて

イエス・キリストに従がいました。


主に従うとは,

生活の中でイエス・キリストを第一にすることです。


イエスは,ご自分がだれであるかを人々に知らせ,

ご自分に従う人々を招き始められました。




心の貧しい者

(ルカ6:20)

「貧しい者は幸いです。
神の国はあなたがたのものですから。」


貧しいとは,神の他に何も持たない人です。

その人は幸いだと,言うのです。


この貧しい人は,

イエス・キリスト御自身だともいえるでしょう。


ルカの福音書では,

この言葉は山から下りて平らな所で話されました。




やもめの息子を生き返らす

(ルカ7:13)

「主はその母親を見て
かわいそうに思い,
『泣かなくてもよい。』
と言われた。」



死の問題に解決を与え,

慰めを与える方は,

死んでよみがえられた

イエス・キリストだけです。


(ルカ7:14,15)

「そして近寄って
棺に手をかけられると,
かついでいた人たちが
立ち止まったので,
『青年よ。
あなたに言う,起きなさい。』
と言われた。
すると,その死人が起き上がって,
ものを言い始めたので,
イエスは彼を母親に返された。」




「種蒔き」のたとえ

(ルカ8:8)

「『また,別の種は良い地に落ち,
生え出て,百倍の実を結んだ。』
イエスは,これらのことを話しながら
『聞く耳のある者は聞きなさい』
と叫ばれた。」



イエスはたとえで,人々に話しました。

弟子に次のように解き明かしています。


(ルカ8:11)

「このたとえの意味はこうです。
種は神のことばです。」



(ルカ8:15)

「良い地に落ちるとは,
こういう人たちのことです。
正しい,良い心でみことばを聞くと,
それをしっかりと守り,
よく耐えて,実を結ばせるのです。」


神の言葉を,良い心で聞き,しっかり守るなら,

実を結ぶことが出来るといわれるのです。




風をしずめるイエス

(ルカ8:24b)

「イエスは,起き上がって,
風と荒波とをしかりつけられた。
すると風も波も治まり,
なぎになった。」


(ルカ8:25)

「弟子たちは驚き恐れて互いに言った。
『風も水も,
お命じになれば従うとは,
いったいこの方は
どういう方なのだろう。』


弟子たちは漁師であり,

風も水もよく知っていました。


その弟子たちが,

イエス・キリストの言葉と業に驚きました。


イエス・キリストは

自然を支配することのできる

お方だったのです。




「5つのパンと2匹のさかな」

(ルカ9:16,17)

「するとイエスは,
五つのパンと二匹の魚を取り,
天を見上げて,
それらを祝福して裂き,
群衆に配るように
弟子たちに与えられた。
人々はみな,食べて満腹した。
そして,
余ったパン切れを取り集めると,
十二かごあった。」



5つのパンと2匹のさかなを,

主にささげることから始まりました。


イエス・キリストが

祈りをささげることによって

祝されました。


この奇蹟によって,

イエスは救い主であることを示しました。




山上の変貌(へんぼう)

(ルカ9:35)

「すると雲の中から,
『これは,わたしの愛する子,
わたしの選んだ者である。
彼の言うことを聞きなさい。』
と言う声がした。」


イエス・キリストが,

神から愛する子であるという声です。


イエスが神の子であるという

神の宣言です。


この山上の出来事は,

イエスが十字架にかかり

復活することの予告でした。




よいサマリヤ人

(ルカ10:33)

「ところが,
あるサマリヤ人が,
旅の途中,そこに来合わせ,
彼を見てかわいそうに思い,
近寄って傷に
オリーブ油とぶどう酒を注いで,
ほうたいをし,
自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き,
介抱してやった。」



イエス・キリストの話されたたとえ話です。

「憐れに思い」は,

イエス・キリストの性格です。


イエス・キリストの言葉,業は

この「憐れに思い」から出発しています。


このサマリヤ人は,

イエス・キリストのことだったのです。




祈り

(ルカ11:13)

「あなたがたも,
悪い者ではあっても,
自分の子どもには良い物を
与えることを知っているのです。
とすれば,なおのこと,
天の父が,求める人たちに,
どうして聖霊を
下さらないことがありましょう。」


イエス・キリストは,

祈ることによって「善い物」と「聖霊」が

与えられることを教えてくださいました。


主との交わり,祈りには,

時間の必要なときがあります。


また,神との2人だけでの交わりが

必要なときもあります。  




思い悩むな

(ルカ12:31)

「何はともあれ,あなたがたは,
神の国を求めなさい。
そうすれば,これらの物は,
それに加えて与えられます。」



神の国をもとめるなら,

神は全知,全能ですから,


必要なものすべてが与えられるというのです。


イエス・キリストは,

私たちに思い煩うなと言われます。


☆彡


(ルカ12:29-31)

「何を食べたらよいか,
何を飲んだらよいか,
と捜し求めることをやめ,
気をもむことをやめなさい。
これらはみな,
この世の異邦人たちが
切に求めているものです。
しかし,あなたがたの父は,
それがあなたがたにも
必要であることを知っておられます。
何はともあれ,あなたがたは,
神の国を求めなさい。
そうすれば,これらの物は,
それに加えて与えられます。」




腰の曲がった婦人をいやす


(ルカ13:15,16)

「主は彼に答えて言われた。
『偽善者たち。
あなたがたは,安息日に,
牛やろばを小屋からほどき,
水を飲ませに
連れて行くではありませんか。
この女はアブラハムの娘なのです。
それを十八年もの間
サタンが縛っていたのです。
安息日だからといって
この束縛を解いてやっては
いけないのですか。』」


イエス・キリストは

サタンに縛られている人を

解放してくださいました。




弟子の条件


(ルカ14:26,27)

「わたしのもとに来て,
自分の父,母,妻,子,兄弟,姉妹,
そのうえ自分のいのちまでも
憎まない者は,
わたしの弟子になることができません。
自分の十字架を負って
わたしについて来ない者は,
わたしの弟子に
なることはできません。」


イエスの弟子は,この世の愛ではなく,

神の愛で生きる者となることを教えています。


☆彡


(ルカ14:25-33)

さて,大ぜいの群衆が,
イエスといっしょに歩いていたが,
イエスは彼らの方に向いて言われた。
「わたしのもとに来て,
自分の父,母,妻,子,兄弟,姉妹,
そのうえ自分のいのちまでも
憎まない者は,
わたしの弟子になることができません。
自分の十字架を負って
わたしについて来ない者は,
わたしの弟子になることはできません。
塔を築こうとするとき,
まずすわって,
完成に十分な金があるかどうか,
その費用を計算しない者が,
あなたがたのうちに
ひとりでもあるでしょうか。
基礎を築いただけで
完成できなかったら,
見ていた人はみな彼をあざ笑って,
『この人は,建て始めはしたものの,
完成できなかった。』と言うでしょう。




放蕩息子のたとえ

(ルカ15:20)

「こうして彼は立ち上がって,
自分の父のもとに行った。
ところが,まだ家までは遠かったのに,
父親は彼を見つけ,かわいそうに思い,
走り寄って彼を抱き,口づけした。」



この父は,イエス・キリストご自身を

示しています。


わたしたちも,悔い改め,

イエス・キリストのところに帰るなら,

神はわたしたちを受け入れてくださいます。




律法と神の国


(ルカ16:15)

「イエスは彼らに言われた。
『あなたがたは,
人の前で自分を正しいとする者です。
しかし神は,
あなたがたの心をご存じです。
人間の間であがめられる者は,
神の前で憎まれ,きらわれます。』」


わたしたちは,信仰によってのみ,

神によって,正しいとされます。


使徒のパウロは次のように言います。


(ローマ3:23,24)

「すべての人は,罪を犯したので,
神からの栄誉を受けることができず,
ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」





信仰が,あなたを直したのです

(ルカ17:19)

「立ち上がって,行きなさい。
あなたの信仰が,
あなたを直したのです。」



このとき,イエス・キリストは,

重い皮膚病の10人をいやしました。

イエス・キリストは,病をいやすことが出来ます。

いやしには,信仰が必要です。

いやされたなら,感謝が必要です。




「やもめと裁判官」のたとえ

(ルカ18:7,8)

「まして神は,
夜昼神を呼び求めている
選民のためにさばきをつけないで,
いつまでもそのことを
放っておかれることがあるでしょうか。
あなたがたに言いますが,
神は,すみやかに彼らのために
正しいさばきをしてくださいます。」



イエス・キリストは,次のように言います。


(ルカ18:8)

「神は,すみやかに彼らのために

正しいさばきをしてくださいます」


そのたとえとして,話されました。

神はイエス・キリストを信じる者を助けてくださいます。

それは,正しい裁きをすることによってなされます。





エルサレム入城

(ルカ19:38)

「祝福あれ。
主の御名によって来られる王に。
天には平和。
栄光は,いと高き所に。」



エルサレムに入城するイエスに弟子たちは,

讃美をします。


わたしたちは主を信じ,主に祈ること,

神を讃美することが信仰生活の第一歩です。




神殿から商人を追い出す


(ルカ19:46)

「わたしの家は,
祈りの家でなければならない。」



神殿は,神との交わりの場所でありました。

主との交わりを第一にしないといけないことを

イエスは教えています。




権威について

(ルカ20:1,2)

「イエスは宮で民衆を教え,
福音を宣べ伝えておられたが,
ある日,祭司長,律法学者たちが,
長老たちといっしょに
イエスに立ち向かって,
イエスに言った。
『何の権威によって,
これらのことをしておられるのですか。
あなたにその権威を
授けたのはだれですか。
それを言ってください。』」



質問をした人には答えませんでした。

そして,次のように言います。


(ルカ20:8)

「わたしも,何の権威によって
これらのことをするのか,
あなたがたに話すまい。」


イエスの権威は神からのものでした。

わたしたちが主と交わることは,

いかに畏れ多いいいことかを示しています。




やもめの献金

(ルカ21:3)

「わたしは
真実をあなたがたに告げます。
この貧しいやもめは,
どの人よりも
たくさん投げ入れました。」



このやもめは

生活費のすべてをささげました。


神を信じると言うことは,

神にすべてをささげることなのでしょう。




人の子が来る

(ルカ21:27)

「そのとき,人々は,
人の子が力と輝かしい栄光を帯びて
雲に乗って来るのを見るのです。」



今の霊的なまじわりも素晴らしいが,

もっとすばらしい恵みがあります。

それは,主が再度来て,

主と顔と顔を合わせて会うということです。

わたしたちは待ち望まなければなりません。




主の晩餐

(ルカ22:20)

「この杯は,
あなたがたのために流される
わたしの血による新しい契約です。」



イエスが十字架で流す血は,

イエスを信じる者の罪を赦すしるしです。


(ルカ22:1)

「これは,あなたがたのために与える,
わたしのからだです。
わたしを覚えてこれを行ないなさい。」


パンは,十字架で裂かれた

からだを現しています。




オリブ山で祈る 

(ルカ22:42)

「父よ。
みこころならば,
この杯をわたしから
取りのけてください。
しかし,わたしの願いではなく,
みこころのとおりにしてください。」


イエス・キリストは朝早く,

決まった場所で祈っていました。


(ルカ22:39)

「それからイエスは出て,
いつものようにオリーブ山に行かれ,
弟子たちも従った。」



十字架にかかる前に

イエスはオリーブ山で祈り,

神の御心を受け入れます。




十字架につけられる

(ルカ23:43)

イエスは,彼に言われた。
「まことに,あなたに告げます。
あなたはきょう,
わたしとともにパラダイスにいます。」



十字架でイエス・キリストを

信じた犯罪人の一人は,

パラダイス(天国)に入ることが出来ました。





イエスの復活

(ルカ24:5,6)

「恐ろしくなって,
地面に顔を伏せていると,
その人たちはこう言った。
『あなたがたは,
なぜ生きている方を
死人の中で捜すのですか。
ここにはおられません。
よみがえられたのです。』」



主の降誕と同じように天使が,

主の復活を知らせました。


エマオへ途上で弟子の二人が

復活したイエスに会います。




天に上げられる

(ルカ24:50-53)

「それから,イエスは,
彼らをベタニヤまで連れて行き,
手を上げて祝福された。
そして祝福しながら,
彼らから離れて行かれた。
彼らは,
非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り,
いつも宮にいて
神をほめたたえていた。」


イエス・キリストは天に上げられます。

そして,今天で,イエス・キリストは

私たちのために祈って下さっています。




2015.12.17



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