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無理が通れば 道理が引っ込む。

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日本、今のままでいいんですか。

2017-01-20 21:29:47 | 日記

 泣いたぞ。この爺は テレビ見ながら 涙がとまら なかったぞ。

千葉県で おきた母子家庭の 子供殺し 話を聞いて もういかりやら

悔しさやら 無力さやら もろもろの 感情は 目ることはできなかったぞ。

「お金がない。お金がない。」娘は中学二年生。市役所に生活保護の説明を

聞きにいった。でも でも 生活保護を受けること いえなかった。

公営住宅に入居していたが 家賃滞納した。或る日帰ってみると 家の中に

無常 無常森田健作千葉県知事さん 裁判所に強制執行 の通知がはりつけてあった。あちこちに いかにも 憎らし気にだ。

遂に来るところまで来た。強制執行の当日 母親は 可愛い わが子を絞殺した。

なぜ なぜ 貧困ゆえの悲劇は 山本太郎さんが 国会で何度も訴えた。

自民党の人も 公明党の人も  維新の人も 真からわかっているのだろうか。

それは子供を殺した母親が悪いんだろうか。そうでしょう。懲役7年の刑罰を

受けたのだから.官はそうみているのである。家賃払わねば 追い出すのは

当然というのであろう。ああ無常。比島の大統領に 1兆円くれてやる国家の

することだろうか。政治は誰のものか。改めて安倍総理に問いただしてください。

安倍が友達になりたがっているトランプはますます日本国民に大打撃を与えることに

なるようだ。それでも 彼は「日米同盟の深化」を叫んでいる。

わかっちゃいねーな。日本国民にといたい。「今のままでいいんですか。}

「家庭教育支援法」って なんの意味のほうりつですか。


地方創生の成功が日本をよみがえさせる。都市化政策をやめろ。

2017-01-20 14:01:21 | 日記

 都市化政策が 政府の重点政策として 取り扱われてから 久しい。

かって、昭和30年代 の初期 廃墟の首都 東京の立て直しの為に

多くの 生徒たちが 東京を目指した。それを契機に地方から若者たちの

姿が消えていった。悲しく取り残された跡継ぎや年配者も いつしか

老境に入っていった。腰を撫でながら 田畑を枯渇させまいと

懸命に働いた。年に出ていった若者たちはいつしか 都会人になりきっていった。

なぜ政府は 農業にだけ 補助金を回すのだ。生産性の高い企業の身にもなれ。

と厳しい批判も飛び出した。都市と地方の乖離は文明の進歩に伴って

重大な社会問題となってきた。

地方創生というが口で言うほど簡単なものではない。

こんぽんてきな理由の中に 都市化で育ってきた代議士や閣僚の時代に

になって 農村漁村の 現実を描くことが不可能になっているのに地方創生を

推薦するといってみても 洒落にもならない。

片田舎で 観光をいくら叫んでも そんなとこまで来る 観光客がいるだろうか。

文部省の役人が 早稲田大学に天下りして 問題になっている。

あの人たちが 悠々自適ができる人たちである。第二の人生は 社会奉仕に

力を使うべきではないか。田舎から出てきた人は田舎に帰ろうという気持ちに

なれないのだろうか。仕事がないというかもしれないが

いやしくも 一流の大学を出て 中央省庁で恵まれた役人人生を送り

何の不足あるというのか。第二の人生でもトップに座らねば落ち着かないのだろうか。

西郷は その点 自分の役を終えたと思うと さっさと田舎に帰った。

西郷の故郷の屋敷は現在でも 西郷屋敷として保存されている。

わずかな土地に28坪ほどの木造家屋である。これが維新の元勲と言われた

参議西郷隆盛の姿である。地方創生はそんな人物にこそ 必要なのかもしれない。


大きいことはいいことだらけか。便利なものの代償は何か。

2017-01-20 13:18:49 | 日記

 鉄筋コンクリート造りのマンショョンも 30年も経過すればあっちこっちに

痛みが出てくる。若い世帯のひとたちは 家屋の改装を大々的に行っている。

だが 年老いた我々には そんな冒険が できるわけがない。

小口に 改修わ行うことで 良しとしなければ ならない。

悪くなる時は次々だ。トイレが済んだと思ったら クーラーが止まった。

おり悪く今年一番の寒気団に覆われ寒さの最中。北野人たちの難儀を

思い起こした。部品がそろって 工事完了。次は風呂場ととどまるところを知らない。

恐らく原子力発電国民みんなが関心を持っているのは このことだ。

使節の各所に披露状態が拡大している。原子力委員会のOKも 絶対的なものではない。

多分に政治的ものでもあろう。それが怖い。

ふたたび福島が起きたら 世界も同情をしなくなっているだろう。

「日本人は広島、長崎と核の洗礼を受けた。そして福島だ。たいていそこまで来たら

核に敏感にならねばならないはずだが、なぜだ。

めいわくするのは日本丈ではないのに 地球をほろぼすつもりか。

わたしはボソッと「申し訳ありません。」と断る以外にない。

要は 賛成派のひとたちは 電力不足になることを恐れているわけではない。

金即補助金がなくなることが 惜しいからなんだ。そう思わざるを得ない。

どんなに技術開発が進もうが核が鬼っ子であることは避けようがない。

新品に取り換えるにしても 廃炉しなければ成せない。

それに 半世紀近くかかるというのだ。循環型代替エネルギーの深化

も進んできて コストも我々が思う以上に低廉な価格に収まる。

画期的な蓄電池の開発スピードも進んでいる。太陽電気も雨や曇り

を気にしなくてもいいようになる。或る日は予想外の新代替エネルギーが

発見されるかもしれない。

用心深く 大胆に 変化の波に取り組まねばならない。

安易に 衝動的に あたふたと 取り込むべきものではない。

なぜ こんな狭い日本に 秒速単位の列車が必要なのか。なぜ

雲をも貫く高層建築が必要なのか。そこに夢があるからなどときざなセリフ

でかたずけられたら 迷惑な話だ。