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無理が通れば 道理が引っ込む。

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私の地方創生

2017-01-05 13:16:58 | 日記

なぜ 地方がこんなに 落ちぶれてしまったか。

これは政府の政策の不手際による。

田中角栄さんが 日本列島改造計画を世に問うたころは 

日本列島の 北から南の端まで 人や物資の交流を盛んにして

日本全国の人が等しく 幸福な社会に棲めるような施策で会った。

 

ところが 官僚の手によって 効率的な手段として都市化政策が政治課題として取り上げられた。

この都市化政策は 日本人の頭の髄まで徹底した。

都市化の繁栄は東京というマンモス都市をお手本に 各地方に小東京を作り出す方向に

走り出した。

安倍内閣が打ちと出した地方創生もその域を出ない。これで成功することは

できない。

アベノミクスの果実は下々には行き渡らなかった。大店法の施行以来地方の商店街は

シャッターを閉じてしまった。若者は職をもとめて

中央都市に移転していった。

千穂のひとたちは 「地方に仕事場を」というのが切実なようきゅうであった。

日本振興の四分の一は東京中心の関東域に限定された。

しかし、それ以上の手段は政府も持ち合せがないようである。

アベノミクスの おかげを蒙った企業は300兆円におよぶりえきを内蔵した。

だからそんな企業はその中から 金と技術と人材を全国の地方に流すのはいかがと思う。

地方はあらゆる準備をしてその時を待ち受けていることだろう。

実際企業の中には仕事のたねが わんさと詰まっているのである。

地方に工場なり、事務所也を映した会社は さらに その地方に根を張っていく。

そうなれば若者たちだって帰ってくるはずである。

健康な村つくり、それが地方創生の意味するものである。

都市を地方に移してどうするの。


人の成し得ないことをなさんとすれば、覚悟と不動心を心に秘めることだ。

2017-01-05 12:26:52 | 日記

病の原因は 生活習慣にありというのが 現代医学の説明である。

わたしは病の原因は ストレスにあると思う。

ストレスに強い人 ストレスに弱い人で 生活習慣も異なっていくのだろう。

 

 

突き詰めて物事を考えることも大事である

私はそんな人を尊敬する。

自分がそうでないからだろう。

 

ところが 生まれが生まれ 育ったところが悪かった。

私の生まれた地方には 「てげてげにせんか。」

という習わしがある。

 

ことばの意味することは 「いい加減にやめとけよ。」という意味だと思う。

それが悪いという意味ではない。それより決断死実行することを促している。

 

執着心があるから 物事は成功するというものでもない。

べな観点から 見てみると新しいやり方を見つけることがままある。

ストレスに強いといわれるのはこのタイプである。物事を事大主義に取り上げないことだ。

 

東大を出たからえらい人。官僚の中でも次官クラスの人は偉い人

私はそんなことをかんじたことはほとんどない。

人のいうことは゜ たいてい反芻してから 取捨選択する。

 

それが間違いであったにしても 反省はしても 其れで卑屈になるほど上等の人種だという

うぬぼれはない。

 

女房からよくいわれる。

「あんたは 真 いいくせしてるね。」これは誉め言葉ではない。皮肉である。

人と比較しない。されない。自分は自分である。納得。

苦労は顔に出すな。と教えられた。

「楼の上も羽生の小屋も 棲む人の 心にこそは 貴き 卑しき。」殿様が

そう教えていただいた。それを守っている。

無名を恥じない。

 

尊厳な死についても私は象の死に方が 手本だ

死が近くなると 年取った像は 自ら 黙って群れを離れていくそうな。

そして 誰にみとられることもなしに密林の奥深くで死んでゆくそうな。

そこまでの覚悟があったか。 可愛いやつと思う。

だから ストレスに強いということは 何事にしても「覚悟」を持つことだと思う。

戦争放棄は非現実的だという人たちがいる。

然し、戦争放棄は人類の民族の大覚悟である。

 

それを日本人は終戦の日に誓いを立てた。決して夢物語ではない。

「覚悟・不動心」人間のあらゆる欲求を しきること。

ゆえにストレス解消は内なる自分との 相克に勝利することだ。

 

 


対案を示せ。

2017-01-05 10:41:30 | 日記

よくいうじゃないですか。安全保障の問題でこっぴどい 質問を受けると 「反対 反対

だけではだめだ。そこまで言うなら対案を示せ。」

それに 国民もマスコミも日本人は騙されている。議会質疑は野党は法案を提出する立場

にはないし、何も対案を示す必要は毛頭ないのである。

対案を出せと言う前に政権党は 現在提案中の案件について 議員への質問をp誠実な態度て

質問者を通じて国民に正確に伝えるべきである。しかるに国民に隠して密約を結び、

それを国民に押し付けてくる。そういうことからまずは国会を改革していかねばならない。

沖縄基地問題にしても 翁長知事の言い分が国民にはスーと抵抗なく伝わるのに比して

内閣の説明は多分言ってる本人も 釈然としないはずである。

対外交渉の場合国民に不利益を伴う条約が数多く秘匿されているのが常識になっている。

国際条約がそんな形で処理されているのは日本が一番多いそうである。

「知らぬは国民だけである。」それはだれの責任か。言わす瀬と知れたこと。

政府に白紙委任した選挙民の重大な責任である。

原発問題もそうである。原発の被害は誘致に賛成したものの責任である。原子力村

と言われているらしいが、国民の税金を分捕った奴らの責任である。

事ここに至って 反対したものからも 廃棄物や廃墟の費用など国民から

電気料金に上乗せして 回収しようと たくらむなど 遣ってはならないことである。

誘致賛成者は最後は国策協力という大義名分を用意しているのかもしれないが

それが通ずることがおかしな話だ。

無理が通れば 道理がひっこむ。とはまさに典型である。

その点山本太郎君の姿勢ははなはだ模範的である。他のほとんどの議員から外されるのも恐れず

政府を正す。その姿勢。その胆力。政治家としては一等品である。

産休を取って見上げた行為と新聞でもテレビでも 持ち上げられた自民党の かす議員が

自宅に女を引っ張りこんでいた。あきれた話は 一つや二つではない。

素行の定まらない者たちがどうしてか議員に当選しているか。これが悪の根源である。おそるべきことた゛。