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人生の選択

2017-01-08 16:55:44 | 日記

おじいさんがね、小学6年生になって、両親にある中学の試験を受験したいと話をしたんだ。

そのころ 我が家は 貧しくてね。貧しいというより 父親の収入を超える子供が12名

だった。子供の私にも うすうすわかってはいたんだが、中学に進学したいという

気持ちを抑えることができなかった。

そんな母親は わたしに言った。「中学を受験していいよ。その代わり 必ず合格すること。

もし 試験におちたら ここを志望しなさい。」と言って渡されたのが

「満蒙開拓少年団の入所申込書だった。当時政府の宣伝゛かなりたくさんの人が参加していた。

それだけ 我が家の経済は切羽詰まっていたのだろう。

隣の嘉先輩が当時上級生として在籍していた。「来年は必ずじゅけんするんだ。

きっと合格するんだよ。休暇で帰省した時 わたしにそう伝えた。

嘉兄のためにもぜひ合格せねばと思った。全部で5人が受験して 私一人が受かった。

嬉しい思いと悲しい思いが複雑な気持ちにさせた。

嘉兄は海軍兵学校を出て 戦艦ヤマトに乗り 沖縄で壮烈な戦死を遂げた。

もしあの時受験に失敗して満蒙開拓義勇団に入っていたら シベリヤに送られて

命を失っていただろう。

それから5年後私は 海軍将校を夢見て海兵団で 特別訓練を受けていた。

嘉兄に続こうと思っていた。

終戦は意外な形で行われた。有史以来初めて他国に占領された。

若い人たちは 戦争についてよく知らない。ほんとの戦争はまさに残酷だ。

ふたたび戦争してはいけないとおもう気持ちは今も持ちつづけている。

人をも殺してばいけない。人に殺されてはいけない。これは人間の鉄則だ。

 

 


超高齢者と言われて

2017-01-08 04:32:43 | 日記

寂聴さんの 語らいの中に 「ねぇ 私の年台になると 今日できていたことが

明日には できなくなっているのですよ。」

仏典の中に「朝には紅顔の人も夕べにははっこっとなる。」という一説がある。

こういうことから 超高齢者の存在が問題になるのである。

現在 90歳の私の衰えもそうであった。

ついこの前までは 病気らしいものは何一つ記憶にない。

風邪気味だと思えば ピンピンから多自身が信号を出す。熱を測ってみると

39度近くある。明日は大学の入学試験日 どうしても熱を平熱にしないと

いけない。イワシのつみれと豆腐のやさいるいをもったなべりょうりを

まず食べる。食事がすむとスペッシャルドリンクを用意して 厚い風呂に

に入って 汗を出す。湯上りにスペッシャルジュース 名かは酒目ニンニクの

おろしリンゴなど奇怪な代物を飲むと夏でも布団をかぶり 寝床に入る。

新聞紙に穴をあけて 頭から覆う。アンダーシャツの代わりだ。

そのあとしばらく辛抱していると 川のような汗が噴き出してくる。

新聞紙はびしょぬれになっている。1,3回繰り返すうちに すがすがしい

気持ちになる。翌朝熱を測ると平熱に下がっていた。

これが若い時の風の対処法であった。でもこれは自己流デスカラ、やらないでください。

もうそんなことができなくなった。

そんなとき陛下の退位のお気持ちが伝えられた。学識専門家のひとたちがあっろめられた

中には「天皇は わがままである。」という意見まででというのだから

専門家会議って何しているんだ。陛下は子自分のつらさから仰せになっているわけではない。

これじゃ 国民の象徴の役が務まらない。だからおおせになったのだとおもう。

お国のためにも病人たれの象徴では国威にも差し支えるはずだ。他の者で変えられることとどうしても ご自分てやらねばならないことを知っておいでになる。

それが総理をはじめ専門家にはわからない。

超高齢者 だから私には痛いほどわかる。陛下に人間としての尊厳を図お願いするのだが