上北沢暗室雑記帳

写真に関するよしなしごとを

ウィー

2011年05月17日 00時01分40秒 | 放言

 先月終わりに子供が生まれ、この連休は病院通い。こどもの日に母子ともに退院して来て依頼、休業してイクメンに励んで…と言いたいところだが、職場の引継が案の定時間不足で、夜逃げのように持ち帰った資料を引っかき回して自宅メールで補足説明の日々。育休とったくせに仕事ばかりして、と怒り気味のかみさんが、産後のシェイプアップを目論んでウィーフィットプラスを買わないかと持ちかけてきたが、私としては全く興味がないので、かみさんの誕生日を半年ほど前倒しでお祝いすることに。本体とバランスボードの箱二つ膝に載せて帰りの電車に揺られていると、周囲の視線が、ふぅ~ん、それで痩せるんだ、ふぅ~ん、という風に見えた。いやいや、これはかみさんがね、…と弁解する機会は当然なく、デブがダイエットの道具を買って帰るの図。そもそもこれで何ができるのか全然知らなかったのだが、かみさんがいそいそとセットして使い始めたのを見て、バランスゲームをやらせてもらった。なかなか面白いじゃないの。熱い戦いの火ぶたが切って落とされる日は近いもしれない。早く仕事終わらせないと。。
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左沢線と紅花まつり

2010年07月18日 10時39分00秒 | テツ

 山形駅のまわりには空き地が多い。空き地といっても長瀬さんが喜びそうなものではなくて、車両基地の跡に駅広を整備したものの開発の機運が訪れず、といった感じ。写真の反対側も駅広に面した土地が空いていた。
 11日(日)は、まず9時半発の左沢行きに乗り込んだ。この便が左沢での折り返し時間が一番長かったので、これを軸に今回の行程を組んだ。


 キハ101形という見慣れぬ気動車。ウィキによると左沢線専用なのだそうな。なじみの110形より4mほど車長が短いらしい。
 左沢線は、山形が起点だが、次の北山形の直前まで奥羽線上を走る、と宮脇が書いている。奥羽線は新幹線が走るので標準軌、左沢線は国鉄時代からの狭軌だから、三線軌条になってるのかしらと後ろの窓から見てみたら、標準機と狭軌が一本ずつ並んでいた。へー。新幹線もこの区間は単線なのね。


 写真右手の森は山形城。北山形を過ぎで進路を西に変えると、田んぼと、桜んぼと思しき背の低い木が連なる景色になる。ハウスに入っているのもそうなのだろう。山の斜面に建ち並んでいるところもある。
 ロングシートが八割方埋まる混み具合だったのが寒河江でどっと空いて、そこから15分ほどで終点左沢到着。駅の手前で最上川が大きく蛇行して線路に迫ってくる様がダイナミックだった。


 機能の荒砥と同様、左沢駅舎もきれいな建物に変わっていた。山車を展示した物産館のようなものと併設。駅前は味気ない図面のような車寄せと広場。20年前に乗りに来た2年後くらいに今度はチャリでこの駅に集結(と言っても約5名ほど)して、酒田方面まで走ったこともあるが、どちらも駅の全貌がわかる写真は撮っておらずよくわからないものの、当時は木造のこぢんまりした駅舎だったようだ。
 12分の折り返しで山形に戻り、奥羽本線上り電車で二駅目の茂吉記念館に行ってみる。 ここの駐車場のまわりに紅花畑があるとのネット情報をもとにやってきたのだが、草むらの中に「紅花収穫祭会場」なる看板が掲げられているのみでちっとも花は咲いてない。収穫され尽くしたのか。遠くを見回してもあたりに紅花畑はなさそうだし、体調もイマイチなのでさっさと帰ることにした。といっても戻りの電車まで小一時間ある。文学とは全く縁のない者だが、せっかくなので茂吉記念館に入ってみたら、受付で入場券とともに紅花収穫祭のビラを手渡された。紅花畑は見かけなかったが?と聞いてみると、連作できないので今年はないのだ、というような答えだった。ではどうやって「収穫」祭をするのだ?とは聞かないでおいた。


 13時半に山形にもどり、5分後の仙山線快速に乗り継いだ。天気も体調もよくないので迷ったが、3つ目の高瀬駅で降りてみることに。ここでの紅花まつりのチラシが山形駅に置いてあったので。


 駅から会場までは無料送迎バスありとチラシに書いてある。でも、まつりの終了時刻までもうあと2時間ほど。どうなるかなと思いつつ人気のない駅に降り立つと、まつりの法被を着た人に声をかけられ、駅前に停められたハイエースのワゴンへ。田んぼの中の細い道をくねくね走り5分ほどで会場。それなりに賑わっており、少しほっとした。片付け始めだが模擬店が建ち並び、雨が降り出してまもなく終了となってしまったが広場では体験乗馬に子ども達が列をなしている。目当ての紅花畑をやっと拝むことができた。


 おもひでぽろぽろに出てきたような青空を背にしたまぶしいオレンジ色の風景とはほど遠いが、眼前に咲いてるのは間違いなく紅花。こんなアザミのような植物だとは知らなかった。やや地味。一時間ほど眺めてからまた駅まで送ってもらい、臨時停車の山形行き快速で帰途に着いた。


 まだ十分日のある時間帯に仙台に着いたなら、未乗の空港線とか地下鉄とか、あるいは石巻線なんかに乗ってウィークエンドパスをしゃぶり尽くしてもよかったのだが、また熱が出てきていたので、すぐ後のはやてで帰京した。
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白新線・米坂線・フラワー長井線

2010年07月17日 11時26分04秒 | テツ
 暑いところには暑い時期に、なんて格好付けて去年の7月はベトナムに行ったらほんとに暑くてイヤになったので、涼しめのところにちょろっと乗りテツでも、と思い浮かんだのが山形。未乗線はないのだが、しばらく行ってないのでよいかなと。
 ウィークエンドパスとかスリーデーパスとか、1日あたり18きっぷの倍くらいの値段で、特急券を買えば特急に乗れるフリー乗車券が発売されたので、新幹線でばーんと遠くに行ってから鈍行の旅、というのに丁度よさげで今回使ってみた。


 7月10日11時過ぎに新潟着。11:40発白新線経由村上行きに乗るつもりだったが、途中の豊栄まで行く電車がホームに停まっていたのでそれに乗る。20分ほどで豊栄着。途中、信濃川を長い鉄橋で渡った。豊栄駅は駅舎の新しい郊外の私鉄駅の風情。ここまでは20分に一本の間隔で電車がある。新潟駅にいるよりもすることがないホームでぼけっとしていると、ピカピカのE127系に代わって115系の6両編成がやってきた。各ボックス席に一人ずつ程度の混み具合。斜め前の席の子どもが暇を持て余してごそごそ動き回っているのをスナップしているうちに45分ほどで坂町に着いた。
 次の米沢行きまで45分あまり。草ぼうぼうの駅構内を眺めていてもしようがないので、駅前を軽く散歩。どうってことはなかった。


 暗雲たれ込める中、キハ110系1両きりの列車に乗り込む。それなりの乗車率。雨雲につつまれる正面の山に突き進んでいく。新潟山形県境を過ぎるあたりから雨が降り出す。


 県境から二駅あたりのところで、雨量が35km/h徐行レベルに達したとのことで速度が落ちる。次の駅では運転見合わせになるかも、とのアナウンスも。雨が激しく窓をたたく。定刻よりだんだん遅れが増していくが、今日は山形泊まりなので、完全に止まってしまわない限りはなんとでもなる。かすかに車内がざわめきつつ、雨音がだんだんと小さくなっていって、今泉で雨はほぼ上がった。山形鉄道フラワー長井線の列車が上下線とも、十数分遅れのこの便を待っていてくれたようだ。このあと長井線にも乗る予定だが、まずは米坂線の終点米沢まで行く。
 あと一駅のところで数分停車。遅れを取り戻そうと果敢にスピードアップしてきたかのように見えたが大きなロス。運転手がいらいらと無線に呼びかけている。応答がなくて携帯電話でなにやら怒鳴っていたが、ほどなく動き出して米沢着。30分ほどで折り返す予定だったので、十数分の遅れは問題なし。ここでも駅前をちょろっと歩き回ってみた。渡部さとるの写真を思い出しつつも、イメージがかぶるところは特になし。駅前に関してはよくある地方駅の風情。
 折り返しの便は110とE120の2両編成。せっかくなのでE120に乗ってみる。この冬の只見線行であやうく間違えて乗りそうになったクルマだ。新しい分きれいなのはよいが、椅子の座り心地が恐ろしく悪い。発車前の車窓に大きな虹が見えた。


 20分ほど戻って今泉、長井線荒砥行きに乗り換え。今回出かけてくる前に宮脇俊三の時刻表2万キロの左沢線・長井線の章を読み返してみたのだが、長井線に関する記述は1頁程度に過ぎず、この今泉で玉音放送を聞いた想い出により多くの紙数をさいていた。また、私自身が前回来たときの、夕陽を背に長い影を落とす駅舎の風景も記憶に残っていたので、ぜひ駅前に出てみたかったのだが、乗換時間が4分しかないので割愛。乗ってきた米坂線列車を跨線橋から見送った。


 長井線の車内には七夕飾りがあった。途中から大挙して乗り込んできた高校生の一人が、冷やかされながら備え付けの短冊になにやら書いて結んでいた。


 車窓は、米坂線の山奥を除いて今朝からずっとそうだが、青々とした水田が一面に広がる気持ちのよい風景。ところがこの長井線沿線はその昔ツツガムシの大発生地だったことを宮脇は書いている。ほぼ根絶されたようだが、ときどき刺されて発症者が出るらしいことがネットを見るとわかる。今泉から30分ほどで荒砥着。


 こぎれいな駅舎が建っているが、20年前の前回の写真を掘り出してきたらこんなに渋い終着駅だった。


 この長井線、乗ったことがあるのかどうか思い出せなかったのだが、三セク山形鉄道の開業が1988年10月とのことで、その前月に乗っていたことになる。国鉄色のキハの右脇に、今日乗ってきたのと同じカラーリングの気動車が写っている。
 じっくりと駅前なども観察したかったのだが、わずか5分で折り返しのところ、なぜか団体客が騒然としていて、おまけに先週からひいていた風邪が悪化し相当熱が出てきていて半ばもうろうとホームで数枚写真を撮ったただけで車内に戻った。
 がやつく車内で添乗の山形鉄道職員がハンドマイクで車窓を案内する。到着する駅ごとに由来を述べて「ここで落ちる人はいねえべか」と優しい口調のアナウンス。四季の郷駅は宅地開発とともに開業したのに空き地ばかり。坪4万円、ぜひ買って下さいとのこと。あやめ公園駅は寄付を募ってできた駅だが、駅舎を建てる資金がなくて、最寄りの長井工業高校の生徒が手作りしたものだとか。立派な作りだった。


 長井で団体客が下車し、静かになった汽車は田んぼに長い影を落として疾走する。
 18:17赤湯着。新幹線の開業で建て替えられたらしい駅舎は何の風情もなく、30分後の山形行きを悪寒に耐えつつ待つ。この日は山形駅直結の宿に泊まり、薬を飲んでさっさと寝た。
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秋のサイクリング

2005年11月16日 23時05分51秒 | チャリ
 撮り貯めた中判を毎晩2本の現像ウィークと、恒例の秋のサイクリングの準備にかまけてたのとで、しばらくぶりの書込になってしまった。
 先週末、また泊まりで走りに行った。いわき周辺をちょろっと巡る、夏用に作ったコースを流用したため、海沿いの強烈な向かい風に辟易。登り坂もある内陸ルートに避難する有様だった。しかも最終日はほんとに寒々しい曇り空で、全くサイクリングには向かないお日和。今回はコースより宿、だったかな。高野温泉は好みのつるつるの湯。平潟港温泉の宿は、「漁港の宿に外れなし」なんてコトバがあるのかどうか、同行者がつぶやくとおり、アンコウ鍋に加えて食いきれない魚介づくし。
 例年の渋々なのとは趣が異なるものの満足して帰って来たのに、風邪を引いてしまった。(いつもは初日の宿で寝込むパターンなのだが、ひとり夜8時就寝で具合が悪くなる間もなし。)会社休んで遊びに行って、風邪ひいてまた休むなんてのはさすがに情けないので、さっさと寝よっと。
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