私の思い

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終戦直後の日本3

2018-08-29 11:49:30 | 日記
お米を食べることができたのは小学生の時は、正月・お祭りの時ぐらいしか覚えが・・・お腹が空いて空いて蒸しさつまいも・スライスさつまいものフライパン焼き・パンはコッペパン・芋パン・生うどん・・これら配給小麦と物々交換・・・修学旅行も必要なコメを各自持参しないといけない・・・はっきり覚えがないが黒い芋パン・・・畑のきゅうり・トマト・桑の実・柿・梨・いちじく・スイカ・ぐみ(口の周りを真っ白にして)等食べれるものは何でも食べた(近所の畑でちょいと失敬(許してください)・・・兄貴達も各自で・・何をやっていたのやら・・・都市に溢れた孤児たち・・・後にラヂヲ放送<鐘の鳴る丘>大人気でした。学校で使うノート・消しゴム・鉛筆の学用品ほしいけど母に言えなかった。わら半紙に周囲の友達からもらって、取り上げて読み書きしました。家で勉強・・電気代のこと考えるとよる勉強するわけに・・机もないし・・学校での勉強時間で全て頭にいれるようにした。それでもなんとかトップクラスの成績を取れるように学校での勉強は真剣に先生の話を聞いた。学校での記念写真・修学旅行費・・・母の働きを見ていたら男として言えなかった。早く働いて母を助けたい一念でした。学校では勉強・運動・リーダーシップで一番になるつもりで頑張りました。級長・生徒会長はもちろん学芸祭でも主役級で・・・それと両親の教えで弱気を助ける気概があり、いじめられっ子がいたら直ちに相手を懲らしめに・・・そのせいで他生徒の親からは私と仲良くすることを・・勉強を教えてもらうように・・よくたのまれました。お陰で私が鉛筆・消しゴム貸してと友達に云うと
誰も文句一つ言わず私にくれましたので本当に日々楽しく・・・先生も黙って私を助けてくれました・・・だから生徒たちが騒いでいて先生が困っているときは私が全員を黙らせました。本が読みたくても本が・・服は兄貴の古・・教科書も古・・農家の方以外のほとんどの方が食べ物に苦労された・・私のところは9割が農家の生徒だから・・お祭りのときなどは遊びに行って箱ずし・ちらし寿司など大変お世話になりありがとうございました。