私の思い

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撫順終戦直後8

2018-08-15 21:03:26 | 日記
父の遺体を焼く焼き場・燃料も、全てなく大変困ったそうです。近くの学校のグランドには発疹チフスで亡くなられた避難者の御遺体が、材木を重ねて積み上げたような山がいくつも見られました。ときは冬かちんかちんにこおったごいたいでした。焼くことが出来なかったためでした。ソ連軍の命令で鉄道を作るため日本人の男は全員駆り出されました。次兄が駆り出されたとき大きな電柱を運んだとき大人と一緒に肩に担ぐ仕事で誤って頭を強打して死ぬところでした・・・それはそれは厳しい労働であったと・・・小学六年生が大人と一緒では無理では・・・一方今まで流通していた日本紙幣は紙くず・・・食料品は中国の方が略奪したものと私どもの家にある服とか、鍋、うつは何でもいいのですが物々交換して暮らしました。今まで日本人街には自由に入れなかったのですが、歩道に藁ござを引き商売が始まりました。もちろん母は危ないので、大変元気のあった兄弟3人がそれぞれ飛び回って食料を確保していたと・・・小3の私も釘を家から持ち出し中国人と取引をやって食べ物を確保しました。ただいつ日本に帰れるのかさっぱり解らないため、家のものを持ち出してばかりいたら最後に何もなくなるという恐怖から・・・どういうわけかマンジュをどこかで作ったものを街頭で売っていました・・・あとで聞くと長男がドカで作らせ私に売らせていたとのこと・・・