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明智光秀と足利義明・・・ (本能寺の変) 

2017年09月20日 | テレビや新聞の話題
☆・・室町幕府の再興・・らしい・・☆

本能寺の変
ご存知のとおり明智光秀が織田信長に謀反した事件
時代劇では、信長が光秀をボコボコにいじめたために光秀の堪忍袋が切れて謀反することになった
というような怨恨説で作り上げられていることが多い
自分もずっとそうだと思ってきた

『怨恨ではない』・・そうだ

一方
手薄な本能寺に逗留した信長に対し、今なら打てる
打って信長の代わりに自分が天下を取ってやる
という野望説もあるそうだが・・

『野望でもない』・・という

ではなんだ?
それは『室町幕府の再興』・・なんだって

室町幕府の15代将軍は「足利義昭」だ
もともとは信長に担ぎ上げられた義昭だったが、信長とは袂を分けた
そしてこの本能寺の変の頃の義昭は、瀬戸内海の鞆の浦にいた
義昭はその地から、毛利や長曾我部などの反信長勢力に対し信長打倒を呼び掛けていた
光秀にもその誘いが来ていたのだという
光秀はかつて義昭に仕えていた時期があったのでそのような誘いが届くのはおかしなことではない

光秀は、信長と義昭とどちらが天下を取った方がこの国のためになるのか?
その頃の信長の狂気の沙汰(比叡山焼き討ちや紀伊長島一揆などの老若男女を問わない皆殺しなど)に対し未来の信長に期待できない
それよりは義昭を京都に迎い入れ、室町幕府を再興するほうが国のためになる
そういう結論に達したのだろう

そんな折に、信長に武装の機会を与えられた光秀は「今だ!」・・そう思ったのだろう

そう言われると・・長年の疑問が解けた気がする
それは・・当時の武家がいじめられたくらいで自分の主人に刀を向けるなんて『おかしい』
その程度の人間だったのだろうか?
そのように感じていた

光秀は、個人的な怨恨や野望でなく、国の未来を思うが上の謀反だった
『光秀』という人を見直したな

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