ハシちゃんの詩(うた)日記!

山郷の散策つれずれを
ペットのハシちゃんとつぶやきます。

1ヶ月間お休みします

2012年09月29日 18時49分15秒 | 日記 

 いつも、はしちゃんの詩へお越しくださって誠にありがとうございます。拙いブログを読んでいただき日々感謝しておりました。厚くお礼申し上げます。
 さて、この度一身上の都合で1ヶ月間ブログの書き込みを休ませていただきます。私自身もすばらしいこの秋の季節にペンを折ることをとても残念に思いますが11月には必ず復帰したいと思っていますので、どうか「はしちゃんの詩」へ又お越し下さいませ。心よりお待ちしております。
 

ケイトウの花 (はしちゃんの詩)より

2012年09月29日 18時23分33秒 | 

むかし むかしの
糸をたぐれば
庭にはいつも赤いケイトウの花が
咲いていた

毎年
当然のように
同じ場所に燃えるように
赤く咲いていた

冷たい
秋の風が吹き始めると
少しだけうつむいたまま
赤い色は
いっそう冴え渡る

心の中に
時々ふつふつとくすぶる命は
ケイトウの花のように
赤く燃えている




天然繭に出逢う

2012年09月28日 17時20分57秒 | 日記 

 日暮れ時の散歩の途中、クヌギのどんぐりの実り具合を観察していたら珍しい物を見つけた。子供のころ良く見かけた天然繭(まゆ)がまだ秋を気づかずにいる緑の葉っぱに紛れ込むように下がっていた。ウスタビガのカマス型繭だ。この写真では掴みきれぬが抹茶のような色をして光沢がありなかなか捨てた物じゃない。昔はタワラ型の天然繭も山を分け入れば結構あったものだが、ここ最近は貴重な物となっているのだろう。この繭はもう空き家だった。指でつつくとカサカサと乾いた秋の音がした。
 秋の夕日はつるべ落としと言うが、まだ秋はそれ程深くはない。とつとつと沈みゆく夕日に照って益々抹茶色となり私だけのささやかな感動に浸った。
 あのグロテスクな蛾の幼虫がどうしてこんな素敵なカマスを作り出すのか不思議だ。はてなマーク?が頭の中でくるくる回っているうち夕日が点となってくじゅう山と大船山の鞍部に消えようとしていた。

淋しさは捨てて (はしちゃんの詩)より

2012年09月27日 18時14分11秒 | 

朝が明けたばかりの里山に
「おーい僕だよー」と
秋風がせわしげに駆け回る

里山で一番背え高のっぽのケヤキが言う
「わしは もっと静かな秋が欲しいんだなー」
秋風にかき回されていた
ススキやクズかずらが
「そうよ そうよ」とうなずき合う

秋風はふーっとひと息ついて言う
「僕はとても淋しがり屋なんだよ」

秋風は知っている
両手から
こぼれ落ちんばかりの淋しさは
こうやって忙し気に
里山の皆んなを訪ね歩けば
いつの間にか薄らいでいくと

背え高のっぽのケヤキを黄色に染める頃には
秋風の淋しさは
もう空っぽになって
ひゅーう ひゅーうと歌っている









ベニバラボロギクは飛ばない

2012年09月26日 17時37分17秒 | 日記 

 種子に綿毛の付いた植物はいろいろあるが、このベニバナボロギクの綿毛はふんわかと柔らかな感触は大好きだ。野草で綿毛の代表はタンポポだが、球状になった綿毛をそっとつまんでみると案外にも針のような種子の足に弾力性がある。オキナグサの長い綿毛も幼いころ頬っぺを膨らしてふーっと吹いて遊んだものだ。
 ベニバナボロギクの綿毛をそっと指で触れても綿毛はすぐに風には乗らないで、柔らかな優し気な感触はしばらく指先にまとわりつく。息を吹きかけてもタンポポのように一気に旅に出ようとしないで綿毛が小さな束を作り根元に落ちていく。それにしてもこのふんわりした柔らかさは極上だ。
 ボロギクさんは、原産がアフリカとのこと。ベニバナの呼び名は赤い色だから納得いくがボロギクとなぜ呼ぶのだろうか。真白な綿毛がボロ布をまとっているようだと言うのだろうか。それでは、ベニバナボロギクさんが気の毒だ。淡い赤い色した花はぱっと開くことはなく気恥ずかしそうに咲いている。愛(いと)しい人でも密かに待っているかのように。
    恋しやとボロギク咲きて野昏れゆく(はしちゃんの句)より
          

日照り雨 (はしちゃんの詩)より

2012年09月25日 18時57分17秒 | 

青く澄んだ空が
あんまり高いので
畑のコスモスが
「気持ちいいね」と
風に語りかけながら笑ってるよ
ふふふふ ふふふふ

突然
青い空から日照り雨が降って来た
雨粒が花びら目がけて
軽快に飛び跳ねる
畑のコスモスたちが
肩寄せあって
いっせいに笑い始めたよ
くすくす くすくす

おーい 大丈夫かー

2012年09月24日 18時29分17秒 | 日記 

 カラスウリのツルが天高く登り続けている。毎年このヒノキの大木はこのカラスウリに宿られてしまう。白い花盛りの時期はそれなりに見応えもある。ウリの実が橙色に熟れる頃はもう冬の木枯らしが騒いでいることだろう。「おーい何処まで登るんだー」と大声でカラスウリに問いたくなる。朝晩は寒くなったが日中は暖かいので止めどもなく伸びているようだ。
 カラスウリ自身ももう伸びる事に疲れては居まいか。いやいや、霜に弱いカラスウリの葉っぱは許される限り今のうちに成長しておきたいのだろう。焦っているのだろうか。それとも自然の成り行きに任せてゆったりと構えているのだろうか。それにしても生命力の旺盛な事よ。
     余念なくぶらさがるなり烏瓜 夏目漱石
     行く秋のぶらさがりけり烏瓜 正岡子規
 二つの句は明治時代に詠まれた句だが、漱石や子規も烏瓜を仰ぎ見ていたのかと思うとたいへん失礼ながら親しみをおぼえてしまう。 

こんぺいとう

2012年09月22日 17時51分23秒 | 日記 

 我が里山ではこの野草の花を『コンペイ糖』と昔から呼んでいた。当時は今のように菓子類が豊富でなかった。コンペイ糖やチャイナマーブル、グリコキャラメルなどは憧れの菓子だったと記憶する。道端のこの野草の花がこんぺいとうに似ていたので、「おい、こんぺいとうだ。ほら、こんぺいとうよ」と呼ぶようになったのかも知れない。
 私も恥ずかしながらこの歳になるまで「こんぺいとう」でまかり通ると思っていたが、よくよく調べてみるとタデ科のミゾソバと命名されていた。これにそっくりの「ママコシリヌグイ」があるが実は最初は観察不足でミゾソバではなくママコシリヌグイだと思っていた。この呼び名を目にした時は気落ちしたものだ。桃色の丸みおびた星形の甘そうなコンペイ糖のような花がママコシリヌグイだなんて「なぜ?」。
 ミゾソバにそっくりのママコシリヌグイがどうしてそんな名前を戴いてしまったのか調べてみると、茎に下向きの刺がびっしり付いていて、ママ母(継母)が我が子でない子の尻をトイレットペーパー代わりの刺いっぱいの茎で拭いていじめたとのこと。 散歩のおり、そっくりの二つの野草を手に取り見比べると確かに刺のあるママコシリヌグイと刺がほとんどないミゾソバが仲良く秋を彩っていた。