ロック : 酒 車そして女

好きな音楽や本、映画などについてのエッセイ

アングロサクソンてすごいのかも ニュージーランド偏見感想

2011-06-23 22:49:13 | Weblog
 少し前のことになるがニュージーランドに行ってきた。なんで行ったのかは、ここでは書けないが、10日ほどいてアングロサクソンというかイギリス人のすごさがよく分かった。
 南島の少し大きな街へ行ったのだが、街がすごくきれい。日本人のある女の子はこの街を見て「私はこの景色を見るために、今まで生きてきたのかもしれない」と日記に書いたそうな。僕は、この表現を軽い表現だとか、海外旅行で舞い上がっている言葉だとは思わない。本当にそう感じるのだ。僕も「俺はこの景色を見るために、これまで仕事してきたのかもしれない」と思ったので。
 僕がそう思ったのは、街の真ん中のでっかい芝生の公園を歩いているときだった。公園からは、ヨーロッパ風の街並みが見えて、夕日が差していた。空気が乾燥しているので、夕日は完璧にクリアで公園の樹木とか家々とか一緒に歩いていた同僚とかが金色に輝いていた。
 この夕日で、僕がなぜそこまで感動したのかは、これ以上の説明は難しい。
 しかし、イギリスから離れた南半球の小さな島に、こんな街を作るということに敬服した部分は少しあるかもしれない。でっかい芝生の公園とか、ヨーロッパ風のきれいな街並みは、簡単に作れるものじゃないと思う。技術や金の問題ではなく、思想とか生理的な感覚の問題なのではないかと思う。
 イギリス人は多分、街の真ん中にでっかい芝生の公園がないと、なんとも落ち着かないのだろう。街並みはきれいじゃないと許せないのかもしれない。
 同じ南半球の南米と比べるとニュージーランドのすごさがよく分かる。僕の浅い理解では、スペイン人とかポルトガル人は一応、母国と同じようなスタイルの街を作ろうとするが、どうも完璧ではなく、なんかよくわからないが原住民の文化と入り混じってぐっちゃぐちゃな国を作ってしまうみたい。
 フィリピンもぐっちゃぐちゃな国だけど、それはスペイン人のせいなのかもしれない。フィリピンはちょっとスペイン風で、一番最近の宗主国がアメリカだったため、「アメリカの51番目の州」と言う人もいるが、それは違うと思う。中途半端に英語を習っていることもあり、なんかアイデンティティーがなくて残念な国である。
 フィリピンに近いグアムは、住んでいる人はフィリピンと似ているのに、景色はアメリカの西海岸に近い。住んでいる人たちは、何をなりわいとしているのはは知らないけど、けっこういいアメ車とか日本車に乗っている。グアムで一番、おっと思ったのは、田舎の道路で現地の作業員が道端の芝生を刈っているのを見たとき。「こんな田舎道でも芝じゃないと、納得いかないんですか??」と思った。きっとそうなんだろう。隣のフィリピンだと雑草がぼうぼうで、ごみがあちこちに落ちているはずだ。
 このケースを日本人にあてはめるなら、日本人は多分、歩道を作って道路と歩道の間に高さ10センチほどのコンクリートブロックを並べるだろう。電柱を建てて、マクドナルドが出店するのは当然として、ヤマダ電機とかイオンとか吉野家とか無粋な外観のお店をばんばん建てているはずだ。
 自分たちが気に入った、あるいは商業的な競争の結果による街を作ってしまうのは当然なのかもしれないが、ニュージーランドに関しては、どうも美を追求しているように見えた。普通に南半球の島を占領して、ごく普通の感覚で自国化していった結果なら、もっとすごい。
 
 

One hundred days after the earth quake and tsunami

2011-06-20 00:07:26 | Weblog
 This weekend,I went to the devastated area of eastern Tohoku such as Minami-sanriku-cho,Kesen-numa-shi,where the earth quake and tsunami hit, with my friend driving my car.
 It was not for my job,but I just went there because I just wanted to see it as a Japanese. If you say that it was a sightseeing,I would admit that it was,but I just wanted to see it.
 The circumstance to the deserter area was worse than I expected, and seeing the site, I couldn't find any other words except "devastating".
  I think ,however,I could understand something I had never learned from newspaper and TV. I guess some media reports have not mentioned this clearly: As far as I could see, the eastern coast of Tohoku ,where the altitude was under four or five meters and also located within one or two kilometers from the seaside ,were all destroyed by Tsunami. I guess all the coast ,for about a few hundred kilometers, are the same as some towns I saw.
  However,the other places were still beautiful Japanese countryside which seemed like nothing had happened. Some meters of the difference of location sometimes divided the disaster area and non disaster area. Some houses on the seashore remained without any damage beside the mountain of debris. It was strange sight.
It seemed the downtown area of Sendai was almost not "wounded".


photo:near the sendai air port



 土日と東北の南三陸町と気仙沼市など地震被災地に友人と二人で車で行ってきました。仕事ではなく、ただ見に行っただけ。観光と言われれば、それまでなんだが、日本人としてどうしても見たかったので。
 被災地の状況は想像を超えており、「悲惨」という言葉しかない。しかし、新聞やテレビを見るだけでは、絶対分からないことを見たような気もします。
 報道では、あいまいになっていると思うのだが、東北の海岸線は僕が見た限り、標高が数メートル以下で海から1、2キロ程度の地域はほとんど壊滅状態。こんな感じの状況がおそらく300キロの海岸線に渡って続くのだがら、とほうもない被害である。しかし、それ以外の場所、それは距離にしてわずか数メートルの差のこともあるが、そこは美しい日本の農村が、何事もなかったかのように広がる。残骸の山の横に、民家が無事建っていて、それは不思議な光景だったりする。また、仙台の街中は、ほとんど無傷でした。

写真は仙台空港付近


aaaaa

2009-04-16 16:00:40 | Weblog
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ハイスクール ミュージカル High School Musical アメリカはよくわかんない

2009-02-13 02:49:35 | Weblog
 子供たちに人気のハイスクールミュージカル ザ ムービー観てきました。
 まあまあ、楽しめた。しかし、これはテレビ版の1を見ないとよくわからんと思う。それにだなあ、1にはアメリカっぽい問題を克服するという課題があって、その過程が面白かったんだが、3というか映画までいくと、人気にのっかったまんねり感がいなめない。
 ずいぶん昔のことだが、英語教育のワークショップみたいなところで、アシスタント イングリッシュ ティーチャー(ALT)が興味深いことを言っていた。
 日本の高校では、英語を教えていても、生徒なおとなしいというか、のってこないらしい。で、その人は「アスリート(運動選手=運動部の連中)と仲良くなって、授業に引き込めば盛り上がる」というようなことを言っていた。まあ、実際のところ、事実なんだろうが、この人は日本の高校を誤解していると思った。
 別のアメリカ人は、アメリカの高校にはアスリートとギーク(geek=ガリ勉、オタク)とロッカーの3種類しかいなくて、それぞれ固まっているという。
 日本の高校生は、だいたい学力で行く高校を決めるから、同じような立場の子供が集まることが多い。おれが通っていた高校は地域で難関だったので、アスリートもロッカーもギークという点では共通なんで、みんな仲良かった。
 おれはアメリカの高校のこと知らないけど、3種類しかいないんだったら、授業を盛り上げるために運動部の連中を刺激するというアメリカ人の先生の理屈が分かってくる。
 以上の状況をふまえないと、ハイスクールミュージカルの面白さはわからんと思う。また、はっきりと描かれていないが人種の問題もある。
 白人でバスケのエース(白人、アスリートの王子様)のトロイと、いろんな人種の血が混じっていて理数系の天才(有色人種、ギークのお姫様)のガブリエラの恋に、シャーペイという白人で金持ちの美女が横槍を入れるという図式は、日本人的には単なる3角関係なんだけど、アメリカ人的にはかなりヤバイ雰囲気があるんだろうなあ。
 アスリート対ギークあるいはナード(Nerd=まぬけ、オタク)の構図が知りたい方は昔の映画だけどCan't buy me loveもお勧め。
意図的にせよ無意識にせよ、こんな映画を作ってアメリカ人は社会をまとめようという意識が働いていると思われる。日本も最近は移民が増えてきたんで、ネイティブ日本人の王子様とブラジル系あるいはパキスタン系のお姫様の恋を描くような映画を作らなければならなくなるような時代がくるかも。
 

老兵は死なず、ただ消え去るのみ 本当の意味

2009-02-08 01:14:05 | Weblog
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
この不可思議な言葉の意味を調べていたら、とうとう源流にたどりついてしまった。
日本語でネット検索しても、みつからんので、本邦初公開?とも思うのだが。
まず、以下のサイトを見てほしい。
http://www.phrases.org.uk/bulletin_board/12/messages/859.html

これは日本のgooの「教えて」みたいな感じなんだが、アメリカ(なのかな?)でも同じ疑問を持っている人がいるみたいで、アメリカのある学校の碑文には「old teachers never die; they just lose their class」と書かれている。
つまり「老師は死なず、クラスを失うのみ」。
英語の世界では、このような言い方がけっこうあるらしい。
「老いた学長は死なず、学部を失うだけ」という言い方もあるようだ。
で、誰かが「old soldiers never die: they simply fade away' has been extracted from the British Army's C20 parody of the song 'Kind Thoughts Can Never Die'」と回答している。
「『老兵は死なず、ただ消え去るのみ』は『善意は死なず』という歌のイギリス軍のパロディー」とのこと。
じゃあ『善意は死なず』とはなんだろう?となるんだけど、
http://library.timelesstruths.org/music/Kind_Words_Can_Never_Die/

本当のオリジナルは「Kind words can never die」らしい。



Kind words can never die; cherished and blest,
God knows how deep they lie, stored in the breast;
Like childhood’s simple rhymes, said o’er a thousand times,
Go through all years and climes, the heart to cheer.

Kind words can never die, never die, never die;
Kind words can never die, no, never die.

Sweet thoughts can never die, though, like the flow’rs,
Their brightest hues may fly in wintry hours;
But when the gentle dew gives them their charms anew,
With many an added hue they bloom again.

Sweet thoughts can never die, never die, never die;
Sweet thoughts can never die, no, never die.
Our souls can never die, though in the tomb
We all may have to lie, wrapped in its gloom;
What though the flesh decay, souls pass in peace away,
Live though eternal day, with Christ above.

Our souls can never die, never die, never die;
Our souls can never die, no, never die.


作者はAbby Hutchinson Pattonという19世紀のアメリカの女性。ネット検索してもほとんど、でてこないんだが、以下のサイトによると

http://www.geocities.com/unclesamsfarm/abby.htm

彼女はアメリカのボストンあたりで活躍していた音楽一家の一人のようだ。アメリカのウィキでも検索できないから、非常にマイナーな人なのかも。
アメリカ人の歌がイギリス軍でパロディーになって、アメリカに戻ってきたの?一気にわけわかんなくなってきた。
 ただ、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」というフレーズの「ただ消え去るのみ」の部分は確かにパロディーのようだ。
Kind words can never dieの歌詞の場合は、「善意は死なず。善意は死なず」という感じで物事に対して肯定的なリフレインがあるだけで、「消え去るのみ」がない。
Old soldiers never dieは、元歌のままだったら、「老兵は決して死なない。死なない。死なない。決して死なない」とすべきだ。
最後の部分を「消え去るのみ」したのには論理的な意味はなくて、言葉遊びというか自虐的な冗談なのかも。
 だから、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という意味があいまいな訳をそのまま、理解するのが正しいのではないかと思えてきた。

老兵は死なず、ただ消え去るのみ

2009-02-07 02:30:08 | Weblog
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」
これはダグラス・マッカーサーの言葉なんだけど、あることをきっかけに妙に気になってしまった。まあ、あることというのは、私の属するある団体の権力抗争みたいなもんかな。コップの中の嵐みたいなもんで、つまらん話である。
で、誰かが「老兵は消え去るのみ」とぼそっと言った。
 「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という日本語は、なんとなくかっこいい。しかし、なんだろう、よく意味が分からん。

マッカーサーは1951年4月19日、米国議会で退任のあいさつをする。下のサイトで英語全文が読め、肉声も聞ける

http://www.americanrhetoric.com/speeches/douglasmacarthurfarewelladdress.htm
 スピーチの最後に彼は次のように語る

I am closing my 52 years of military service. When I joined the Army, even before the turn of the century, it was the fulfillment of all of my boyish hopes and dreams. The world has turned over many times since I took the oath on the plain at West Point, and the hopes and dreams have long since vanished, but I still remember the refrain of one of the most popular barrack ballads of that day which proclaimed most proudly that "old soldiers never die; they just fade away."

And like the old soldier of that ballad, I now close my military career and just fade away, an old soldier who tried to do his duty as God gave him the light to see that duty.

Good Bye.


つまり「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」は彼が軍に入ったときに流行っていた軍歌のサビの部分らしい。
で、その軍歌とはどういうものか

http://www.youtube.com/watch?v=YQLd18y0X70
http://www.youtube.com/watch?v=uyDldGPTDNQ&feature=related

歌っているのはVaughn Monroe。1951年のヒット曲らしい。おれはこの人知らなかったんだけど、クリスマスの時期に流れるLet it snowの甘い声の人だと聞けば、世界中の人が分かるかも。ただし、この歌詞はマッカーサーのスピーチ以降に作られたものであると考えられる。というのは、この歌詞には
Washington and Grant and Lee
Were all tried and true
Eisenhouwer,Bradley and McCarthur too
(ワシントンやグラント、リーは信頼できる。
アイゼンハワー、ブラッドリー、マッカーサーもだ)
とあるからだ。
youtubeと少し違う歌詞が以下のサイトに載っている。これがオリジナルなのかもしれない。

http://www.traditionalmusic.co.uk/song-midis/Old_Soldiers_Never_Die.htm


脚注によると、この曲はマッカーサーの退任スピーチで引用され、有名になったとある。


Old Soldiers Never Die

There is an old cookhouse, far far away
Where we get pork and beans, three times a day.
Beefsteak we never see, damn-all sugar for our tea
And we are gradually fading away.

cho: Old soldiers never die,
Never die, never die,
Old soldiers never die
They just fade away.

Privates they love their beer, 'most every day.
Corporals, they love their stripes, that's what they say.
Sergeants they love to drill. Guess them bastards always will
So we drill and drill until we fade away.

老兵は死なず(訳)

遠い遠いところに古い調理場がある
俺らは一日に3回、ポーク・アンド・ビーンズを食べる
ビーフステーキなんて見たことない。紅茶には砂糖が入ってない
で、俺らは少しずつ消え去っていくのだ

老兵は死なず
死なない、死なない
消え去るのみ

二等兵は毎日ビールを飲むのが好き
伍長は袖章(階級章)が好き。とは彼らが言っていること
軍曹たちは訓練が好き。だって奴らはいつもやりたがるじゃないか。
だから、俺らは訓練、訓練、いなくなるまでね。

老兵は死なず
死なない、死なない
消え去るのみ

(old cookhouseは調理場と訳したが、士官学校または、戦場のことなのかも)

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」は言葉として、定着している感があるので、そのままとしたが、その意味とは
1 ベテラン兵は死んだが、記憶に残る
2 ベテラン兵の魂は永遠だ
という感じの意味なのかもしれない
ただ、マッカーサーのスピーチの印象では
「私はいま現役を引退して、去っていくが、私の心はいつまでも兵士である」
ととらえるのが正しいのではないかと思う。


強欲資本主義 ウォール街の自爆 (文春新書)

2008-10-24 05:20:30 | Weblog
「強欲資本主義 ウォール街の自爆」 (神谷秀樹、文春新書) という本を読みました。
金融危機で、私の投資信託はまじでやばい。
200万円ほど投資しているのだが、今は半減しかねない勢いだ。
愚かな投資家は「高い時に買って、安い時に売る」という言い方があるらしいが、今の私はそんな感じ。で、今、いろいろと勉強しているんだけど、もっと前から勉強して、考えた上で投資信託を買えばよかった。
 グアムに行っている場合ではなかったのかもしれない。
 100年に一度とも言われる経済の大事件を目の当たりにしながら、自分の投資がどうなっているのか新聞の投資信託欄を見ながら一喜一憂しているというか憂、憂、憂だ。しかし、あの金はもともとなかったのだと思い込めば、世紀の大事件を眺めているのも楽しいもんである。
 
 最近の新書は軽いと以前書いたが、この新書も軽い。すぐ読めるというネガティブな意味もあるけど、フットワークの「軽さ」も感じる。
 情報が非常に新しく、いったいいつ書いたのさ?という感じ。発行日は10月20日になっているんですが、つい1週間前に新聞に載っていたようなことまで書いてある。おそらく、著者に数人のライターがインタビューし、原稿を書き、裏づけとなるデータなどを集めて、著者が一読して推敲してOKみたいな感じなんでしょうか?そうじゃないと、こんなスピードで出版できないでしょ。
 なんだか、新書とはNHKスペシャルなどのように報道番組的なものになっているのかも。
 この本を読んで、ウォール街というものがいかに強欲でねじまがっている所なのか分かったような気がする。そのおかしさというのは、日本のバブルと似ている。
 私は今持っている投資信託は、あと何年か持っていれば元に戻るという期待を捨てきれないのだが、本書を読むと期待のすべてが否定されそうだ。私が持っているのは米国を中心とする国債と株の投資信託。基軸通貨のドルが弱くなれば、どう考えても元に戻ることは考えにくい。私と同じ悩みを持っている人は世界中にいるんで、世界は「米国」を今後、必死に延命しようとするだろう。AIGがでかすぎてつぶせないという理由で救済されたように、アメリカもまた救済せざるを得ないということになると思うのだが、その先に何があるのか?
 私はポストモダンという、今では「死語」になっているのかもしれない概念について、真剣に考えるべきだと思う。
 この本と同時進行で読んでいるのは、岩波の「大恐慌のアメリカ」(1988)という新書。この本は1988年なんで、当時の日本のバブルを警告しているんだが、今となっては、世の中これからどうなるのか、という意味で面白い。
 1929年にアメリカのバブルがはじけて、米国の株価が最低になったのは1932年である。3年かかった。それからニューディール政策とか、ブロック経済とかあって、日本とドイツは軍国主義へ向かって、第二次大戦となり。。。。それでようやく米国の株価がようやく元に戻ったという話だ。
 今、マスコミでも、過去のパターンに照らし合わせて、「ニューディール」「大戦」と同等の経済刺激策があるかどうかみたいな論調が見られる。
 私は日本が戦争した理由がようやく分かってきたような気がする。
 
 

グアム 横井庄一さん

2008-10-18 05:06:52 | Weblog
グアム旅行へ行く前に、子供のころテレビニュースで見た様な気がする横井庄一さんの本が読みたかった。うちの近所の図書館は、不思議な図書館で、私が訪ねると閉館していることが多く、借りることができなかった。だいたい、いつ開館しているのかと、市長に抗議したいくらいだ。
 で、帰国してから「明日への道 全報告グアム島孤独の28年」(横井庄一、文芸春秋、1974)を読んだ。
 グアムでは一応、車で島を一周してみたので、地理的な記述がよく理解できた。
 子供のころ、横井さんはジャングルの奥地で一人取り残され、日本兵や現地人との接触もなく、戦争が終わったことも知らず、草とか虫とか食べて生き延びたんだろうと想像していた。
 私の想像は極端ではなくて、そんな印象を持っている日本人は多いのではないかと思う。元朝日新聞の記者で、当時、横井さん発見を取材した森本哲郎氏は「「私」のいる文章」(新潮文庫、1976年)で似たようなことを書いている。
 森本氏は他社の取材陣とともに、ジャングルを分け入って横井さんが住んでいた洞窟までたどりついたのだが、洞窟のそばの竹やぶを抜けてみたら、6キロ先にアパートのような建物や人家が見えたのでびっくりしたという。「人家のこんな近くで、よくもまあ28年間も見つからずにかくれていることができたもんだ」。
 このアパートや人家は、取材陣のみんなが見たのだが、記事に書いたのは森本氏だけだったという。ほかの記者たちはおそらく「イメージに合わない」という理由、もしくは思い込みで書かなかった。「人家が近い」という記述は一種のスクープになり、他社の記者の中には翌日しかられた人もいたとか。
 私がグアムをドライブした印象では、グアムはすごく狭い。淡路島の大きさしかない。
 当時、横井さんは中隊規模で転戦していて、米軍上陸後は小隊規模で米軍の掃蕩作戦と戦っていた。終戦ごろは7人ほどの仲間と移動し、米軍や現地人の兵におびえていたらしい。終戦は米軍の投降の呼びかけなどで、信じる信じないは別として知ってはいた。現地人が飼っている牛や豚を襲って食べたり、ウナギや川エビを獲ったりして飢えをしのぎ、絶えず現地人からの銃撃を恐れて「引越し」を繰り返していた。
仲間はいつしか3人となり、最後は1人だけとなり28年がすぎた。

 この本を読むと、投降はいつでもできたのだが、戦陣訓をかたくなに守ろうとする横井さんの苦悩がひしひしと伝わる。「生きて虜囚の辱めを受けず」が、孤独な28年の理由らしい。
 こんな戦陣訓のために、多くの日本人が玉砕や自決に追い込まれている。今の感覚では信じられない。
 私の考えでは、こんな思想は日本の伝統ではないし、武士道でもない。戦国の武将は簡単に寝返ったりしてる。日本人は伝統的に「ゆるい戦争」をしていた。
 それが、近代化の過程で、過去の「伝統」を忘れ、こんなおかしな思想が「伝統」になってしまった。
 さらに、日本は遅れてきた近代国家なので、ヨーロッパの国が戦争をしまくって作り上げてきた戦争のルールをよく理解していなかった。つまり「捕虜」や「被占領」の意味とか、その結果どうなるとかイメージできなかった。イメージできないから、沖縄戦やヒロシマ・ナガサキ、日本各地の空襲といった悲劇を招いたとしか思えない。
 
 
 
 
 

奇妙なグアム

2008-10-18 03:45:12 | Weblog
最近、グアムへ行ってきました。
海外行くと、気持ちがリフレッシュします。「アメリカ最高、土地がひろーいー」(アメリカ国歌のふしで読んでね)。まあ、グアムは淡路島の大きさしかないんだが。

グアムは変な所だ。違和感というかキモさというか不思議さが、帰ってきてひどい二日酔いのように尾を引いている。
二つの違和感がある。
まず、タモンというホテルが20軒ほど集中しているストリートを歩いている人の99%ぐらいが日本人。かなり日本語通じるから、みんな日本にいるみたいな顔で、外国にいるという緊張感がない。例えていうなら、ディズニーランドの横にあるディズニー・シーみたいな感じ。南国グアムというテーマパークがあって、客は日本人、ホテルや店の従業員は異国情緒を出すため、もしくは賃金が安いため外国人を使っているような。 「どこ行っても日本人だらけ」という外国の観光地を日本人の多くは嫌う。それは「当然の感情」と言えるかもしれないが、その理由の根源はなんだろうか?と考えた。
もう一つは、グアムが完璧にアメリカナイズしていることだ。グアムはアメリカ領土(正確には未編入領土)であり、アメリカ本土の匂いがする。島をドライブすると、カリフォルニアで見たような光景が広がり、スーパーはアメリカの「物」であふれている。現地人はかなり怪しい英語を話す人が多いのだが(そんな人はフィリピンあたりからの移民なのかも)、完璧にアメリカ人のような英語を話す人もいる(詳しい事情は分からないが)。
グアムはアメリカの辺境であり、地理的にはほとんどフィリピンである。
私はフィリピンに行ったことがある。フィリピン人は自国のことを、「アメリカの51番目の州だ」と卑下することもあるらしいが、まったくアメリカ的ではない。緯度がほぼ同じ二つの土地が、支配国が違うだけでなぜ、こんなにも違うのか?例えば、フィリピンの田舎道は草ぼうぼうでゴミだらけだが、グアムはどこでも道路脇の草はきれいに刈り取られている。観光で潤い、草を刈る財政的な余裕があるというより、文化とか思想の違いなんじゃないかと思う。

二つの違和感を結びつけるのは、多分「占領」という言葉。
グアムに行く前に「グアムと日本人 戦争を埋め立てた楽園」(山口誠、岩波新書、2007)を読んだ。
グアムは太平洋戦争開戦直後から2年あまりに渡って、日本が支配していたことがある。1960年代後半から、日本人観光客を誘致したため、日本人であふれる今のグアムがあるということなどを説明している。この本は勉強になったんだが、実際にグアムに行ってみて思うに、ある国がある国や地域を支配することの「すごさ」という視点に欠けていると思う。
ホテル街が日本人ばかりなのは、経済的な「占領」。グアムがアメリカなのは政治的・軍事的な「占領」。
そして、私がその両方に違和感を覚えるのは、今の日本人は「占領」に慣れていないからなんだろう。
「グアムと日本人 戦争を埋め立てた楽園」で説明されているように、グアムはかつて日本的に大宮島(おおみやじま)と呼ばれていた。グアムだけじゃなくて、朝鮮半島、台湾、満州も日本の支配下だった。
日本の支配地へ行って日本語が通じれば、便利だし、かつての日本人は喜んでいたのかもしれない。
しかし、グアムの繁華街で日本語があふれていることに私は非常な違和感を覚える。多分、戦後60年の間に、日本人の感覚は大きく変わったんだろう。その正体はわからない。
逆の見方をすれば、ここまで街を日本化して日本人を歓待するグアムは奇妙だ。推測だが、世界中のどこでも、できれば英語で話したがるようなアメリカ人を見てきたグアムの人は、日本人も同じ感覚だと思っているのかもしれない。もし、この文章をグアムの人が読んでくれたら、日本人の多くは日本的なるものが及ばない「どこか」にあこがれていると知ってほしいです。

 


山頭火句集

2008-09-03 02:34:48 | Weblog
 種田山頭火の名前は以前から知っていたんだけど、句集を買ってみようと思ったのはなぜなんだろう。意外とオッサンになってから世に出た人であったり、意外と最近の人で(1882-1940)日本がいわゆる軍国主義に向かう時代に放浪の旅に出ていたからかもしれない。
 この本によれば、山頭火が行乞放浪の旅に出たのは大正15年(1926)44歳のときで「分け入つても分け入つても青い山」と詠んだ。ここまで書いて思い出したんだが、俺がこの句と出会ったのは、15年以上前、新婚旅行でジャマイカに行ったときである。ジャマイカといえばブルーマウンテンコーヒーなので、帰国後、知人にどうでした?と言われたら「分け入っても分け入ってもブルーマウンテン」と面白くないだじゃれをかましていたんだった。
 俺は当時、レゲエにはまっていて、だから新婚旅行では一番行きたい国ジャマイカに行ったんだけど、ジャマイカにはレゲエはなかった。いろいろな出来事はあったんだけど、簡単に言えば、ジャマイカで聴けるのはホテルで観光客用に演奏するムード音楽的なレゲエだけだ。このことでジャマイカを非難するのは不公平というものだろう。だって日本だって、本物の相撲とか歌舞伎、舞妓はんなんて日本人でも実際に観たことない人がほとんどだし、見るには計画と金がいる。
 とはいえ、俺はジャマイカでは一人ハイになってしまい「酒、酒、酒、歌、歌、歌、踊り、踊り、踊り」という感じで、妻は非常につまらなかったらしい。人生で一番楽しい可能性が高い新婚旅行が「つまらなかった」のであれば、俺も罪深いことをしたものである。
 脱線したが、「酒、酒、酒、歌、歌、歌、踊り、踊り、踊り」というのは山頭火の文章の真似だ。
 彼は「酒、酒、酒、花、花、花、そして女、女、女」と書いて、銀座で遊んでいたり、伊豆あたりで一升瓶を抱えていたりする。
 そして「うしろすがたのしぐれてゆくか」「鉄鉢の中へも霰」という寂寥感に満ちた句を詠む。
 山頭火は孤独な放浪の旅をしていたのだが、旅する前に俳句仲間に手紙を出していて、各地で句会を開いて酒色のもてなしを受けている。山頭火の一般的な評価は俺は知らないが、彼の旅は今でいうところのロック歌手のツアーに近いんじゃないかというのが、俺が彼の評伝を読んだ印象だ。こういうことを言っている人は他にもいるのかなあ?しかし、こういう見方をしないと彼の本質が分からないような気がする。
 昔の芸術家は今では、孤高な感じがするのだが、それって実際のところはどうなんだろう。岡本太郎はラジオで「実験的な茶会」を開いていて、俺が見た美術館での解説では、さも崇高なことをしたように書いてあったが、今でいうところのテレビのバラエティー番組の印象が強い。有島武郎は軽井沢で「婦人公論」 記者の波多野秋子と心中したけど、当時の新聞報道の見出しのすごさをみると、現在の有名俳優が有名女子アナと自殺したと置き換えた方が正しく理解できるのではないかと思う。
 
 

科学者の9割は地球温暖化CO2犯人説はウソだと知っている

2008-08-30 03:12:57 | Weblog
科学者の9割は地球温暖化CO2犯人説はウソだと知っている [宝島社新書] (宝島社新書 275) (新書)丸山茂徳 (著)

という本を最近読みました。最近は新書はブームなんだけど、昔に比べて新書は軽い本が多いと思います。
今夜、ひまだなあ、ビール飲みながら新書でも読むか、みたいなノリで3時間ほどで読めてしまうのが多い。

 本書も同じような傾向の本ですが、かなり目のうろこがとれたような気がします。
 「温暖化ガス」は二酸化炭素よりも水蒸気の方がはるかに温暖化ガスであるという話ははっとした。
 地球は温暖化に向かうというより、長い歴史のサイクルからいって、これからは寒冷化に向かうとする説も説得力がある。
 僕の記憶では、僕が子供のころ学研なんかの科学雑誌には、これから地球は寒冷化するというようなことが書いてあった。そんな記述を読んで、子供ながら将来に対して不安を抱いていたのですが、その根拠とは著者の言う太陽の黒点の数の周期などに原因があったのかと今になって合点がいった。
 著者は中国の王朝の交代と、地球の気温の変化の周期がかなり一致していると主張している(どこまで信憑性が高いのか不明だが)。著者によれば、地球が寒冷化に向かうとき、中国では王朝が変わるケースが多い。寒冷化になると、飢饉が起こり、社会が不安定になるからだと思われる。
 おおざっぱに言えば、例えば農民が餓死寸前の時、「おお神よ」と天をあおぐかもしれない。著者の説をふくらませれば、神とは実は「太陽活動の変化」だとも言える。その昔、太陽神をあがめる人たちがいたが、的はずれではなかったのかもしれない。

 この本の前半部分はアカデミックな好奇心に満ちているが、後半で「じゃどうするの」という話になると、いきなり米国を中心とした「世界政府を樹立せよ」みたいな話になってわけがわからなくなる。著者は地球惑星科学の専門家らしいけど、専門の話だけしてれば面白いのに、政治の話になると中学生の弁論大会みたいになる。
 俺も中学生のころは、ノストラダムスの預言を信じていて、30歳くらいになるとみんな死ぬと思っていた。それが今でも生きている。

 温暖化問題は真剣に考えないといけない。もし寒冷化に向かうとしても、今のような石油をじゃぶじゃぶと使うような社会は誰もがおかしいと思っている。そのためにも脱石油社会をつくろう。これは正論だと思う。
 しかし、日本という国は常に不安を抱えていた。日本に不安がなかった時代なんてない。日本という国は不安をエネルギーにしているんじゃないかと思うくらいだ。
 俺が体験した不安では、オイルショック、冷戦、ソ連、核爆弾、原子力発電の危険性、冷戦の崩壊、バブル崩壊、9.11、中国の台頭、温暖化。。。。
 マスコミは常に新しいものを探すから、新しい不安を発掘して、激しい議論が起きて、議論が膠着すると、また新しい不安を探す。本当に議論すべきものは、人に飽きられても議論すべきだが、飽きられるといつしかその「不安」は表舞台から消えていく。問題が解決された場合もあれば、日本の財政赤字のように人に忘れられても、どんどん危機的になっていくものもある。
 
 

血と暴力の国(ノー カントリー)

2008-07-22 04:31:40 | Weblog
 映画の「ノー カントリー」があまりに素晴らしかったので、原作を読んでみた。
 原作は「血と暴力の国」というタイトル(原題「No country for old men」)。
 原題の意味は「老人の住む国にあらず」と翻訳者が書いている。Not country for old menとしてくれた方が日本人には分かりやすいのではないかと思うが、そういうのはどうでもいいことだ。
 映画は面白いのだが、よくわからなくて、しかし観終わった後ずしりとした余韻があるという感じで、俺にとっては最高の映画だった。
 映画が最後、プチッと電器器具のコンセントを引き抜いたように終わったことについて賛否があるみたいだが、俺的にはこれもよかった。実は映画の最後の方で、トイレに行きたくてしょうがなくなって、早く終わってほっとしたのだった。
 そういう意味でも、もう一度じっくり観たい映画ではある。
 映画の最後の場面は老保安官の語りになるが、この語りの挿入が映画を分かりにくくしてて、唐突なイメージを与えるのだろう。
 ダウンタウンの松本の映画評(シネマ坊主3)だと、「本当はもっとわかりやすい話なのに、わかりにくくしましたね」ということになるんだけど、俺もそう思った。
 しかし、原作を読むと、この映画は原作に忠実に作っているということがわかった。
 この小説は通常の犯罪小説の文脈から逸脱している。
 「ヴェトナム帰還兵のモスは、メキシコ国境近くで、撃たれた車両と男たちを発見する。麻薬密売人の銃撃戦があったのだ。車には莫大な現金が残されていた。モスは覚悟を迫られる。金を持ち出せば、すべてが変わるだろう。。。モスを追って、危険な殺人者が動き出す。彼のあとには無残な死体が転がる。この非情な殺戮を追う老保安官ベル」(原作本の背表紙より)
 物語は1980年ごろ。このような舞台が設定されて、物語はどのように動くのか読者は引き付けられる。普通の物語だと、殺人者は最後には逮捕されるか、警察に射殺される。モスは大金を手に逃げ切れるかもしれないし、死ぬかもしれない。しかし、最後になんらかのカタルシスが用意されているのが通常の犯罪小説である。
 この小説にはカタルシスがない。モスはあっけなく殺され、「通常」なら死ななくてもいいはずの妻まで殺される。保安官は殺人者を追い詰めることもできず、逃げてしまい、殺人者は生き延びてしまう。ヒューマニズムを無視した展開だ。しかし世の中には、そういう事件も多いからリアルとも言えるのだろう。
 この小説には、物語の流れとクロスして保安官の過去をめぐる独白が挿入される。
 「縦糸に横糸をからめる」という程度の物語に厚みを加えるものではなく、実はこれこそが本流なのではないかというインパクトがある。
 保安官は第二次大戦中、ヨーロッパで従軍し勲章を受けた。実際はドイツ軍に砲撃されて、仲間は立てこもっていた民家の瓦礫に埋まってしまう。保安官は残っていた機関銃で多くのドイツ兵を射殺する(これで勲章を受けた)が、仲間を救出できず、夜になって敵の攻撃を恐れて逃げてしまう。仲間はどっちみち助けられなかったのだろうが、このことを後悔している。
 今回の事件は、過去と似たような状況もあり、保安官は何もできず、殺人者と直面できたかもしれない状況で「再び逃げてしまう」。これが、物語の重要なポイントであり、彼が保安官を辞めることを決断する理由ではある。
 しかし、このエピソードもこの小説では表面的なことにすぎず、深層的にもっと重要なのは、保安官の叔父の一人が第一次大戦に従軍してヨーロッパで17歳にして戦死したことにあるのではないかと思う。
 「ハロルドが海の向こうへ行ってどこかの塹壕で死んだことを思ってごらん。17歳だ。わかるなら教えておくれ。わしにはさっぱり分からない」
 アメリカという国は建国以来数々の戦争をしている。第一次大戦では保安官の叔父がヨーロッパで戦死。保安官も第二次大戦に従軍した。
 モスはベトナム戦争の帰還兵。そのため、銃器の取り扱いに詳しいし、殺人者とも銃撃戦をする能力がある。殺人者のアントン・シュガーは、小説では語られていないがベトナムに行ったことがあると思える。銃撃を受けた傷を、彼は自分の手で治療する。人を殺すことをなんとも思わない異常な性格は、ベトナムの戦場で精神が傷付けられたため、と解釈すれば納得できる。小説に出てくるもう一人の殺し屋も、ベトナムで仕官だったことになっている。
 国が戦争を続けるため、国民がおかしくなるというのは短絡的なものの見方かもしれないが、二つのことが言えると思う。
 近代の戦争では、徴兵で適齢の男が戦場に行かなければならないが、以前なら考えられないことだった。例えば、テキサスの田舎に住む17歳の若者がヨーロッパの塹壕で死ぬなどということは人類史上初めての異常なことだ。これは日本の戦争も同じで、日本のどこか田舎の若者が硫黄島で命を落とすのも同じ。この異常さを「通常」のことに変換したのが近代の国家である。
 もう一つ。戦争で人をたくさん殺せば英雄となるが、平時に人を殺せば犯罪者となる。この矛盾を国家や社会は「戦争」という定義や、国際法の手続きでもって解消してはいるが、実際の行為者にとっては同等のものであるかもしれない。
 シュガーなる殺人者がベトナムを経験しているならば、彼の無慈悲な殺人が理解できるかもしれない。彼にとって殺人とは、彼独自のルール従ったものであり、またあるいはコイントスの裏表の結果に従ったもので、一般的な価値観では理解しがたいが、彼にとって命とは戦場での命ほど軽い。
 作者は、この小説の一連の事件を内なる戦争ととらえている
 と書けば一応の結論づけになるんだろうが、この小説はもっと奥が深いように思える。
 
 
 

Radiohead: in rainbow

2008-01-27 23:57:43 | Weblog
Radioheadの新作いいですね。

最近、不思議な男に会いました。また、最近、イスラムに関する本を読んでいます。この二つがくっつくと、なぜかRadioheadに行ってしまう。なんか滅茶苦茶ですが。

 その男はヨーロッパの人で、私の女友達の友人。東京の居酒屋で会ったのですが、死人が息をして歩いているようなひどく顔色の悪い人だった。こういうことを書くと、私の素行が疑われそうですが、彼は本国ではかなりのヤク中らしい。顔色の悪さはそのせいか?
 「俺がやっていることは、ヤク、売春と、全部イリーガル(違法)」とビールを飲みながら不敵に笑う。そういう言い方をするなんて、「なんか、かっこいい」と少し思いました。
 しばらくして、彼は「俺の頭の中にはアメリカのチップが埋まっている」とか言い始めた。最初は冗談だと思ったのだが、彼の表情はまじめ。私がきょとんとしていると、私の友人が「いや、彼はそう思い込んでいるだけなのよ」と日本語でフォロー。彼は日本語が分からないので、我々の日本語の会話は彼にとっては暗号みたいなもんで、彼が英語で「ロシアがそのうち攻めてくるぞ」とか言っている間、我々日本人は精神分析をしていた。まあ、つまりなんらかの精神疾患ということなんだが。

 イスラムの教祖ムハンマドは40歳まで普通の人だった。メッカの山で瞑想していたら「アッラー」の声がきけるようになった。預言が妻をはじめ一族の間で評判になり、彼は小さな都市国家を指導し、その後あれこれあって教えは中東地域一帯に広がる。しかし、そもそも彼が聞いたのはいったい何なんだろう?現代的な解釈をするならば、「アメリカのチップ」論議とどれほど違うのかということになる。

 Radioheadの曲は、極論をすれば「ここはどこ?私は誰?」みたいな世界がテーマである。
 日本の作家の村上春樹が「海辺のカフカ」でRadioheadを出しているように、トム・ヨークも村上を読んでいて共感しているとインタビューで語っている。
 トム・ヨークは確か「ねじまき鳥クロニクル」のことを語っていたのだが、この小説では東京・世田谷の「穴」にこもった主人公が空間を越えて、ある男を「殺害」する。
 村上さんの小説ではこのような「不思議」な現象が多発する。私が知るところではこの「不思議」な現象そのものは直接議論されず、文学的には「現代人の心の不安」と解釈されているのかもしれない。
 トム・ヨークさんの歌詞やRadioheadの音楽の世界観も「底知れない孤独」とか「現代人の心の不安」といった言説でしか語られていないと思う。
 しかし、ある視点(と、ぼやかしておこう)に立つならば、それをリアルに感じる人が山ほどいるようで、今回、そのヨーロッパの男を目の当たりにして、トム・ヨークさんにしろ村上さんにしろ「あっちの世界の話と関係してるのかな?」と思ったのだった。
 


トレインスポッティング

2008-01-06 23:45:32 | Weblog
映画のトレインスポッティングが公開されたのは1996年。地元の場末のきったない映画館で観た記憶がある。当時、この映画はかなり話題になっていて俺もえらい感動したんだが、作品としての評価は今となっては少々疑問な部分もある。
しかし、このサントラは今でもたまに聴くし、素晴らしいと思う。

実は、このサントラを買うまで俺はロックをまったく聴いていなかった。
ロックを聴きだしたのは中学生のころからなんだが、大学を卒業したあたりからロックのミュージックシーンがつまらなく感じられた。で、俺はレゲエとかブラジリアン・ポップスやボサノバにはまってしまい、「英米の民族音楽」であるロック以外に豊穣な世界があったんだなみたいなことを考えていた。
それで、たまたま映画を観て、サントラを買ったんだが、あまりの格好良さにまたロックに戻ってきた。何がよかったのかうまく説明できないが、俺がロックというかポップスを無視している間に、なんというか世界の秩序とか社会構造がまったく変わってしまったことをこのアルバムは気付かせてくれたんだと思う。アンダーワールドのボーンスリッピーの衝撃はすごかった。感覚が麻痺してしまうような音楽で、その後、時間がたってから「なんでこんな音楽が生まれたんだろう」とか、「なんでこの音楽はカッコイイんだろう」と考えた。その結論は「イギリスは壊れている」。俺、なぜか壊れているものに興味があって、後追い的に90年以降のイギリス、アメリカのバンドのアルバムを買うようになって、俺がロックを無視していた間にかなりの数のいいバンドが出ていることが分かった。
 まあ、しかし、ずっとロックを聴いていたとしたらサントラを買ったような驚きはなかっただろう。

ストゥージス:ストゥージス

2008-01-06 23:11:43 | Weblog
以前、バンドをやっていたとき、メンバー集めに苦労した。
俺は社会人になってからロックが急にやりたくなり、俺自身が素人だったので、昔からバンドやっていたような人になめられた部分もあったのかも。しかも、オリジナル曲もやろうとなると、人それぞれ趣味が違うので、なかなかいい人が現れない。以前、誰かが「メンバーを集めるのは結婚相手をみつけるより難しい」と言っていたけど、俺の場合もそうだった。(まあ、場合によりけりなんだろうけど)

こんな経験があるので、このバンドのファーストアルバムがいかにすごいか良く分かる。3曲目のWe will fallという曲なんて「こんなのいったいどうやって作ったんだろう」という気がする。イギー・ポップが「こういう曲作ったんだ」とか言ったときのメンバーの反応とはどんなものだったんだろう?普通は引いてしまうと思うんだが、多分イギー・ポップは押し切ったんだろうな。アルバム全体にイギー・ポップのわがままがあったような印象を受けるし、こういうファーストアルバムを出したレコード会社もすごい。