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好きな音楽や本、映画などについてのエッセイ

強欲資本主義 ウォール街の自爆 (文春新書)

2008-10-24 05:20:30 | Weblog
「強欲資本主義 ウォール街の自爆」 (神谷秀樹、文春新書) という本を読みました。
金融危機で、私の投資信託はまじでやばい。
200万円ほど投資しているのだが、今は半減しかねない勢いだ。
愚かな投資家は「高い時に買って、安い時に売る」という言い方があるらしいが、今の私はそんな感じ。で、今、いろいろと勉強しているんだけど、もっと前から勉強して、考えた上で投資信託を買えばよかった。
 グアムに行っている場合ではなかったのかもしれない。
 100年に一度とも言われる経済の大事件を目の当たりにしながら、自分の投資がどうなっているのか新聞の投資信託欄を見ながら一喜一憂しているというか憂、憂、憂だ。しかし、あの金はもともとなかったのだと思い込めば、世紀の大事件を眺めているのも楽しいもんである。
 
 最近の新書は軽いと以前書いたが、この新書も軽い。すぐ読めるというネガティブな意味もあるけど、フットワークの「軽さ」も感じる。
 情報が非常に新しく、いったいいつ書いたのさ?という感じ。発行日は10月20日になっているんですが、つい1週間前に新聞に載っていたようなことまで書いてある。おそらく、著者に数人のライターがインタビューし、原稿を書き、裏づけとなるデータなどを集めて、著者が一読して推敲してOKみたいな感じなんでしょうか?そうじゃないと、こんなスピードで出版できないでしょ。
 なんだか、新書とはNHKスペシャルなどのように報道番組的なものになっているのかも。
 この本を読んで、ウォール街というものがいかに強欲でねじまがっている所なのか分かったような気がする。そのおかしさというのは、日本のバブルと似ている。
 私は今持っている投資信託は、あと何年か持っていれば元に戻るという期待を捨てきれないのだが、本書を読むと期待のすべてが否定されそうだ。私が持っているのは米国を中心とする国債と株の投資信託。基軸通貨のドルが弱くなれば、どう考えても元に戻ることは考えにくい。私と同じ悩みを持っている人は世界中にいるんで、世界は「米国」を今後、必死に延命しようとするだろう。AIGがでかすぎてつぶせないという理由で救済されたように、アメリカもまた救済せざるを得ないということになると思うのだが、その先に何があるのか?
 私はポストモダンという、今では「死語」になっているのかもしれない概念について、真剣に考えるべきだと思う。
 この本と同時進行で読んでいるのは、岩波の「大恐慌のアメリカ」(1988)という新書。この本は1988年なんで、当時の日本のバブルを警告しているんだが、今となっては、世の中これからどうなるのか、という意味で面白い。
 1929年にアメリカのバブルがはじけて、米国の株価が最低になったのは1932年である。3年かかった。それからニューディール政策とか、ブロック経済とかあって、日本とドイツは軍国主義へ向かって、第二次大戦となり。。。。それでようやく米国の株価がようやく元に戻ったという話だ。
 今、マスコミでも、過去のパターンに照らし合わせて、「ニューディール」「大戦」と同等の経済刺激策があるかどうかみたいな論調が見られる。
 私は日本が戦争した理由がようやく分かってきたような気がする。
 
 

グアム 横井庄一さん

2008-10-18 05:06:52 | Weblog
グアム旅行へ行く前に、子供のころテレビニュースで見た様な気がする横井庄一さんの本が読みたかった。うちの近所の図書館は、不思議な図書館で、私が訪ねると閉館していることが多く、借りることができなかった。だいたい、いつ開館しているのかと、市長に抗議したいくらいだ。
 で、帰国してから「明日への道 全報告グアム島孤独の28年」(横井庄一、文芸春秋、1974)を読んだ。
 グアムでは一応、車で島を一周してみたので、地理的な記述がよく理解できた。
 子供のころ、横井さんはジャングルの奥地で一人取り残され、日本兵や現地人との接触もなく、戦争が終わったことも知らず、草とか虫とか食べて生き延びたんだろうと想像していた。
 私の想像は極端ではなくて、そんな印象を持っている日本人は多いのではないかと思う。元朝日新聞の記者で、当時、横井さん発見を取材した森本哲郎氏は「「私」のいる文章」(新潮文庫、1976年)で似たようなことを書いている。
 森本氏は他社の取材陣とともに、ジャングルを分け入って横井さんが住んでいた洞窟までたどりついたのだが、洞窟のそばの竹やぶを抜けてみたら、6キロ先にアパートのような建物や人家が見えたのでびっくりしたという。「人家のこんな近くで、よくもまあ28年間も見つからずにかくれていることができたもんだ」。
 このアパートや人家は、取材陣のみんなが見たのだが、記事に書いたのは森本氏だけだったという。ほかの記者たちはおそらく「イメージに合わない」という理由、もしくは思い込みで書かなかった。「人家が近い」という記述は一種のスクープになり、他社の記者の中には翌日しかられた人もいたとか。
 私がグアムをドライブした印象では、グアムはすごく狭い。淡路島の大きさしかない。
 当時、横井さんは中隊規模で転戦していて、米軍上陸後は小隊規模で米軍の掃蕩作戦と戦っていた。終戦ごろは7人ほどの仲間と移動し、米軍や現地人の兵におびえていたらしい。終戦は米軍の投降の呼びかけなどで、信じる信じないは別として知ってはいた。現地人が飼っている牛や豚を襲って食べたり、ウナギや川エビを獲ったりして飢えをしのぎ、絶えず現地人からの銃撃を恐れて「引越し」を繰り返していた。
仲間はいつしか3人となり、最後は1人だけとなり28年がすぎた。

 この本を読むと、投降はいつでもできたのだが、戦陣訓をかたくなに守ろうとする横井さんの苦悩がひしひしと伝わる。「生きて虜囚の辱めを受けず」が、孤独な28年の理由らしい。
 こんな戦陣訓のために、多くの日本人が玉砕や自決に追い込まれている。今の感覚では信じられない。
 私の考えでは、こんな思想は日本の伝統ではないし、武士道でもない。戦国の武将は簡単に寝返ったりしてる。日本人は伝統的に「ゆるい戦争」をしていた。
 それが、近代化の過程で、過去の「伝統」を忘れ、こんなおかしな思想が「伝統」になってしまった。
 さらに、日本は遅れてきた近代国家なので、ヨーロッパの国が戦争をしまくって作り上げてきた戦争のルールをよく理解していなかった。つまり「捕虜」や「被占領」の意味とか、その結果どうなるとかイメージできなかった。イメージできないから、沖縄戦やヒロシマ・ナガサキ、日本各地の空襲といった悲劇を招いたとしか思えない。
 
 
 
 
 

奇妙なグアム

2008-10-18 03:45:12 | Weblog
最近、グアムへ行ってきました。
海外行くと、気持ちがリフレッシュします。「アメリカ最高、土地がひろーいー」(アメリカ国歌のふしで読んでね)。まあ、グアムは淡路島の大きさしかないんだが。

グアムは変な所だ。違和感というかキモさというか不思議さが、帰ってきてひどい二日酔いのように尾を引いている。
二つの違和感がある。
まず、タモンというホテルが20軒ほど集中しているストリートを歩いている人の99%ぐらいが日本人。かなり日本語通じるから、みんな日本にいるみたいな顔で、外国にいるという緊張感がない。例えていうなら、ディズニーランドの横にあるディズニー・シーみたいな感じ。南国グアムというテーマパークがあって、客は日本人、ホテルや店の従業員は異国情緒を出すため、もしくは賃金が安いため外国人を使っているような。 「どこ行っても日本人だらけ」という外国の観光地を日本人の多くは嫌う。それは「当然の感情」と言えるかもしれないが、その理由の根源はなんだろうか?と考えた。
もう一つは、グアムが完璧にアメリカナイズしていることだ。グアムはアメリカ領土(正確には未編入領土)であり、アメリカ本土の匂いがする。島をドライブすると、カリフォルニアで見たような光景が広がり、スーパーはアメリカの「物」であふれている。現地人はかなり怪しい英語を話す人が多いのだが(そんな人はフィリピンあたりからの移民なのかも)、完璧にアメリカ人のような英語を話す人もいる(詳しい事情は分からないが)。
グアムはアメリカの辺境であり、地理的にはほとんどフィリピンである。
私はフィリピンに行ったことがある。フィリピン人は自国のことを、「アメリカの51番目の州だ」と卑下することもあるらしいが、まったくアメリカ的ではない。緯度がほぼ同じ二つの土地が、支配国が違うだけでなぜ、こんなにも違うのか?例えば、フィリピンの田舎道は草ぼうぼうでゴミだらけだが、グアムはどこでも道路脇の草はきれいに刈り取られている。観光で潤い、草を刈る財政的な余裕があるというより、文化とか思想の違いなんじゃないかと思う。

二つの違和感を結びつけるのは、多分「占領」という言葉。
グアムに行く前に「グアムと日本人 戦争を埋め立てた楽園」(山口誠、岩波新書、2007)を読んだ。
グアムは太平洋戦争開戦直後から2年あまりに渡って、日本が支配していたことがある。1960年代後半から、日本人観光客を誘致したため、日本人であふれる今のグアムがあるということなどを説明している。この本は勉強になったんだが、実際にグアムに行ってみて思うに、ある国がある国や地域を支配することの「すごさ」という視点に欠けていると思う。
ホテル街が日本人ばかりなのは、経済的な「占領」。グアムがアメリカなのは政治的・軍事的な「占領」。
そして、私がその両方に違和感を覚えるのは、今の日本人は「占領」に慣れていないからなんだろう。
「グアムと日本人 戦争を埋め立てた楽園」で説明されているように、グアムはかつて日本的に大宮島(おおみやじま)と呼ばれていた。グアムだけじゃなくて、朝鮮半島、台湾、満州も日本の支配下だった。
日本の支配地へ行って日本語が通じれば、便利だし、かつての日本人は喜んでいたのかもしれない。
しかし、グアムの繁華街で日本語があふれていることに私は非常な違和感を覚える。多分、戦後60年の間に、日本人の感覚は大きく変わったんだろう。その正体はわからない。
逆の見方をすれば、ここまで街を日本化して日本人を歓待するグアムは奇妙だ。推測だが、世界中のどこでも、できれば英語で話したがるようなアメリカ人を見てきたグアムの人は、日本人も同じ感覚だと思っているのかもしれない。もし、この文章をグアムの人が読んでくれたら、日本人の多くは日本的なるものが及ばない「どこか」にあこがれていると知ってほしいです。