アラフィフのキャンプ好き日記

2人でいても独り

私は、夫となる人に持ち合わせていて欲しいと思う大事なことを、何も見極めずに結婚してしまったな、というのが今の感慨だ。

先週1社、夫は入稿前のデータ修正などを行う仕事(デザイナー仕事ではない)に仕事の後面接に行った。
前日、空欄ばかりの履歴書に記入する内容を一緒に考え、アドバイスし、なんとか履歴書を作成。
当日、面接前に向かう途中で乗った電車が遅れるというアクシデントがあって心配しましたが、なんとか駆けつけられそうというメール。
今頃面接真っ最中かなと思っていたとき、携帯にまたメール。
「全然ダメです。玉砕です」
なぜ玉砕??と理由を聞くと、画像の貼り替えをやってみてといわれたけど、できなかった。担当者がニヤリとしていた、ですと。

私は仕事中の手が止まり、言葉を失った。
いくらブランクがあるとはいえ、印刷会社でDTP(組版)をやっていたのだから、画像貼り替なんてできて当たり前。というか、できないなんてありえない。
なぜできなかったのかとたずねても、自分でもわからないという答え。
「わからない」という答えがありえるだろうか。
例えばソフトのバージョンアップで操作が全く変わっていたならまだしも、
画像の貼り替え作業にそんなことは関係ない。
全くの初心者でない限り、当たり前の作業だ。
「理由がわからない」のではなく、「やり方を知らなかった」「やったことがない」というのが答えでしょう―。

夫は面接先で、そんな初歩的なこともできず、面接官に冷笑されたのだ。
自分が面接官だったら、画像貼り替えもできない人間が、ここに一体なにしに来たのかと、驚きを通り越し、呆れ返るだろう。
面接官でなくても、まさかそんなこともできないとは夢にも思っていなかったので、夫のコミュニケーション力不足は知っていたし、デザインスキルまではなさそうということはわかっていたが、いくらブランクがあるとはいえ、今の職場に入社して始めの数年はDTPの仕事をしていたはずだ。それにDTPエキスパートという認定試験に合格しているのだから、いくらなんでも初歩的なDTPスキルは持っているのだろうと思ってた。

それが、この始末である。
天職を応援しようと思っていた気持ちが、ぐらぐらと絶望感に変わっていく。
夫の能力がここまでなってないことに衝撃を受け、
あまりのショックでこれからどうすればいいのか、絶望の二字しか湧いてこないよ、と思った。
いくらなんでも、今からスキルを身に着けさせるところから、私はつきあってやってられない、と思った。

私は急ぎの仕事で飲まず食わずでパソコンに向かっているのに、
夫からお酒(たぶん駅のホームで缶ビール)を飲んで、わけわからないメールがくる。私は切れるのを堪え、仕事を続け、やがて夫が帰宅。

あまり攻め過ぎてはいけないと思っていても、抑えながらも言葉を吐く。
冷笑され、悔しくはないのか。
情けなくはなかったのか。
男だったら、その悔しさをバネに、もっと本気になって、情熱を持って、真剣に自分と自分の人生に向き合うべきなんじゃないか、というようなこと言った。

でも、
たいして悔しそうでもないのだ。

それなのに、これから自宅で仕事をするデザイナーを目指すとか、
自分にやれる仕事はいくらでもある、と心の中で考えている。

今からデザイナーになんて(「自称」ではなれても)なれるわけないじゃないか。
画像貼り替えのスキルもセンスもコミュニケーション能力もない。
DTPオペレーターの仕事すらできないのに、なに夢みたいなことを考えているのか。
運転免許もないからドライバーもできない。
人と話せないから営業もできないのに。
私はあきれ過ぎてもう言葉が出ない。

何にも関心を示さない夫の性格も問題だ。
こんなことがあった。
フリーの仕事の原稿締め切りが客先で終日仕事する日と重なってしまい、
1日早く原稿をアップさせなければならなくなった。
そのため、缶詰で仕事していると話してあるのに、
「今日は新宿で仕事だっけ?」とメール。

実際、朝5時まで徹夜して、仮眠もそこそこに仕事に出る準備をしていたら、
今日家にいるんじゃなかった?と言われ、切れそうになった。
人の話を全くもって聞いていない。
というか、人のしていることや行動にまったく関心がない。
皮肉で言ってやった。

「家で私の言ったことを聞いていなくても、忘れても、全然たいしたことなじゃない。
でも、日頃の自分というものが社会(会社)でも出る。
私が会社員で働いていたときは、自分が携わっている仕事に少しでも関連がありそうな会話が聞こえたら、
仕事をしながら耳をそばだてて人の会話も聞いていた。
また、そのぐらいでなければ、職場で役に立つ人間になんてなれない。
そういう意味では、あなたはあまりにのほほんとしすぎている。
職場でどういう動きをしているか(していないか)、私が何のために寝ずに仕事をしていたのか、
一緒に暮らしていながら全く理解していない、とうことだけで、もう想像が付く」と。


夫は、どこかがおかしい。
人として身に付けたり、心に育んでおくべき何かが、まったく備わっていないことを、ここ数日で改めて思わされた。

前からいつも感じてきたことをもうひとつ。
どこかに一緒に出かけても、私は独りで来ているようだといつも思う。
何を見ても、食べても、特に何も感じないのか、黙っている。
面白かったのか、おいしかったのか、聞いても特に感想らしいもがなく、今考えているという。
考えなければ出てこないものなんて、そんなの感想じゃない。
面白ければ面白いねー、美味しければおいしいねと、自然に口から出てくるものでしょうと思うのだ。

昨夜の話。
私がいいなと思う録画した映画を一緒に見ていて、終盤、これから一番いいところで、
「新しく始まったドラマ今やってるから変えてもいい?」と聞く。
ここまで見てきて、この先が気にならないのだろうか、と思う。
同じ映画で一緒に感動できないのも哀しい。


仕事の話に戻るが、断言する。
よほど本人が変わらない限り、夫に天職は無理だ。
自分の価値や能力を自覚し、よほど高める努力をしない限りは。
死ぬまで、年収200万少しの今の会社にいる以外ない。

もう夫に期待する気持ちも、応援する気持ちも湧いてこない。
一緒にいる意味がない。
私は炊事、洗濯、掃除を請け負う夫のお手伝いさんではない。

だから、いつか、そう遠くない将来、私は夫を見限るかもしれない。
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