『街道を行く』 『歴史をたずねる旅』

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第139回「歴史を訪ねる旅-立川周辺の新旧の街並み」のお知らせ

2019-04-15 00:29:41 | 日記

 普済寺

室町時代にこの辺一帯を支配した「立川氏」が現在の普済寺に城をつくったことから立川(たちかわ)になったと言われていますが、諸説があり定かではありません。
今回は午前中は立川の歴史と自然を巡ります。四季折々に花が楽しめる「根川緑道」沿いには歌碑がある「詩歌の道」があります。コースは「普済寺」、「諏訪神社」等歴史に関係が深い場所へと続いています。午後からは返還された基地跡地に再開発で作られた「ファーレ立川アート」やタロー・ジロー時代の犬ぞり等の本物が展示されている「南極・北極科学館」を訪ねます。

【開催日】  2019年5月25日(土)
【集合場所】 午前10時
【集合時間】 多摩都市モノレール 「柴崎体育館駅」 改札口  
       ※. 行き方は下記をご覧下さい。
【解散場所】 午後4時頃  JR 立川駅北口
【参加費】  正・家族会員 1,500円 
 準会員・一般  2,000円

         (参加費にはガイド代、資料代を含みます)
       ※.少額のバス代は各自でお支払い下さい。

【コース】  柴崎体育館駅(モノレール) → 詩歌の道 → 根川水源 → 立川崖線 →立川小学校発祥の碑 → 普済寺 → 柴崎分水 → 八幡神社大欅 → 諏訪神社 → 立川駅 → 昼食 → 立川駅周アート → ファーレ立川アート → 南極・北極科学館
 →  立川駅北口 (16:00頃)
【昼 食】 立川駅周辺で各自でお取り下さい。
【ガイド】 たちかわまちの案内人
【募集人員】 30人

【集合場所のご案内】
 立川駅の改札口が複雑であること 立川駅の利用状況が混雑していて、場所指定が難しい為に集合場所を多摩モノレール「柴崎体育館駅」にしました。
 JR立川駅からはモノレールの「立川北駅」、「立川南駅」共同じ様な距離ですが、
 立川駅と南口がデッキで直結した「南駅」の方が分かり易いです。
    モノレール立川南駅発 9時29分  38分  47分 

  お申し込みの方
 1.「新現役ネット」の正会員は会員番号をお知らせ下さい。
  (ご連絡の無い方の参加費は準会員/一般価格になります)
 2.緊急連絡用に携帯番号をお知らせ下さい。

【訪問先メモ】

【詩歌の道】
 
根川緑道を中心に、立川市歴史民俗資料館から根川貝殻坂橋までの約2.4キロメートルに立川市にゆかりの深い作家の句碑や歌碑などが建立されています。

【根川水源】

スタート地点からコンコンと湧き出す湧水によってできた小川なのです。地形上立川崖線から湧き出したのかな?と考え調べてみるとそれも違いました。立川市内にある下水処理場で浄化した水を湧水として流しているのだそうです

【立川崖線】
立川崖線と国分寺崖線は、古代多摩川が南へと流れを変えていく過程で武蔵野台地を削り取ってできた、河岸段丘の連なりである。崖線には湧水が多く、市街地の中の親水空間として、また野鳥や小動物の生活空間として貴重な自然地となっている。
立川崖線はJR青梅線青梅駅付近から調布市と狛江市の市境あたりまで続いている、延長約40㎞の段丘崖である。下流ではほとんど高さがないが、上流部の立川付近では15m程度の高さとなっている。

【立川小学校発祥の碑】

ここは1878(明治11)年、立川の学校教育史上初めて独立校舎が建てられた場所。それまでは200mほど西にある普済寺の一隅を借りて教育が行われていた。
現在は立川市立第一小学校となって、ここから500m北に移っている。

【普済寺】

臨済宗建長寺派に属し、多摩一円になんと18もの末寺を持つ大変格式の高いお寺です。正式には「玄武山普済寺」、開創は南北朝時代の文和2(1353)年にまでさかのぼります。当時一帯を支配した「立川氏」の菩提寺として立川宮内少輔宗恒(たちかわくないしょうゆうむねつね)によって建てられました。以来、立川氏の庇護のもとに、多数の僧侶が修行に励む荘厳な道場として隆盛を極めましたが、戦乱の中で立川氏が没落すると普濟寺も衰退してしまいます。
その後、立川一帯を治める事になった高幡城主平重能によって寺域が拡張され、そして後北条氏の幕下となり勢力を盛り返した立川氏が再び大檀那になるも、すぐに豊臣軍の攻撃を受け大半の堂宇・寺宝を焼失してしまったりと、様々な変遷を経て今に至ります。

【六面石幢(ろくめんせきとう)】

立川唯一の国宝で阿金剛・吽金剛の仁王像と、持国天・増長天・多聞天・広目天の四天王像を、それぞれ緑泥片岩の板石に刻み、この六面を六角の柱状に組み合わせ、六角形の笠石と台座で固定した石幢です。
「延文六年辛丑七月六日施財性了立道円刻」の銘があり、造立年代は、刻文により延文六年(1361年)7月6日と知られる。
この六面石幢は江戸時代から広く知られ、大正二年(1913年)国宝に指定され、戦後、改めて新国宝に指定された。昭和二十九年(1954年)に、コンクリート製の覆屋が造成された。中庭に安置されている。

【柴崎分水】

分水は元文2年(1737)に玉川上水から引かれました。長い間、柴崎村(市の元の村)の生活用水や水車などに利用されていました。今では埋め立てや暗渠化により、流れが見られる場所は少なくなりました。

【八幡神社大欅】 

立川の住宅地の中の狭い敷地にぽつんと立っている欅で、こちらに神社はなく、近くに大きな諏訪神社があるのみです。名前の八幡神社は1907年に諏訪神社の境内に移転してしまって、参道の脇にあったこの欅だけが取り残されてしまったそうです。

【諏訪神社】 

創建は平安時代の初期です。立川柴崎村の鎮守として諏訪大社を勧請したのが始まりとされています。現在の諏訪の森公園がある場所に創建されました。
安土桃山時代に野火により社殿が焼失してしまい、再建されたのは江戸時代の前期ですが1994年にも焼失し、2002年に再建された。
古くより「立川のお諏訪さま」として、勝負の神として多くの人々の信仰を集めました。
 
【ファーレ立川】 

ファーレ立川は米軍基地跡地の再開発によって1994年10月13日に誕生しました。 「基地の街」から「文化の街」を標榜する立川に、アートを街の文化の礎にしようと、アートが一体化した街づくりが計画され、街はイタリア語の「FARE(創る・創造する・生み出すの意)」に立川の「T」をつけ「FARET立川」と名付けられました。 ファーレ立川のアートの多くは車止め、ベンチや換気口など街の機能を持ち、ビルの合間を縫うようにして設置された36ヵ国92人109点のアートは20世紀末の現代世界を映し出しています。

【南極・北極科学館】 

北極、南極について多くの展示がされており、南極・北極で行われている観測、研究などを学べる場所です。この科学館の一番スゴイところは…展示されているもの全てが本物(ホンモノ)というところです!さらに入館料はなんと無料!




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