『街道を行く』 『歴史をたずねる旅』

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第146回 「歴史を訪ねる旅ー熱海歴史散策」

2020-02-17 14:28:45 | 日記
  【大湯間欠泉】

 温泉地熱海は昭和30年代~40年代は新婚旅行のメッカであったのが、その後の衰退は目を見張る様でした。近年大旅館はマンションに代わり保養地としての人気が高まり、今や海外からも含めて多くの観光客の集まる人気観光地となっています。古くからの熱海を見直そうと歴史旅では独自の視点で熱海の魅力を歴史という点から散策します

 【開催日】 令和2年3月31日(火)
 【集合場所】 JR熱海駅(東海道、新幹線)改札口 (在来線側)
 【集合時間】 午前10時
 【解散場所・時間】 起雲閣 午後4時頃 バスで熱海駅へ
 【参加資格】   新現役ネット会員及び関係者
 【参加費】 正・家族会員 2,000円 
      準会員・一般会員 2,500円 

   ※. バス代や伊東線の運賃は各自負担でお願致します。
   ※. 参加費には起雲閣入館料、ガイド代、資料代を含みます。 、      
 【コース】 午前 足湯~軽便鉄道~人車鉄道~野中の湯~湯前神社~大湯間欠泉~銀座通り~お宮の松~バスで熱海駅へ昼飯
       午後 伊東線で来宮駅へ~来宮神社~坪内逍遥旧宅(水口町)~ 海蔵寺~起雲閣~バスか徒歩で熱海駅
 【昼 食】 熱海駅付近で各自で取って頂きます。
 【ガイド】 熱海まち歩きガイドの会
 【募集人員】 30人

【訪問先メモ】
【人車鉄道】

かつて、人間が客車を押すという世界的にも珍しい鉄道が、小田原~熱海間を走っていました。明治28年7月に熱海~吉浜間で営業を開始し、翌29年3月に熱海~小田原間が開通しました。
当時、熱海は温泉宿約30軒ほどの保養地で、政財界の大物や文人が盛んに訪れていました。しかし、東京・横浜方面から熱海に至るには海沿いの険しい道(熱海街道)を歩くか、駕籠か人力車を利用していました。そこで、熱海の旅館業主を中心に地元有志や京浜の実業家等が小田原熱海間に鉄道計画を興し、経費も安価であったことから人車鉄道を建設しました。豆相人車鉄道と呼ばれ、小田原熱海間25.6km。駕籠で約6時間かかっていたところを約4時間で走りました。

【軽便鉄道】

豆相人車鉄道を設立して1895年から1900年にかけて漸次開通させた。
これは営業的には高運賃(全線の運賃は工夫の賃金1日分だったといわれる)を取ったこともあって成功したが、原始的であり押し手の賃金も高額となることから、社名を熱海鉄道と改めて1907年に蒸気機関車牽引の軽便鉄道へ切り替えた。

【野中の湯】

街を歩くと、坂道のところどころから湧き出す湯気が発見できます。「熱海七湯」といわれる源泉です。源泉を巡り、長い歴史と温泉情緒に触れるのもおすすめです。
熱海七湯の一つ、野中の湯。
野中山のふもとの、「野中」と呼ばれるこの辺り一帯は、泥の中に湯がブクブク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれています。
またこのあたりの土は丹(赤色の土)のようで、壁を塗る材料に使われました。
江戸時代まではこの「野中の湯」は湧き出るところが浅かったため、湯をためる湯枡を設けなかったといわれています

【湯前神社】

湯前神社は、静岡県熱海市に鎮座する神社である。式内社の「久豆弥神社」の論社で、旧社格は村社。社前には江戸時代までの熱海温泉の中心的な源泉だった大湯間歇泉があり、この神社の名称・起源もそこに由来している。 現在は近隣の来宮神社の管理下にあり、御朱印も来宮神社で得ることができる。

【大湯間欠泉】

熱海七湯の一つ「大湯間歇泉」は、古くからの間歇泉で世界的にも有名な自噴泉でありました。
「大湯」の噴出は昼夜6回あり、湯と蒸気を交互に激しい勢いで吹き出し、地面が揺れるようであったといいます。
明治中頃から次第に減少し1923年(大正12年)に止まってしまいましたが(大地震の際に再び噴出したこともありました)、1962年(昭和37年)に、市の文化財として保存し、現在に至っています。
※2020年1/9現在:配管不具合のため休止しています。

【銀座通り】

かつて熱海の中心部として、たくさんの観光客でにぎわった熱海銀座の通り。商店街の入り口交差点角には、1975年まで銀行として営業していた建物を利用した熱海商工会議所があります。重厚でレトロな建物は当時の風情をそのまま残しています。
銀座商店街を歩くと、軒先に吊るされた干物や、昭和のままの姿で営業を続ける喫茶店など、昔と変わらない日本の風景に出会えます。最近では地元素材を使ったカフェや、地元の人と旅人のふれあいを提供するゲストハウスもオープンしリノベーションを感じられる通りになりました。

【お宮の松】

明治30年より6年間「読売新聞」「新小説」に断続的に掲載された 尾崎紅葉の小説「金色夜叉」(こんじきやしゃ)です。
この小説にちなむ「お宮の松」と、「熱海の海岸散歩する・・・」で始まる歌謡が一体となり、爆発的に流布し、主人公「貫一・お宮」はあたかも実在の人物のように 国民の心をとらえて離さない存在となりました。
「貫一・お宮の像」そして「お宮の松」は海岸の国道沿いにあり、観光写真スポットとして多くの人が訪れます。

【来宮神社】

平安初期の征夷大将軍坂上田村麻呂公は戦の勝利を神前で祈願し、各地に御分霊を祀ったとも伝えられ、現在では全国四十四社のキノミヤジンジャの総社として、信仰を集めております。
 御祭神五十猛命は熱海に鎮座される際、地元民と入来たる旅人を守護しようと神託をつげられたことから、伊豆に来る旅行者が多く参拝されます。 国指定天然記念物に選定されております来宮神社のご神木「大楠」は樹齢2千年を超え、平成4年度の環境省の調査で、全国2位の巨樹の認定を受けており、幹周り約24米の迫力に人々は畏怖し、自然と手を合わせます。

【坪内逍遥旧宅(水口町)】

シェイクスピアの翻訳家としても有名な明治の文豪「坪内逍遙」が、大正9年から昭和10年に亡くなるまでの15年間を過ごした住居です。庭にある2本の柿の古木から双柿舎の名がつけられました。門の扁額は会津八一の筆によるものです。

【海蔵寺】

晩年を熱海で過ごした小説家坪内逍遥の命日の2月28日に毎年「逍遥忌記念祭」開かれる。

【起雲閣】

1919(大正8)年に別荘として築かれ、非公開の岩崎別荘、今はなき住友別荘とならび、「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となる起雲閣。
1947(昭和22年)に旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多く宿泊客を迎え、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、武田泰淳など、
日本を代表する文豪たちにも愛されてきました。
市街地とは思えない緑豊かな庭園。日本家屋の美しさをとどめる本館(和館)と離れ日本、中国、欧州などの装飾や様式を融合させた独特の雰囲気を持つ洋館。
優美な気品を醸し出すこれらの施設は、歴史的・文化的遺産として未来に継承されます。
2000(平成12)年より、熱海市の所有となり、熱海市の文化と観光の拠点として多くのお客さまを迎えています

   

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