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「歴史を訪ねる旅―日光街道の宿場町・越谷」のお知らせ

2016-03-13 17:05:58 | 日記

花田苑
 越谷は、江戸時代から日光街道の宿場町として発達してきました。「水郷こしがや」と呼ばれるように、元荒川、葛西用水などの河川、用水が市内を流れ農業が盛んに行われてきており東武鉄道が開通してからは、近代化が進み東京のベットタウウンとしての町が形成されましたが、昔の、水郷と宿場町の名残がいたるところに残り、歴史を感じながらそぞろ歩くには、もってこいの所と言えます。今回は越谷の名所、旧跡を訪ね歩くのが趣旨です。

【開催日】 平成28年4月16日(土)
【集合場所】 JR武蔵野線南越谷駅改札口(東武伊勢崎線新越谷駅と連結)
【集合時間】 午前9時40分
【解散場所、時間】 東武伊勢崎線越谷駅 午後3時30分ごろ
【参加費】 正・家族会員  2,500円 準会員・一般 3,000円 
       (ガイド料・資料代・入館料・昼食代を含みます)
      ※.バス代(180円 × 2回)は各自でお支払下さい。
【ガイド】 こしがや観光ボランティアガイド
【コース】
    JR南越谷駅 バス~不動前~元荒川堤防~日枝神社~
大聖寺    バス~花田苑~こしがや能楽堂~
昼食(久伊豆)~    久伊豆神社~天嶽寺~
板碑、御殿跡~越谷宿散策~越谷駅

【昼飯】 そば処 久伊豆  <日替わり定食>

  選んで下さい。  そば・うどん /温 ・冷
 

       
< お申し込みの方 >
1.正会員は必ず会員番号をご記入ください。
   ( ご記入のない方は、準会員・一般価格となります。)
2.緊急連絡先(携帯番号)を必ずご記入ください。  
3.昼食のメニューそば・うどん /温 ・冷  から選んで下さい。

 皆様のお申込みをお待ちしています。



【訪問先1口メモ】

【元荒川堤防】

北越谷第五公園から大沢橋まで、元荒川沿いに続く約2kmの間に約350本のソメ
イヨシノが連なる桜並木があり、越谷を代表する桜の名所として知られる。夜間(日
没から21時)はライトアップされ、幻想的な夜桜が楽しめる

【日枝神社】

西方日枝神社は、越谷市相模町にある日枝神社です。西方日枝神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には東光院、利生院、神王院、安楽寺、薬王寺、観音寺の六寺院を擁する大社であったといい、西方村の鎮守社であったといいます。明治四十年同村の八幡神社、稲荷神社、愛宕社、天神社などを合祀したといいます。

【大聖寺】

大聖寺は、真言宗豊山派の寺で、山号を真大山といい、本尊は不動明王である。
寺伝によると、天平勝宝二年(七五〇)に不動坊が、奈良東大寺の開山で知られる良弁僧正自作の不動明王像を祀って造立した一宇が、開基とされている。中世には不動院と称し、岩槻城主太田資正や北条氏繁の尊信を受けて栄え、天正十九年(一五九一)に当寺に泊った徳川家康から寺領六十石を賜り、このとき現寺名で
ある大聖寺に改めたといわれる。

【花田苑】

元々が畑だったこの地に、純日本風の廻遊式池泉庭園が、突如出現したのは平成3年のことでした。広さは約2.1ha。150mの正方形よりもちょっと小さいくらいと思ってください。ちょっと狭いかな。でも、全体が美しく造園された日本庭園なのでそれほど狭いとは感じさせません

【能楽堂】

美しい木材の建物で目を奪われます。中を見学できるから、訪れた方は立ち寄った方がいいですね。

【久伊豆神社】

 鷹狩りの時に徳川将軍家が参拝したという。社紋「立葵」はその際に将軍家より奉納されたと伝えられる。うっそうとした長い静かな参道を入って行く。平田篤胤の仮寓跡とされる松声庵もある。祭神は大己貴命(大国主)である。
 埼玉県の「ふるさとの森」や「自然百選」にも選ばれた境内は、森林に囲ま
れた野鳥の宝庫であり、本殿奥には県の天然記念物に指定されている樹齢
約300年の大榊もあります。

【天嶷寺】

浄土宗至登山遍照院は、文明10年(1478)太田道灌の伯父専阿源照による開山と伝えられています。京都知恩院(浄土宗総本山)の直末であるところから、総本山の大僧正の隠居寺でもあります。
当時の山門は黒門で、境内中ほどには赤門が建てられています。黒門は当山四代住職が正親町天皇の第三皇子であったところから、門の屋根に菊の紋章
の鉄鋲が施されています。
赤門は家康より寺領高15石が寄進された時に許されて建立されたと伝えられていま
す。 本堂に安置されている「木造釈迦如来涅槃像」は、立像、坐像の多い中できわ
めて珍しいものです。境内にある吾山の墓石(市指定有形文化財)があります

【御殿跡】

慶長九年(1604)には増林にあった御茶屋御殿を越谷の土豪会田出羽資久の敷地内(元荒川べり)に移し壮大な御殿を建造した。
明暦の大火の際江戸城本丸が焼け落ちたので、仮居館として移設されてしまった
この御殿は中原御殿とか小菅御殿とかと同様で鷹狩り用に立てられた物である。

【越谷宿】

越ヶ谷宿は埼玉県内の日光街道で最大の宿場町で、徳川家康は鷹狩でたびたび訪れた宿でもあり、休息所のあった場所は現在でも「御殿町」という地名で残っている。
越谷宿は1899年の大火で、町のほとんどを焼失して昔の面影は残っていない。
宿場は越谷本町から北越谷の旧道が東武線にぶつかるまでで、本陣跡は北越谷側にある。
両側には、戦前のものと思われる洋風木造ペンキ塗りの病院、石造りの建物、黒塗りの塗屋 造りの商家など古い建物があちこちに残っている。