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世の中捨てたものではない

2013年02月19日 | 日記

先日スーパーに買い物にいったら、安売りをしていたので、ついつい買わなくて良い物まで買ってしまった。安いと思うと,折角来たのだからとあれもこれもと、今買わなくてはならない物よりも、安い物が目についてしまい、お店の商魂にはまってしまい、ものすごく沢山手に持てないほどの買い物をしました。重いので階段を一歩一歩歩いていると、右端の階段に顔を隠している人が座っていました。変だなと思いましたが、まず自分の荷物が重いので、駐車場に荷物おいてこなくてはと考えていました。でも階段にうずくまっている人が気にかかったので、店員さんに報告しようと思っていたら、片手だけに荷物を持っている人が来て、階段に蹲っている人に声をかけてくれた。よかった!世の中捨てたものではないなあ、とホッとしました。その方が声をかけてくださったので、どうしてうずくまっていたのか、原因がわかりました。すぐ手を差し伸べてくださり感謝しています。気持ちが悪くなり休んでいたそうですが、、、、、、、、、。やはり年寄りの方でした。これからは、どこにでもそういう場面に遭遇することが多くなるでしょう。何故かと?それは年寄りが多い街だからです。でも早く気が付いて、声をかけてくださった方ありがとう。私ができなかったことを やってくださった 。世の中、捨てたものではないですね。小さな親切が生きている国であってほしいです。

 


老夫婦の散歩、未来の姿

2013年02月18日 | 日記

散歩していると、車椅子の中に、太った妻を乗せ、瘠せて足の悪そうな夫が、車椅子を押しながら歩道を歩いていた。その様子を見ていると、とても仲好さそうには見えない。夫は杖代わりに、車椅子を押しながら,車椅子が夫を支えているみたいだ。最初は、足が、悪そうなのに、自分自身も介護してもらいたい足取りでヨロヨロしながら、車椅子を押していた。これは老々介護で大変だと周りの人も眺めていた。いたわりながらの、散歩なら、ほほえましいのだが、夫はぶつぶつ文句を言いながら、車椅子を押していた。途中で決裂して、夫を置いたまま、車椅子の中の妻が、自分で動かしながら前に進み、交差点まで来た。夫は、途中で、歩かないでよたよたしながら、道端に立っていた。妻はじっと交差点を渡らず、よたよたして動かない夫をしばらく交差点で待っていた。この後どうなったかは知らないけれど、考えさせられる場面に遭遇しました。口だけは達者なので、折れることがない、これが、仲が良い夫婦の散歩ならほほえましいが、どちらもまともに歩けない者同士なら、積もり積もってイライラが爆発するだろうなと、あの夫婦を見て考えさせられた。この町も若者が少なく、どう見ても老人が老人を介護せざる負えない。体の動かない者同士が、いたわりあいながらの生活ならまだ救われるが、、、、、、。思うように歩けない人が、車椅子に乗っている妻のお世話をしなければならないとなれば、自分の不自由な体に鞭打ちながら散歩や買い物に出たのであろう。二人から想像すると、子供はいないのだろうか?子供の世話にはまだなりたくないのだろうか?自分たちでやれるところまでやろうとしているのだろうか?まだケンカできる相手がいて幸せなのだろうか?怒ったりイライラしてぶつかりながらでも生きていかなければならない、この現状、、、、、、、、。年寄が多くいて、担い手である若者が少ない日本のこの現状、、、、、、、、。二人の老夫婦から自分のこれからの未来の姿を垣間見た気がした。年寄りが多い逆三角形の人口分布からすれば、一日も早い解決が望まれる。

 


カルガモ親子

2013年02月06日 | 日記

川沿いを友達とのんびり散歩していると、たくさんのカルガモが気持ちよさそうに、すいすいと泳いでいました。それがバラバラとまとまりがないのです。昔、テレビや雑誌では、親子ずれが、列を組んで、一列に並んで、泳いでる姿をよく見たのですが、残念ながら、想像していたのと違いました。、この川のカルガモは、勝手気ままに、ばらばらに泳いでいたのです。一列に並んでいるカルガモがいないか、私と友達は、川上の方へ向かって散歩をしました。だいぶ川上に行くと、整列した親子のカルガモがいました。これだ!これだ!。やはりカルガモは母親の後を一列に並んでスイスイ泳いでる姿を見るのは、とてもほっとするものです。この姿を見るのが、かわいくて、気持ちが暖かくなる気分でした。今日も一日頑張れるぞと、元気をもらった散歩でした。


私は蛙!町で見つけた親子愛

2013年01月25日 | 日記

散歩していると、駅のほうから、度の強そうな眼鏡をかけた親子連れが歩いてきた。子供の年は6、7歳頃のように見える。自分も目が悪いのに、母親の手をしっかり握って、目の見えない母親を支えているのです。少年の方が、まだ母親より目が見えるようだった。杖を持った母親を優しく誘導していた。学校へ行くようになっていたら、目が見えないからと゛いって、いじめっ子に会わないようにと願った。人間一つのハンデイでも持っていれば,他人に負けては行けないと強さがみにつく。少しでもこの少年は、ハンデイがあっても、負けない強さを身につけていってほしい。小さいながら、母親をエスコートしていた。その姿は、まさに、若き騎士である。大切な人を守ろうとする姿にエールを送ります。母親は頼もしいそうに騎士にたよっていた。蛙目線でかいています。この親子愛が守られますようにと、、、、、。

 


私は蛙!!人間のストレスについて考えた!

2013年01月23日 | 日記

人間と言う代物は、大変厄介な者です。まず感情があるから、カッーとなれば怒り出す。又、悲しければ、涙がでてくる。又、楽しければ、自然に笑みがでてくる。悔しい事が起きれば、腹が立つ。喜怒哀楽の感情は神様がくれた人間固有の感情である。又この感情を犬、猫に表現させるのはなかなか難しい。簡単な仕草で喜びや悲しみは表現出来ても、深い悲しみや、苦しみを表現出来るのは、人間しかいない。人間も一人で住んでいるわけではなく、家族がいたり、隣り、近所がいる。又会社に行けば、上役、同僚、お客さん等人と、接する。学校に行けば、先生、友達、いじめっ子、いじめられっ子がいる。そのなかで如何に自分らしく、自由に発言して、周りと摩擦少なく過ごせるか?それは大変難しい。どこもかしこも競争社会です。弱いものが、自然淘汰される世の中だ。動物の世界でも、海の魚の世界でも、空に飛んでいる鳥の世界でも、然り。弱い者は、強い者に負けていくのです。みんな、少しでも強くなるため、賢くなるため知恵をつけるのです。人間には、動物にない心を持っています。くじけない強い心を磨けば、たくましく生きていけるでしょう。たくましい心をもてない人が、いろんなストレスに押しつぶされてしまいます。現代社会に、目に見えないストレスがあちらこちらウヨウヨしている。ある面でストレスを上手にコントロール出来るあなた!長生き出来るよ!と蛙目線で久し振りに人間のストレスについて考えました。