徒然為る儘

日々之出来事
*ヲタク話しや、コスプレ写真が普通に出てきます。
苦手な方はお気をつけ下さい。

葬送

2014-03-08 21:47:36 | 徒然(その他)




ちょっと暗いお話になるので、読みたくない方はそっとブラウザを閉じてください。




これは一つの大きい出来事だったので、記録しておきたいなぁと思いまして、暗いお話なんですけど、書いておくことにしました。














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2014年3月8日 11:30頃

祖父が永眠いたしました。


3月2日(日)短期の入所施設にいたのですが、夜8時頃電話があり、熱があって、嘔吐したので救急車で病院へ運びますとの連絡。
父母が様子を見に行き、インフルエンザの検査をするっていうことで、様子見。
集中治療室に入ることになりました。

結局インフルエンザではなかったものの、熱もあまり下がらず、原因不明で集中治療室から出られず。
それでも小康状態を保っていたのですが、担当医から、覚悟してくださいとのご連絡。
6日(木)だったかな…もう危ないかもしれないってことで、私も仕事帰りに病院に会いに行きました。

泣きたいのを我慢しながら会いに行くと、集中治療室でたくさんの管に繋がれた祖父がいました。
寝てるようですが、目が半開き。もう閉じられないようでした。

管が鼻に入っているのと、床ずれができそうなので少し体を傾けられていたため、入れ歯を外されて歯がなかったため…
いろんな理由からだと思うんですが、何を言っているかあまり聞き取れませんでした。
舌が喉の奥に落ちてるみたいで、呼吸も会話もしずらそう。

「なんだ、来たのか。」
っていう言葉と、私が「来たよ。大丈夫?今仕事帰り。卒園式がもうすぐだからピアノの練習が大変でさ~」っていうような
世間話に一瞬

「大変じゃねぇかよ」

みたいな言葉を言ったこと。それが唯一聞き取れた言葉かなぁ。

「そうだよ、大変だよ(苦笑)」って言ったのを覚えてます。

20分も病室にいなかったのかなぁ…会話があまりできないし、会話すると苦しそうなので、早々に退散することに。
でも、「もう帰るね。また来るからね。」って言ったら引きとめられたのか、それとも「もう帰れ」って言われたのか、よくわからないんですが、その言葉を聞き取らなきゃって思って、+5分?くらい「何?」って聞き取ろうと格闘したのですが、

わからなかった…



祖父に会って、とにかく思ったのは、「卒園式のピアノ頑張ろう」でした。
言葉が通じなくても、頑張れって応援されたのはなんかわかったというか。


その帰り道、泣きながら運転して帰りました(あぶない)

涙もろいねぇ(´`。)
家に帰るまでに引っ込めましたけど。

あの帰り道に通った道路を通る度に、この時のこと思い出してしまいますね…
これが、祖父とした最後の会話でした。



いよいよ危ないですって言われた8日の朝8時。
たまたまリビングで寝てしまってた私が病院からの電話を受け取り。

ちょっと慌てた様子で「急いで来てください。何時に来れますか?」と。
30分くらいで行きます!

と答えて、みんなで病院に向かいました。

6、7日でもう危ないかもしれないってことを、近しい人達には伝えられていたので、
弟も、6日の夜に帰ってきて、7日の日中に祖母とお見舞いに行ってたんですね。
やはり何を言ってるかあまりわからなかったけど、頭ははっきりしてて会話らしいことはできたって。


これ、後で考えるとかなり救いなんですよね…。

みんなで病院に向かった父の車内は、どこか旅行にでも行くかのような懐かしい話をあれこれしてました。
家族みんなで乗るなんて、一体いつぶりなのかと…(数年前の知り合いに会いに行った新潟旅行ですかね)
(高田公園の桜が綺麗で、一瞬お兄ちゃんにも会った…けど、すごく混んでて春日山城には車を止められず、春日山周辺はなにも観光せずに帰ったといういわくの新潟旅行w)




そして、病院に着いたら、集中治療室の中、変わらず祖父が寝ていたのですが、意識もなく、会話もできない状態だったのです。
遅れて母の妹夫婦も来て、先生から話を聞きました。

大きな原因は不明なものの、腎臓と、糖尿、それから心臓が弱く、狭心症?を数年前に患い、ペースメーカーを入れていたので、
綺麗な血液が体に送れなくなった、敗血症ではないかと。
このまま緩やかに血圧が低下していって、お亡くなりになると思います。

との、ことでした。



葬儀も何もかも終わって見ると、祖母、父、母、私、弟、母の妹、婿 みんなに看取られて逝ったのだなぁと、思います。
何時に亡くなるかはわからないので、ベッド囲んでみんなでかわりばんこに祖父の顔を見たり、話しかけたりしていました。

涙が溢れて止まらなくて、「誰か…!ティシュ…!」ってずっと思ってたの覚えてますw

母がもう言いたいこと全部口に出して言ってて思わず「おいおいおい!」って思ったのもw

「畑はみんなで協力して頑張るから、心配しないで!」とか、「いい娘じゃなくてごめんね!」とか。
もう全部言いたいこと言ってたw


祖父が最後まで心配してたのは、ミカン畑のことだったんですよねぇ…
ずーっとやってきたから。具合悪くても1、2年前までは畑に出てたし。
足が悪いから踏ん張れなくて、ミカンもぎながらよろけて前転したり後転したりしてたっけ…(遠い目)
(よくやってたなぁと、思います。)

働く=生きがい

だったんでしょうけど、それと同じくらいテレビ(野球、相撲、サッカー、ニュース討論)と昼寝が、好きでしたねぇ…


まぁそんな話をベッド周りでしながら、血圧も安定してるし、いつまでかかるかわからないから交代でお昼を食べようということになりまして。
私と、父と、弟で病院近くのコンビニに買出しに行きました。
で、買ってきて、私達+おじさん(母の妹の婿)と先に食事することに。



母と、おばさん(母の妹)と、祖母と、祖父と4人病室に残りました。
いろいろ昔話、思い出話してたそうです。


後からおばさんに言われたのですが、「“この話が終わったら、もう、逝くから。”って聞こえた気がしたんだよね。」と。


早く言ってよwww



「ねぇ、ちょっと来て。血圧0みたい。」っておばさんが呼びに来た時、
私達病院の食堂でおにぎりバリムシャァしてたじゃないですかwww
って内心ツッコミながら病室に戻ったわけですw





戻った時には本当に血圧0でした。
心臓は鼓動してました。

でもそれは、ペースメーカーの微弱な波動なんですって。

心臓が動いてても、駄目なのねぇ…
科学とは。


でも、敗血症って…まぁ老衰ってことですから、みんなに看取られて亡くなったし、祖父は大往生だったのではないかな、と思います。
思い出してる今も大号泣ですが、6人家族から、5人家族になった記録は、残しておきたいなぁと思って、書きました。


うっかり読んじゃって気分を害されていたらすみません(´・ω・`)





さて、もう少し、続きます。
ペースメーカーは、火葬では燃やせないから、取り出す作業をするということ、それと同時にお寺、葬儀屋へ連絡。
それから、祖父が戻ってくるので


家 の 片 付 け


私以外の女性陣は病院に残り、男性陣+私は家の片付けに戻りました。
家には二間続きの座敷があるのですが、趣味のカラオケセットやら、祖父のもの、それになにより
半分私の作業部屋だったのでw

布類が大量にありました。
片付け、めっちゃ大変でした(´□`)
普段から、片付けておきましょう。切実に。


とりあえず整理整頓してる暇などないから、全て軽トラに乗せて小屋へ!ってことで、全部なくして、掃除して。
お布団敷いて、祖父の到着を待ちました。

それからは葬儀屋さんが頻繁に出入り。
9日(日)1日あけて、10日(月)が通夜、11日(火)が、告別式になりました。

1日あいたので、その間に仕事片付けたり。
(ここで仕事しなきゃいけないってすごいですよね…当たり前なんでしょうかね…)
父は電話で指示出して。弟はPCでメール。私と母は車で職場に行ったり。


そんな中、遺影を探して、弟や父がSDカードやPCの中のデータ探したり、祖母が旅行の写真ひっくり返したりしてました。
結局従妹の成人式の写真を使うことに。

私の成人式には、具合が悪くて入院していたので、祖父が写っているのは、従妹の成人式だったんですねぇ…
ちょっとじぇらしーw


でもデータがSDカードに残ってたので、私がレタッチしました^v^
メガネのてかりを直したり、色補正したり。
最後に祖父の写真をいじるなんてね…この趣味やっててよかったなぁって思いましたw


そして、プリントアウトして葬儀屋さんに提出。



通夜、告別式は怒涛のように終わってしまったのですが、
祖父が家に戻ってきて、布団に寝かせる時、

祖母の「ついに旅支度じゃないのよぉ」っていうのと、「足が悪いって言ったって、頑張ってあっちまで歩いて行かなきゃなんないんだから、しっかりね。」っていう言葉に、うるっときてしまいました。

「足、切らなくてよかったねぇ」っていう家族の言葉も。


胃ガンで胃の1/3を摘出したこともありました。
糖尿で足が悪くて、短期の施設に入所してほとんど寝たきりになったら、足の指が壊死してきたりしてました(ほんの、数週間前)。
狭心症でペースメーカー。
腎臓悪いのでカリウム制限。

思い返すといろいろあったなぁと思います。


亡くなったことや、通夜、告別式のお知らせを出すと、近所の人やら親戚の人やらひっきりなしに家に来ました。
葬儀の会場までマイクロバス2台も出すほど。


私の仕事はお茶出し。
でもこうたくさん人が来ると、愛されてたんだなぁって思いますね。
お茶出しなんて、苦じゃないぜ!

田舎の、世話役、長老的な立場だったので、よく相談事持ち込まれたり、カラオケみんなが練習できるようにって、マイカラオケ機械、レーザーディスク買ってみんなを練習に呼んだり、曲をテープに録ったりしてあげてたものね

小さいころから人が集まる家でした。

私も祖父みたいにみんなに愛される人になりたいなぁ



あ、あと意外と大仕事だったが弔辞?っていうか…えっと、喪主?の挨拶??
父が書いたものを、学校関係の私と母が添削めっちゃ頑張ったw


私が役に立ったの、このくらいかな。


通夜、告別式もたくさんの人が来てくれてねぇ…
火葬まで、無事にすみましたよ。

火葬した骨がピンク色で、「?」って思ってたら、「本当は真っ白なんですが、これは花の色素が焼き移るんですよ」って教えてくれました。
なんか雅(?)だね。

あ、そうそう。棺にはカラオケの本と、自衛隊の艦船が好きだったから、それを入れました。
カラオケの本は確か藤あや子が好きだったから…と、藤さんが表紙の本を探したら表紙黄色ですごく目立ってしまったw
艦船の本は今でいうところの艦コレ?に、出てくる戦艦とかたぶんたくさん載ってる。

1ヶ月に1冊発行、毎月買ってたから家にまだまだありますよ。
小さい頃自衛隊の演習とか観に行ったなぁ。

祖父が元気だったら艦コレっていうのが今流行ってるんだよって教えてあげたかったw
どんな反応しただろう…「へぇそうけ」っていうかな。(笑)




さて
4月20日(日)
四十九日、納骨も終わり、一区切りしました。
この時までは、従妹達も来ていて、地元のお蕎麦屋さんで会食。


6月8日(日)
百ヵ日、終わりました。
従妹夫妻は来ず、母の妹夫妻のみ。
元バイト先のインド料理屋で会食。
法帖さんの話が長くて、終わってから1時間半くらい?ずっと地元の歴史について語ってたw
でも今はもうほとんど知らない話とか、聞けて勉強になりました…





やっぱりふと、寂しいなぁと思うこともありますが、確実に日々は流れていきます。

そうそう、卒園式のピアノ、間違えずに弾けました。祖父のおかげ。


8日に亡くなって、私の誕生日の18日が卒園式だったんですがね。
不思議なことがあって…



四十九日までは、座敷にお骨があったんです。
二間続きの座敷の、お骨が置いてない方にピアノがあるので、そこで練習始めると、
なぜか電源を入れてないのに暖房がつくんです…w


「暖房」「電源」とかって言葉で言うと、音声認識して暖房つくやつなのですが、今まで他の音で反応したことなかったんですね。
もちろんピアノでも。


それがなぜか、つくw

お骨に後ろ向けてるので、祖父の仕業としてもちょっと怖いw
「おじいちゃん、ご心配ありがとうございます。そんなに寒くないので、大丈夫です!!」って何度言ったかw

全部で3回くらいついたのかな…
父が元電源切ってくれるまで、ね… やはり祖父に心配されていたのだろうか。

そんな応援のおかげで間違えずに弾けたわけですけどね。



それから、家族で私だけ祖父の夢を見る。
もともと第6感、通称カンと呼ばれるものに鋭い(らしい)叶さん。
「嫌な場所」「良い場所」を感覚で選んだりできる。

嫌な場所には本能で行きたくなくなる。たとえ行きたい好奇心があっても、その場に入ると「あ、駄目」って体が逃げる。

霊ははっきり見えないんだけど、自分や友達に害が出てくるものは感覚的になんとなくわかるらしい。
沖縄とか、大変だったんだ…

まぁまたそれは別の話なんですが。


祖父の夢。
何回か見たのですが、覚えているものだけ。


私が仕事から帰ってくると(なぜか昼間)
祖父が居間に座っている。周りには祖母とか母とか父とか弟とかリビングにいた気がする。
で、「おお、帰ったか。」「ああ、うん。」

そこで、(あれ…?もう火葬も終わったよね…?これ夢…?)って気付く私。
その間も、祖父の「幼稚園、どうだった。」みたいな話に答えてる私。

でもそこで、「はっ!私ばっかり話してちゃだめじゃん!せっかくの機会なんだからいろいろ聞いてみなきゃ!」
って思って、「そっちはどうなの?どんなところ?やっぱり川とか流れてたりお花畑があったりするの??」

って、意を決して聞いてみた!(笑)

そしたら、「いやぁ、案外なにもないよ。灰色っぽい。」って、言ってた祖父。
(その瞬間灰色の空間に漂うイメージを見る。)

予想外の答えに「お…おう…!」みたいになる私。そして「まだ四十九日過ぎてないから綺麗なところにはいけないのかもね…!」
ってフォローしてた私。




あと、四十九日の前の日の夢だったかな。
夜、仕事から帰ってきて家に入ろうとしたら、祖父が庭から私を呼び止めて、「明日はよろしく頼む。」
って言ったのね。
「ああ、はいはい。(家に)入らないの?」
「こっちでいいんだ。」
「そう?じゃあまた明日ね。」


っていう会話。


あとあと、他の家族が「なんであんたばっかりおじいちゃんの夢見て!見てないんだから!なんで出てこないのか聞いといて!」
っていうから、聞いてみた(/・ω・)/


「忙しいんだよ。」


だ、そうです。
なんかお勤めがいろいろあるらしいよ~


がんばれ!おじいちゃん!







最後はギャグみたいになりましたけど。

一応これでおしまい。


また何かあったら足しますね^^








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いないと思いますが!

ここまで読んでくださった方、いらっしゃったらありがとうございました^^





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2 コメント

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ご冥福を (ますだ)
2014-06-30 08:12:30
最近、義母が他界したばかりなので
お気持ちわかります。

一緒に暮らしていたのなら、
なおさら悲しいですよね。

家族に見守られて、おじいさまは
幸せな逝きかただったかもしれません。
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ありがとうございます。 ()
2014-07-01 22:46:34
ますださんのお義母さまも同じ時期でしたものね…
葬儀等お疲れ様でした…。

こうして改めてまとめてみてみると、最後に一人じゃなかったっというのは、祖父にとっても家族にとってもよかったなぁと思います。
残された身としては、残りの人生精一杯がんばらないと!と、思います。
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