ネガティブと共に生きれなかった

私の『近所の老人の弔問を断ったホームページURLを載せている紹介ブログ』です。後日談や補足的説明なものを綴っていきます。

昨日の話の続きです。

2024-03-05 20:42:24 | 私のHP
こんばんは、ゆみつぐです。
昨日の私はテンション爆上がりって感じでした。

しかし昨日のブログ記事は慎重になって書いたつもりなので、書き過ぎた!と思っての後になっての削除部分はありません。
脱字が一つ、『ぶつけられ』の後の『て』が抜けていたのでそれを書き加えた程度です。
なので昨日、あの時間での投稿になりました。その日のうちに投稿しておきたかったのもあります。

話は少し変わりますが、多分この近所オバサンは、近所世界でたまに路上駐車する人達にとっては『神』だと思います。

時々、年末年始や連休が続く日に家族親類が自分の家に訪れて路上駐車する家の人たちにとって、
「あの『公的ではないけれど社会的立場があるだろう』家族が、いつもいつもいつもいつもほぼ毎日同じ時間帯に路上駐車してるんだから、
自分達はその何十分の一にもならない時間の路上駐車なのだから全然平気、大丈夫だろう」と。
『お陰様で』の感謝の気持ちはあると思います。
本当の意味での、この『影』の意味はここで成立するのでしょう。

『赤信号、みんなで渡れば怖くない』的な。

それに近所オバサンと言う存在が、自分(たまに路上駐車の人)と仲が悪くない、ただの普通のご近所関係ならむしろ更に親近感みたいなものを抱き、仲が良くなってしまう感じではないでしょうか。
そりあ路上駐車をしてしまう人達には、『盾になってくれる』鬼に金棒的な存在なのではないでしょうか。公的でないけれど社会的立場があるだろう人だし。

ここではっきりさせておきたい私の考えは、
それぞれの家庭で、それぞれのタイミングで、それぞれの時々、ケースバイケースの事情で路上駐車する時もあるので、『路上駐車行為撲滅』とかなんてこれっぽちも思ってません。

ただのこの家族のように『家の前の道路は私たちのものだ!!』と確信犯的な行為には嫌悪感しかないって感じなんですよね。

昨日の警察官による実況見分の時にこの旦那も立ち合っていたんですが、そこで聞こえてきたのは、
『ここは府道でなく、私道だから』と警官に話しているようでした。
その言葉を聞いた時の私は、『しどう』を『市道』と解釈していましたが、いくらぶつけられた被害者とはいえ『市道』で自分ちの路上駐車を正当性を警察官に容認させる感じはいかにも矛盾があり図々しいので『私道』と言ったのでしょう。『私道だから路上駐車ではない』というニュアンスを伝えていたようです。
(でも以前両親が生きていた頃に、同じ住宅街であるうちの前の道も私道だったけれど、いつか市に寄付的なものをしてすでに自分のものとしての道でないことを聞いていました。それを知らないのでしょう。)

しかもそもそもこの近所オバサンの家の駐車スペースは、ミニバンを入れられるように考慮して大きく作られていないので、縦型の駐車スペースでもミニバンの先っぽは道路にそこそこはみ出ているんですよね。昨日の路上駐車の場合はいつも。
なので家の前に旦那の軽ワゴン車を横づけで停める時は、ミニバン前に横付けするとかなり道路の中央寄りになるので、ミニバンのはみ出た部分をよけるためにその左横(うちから見たらですが)にずらしておくのですが、そもそもの狭小住宅地なので間口も狭く、左にずらした分、今度は隣の家の前の道路まではみ出るんですよね。
そうなっていても無神経で平気でいるんですよね。
自分のことしか考えない性格の家族たちだなって思います。

まぁ、この近所オバサンのことだから抜かりなく前から、自分のほうが無理矢理そうやって置いているのにも関わらず、きっと隣の家の人にはいつもの高音の声で愛想よく「車の後ろがはみ出ることがあるかもしれないけど、邪魔な時は気軽に言ってね」と告げているはず。まるで自分は人の話をちゃんと聞く寛容な人間みたいに立場をすり替えていることでしょう。

そんな感じで傍から誰が見ても、人の家の前まではみ出ている置き方がおかしくてもいつも平気でいられると思います、この家族には。

そしてもし他の近所の人にその異常な置き方を指摘されるようなものなら、「ちゃんと車出す時は言ってねって話しているのよ」と『隣との“それくらいの仲良さ”アピール』と同時に、『自分はすることはしているのよ、残念ね』をアピールしてくることでしょう。
すごい私の妄想のように聞こえるでしょうが、この人は『公的ではないけれど社会的立場の自覚がある人』なので、なかなかそんな人目に関することは用意周到さと抜け目のなさがあると思いますよ。

前回の私のブログ記事で、この家族の路上駐車について含みを持たせて終わらせたのはこういったことを書きたかったからです。
ただですね、これだけじゃまでまだ言い足りないことがあるんですよね、しつこいようですが。また書くことでしょう。

写真も撮ってあるんですが、そのまま載せるわけにもいかないので、何かイラストなり簡単な図なりに描ける無料のアプリがないかと探しています。
アプリが見つかったしても使いこなすまでまた時間がかかりそうなので次回の投稿は少し先かもしれませんが、気ままに待っていただける方、お待ちください。

文章での位置・状況説明って難しいです。今回も多分路上駐車の様子は伝わっていないと思います。そういうのはやはり図などの一目瞭然がいいです。

で今日の夜も、もう子供家族のミニバンが近所オバサンちの前に横付けされていましたね。いつもながら路上駐車するにはかなり大きい車ですね。
その横は確かに車は通れますが、そういう問題でもないことはこの家族にずっとわからないでしょうね。

自分達が路上駐車しているなんて自覚はまったくないんですね。今日停めてあるのを見てよーくわかりました。
近所オバサンちの隣の家にもきっと子供家族が車で来て長居をしたい時だってあるだろうにそんなことはお構いなし。ほぼ毎日夜、家前駐車。
自分達さえ良ければそれでいいらしいです。自らの無言の遠慮とか譲り合いとか気遣いはまったくない、する気もないようです、近所オバサン家族は。

まぁ、この隣の家のオバサン(年齢的にはおばあさん世代ですが)も見た目はごく普通の常識人に見えますがなんか『癖ありババア』のようで、情報がもらえるからなのかよく近所オバサンとかなりの長い立ち話を大きな声をしている姿を見かけます。どっちもどっちの人なんだなと感じで、可哀そうとも思いません。

今日もまた長々となりました。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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