韓流ブームの信者になった女房は、中部国際空港からソウル二泊三日の海外旅行に、友人と出掛けて留守である。公休日で焼酎を呑みながら留守番をしていると、電話である。アメリカン・ホーム・ダイレクト(AHD)からである。
AHD「40歳から23年間、弊社の癌保険に加入していただき有難う御座います」
私 「女房がやっている事で、私の知らないことである」
AHD「本日は新商品が出来たので、そのご案内の電話です」
私 「23年間の感謝を込めて、割安な保険を紹介するのか」
AHD「新型の癌に対応する、内容の充実した商品です」
私 「そもそも23年間の私の掛け金は何処に消えてしまったのか。配当金をもらっていない」
AHD「パンフレットを送るのを止めます」
年間6万円×23=138万円の行き先は。私は何を買ったのか。汗と涙のささやかな給料から工面して捻出した23年間で138万円の金額はAHD社員の一人分の夏季賞与にも満たない金額である。私の存在は何なのだ。会社で私が憎まれている無能力で胡麻摺り上司と軽蔑している人間から「癌である」と言われているから、保険金の給付を申請したいと思っている。
雇用保険・医療保険・厚生年金・基礎年金の社会保険と自動車保険の恩恵は頂いて有り難い事である。しかし生命保険や特殊医療保険は個人的に好きでないのであるが、私の死後の諸々の面倒を見る家族の苦労を思い、爪に灯を燈して倹約し支払っている。年金の信頼性が低下して以来、猜疑心が強くなってきている。
仕事の師匠である先輩は、重度の糖尿病と診断された時、奥さんが生命保険を増額したことに腹を立て、離婚した。アパートに一人で暮らし、一人娘を受取人にして、自身に4千万円の生命保険を掛け、その支払いは給与の3割になると言う。
そして、インシュリンの代金が、医療費3割負担の法律改悪の為、負担が増えている。老体と病体に鞭打ち過酷な労働で、ささやかな賃金を稼ぐ姿に涙が出るのである。定年の65歳を過ぎると、同じ掛け金でも、支給額が千八百万円に減額されるので、65歳までに死ねると有難いと冗談で言う。弱者を切り捨て、勝ち組が笑っている悲しい現実である。
商法680条「保険者の法廷免責事由」に、「被保険者が自殺、決闘その他の犯罪または死刑の執行によりて死亡したるとき」は保険金を受け取れないことになっている。死刑囚になる行為は自殺行為であるという法解釈なのだろう。但し掛け金は返却される様で、香典なのだろう。
保険会社の営業政策は、金儲けでなく、人の心を救う崇高な理念を基礎に、裏方に徹し、派手に活動することは、逆効果である。人を助ける外交員の献身的な活動が王道で、電話による事務的な商売は間違っている。人の生・老・病・死の悩みを扱う事業は商売でなく、聖職者の奉仕活動である。誰にでも出来る活動でないと思うが、花形産業になっていることは、腑に落ちない奇妙な現象である。
AHD「40歳から23年間、弊社の癌保険に加入していただき有難う御座います」
私 「女房がやっている事で、私の知らないことである」
AHD「本日は新商品が出来たので、そのご案内の電話です」
私 「23年間の感謝を込めて、割安な保険を紹介するのか」
AHD「新型の癌に対応する、内容の充実した商品です」
私 「そもそも23年間の私の掛け金は何処に消えてしまったのか。配当金をもらっていない」
AHD「パンフレットを送るのを止めます」
年間6万円×23=138万円の行き先は。私は何を買ったのか。汗と涙のささやかな給料から工面して捻出した23年間で138万円の金額はAHD社員の一人分の夏季賞与にも満たない金額である。私の存在は何なのだ。会社で私が憎まれている無能力で胡麻摺り上司と軽蔑している人間から「癌である」と言われているから、保険金の給付を申請したいと思っている。
雇用保険・医療保険・厚生年金・基礎年金の社会保険と自動車保険の恩恵は頂いて有り難い事である。しかし生命保険や特殊医療保険は個人的に好きでないのであるが、私の死後の諸々の面倒を見る家族の苦労を思い、爪に灯を燈して倹約し支払っている。年金の信頼性が低下して以来、猜疑心が強くなってきている。
仕事の師匠である先輩は、重度の糖尿病と診断された時、奥さんが生命保険を増額したことに腹を立て、離婚した。アパートに一人で暮らし、一人娘を受取人にして、自身に4千万円の生命保険を掛け、その支払いは給与の3割になると言う。
そして、インシュリンの代金が、医療費3割負担の法律改悪の為、負担が増えている。老体と病体に鞭打ち過酷な労働で、ささやかな賃金を稼ぐ姿に涙が出るのである。定年の65歳を過ぎると、同じ掛け金でも、支給額が千八百万円に減額されるので、65歳までに死ねると有難いと冗談で言う。弱者を切り捨て、勝ち組が笑っている悲しい現実である。
商法680条「保険者の法廷免責事由」に、「被保険者が自殺、決闘その他の犯罪または死刑の執行によりて死亡したるとき」は保険金を受け取れないことになっている。死刑囚になる行為は自殺行為であるという法解釈なのだろう。但し掛け金は返却される様で、香典なのだろう。
保険会社の営業政策は、金儲けでなく、人の心を救う崇高な理念を基礎に、裏方に徹し、派手に活動することは、逆効果である。人を助ける外交員の献身的な活動が王道で、電話による事務的な商売は間違っている。人の生・老・病・死の悩みを扱う事業は商売でなく、聖職者の奉仕活動である。誰にでも出来る活動でないと思うが、花形産業になっていることは、腑に落ちない奇妙な現象である。