
長らくご無沙汰していた、昔に曹洞禅の指導を頂いた和尚から、葉書ではなく封書で越年祈禱法要の案内が届いた。手紙が同封されている。虫の知らせだろうか無視できない。
法要の日には所用で行けないので、援農奉仕のお礼の品である和尚の好物の市田柿を携え訪問した。
坊守から数日前に和尚が遷化されたことを知らされた。
臨済宗の禅僧と違い寡黙で、法話を拝聴したことはなく、茶話会でも他人の話を笑顔で聞くが、口を開く事は希で、只管座っていた。
荘厳で美しい寺であるが、夏にテレビ愛知で放映された寺が美し過ぎると謙遜する。
製作者の意図により、真実以外の事案を(テレビで)自身で見たからという理由で盲信しているのではないかと感じた。ネット上で行き交う様々な情報を全て自身で確認できるわけではないが一度立ち止まって考えなおす事が正しいのかもしれない。正しいという言葉は一度止まると書く。
詭弁を弄し論破し、不誠実が蔓延する世間であるが、多数決の論理や流行に流される烏合の衆となるのでなく、自分が主人公で「一度立ち止まって考えなおす」大切な教えと思い肝に銘じる。
今年も仏画の令和2年のカレンダーを頂戴したが、和尚からの手紙と共に遺言に成った。合掌。