名鉄電車の東岡崎駅から名古屋に向かうと直ぐに岡崎城が見える。岡崎城(龍城)は、愛知県岡崎市康生町にあった城で現在は岡崎公園として整備され、天守などが復元されている。徳川家康生誕の地として有名である。春の桜、夏は花火で人気がある。
付近は昔々、繁華街として活況を呈したが、自動車社会は買い物客を郊外のスーパーに誘導し、人の寄り付かない廃村の様相を呈していた。最近、百貨店とホテルの跡地に、巨大マンションが出現した。「岡崎タワーレジデンス」で鉄筋コンクリート造 地下2階・地上31階 215戸が入居している。販売価格は2680万円~1億3500万円である。最上階は富豪用の億ションである。
戦国時代の一国一城の主・徳川家康が一人住んだ城と、経済戦争の覇者である一国一城の主が、積み重なって多数住む「岡崎タワーレジデンス」は電車の窓から並んで見える。物質文明の繁栄を極める現代のマンションが、農業国の時代の岡崎城を完璧に見下している。物質文明の勝組はもしかしたら、田舎の古民家の岡崎城の様な豪邸に老人を残し、カネモノの誘惑に負けて、都会に住み付いたのかも知れない。
どちらの時代が豊かな時代なのだろうか。心を大切にする事と、モノカネを追求する事と。人間として。
早寝早起きして労働に勤しみ、井戸端会議で地域の情報を知り、ご飯と味噌汁と魚の干物の質素な食事。義理人情の喜怒哀楽の日々。職人社会。旅は神社仏閣を人生で数度。変わらぬ自然に囲まれた50年程の寿命の江戸時代。
宵っ張りの朝寝坊でマネーゲームに明け暮れ、パソコンで世界の情報を知り、和食・洋食・中華食べ放題の毎日が宴会。義理欠く・恥かく、礼儀欠くクールな人間。学者社会。旅は年に数度の海外旅行。日進月歩で急速に変貌する人工環境に住む80年を超える寿命の高度医療社会。
岡崎城は地面に建つ家屋であるが、マンションは屋根の上に何層も重なった立体長屋である。江戸時代は庶民が住む家屋を長屋といったのである。その長屋も地面の上にあった。
現代社会の武将は誰なのだろうか。それはカネで、紙幣という印刷物である。そしてその棲家は日本銀行の地下金庫で大量に眠っている。江戸時代のカネは大判小判でゴールドAuである。
徳川家康に該当する征夷大将軍を平成時代に探すと内閣総理大臣だろう。治世をしているかというと、金勘定はしているが、国民に対する奉仕は何もしていない。そして住居は国民の税金で建造した議員会館で億ションであるが家賃は低額である。
車窓の風景からこの様に思う私は近代社会の不満分子の風来坊で、お祭り騒ぎに水をさす言動に耐えられず、酒を飲んでお詫びする。
付近は昔々、繁華街として活況を呈したが、自動車社会は買い物客を郊外のスーパーに誘導し、人の寄り付かない廃村の様相を呈していた。最近、百貨店とホテルの跡地に、巨大マンションが出現した。「岡崎タワーレジデンス」で鉄筋コンクリート造 地下2階・地上31階 215戸が入居している。販売価格は2680万円~1億3500万円である。最上階は富豪用の億ションである。
戦国時代の一国一城の主・徳川家康が一人住んだ城と、経済戦争の覇者である一国一城の主が、積み重なって多数住む「岡崎タワーレジデンス」は電車の窓から並んで見える。物質文明の繁栄を極める現代のマンションが、農業国の時代の岡崎城を完璧に見下している。物質文明の勝組はもしかしたら、田舎の古民家の岡崎城の様な豪邸に老人を残し、カネモノの誘惑に負けて、都会に住み付いたのかも知れない。
どちらの時代が豊かな時代なのだろうか。心を大切にする事と、モノカネを追求する事と。人間として。
早寝早起きして労働に勤しみ、井戸端会議で地域の情報を知り、ご飯と味噌汁と魚の干物の質素な食事。義理人情の喜怒哀楽の日々。職人社会。旅は神社仏閣を人生で数度。変わらぬ自然に囲まれた50年程の寿命の江戸時代。
宵っ張りの朝寝坊でマネーゲームに明け暮れ、パソコンで世界の情報を知り、和食・洋食・中華食べ放題の毎日が宴会。義理欠く・恥かく、礼儀欠くクールな人間。学者社会。旅は年に数度の海外旅行。日進月歩で急速に変貌する人工環境に住む80年を超える寿命の高度医療社会。
岡崎城は地面に建つ家屋であるが、マンションは屋根の上に何層も重なった立体長屋である。江戸時代は庶民が住む家屋を長屋といったのである。その長屋も地面の上にあった。
現代社会の武将は誰なのだろうか。それはカネで、紙幣という印刷物である。そしてその棲家は日本銀行の地下金庫で大量に眠っている。江戸時代のカネは大判小判でゴールドAuである。
徳川家康に該当する征夷大将軍を平成時代に探すと内閣総理大臣だろう。治世をしているかというと、金勘定はしているが、国民に対する奉仕は何もしていない。そして住居は国民の税金で建造した議員会館で億ションであるが家賃は低額である。
車窓の風景からこの様に思う私は近代社会の不満分子の風来坊で、お祭り騒ぎに水をさす言動に耐えられず、酒を飲んでお詫びする。