
ガースー総理の常套句「仮定の話にはお答えできない」がある。
ラジオの音声では前後の話を聞かないと「過程の」なのか「家庭の」なのか「課程の」なのか理解できない。日本語は難解なので日本人は人の話を真剣に聞く習慣があった。しかし戦後教育は欧米追従なので母国語を敬遠しカタカナが氾濫するから古風な老人には住み難い不愉快な世間になった。
安倍前総理は民主党政権の「決められない政治」を非難し、人の話に耳を貸さず独断と偏見で拙速に物事を決めたが、事後に問題噴出、虚偽答弁を繰り返すことになった。
宝くじ売り場でジャンボ宝くじを6000円分購入した。販売員は「必ず600円が当たります」このセールストークは虚偽なのか真実なのか、仮定の話にはお答えできない。
言葉足らずなのである。条件設定が不足している。「連番で20枚購入したら必ず7等2枚600円が当たります」、真実である。
昨年大晦日抽選のジャンボ宝くじの一等23組 150367番を仮定の話としてユニット違いで20枚購入してたら、140億円を手にすることが出来た。
仮定の話をすることは夢物語なのだろう。正夢なのか、悪夢なのか、結果を見ないと分からないが、仮定の話に答えない政治は良かれ悪しかれ夢の無い政治だろう。