若者と食事をした人の話。いただきます。若者曰く、金を払っているから、いただきます はおかしいですよ。
若者は いただくもの を勘違いしている。
千日回峰行者が今でも過酷な修行をしている比叡山延暦寺の西塔居士林での夏の参禅会に7年間通った思い出がある。
お寺では食事作法を大切にする。
われ今幸に、仏祖の加護と衆生の恩恵によって、この清き食を受く。つつしんで食の来由をたずねて、味の濃淡を問わず。その功徳を念じて品の多少をえらばじ。いただきます。
音の無い静寂の支配する食堂に正座して速やかに食事を終り、御茶で食器を洗い、その御茶を飲み干す。
われ今、この清き食を終わりて、心ゆたかに力身に充つ。願わくは、この心身を捧げて己が業にいそしみ誓って四恩(両親・国・友・仏法僧)に報い奉らん。ごちそうさま。
万物の霊長は支配者だから万物は奴隷と考えるなら人間の驕り、そんな単神教狩猟民族は異端。大自然の御蔭で生かされている自分を自覚する多神教農耕民族は いただきます ごちそうさま ありがとう が自然に言葉になる。