1985年開催の「カラヴァッジョとその時代展」以降、カラヴァッジョを冠した展覧会は90年代、00年代と年を追うごとにますます盛んとなっていきます。
宮下規久朗氏著作「カラヴァッジョへの旅」の文献案内で紹介されているいくつかの展覧会を確認していきたいと思います。
まず、「Sulle orme di Caravaggio - tra Roma e la Sicilia」。(日本語:カラヴァッジョの足跡-ローマとシチリアの間)(うまく訳せません)。
パレルモのPalazzo Ziinoで、2001年3月4日~5月20日に開催された展示作品数36点の小規模な展覧会です。
手元の図録をもとに、展示内容を確認していきます。
No.1~6 カラヴァッジョ(1571-1610)
1 聖ルチアの埋葬(パラッツォ・ベッローモ州立美術館)
2 ラザロの復活(メッシーナ州立美術館)
3 羊飼いの礼拝(メッシーナ州立美術館)
* シチリアの誇るカラヴァッジョ3作品がパレルモに勢揃い。
4 エッケ・ホモ(ニューヨーク、個人蔵)・・・ 真作性については?
5 瞑想の聖フランチェスコ(パラッツォ・バルベリーニ国立古代美術館)
* カプチン聖堂の作品ではなく本作が真作と考えられているようです。
6 生誕(パレルモ、サン・ロレンツォ礼拝堂旧蔵)
*1969年の盗難後は行方不明。本展では写真を展示した?
No.7~13 カラヴァッジョ・コピー作品
シチリア各地の美術館・教会からカラヴァッジョ作品のコピーが集められています。
7 エマオの晩餐(第1作)
8 ロレートの聖母
9 円柱のキリスト・・・今はなき原作のコピー?
10 エッケ・ホモ・・・ ジェノヴァ、パラッツォ・ロッソ所蔵作品のコピー
11 瞑想の聖フランチェスコ・・・5と同じ図像。ローマ個人蔵。
12 生誕
13 聖ルチアの埋葬
No.14~21 マリオ・ミンニーティ(Mario Minniti)(1577-1640)
ミンニーティについては、宮下氏「カラヴァッジョへの旅」の苦みたっぷりの記述から多少加工して引用させてもらいます。 私にとってのミンニーティの印象はこの記述がすべてだからです。
・ミンニーティは、ローマに出たばかりのカラヴァッジョとシチリア人の画家の工房で出会う。その後ともにデル・モンテ枢機卿の邸宅に移り住み、初期のカラヴァッジョ作品のモデルをつとめた(「女占い師」などに登場する豊頬の少年)。
・あどけなく、かわいらしい顔に似合わず、この男はカラヴァッジョと同じく凶暴な性格をもっていた。故郷(シラクーザ)でもめごとを起こしてマルタ島へ逃げ、ついでローマに出る。カラヴァッジョと出会ってからはその弟分として、徒党を組んで賭場や居酒屋でいさかいをくりかえす仲間であったが、やがてこうした荒廃した生活に嫌気がさし、ローマで独立して結婚(1600年頃?)。
・やがて里心が起き、1604年頃、10年間のローマ生活を切り上げて妻を伴って帰郷。ところがここでふとしたはずみで人を殺してしまう。その後しばらく被害者の親族に懇願したり有力者を動かしたりした挙句、赦されるのだが、当地にいづらかったのか、メッシーナに移り住む。
・そこで精力的に制作してシチリア中に名声を馳せ、一時は弟子が12人もいたという。妻が亡くなると、これ幸いと地元の貴族の令嬢と結婚し、贅沢な生活を送ったという。マルタ島にもわたって制作し、富と名声に恵まれつつ1640年に天寿を全うした。
・絵から判断する限り、どうしようもない凡才であったが、世渡りがうまかったせいか、天才だが生を全うできなかったカラヴァッジョとは対照的な後半生であった。
・マルタから逃れてきたカラヴァッジョが頼ってきた(シラクーザ滞在は1608年の10-12月)。かつての兄貴分とはいえ、8年間も疎遠だったのだが、温かくこれを迎え、できる限りのことをした。「聖ルチアの埋葬」の仕事を斡旋したのである。自身が狙っていたものか、依頼されていたものであろう。それを気前よく譲ったのである。もっともイタリア全土に響く名声をもっていたカラヴァッジョのために口をきくことで、自身の人脈を誇示しようとしたのかもしれない。
No.14「十字架を担うキリスト」、No.15「キリストの笞打ち」は、2001年の東京・岡崎の「カラヴァッジョ展」にも出品されました。が、全く印象には残っていません。
彼が凡才かどうかを判断する能力は私にはありませんが、本展出品の8点の図版を見る限り、聖なる女性の顔の描写にはちょっとひかれるものがあります。
例えば、これ(No.16「キリストの割礼」)。
評価は低いかもしれませんが、シチリアの重要なカラヴァッジェスキの一人であるらしく、2004年にシラクーザで「マリオ・ミンニーティ」回顧展(全37点、うちミンニーティ作品22点)が開催されています。
No.22~26 アロンソ・ロドリゲス(Alonzo Rodriguez)(1578-1648)
・No.22「エマオの晩餐」、No.23「聖トマスの不信」は2001年の東京・岡崎の「カラヴァッジョ展」に出品され、強く印象に残っています。この2点は、1951年の大回顧展でロンギによりカラヴァッジョ帰属作品として提示されたほど。非常に気になっている画家です(が、インターネットでも情報はほとんど見つけられません)。
・シチリアの最も優れたカラヴァッジェスキの画家とされていますが、これまで彼の回顧展が開催されたことがあるのかどうかは確認できません(あれば、カタログが欲しい)。本カタログには、約10頁の画家の解説(読めませんけど)と本展不出品作品の白黒図版(これは貴重)が掲載。
No.27~28 フィリッポ・パラディーニ(Filippo Paladini)(1544頃-1616頃)
・メインの3人より約30歳年長。出品の2点はカラヴァッジョ風。晩年の作でしょうか。
No.29~30 il Monocolo di Racalmuto(1579-1647)
No.31~33 il Monrealese(1603-1647)
No.34 Carlo Sellitto(1581-1614)
No.35 Gregorio e Mattia Pretti
No.36 逸名画家
小規模ではありますが、ロドリゲスが気になる私としては、見たかった展覧会ということで、取り上げました。
メッシーナやシラクーザを地道に巡れば、見ることができるのでしょうかけど、そんな旅を実現できる時間・金・体力・総合的な旅力が私にあるとは思えません。