松方コレクション展
2019年6月11日〜9月23日
国立西洋美術館
本展の第6章は、「ハンセン・コレクションの獲得」。
1922〜23年、松方幸次郎は、ハンセン・コレクションから近代フランス絵画34点を購入した。そのうちの11点が出品されている。
ドーミエ、コロー各1点。ドガの《マネとマネ夫人像》。マネ《ブラン氏の肖像》《自画像》。モネ《積みわら》《ラヴァクールのセーヌ河》。シスレー、ピサロ各2点。
質が高いフランス印象派絵画たちである。もちろん他の章にも質が高いフランス印象派絵画は多数展示されているが、この章は密度が違う。
ドガ
《マネとマネ夫人像》
1868〜69年頃
北九州市立美術館

モネ
《積みわら》
1885年
大原美術館

そのような質が高いフランス印象派絵画を所有したハンセン・コレクションについて確認する。
ウィルヘルム・ハンセン(1868〜1936)は、保険業で成功したデンマークの実業家。
フランス印象派のプライベート・コレクターとして著名な存在であった。
しかし、1922年、金融危機によりそのコレクションの一部、フランス絵画コレクションの半数以上にあたる約80点、を手放さざるを得なくなる。
その機会に、松方は34点を購入することに成功する。
他の購入者(松方の競合相手)としては、スイスのオスカー・ラインハルトや米国のバーンズ(そして同じデンマークのニイ・カールスベルグも?)が挙げられるようだ。
ハンセンは、その後危機を乗り越えて財政基盤を立て直す。1936年に死去するまで、手放した作品を新たな作品で取り戻すべく、再びコレクションを充実させる。1951年、妻が死去、そのコレクションはコペンハーゲン郊外の土地・屋敷とともに国に遺贈される。1953年、オードロップゴー美術館として開館。フランス印象派絵画や自国デンマークの作家(ハンマースホイなど)の作品の充実度で知られる美術館であるようだ。見事なコレクター復活である。
ハンセン・コレクションから取得した松方コレクション34点を確認する。
『松方コレクション 西洋美術全作品 第1巻 絵画』を参照。もちろん図書館にて。
✳︎印は、本展出品作を示す。
ドーミエ:1点
《観劇》✳︎
国立西洋美術館(松方家より寄贈)
コロー:2点
《罪を悔いる女(マッダレーナ)》✳︎
三井住友銀行
《オンフルールのトゥータン農場》
ブリヂストン美術館
ドガ:2点
《マネとマネ夫人像》✳︎
北九州市立美術館
《カードを手にするメアリー・カサット》
ナショナル・ポートレート・ギャラリー、ワシントン
マネ:2点
《ブラン氏の肖像》✳︎
国立西洋美術館(松方家より寄贈)
《自画像》✳︎
ブリヂストン美術館
モネ:7点
《ラヴァクールのセーヌ河》✳︎
個人蔵(愛知県美術館寄託)
《積みわら》✳︎
大原美術館
《モンソー公園》
個人蔵、イスラエル
《雨のベリール》
ブリヂストン美術館
《アルジャントゥイユの洪水》
ブリヂストン美術館
《午後のヴェトゥイユ》
個人蔵
《ルーアン大聖堂》
個人蔵
ルノワール:2点
《若い婦人の肖像》
個人蔵
《少女》パステル画
ブリヂストン美術館
シスレー:7点
《冬の夕日(サン=マメスのセーヌ河)》✳︎
個人蔵(米国)
《サン=マメス 六月の朝》✳︎
ブリヂストン美術館
《モレ=シュル=ロワンの橋》
フィラデルフィア美術館
他4点(個人蔵1、不明3)
ピサロ:5点
《収穫》✳︎
国立西洋美術館(松方家より寄贈)
《ルーアンの波止場》✳︎
三井住友銀行
《プージヴァルのセーヌ河》
ブリヂストン美術館
《菜園》
ブリヂストン美術館
《ディエップの魚市場》
個人蔵
セザンヌ:1点
《読書する青年》
個人蔵
ファンタン=ラトゥール:2点
《自画像》
ビュールレ・コレクション
他1点(不明1)
ゴーガン:3点
《乾草の取り入れ》
個人蔵
《シエスタ》
メトロポリタン美術館
《母と娘》
メトロポリタン美術館
ビッグ・ネームばかり。私的にはゴーガンのMET所蔵2点に特に惹かれる。
ゴーガン
《母と娘》
1901〜02年、メトロポリタン美術館

↑本展非出品
これら作品のほとんどは、1930年代半ばまでに日本に持ち込まれる。
その多くは、川崎造船所の経営破綻により重役私財として提供され、国内の有力者に内々に直接売却されたりして、散逸する。今も国内にある作品もあるが、海外に出た作品も多い。
6点ほどは、どういう経緯か松方家にとどまり、松方の死の直後頃、松方家の別荘に保管されているのが発見される。ハンセン・コレクション以外も含めて全部で17点ほど。ブリヂストン美術館に長く寄託されていたが、1984年に国立西洋美術館やブリヂストン美術館に一部が寄贈された以外は、競売にかけられている。今も国内にある作もあるが、海外に出た作品も多い。
1点だけは、日本に持ち込まれず、パリで保管され、フランス政府に接収され、1947年にフランス政府により売立てられる。1955年にビュールレ・コレクションに入る。2018年の「ビュールレ・コレクション」展で来日したファンタン=ラトゥール《自画像》である。
ファンタン=ラトゥール
《自画像》
1861年
ビュールレ・コレクション

↑本展非出品
これら34点がまとまって、日本の美術館に展示されているとしたら。
ところで、松方の競合相手のひとり、スイスのオスカー・ラインハルトは、ハンセン・コレクションからどんな作品を入手したのか。気になるが、今のところ確認する術を見出していない。
松方コレクション展3度見に行きました。
様々な画廊から取得した作品を紹介するゴッホなどが登場する展示のところは名品揃いでしたが、国立西洋美術館所蔵の作品が多く、常設展とあまり変わらない内容だったので各所から巨匠の作品が集ったハンセン・コレクションの章がクライマックスだったかなと思っています。展覧会としては最後のモネの睡蓮がクライマックスだったのでしょうが、損傷が想像を絶し激しすぎてえ...て感じでした。完璧な状態だったらフランス側は返さなかったと思います。
ハンセン・コレクションは最も胸が躍った章でした。
ハンセン・コレクションから34点を取得して11点展示とありましたが、あまりに簡略的すぎる説明と展示で他の23点はなんなの?日本にあるの?ハンセンてだれ?というもやもやだけが残りました。本当に不親切な展示でした。
ブリヂストン美術館に松方コレクションが多く入っていることは知っていましたが、ハンセン・コレクションがこんなに占めていたとはこちらの記事で知ることができて本当に幸運です。
国立新美術館でのビュールレ・コレクション展にラトゥールの自画像が出ていてキャプションに旧松方コレクションとあり驚きましたが、さらに遡るとハンセン・コレクションだったんだぁとこちらで初めて知りました。
ルーアン大聖堂はシリーズ中でも様々な作品の基本となる強い日差しを浴びて白く輝くオルセーにある傑作と並ぶ傑作で、1995年のクリスティーズ・ロンドンに出品されGBP 7,591,500で落札されました。11億円くらいだったでしょうか。当時はすごい金額と思いましたが、今考えるととんでもなく安くて現在だったら90億円とか簡単にいくのでしょうね。国立西洋美術館が近年8億あたりのセザンヌを買ったり、7億のクラーナハを買ったりしてるのを見ると世界的に異常な高騰を続けてる今予算をつけたって遅いんだよと怒りたくなります。この60年間にどれだけ購入できる機会があったんだと。何をしていたんだと思います。
こちらの非常にわかりやすい記事を国立西洋美術館の学芸に見せてやりたいと思いました。1枚のパネルにして世界地図でここにこの作品がありますっていうのがあれば一目でわかると思うのです。
フランスに没収されて現在、オルセーなどに並ぶ作品ばかりが旧松方コレクションの代表的な作品として知られていますが、ハンセン・コレクションもそれと並ぶ凄いものだったのだとこちらの記事で知ることができてとても勉強になりました。今後の記事も楽しみにしています。
コメントありがとうございます。
お役に立てたなら、嬉しく思います。
松方コレクション展は、素敵な企画ですね。
第1章から7章までがコレクションの形成過程を、最後の第8章がフランスに残されたコレクションの流転を取り扱っています。
形成は10年に満たない期間、流転は国立西洋美術館が開館するまでの約30年(エピローグのモネ《睡蓮、柳の反映》を含めると約90年)の物語。
特に流転パートは、出品作それぞれに異なるストーリーを語らせているところに感心しました。
ハンセン・コレクションについては、個人的には、ハンセンは何を売らずに何を売ったのか、オスカー・ラインハルトは何を買ったのか、気になるところですが、確認する術を知らず長期的課題かなと思っています。
引き続きよろしくお願いします。