東京でカラヴァッジョ 日記

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メトロポリタン美術館のカラヴァッジョ、《音楽家たち》&《聖ペテロの否認》

2022年01月15日 | メトロポリタン美術館展2021-22
 2021-22年「メトロポリタン美術館展」には、カラヴァッジョの初期作品《音楽家たち》が出品されている。これは事件。
 
 
カラヴァッジョ
《音楽家たち》
1597年、92.1×118.4cm
メトロポリタン美術館
 
 デル・モンテ枢機卿の庇護を得て、その邸宅に移り住んでからの作品。
 
 邸宅に住む少年たちをモデルとする。右から2番目がカラヴァッジョ本人の自画像とされる。左の2人は画家の別作品にも登場している。
 画家の最初の群像表現の試みとされ、まだ技術的に未熟だったためか、人物たちが画面に無理に押し込まれているような感じがある。一方、楽器・楽譜・ブドウなどの静物の描写はさすがカラヴァッジョ。
 
 本作は1952年に再発見、公表された。同年に英国の個人コレクションからMETが購入。真筆性に異論はない。
 
 
 
 メトロポリタン美術館は、HPを確認すると、もう1点カラヴァッジョ作品を所蔵する。
 
カラヴァッジョ
《聖ペテロの否認》
1610年、94×125.4cm
メトロポリタン美術館
 
 カラヴァッジョの第2ナポリ滞在時代、亡くなる年の制作とされている。
 
 ペテロと女性と兵士。
 大祭司の中庭で女性がペテロをキリストの使徒として告げ口する場面。
 ペテロを指差す女性の1本の指と、兵士の2本の指は、ペテロに対する3回の訴えと、ペテロの3回の否認を暗示しているとのこと。
 
 美術館HPによると、本作は、イタリア・ボローニャ派の画家グイド・レーニ(1575〜1642)の所蔵だったことがある。1613年に彫刻家ルカ・チャンベルラーノから借金の形として受け取ったとのこと。17世紀第二四半期から20世紀の第二次世界大戦後まで、イタリアのサヴェッリ家が代々所蔵したとされている。
 その後、インパラート・カラッチョロ家(1945/52〜70)、スイスの個人(1970〜76)、NYの個人(1976〜97)を経て、1997年にMETが取得する。
 個人コレクションの時代、1973年に本作の存在が公表され、1982-83年の「Painting in Naples 1606–1705」展(ロンドン、ワシントン)、1985年のカラヴァッジョの歴史的回顧展「The Age of Caravaggio」(NY)で一般公開されている。
 
 宮下規久朗氏は、本作について「荒々しい筆致で、緊迫した人物のドラマが描出されている。真筆かどうか判断に迷う部分もあるが、半分影に沈んだ女性の顔の表現は見事で、カラヴァッジョの晩年様式に合致する。」と評している。
 
 
 
 美術館HPで、カラヴァッジョ作品として見つけられたのは以上の2点。
 
 他にもあったはず、と確認すると。
 
 
カラヴァッジョ
《リュート弾き》
100×126.5cm
ニューヨーク個人蔵
 この作品は、2013年までメトロポリタン美術館に寄託されていたらしい。今はないようだ。
 
 画家の重要なパトロンの一人ヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニの注文により制作された第1バージョン(エルミタージュ美術館蔵)を見たデル・モンテ枢機卿が、自分も欲しくなり、レプリカを注文したものと考えられている。
 宮下規久朗氏は、単独で見ると悪くはないが、モデル不在で描いたためか、エルミタージュ作品と比べると見劣りがし、同じ画家が描いたとは思えないほどである、と評している。
 
 なお、2019-20年「カラヴァッジョ展」では、ロンドン個人蔵作品が真筆(第3バージョン)として出品された。
 他2作品より早い時期に、デル・モンテ枢機卿のために描かれた(つまり枢機卿は同じ図柄の作品を2点持っていた)とする新説が提示されていたが、どうか。
 
 
 
カラヴァッジョ
《聖家族と幼児聖ヨハネ》
1605年?、117×95.6cm
ベネズエラ個人蔵
 本作は1998年からベネズエラの個人コレクションからメトロポリタン美術館に長期貸与されているらしい。現在も継続しているかどうかは確認できていない。
 
 ローマでブレイクし、人気画家として活動していた時期の制作となるが、本作の真筆性はと言うと、「数多くの模作から見て、創案がカラヴァッジョのものであることは確実であるが、真筆性については賛否両論である。」といったところであるようだ。
 
 
 
 将来的に気になるのは、2014年に南仏・トゥールーズの民家の屋根裏部屋で発見され、カラヴァッジョ作品ではないかと真贋論争となり、2019年6月にトゥールーズのオークションにかけられる予定も、競売日の2日前に米国の個人収集家に売却された《ホロフェルネスの首を斬るユディト》。
 その個人はメトロポリタン美術館に近い人物であるらしいので、いずれメトロポリタン美術館においてカラヴァッジョ作品として公開されることがあるかも。


4 コメント

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Unknown (マタイ)
2022-02-02 14:00:02
以前、宮下氏はトゥールズ版《ホロフェルネスの首を斬るユディト》は、ルイ・フィンソン作だろうと語られていたのですが、メトロポリタン美術館がどう判断するのか注目ですね。

本日、都美術館のフェルメール展の新会期が決定しましたね。
後は、現在の感染状況が一刻も早く落ち着き、無事に開幕・開催されることを願いたいです。
札幌でフェルメール作品に会える日が楽しみです。

今後ともK様のブログを楽しみにしております。
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Unknown ()
2022-02-02 18:16:45
マタイ様
コメントありがとうございます。
フェルメール展は、メトロポリタン美術館展の前にたっぷり見ておくつもりでいたのですが、同時期の開幕となって日程配分が悩ましくなりました。宮城会場の場所・日程も公表されていましたね。
ドレスデン美術館は、フェルメールお披露目展こそ会期途中で閉幕してしまったようですが、1月15日から美術館自体は再開したようで、日本展に向けてこうして準備を進めてくださっていることに感謝です。
問題は感染状況ですね。まずは早くピークアウトして欲しいものです。
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メトロポリタン美術館展のカラヴァッジョ作「音楽家たち」 (むろさん)
2022-03-27 23:37:44
私もそろそろメトロポリタン美術館展に行くつもりで、出品作のうち興味のあるものについて、資料を読んでいるところです。その中でカラヴァッジョの「音楽家たち」について、いくつかの気になることがあったので投稿します。

まず、第一に貴2/1の記事「カラヴァッジョ天井画のある邸宅の行方」に関して、2/4のコメントで「美術出版社世界の巨匠シリーズCARAVAGGIO(アルフレッド・モワール著、若桑みどり訳 1984年発行)にこの天井画の修復前の写真が出ている」ことを書きましたが、さらに今回この本の「音楽家たち」の解説と写真を見ていたら、この絵も修復によって以前の状態と現状がかなり変わっていることに気づきました。それは、①左下の後世に書かれたカラヴァッジョの銘が削除された ②中央下にあるバイオリンの弦のところにあるめくれ上がった楽譜の紙が修復以前は隠されていた ③その同じ楽譜の本の右側にある白と赤の布の状態が異なる ④左端のキューピッドの羽や髪の毛が明るくなり見やすくなった などです。また、このモワールの本ではコピー作品の写真が(白黒で)1枚出ていて、これにより現在のMetの絵の左端が5cmぐらい切り落とされていることも分かります(解説に書かれています)。「音楽家たち」のコピー作品はSpikeのカタログレゾネ(英語、CDロム版)によれば、文献上の記録で数点と19世紀にロンドンのクリスティーズで競売にかけられたものなどが書かれていますが、私の確認できた範囲では写真が出ていたのはこのモワールの本だけです。そういった意味でもこの本はおもしろいものなので、機会があれば図書館等でご確認ください。

次にこの作品の編年(年代判定)に関する問題。カラヴァッジョの初期作品の中で、この作品の位置づけを知っておこうと思い、手っ取り早く知るために、TASCHENの大型本CARAVAGGIO(S.Schütze 2009、邦訳版は2010)のカタログ部分から、Ⅱ章1592-1599年(聖マタイ連作で公式デビューする前のローマ時代)の部分に相当する作品を拾ったら、帰属作品の「果物を剥く少年」からバルベリーニの「ユディトとホロフェルネス」まで20数点の作品がありました。この中で「音楽家たち」(TASCHENの大型本では「若者たちの合奏」)については1594/95年となっています。一方、最近(2011年)に紹介された1597年7月11日の資料(警察沙汰の記録で、カラヴァッジョがマントを拾って知り合いの床屋に預けたとするもの)によれば、カラヴァッジョがローマに来たのは1595年後半から1596年3月までの間で、デルモンテ枢機卿の館に住むことになったのは1597年ということです(この件については、2016年西美カラヴァッジョ展図録P16のヴォドレ氏論考と、P241の新資料に関する川瀬氏解説、2016年の石鍋氏カラヴァッジョ伝記集P129、コンスタンティーノ・ドラツィオ著 カラヴァッジョの秘密2017年P49に詳しい)。2010年頃までに出された研究では1592年から1599年までの8年間に描かれたと考えられていた初期作品が、1595年から99年までの5年間に描かれたとしなくてはならないことになり、たった3年ですが、この影響は結構大きくて、研究者の間では未だに明確な回答は出ていないようです。上記のコンスタンティーノ・ドラツィオの本では「年代がはっきり特定されるまでは制作年は記さない」(P10)と評価を放棄しているし、2019年の札幌、名古屋、大阪巡回のカラヴァッジョ展図録のNo.2「病めるバッカス」(札幌限定出品)解説で小佐野氏は同作品の制作年を従来説の1594年頃とする一方で、「新発見の資料や~から1597年に描いたとする新説もある(ヴォドレ2016)」と両論併記の形を取っています。Metの「音楽家たち」については、①複数人の構図がまだあまりうまくできていない ②音楽家たちというテーマからデルモンテ枢機卿の依頼によるものであることはほぼ確実 といった状況から、2011年の新資料を信じる限り、デルモンテ枢機卿の館に住むことになった1597年以降の作ということになります。上記本文ご紹介のMetのHPでも1597年としています。本当にこれでいいのか、他の作品との前後関係(例えばキンベルの「いかさま師」は、従来この絵が売られているのを見てデルモンテ枢機卿はカラヴァッジョを雇うことにした、とされていますが、「いかさま師」の方が人物配置等の表現は「音楽家たち」より優れているのではないかと思います。では、どちらが先なのか?といったこと)も再検討を迫られるということです。

上記のTASCHEN大型本から拾った20数点の初期作品の制作順は素人が見ても大体納得できるようなものですが、現代の研究者が頭で考えた「様式発展」の理論というものが必ずしも信頼できないということは、石鍋氏が「ありがとうジヨット」のP203で聖マタイ連作の制作順序(ロンギのような大学者や若桑先生も間違っている)について警告を発している通りです。8年間であれ5年間であれ、この20数点の初期作品を現代人の思考で割り振るという年代設定は多分真実とはかなり違うものでしょう。でも真実の解明は新しい資料でも発見されない限り無理だと思います。

この初期作品の制作順序についての年代設定は今後世界の研究者で少しずつ出されていくと思っていますが、日本では石鍋氏が現在カラヴァッジョの本を執筆されていて、初期のミラノ時代なども詳しく書かれる予定だそうですから、これに期待したいと思います(宮下氏は聖マタイ連作以前のカラヴァッジョ初期作品のことは重視していないようなので、期待できません)。

次に「音楽家たち」の関連として、カラヴァッジョ作品の音楽と楽器について。このテーマに関しては、「カラヴァッジョ鑑」収録の岡部宗吉著「カラヴァッジョが描いた『音楽』」に詳しいので、ご一読を。私も今回読み直してみました。ただ、「リュート弾き」2点や「エジプト逃避途上の休息」については画面上の楽譜を読み取ることが可能で、曲名も判明しているので、制作背景解明の手助けになるのですが、「音楽家たち」は保存状態が悪くて、楽譜が読み取れないのは残念です。
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Unknown (k-caravaggio)
2022-03-30 19:20:08
むろさん様
コメントありがとうございます。
 メトロポリタン美術館展のご鑑賞は、これからなのですね。満喫されることを願っています。
 私は2回行きましたが、あと2回ほど行こうかと考えています(各月1回)。

 カラヴァッジョ「音楽家たち」について、たくさんの情報をありがとうございます。

 モワール著『カラヴァッジォ』美術出版社、1984年刊には、興味深い画像が掲載されているとのこと、近隣市の図書館にて借りようと思います。『カラヴァッジョ鑑』も持っていないので、あわせて借ります。

 カラヴァッジョの初期作品の制作年代(制作順)については、今後の新資料発見待ちということになりますね。まずは、むろさん様にならって、現段階で考えられている初期作品の制作順を押さえておきたいと思います。石鍋氏のカラヴァッジョの本も楽しみです。お教えいただきありがとうございます。
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