
永遠の都ローマ展
2024年1月5日〜3月10日
福岡市美術館
「会場内作品撮影OK!」の本展。
東京会場では、「トラヤヌス帝記念柱からの石膏複製」2点を除き、撮影不可であった。
福岡会場では、最後の特集展示「カピトリーノ美術館と日本」の展示作品を除き、全点の撮影可。
その違いはどこから来たのか、安全上の問題?
ありがたく、作品を撮影させていただく。
以下、印象に残る作品(第4章以外)9選。
《カピトリーノの牝狼(複製)》
20世紀(原作は前5世紀)、ローマ市庁舎



原作の牝狼は前5世紀のものだが、原作の双子の像はルネサンス期、16世紀末までに付け加えられものだという。
原作はカピトリーノ美術館が所蔵する。
《『イリアス』の石板(タブラ・イリアカ)》
前1世紀末、カピトリーノ美術館

25×28cmの小さな浅浮彫の石板。
『イリアス』の場面が実に細かく彫られている。
画面の柱の表面には、老眼にはすぐにそれと分からないほど小さい文字がぎっしりと刻まれている。物語のあらすじをギリシア文字で記しているとのこと。
《豹と猪の群像》
1世紀、カピトリーノ美術館分館モンテマルティーニ美術館




死闘。猪は豹を組み敷き、豹は猪の腹部を脚で強く掴み、その首元に噛み付く。
《老女像》
2世紀、カピトリーノ美術館



頭部は後世の16世紀末までに作られたもの。
えらく薄い身体のこの像は、かつてはシビュラ(巫女)あるいは泣き女(葬列において歌と嘆きの叫び声を供する参列者)などと考えられていたが、最近では、世俗彫刻とみなし、乳母あるいは単純に老婆とみさなれているとのこと。
《コンスタンティヌス帝の巨像の頭部(複製)》
1930年代(ブロンズ製の原作は330-337年)
&
《コンスタンティヌス帝の巨像の左手(複製)》
1996年(ブロンズ製の原作は330-337年)
&
《コンスタンティヌス帝の巨像の左足(複製)》
2021年(大理石製の原作は312年頃)
いずれもローマ文明博物館




原作のブロンズ巨像および大理石巨像の断片は、カピトリーノ美術館が所蔵する。
ブロンズ巨像の断片は、もとはラテラノ教皇宮正面に置かれていたが、1471年に教皇シクストゥス4世により、カピトリーノに移される。
大理石巨像の断片は、1486年にマクセンティウス帝のバジリカから発見され、カピトリーノに収蔵される。
ローマ派工房
《ローマ教会の擬人像》
13世紀初頭、ジョヴァンニ・バッラッコ古代彫刻美術館
&
《教皇グレゴリウス9世の肖像モザイク》
1227-41年、ローマ美術館



いずれもヴァチカンの旧サン・ピエトロ大聖堂のモザイク装飾の一部。旧聖堂は新聖堂建築に伴い取り壊され、今ではわずかな断片が残されるだけらしい。
なお、カピトリーノ美術館自体は、中世期のものはほぼ所蔵していないらしい。
アゴスティーノ・タッシ
《カンピドリオ広場に立つ五月祭のための宝の木》
1631-32年、ローマ美術館

ローマで春の訪れを祝う五月祭におけるカンピドリオの様子が描かれる。
広場には立てられている宝の木。市民は、この木の枝先に取り付けられた賞品を目指して競い登るのだが、その幹には石鹸が塗られ、滑りやすくしているのだという。
この絵でも確かに何人かチャレンジしているが、失敗したら命の危険だ。

画家は、ローマで装飾家・風景画家として活動し、フランス古典主義の巨匠クロード・ロランがその工房に属していた。今日では、もっぱらアルテミジア・ジェンティレスキにかかる裁判で知られている。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《トラヤヌス帝記念柱の正面全景》
1774-75年、ローマ美術館






113年に奉納された、高さ約5メートルの基壇に高さ約30メートルの大理石の円柱が載る、トラヤヌス帝記念柱。
ローマ五賢帝の2人目トラヤヌスによるダキア王国との戦勝を描いた高さ89〜125センチの装飾帯が、全長約200メートル、全155場面、下から上へ連続して施される。
その記念柱の正面を捉えた285cmの巨大なエッチング。
イッポリート・カッフィ
《フォロ・ロマーノ》
1841年、ローマ美術館

1841年当時のフォロ・ロマーノの姿。
東京会場で観て印象に残る作品を撮影しながら再見する。そんな鑑賞も楽しい。
