1607年7月頃、マルタに渡る
「騎士の地位がほしかった」
「騎士団長にすがってローマ法王から恩赦をとりつけようとした」
「騎士団は欧州各地の有力な貴族で構成されていたから、マルタで活躍すれば名声はすぐ全欧に広まる、カラヴァッジョはそう期待した」
《洗礼者聖ヨハネの斬首》
「安定した幾何学的構成の絵。カラヴァッジョにはこれほど安定した作品は少ない」「絵の安定感から推測すると、彼はマルタにいたとき、生涯でまれな平穏な日々を送っていた」
「あの絵の中の人物は、非情な力にじっと耐えているように見える。マルタでカラヴァッジョが満ち足りていたとは思えない。」
マルタには騎士団しかない。バレッタの町は、城門をくぐって十分も歩けば、向こう側の城壁に行き着いてしまう。その先は、きらめく地中海。
投獄
「ローマでの殺人の事実が遅れてマルタに伝わり、騎士団は放置できなくなって投獄した」
「騎士団長と稚児を奪い合って投獄された。騎士団の名誉の手前、記録から隠された」
脱獄
「カラヴァッジョの画才を惜しむ騎士団長が潜かに逃がしてやった」
メッシーナ
「カラヴァッジョの心にあったのはただひとつ、一日も早く恩赦を得たいという願望」「騎士団のもとを離れてから一層、ローマへローマへと焦燥に心が乱れた。シチリアでの作品がこれほど暗くなっているのは、絶望感の表れ」
ナポリ
「彼は外面を美しく装った貴族社会よりも、心をさらけ出す民衆の中に真実があると考え始めた画期的な画家」「だから市井の現実にまみれて生きたし、夢のような絵は描かなかった。優れた後援者たちは、彼の作品が実人生と切り離せないことをよく知っていたはず」「同時代のガリレオ、カラヴァッジョに共通するのは、伝承にとらわれず自分の目で現実を見つめ直そうとする近代精神だ。一方、社会には伝承と約束ごとを強いる力が強く、それでカラヴァッジョは苛立っていた」
ローマ
もしもカラヴァッジョが無事ローマに戻ることができたとしたら、この絵(《聖マタイの召命》)とも亡命地の絵とも違うどんな絵を描き残していただろう。
朝日新聞『世界名画の旅』「カラヴァッジョ 聖ヨハネの斬首」1986年3月9日掲載より。