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ヤマザキマリ著『リ・アルティジャーニ』を読む

2022年07月26日 | 書籍
ヤマザキマリ著
『リ・アルティジャーニ ルネサンス画家職人伝』
2022年6月刊、新潮社 とんぼの本
 
 
 「芸術新潮」2016年1月号〜2021年6月号に隔月で連載されていた漫画。
 
 連載中に読むことはほぼなかったが、一冊にまとめられたことを機に読んでみる。
 
 
 サンドロ・ボッティチェリ
 フィリッピーノ・リッピ
 アンドレア・デル・ヴェロッキオ
 レオナルド・ダ・ヴィンチ
 フィリッポ・リッピ
 パオロ・ウッチェロ
 マザッチョ
 ドナテッロ
 アントネッロ・ダ・メッシーナ
 ニッコロ・アントニオ・コラントニオ
 ペトルス・クリストゥス
 ジョヴァンニ・ベッリーニ
 アンドレア・マンテーニャ
 ジョルジョーネ
 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
 
 15世紀後半のイタリア。
 フィレンツェ、ナポリ、ヴェネツィア。
 当時まだ「職人」(アルティジャーニ)という立場で絵筆をふるっていた才気溢れる絵師たちが描かれる。
 
 描かれたエピソードたちが、史実なのか、定説なのか、俗説なのか、作者の創作なのか、私には分からないけれども、納得感のある絵&ストーリーで、非常に楽しく読む。
 
 
 印象に残る言葉3選。
 
1 ボッティチェリがヴェロッキオに弟子フィリッピーノ・リッピを紹介したときの、ヴェロッキオの言葉
 
 おお・・・フラ・フィリッポの息子!! 随分大きくなったな
 なんせフラ・フィリッポの描いた赤ん坊のお前さんしか知らんからな
 
 
2 フィリッポ・リッピが依頼主と条件交渉しているときの、同席する公証人の言葉。
 
 高くつけたくないのなら大きさを縮小させるしかないね
 フラ・フィリッポ・リッピの絵は、それ以上安くはならんよ?
 
 
3 レオナルドが、ヴェネツィア大使ベルナルド・ベンボからジネヴラ・ベンチの肖像画制作を依頼されたときの、ベンボからの言葉。
 
 アントネッロ(・ダ・メッシーナ)さんの最新作で私も先日初めて見せてもらったのですが・・・
 この作品を見てすっかり魅了されたんです・・・
 あなたの手でこんなふうにジネヴラを描いていただけますか・・・


2 コメント

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リ・アルティジャーニは史実か空想か (むろさん)
2022-07-26 23:55:28
以前書いたかもしれませんが、フィリッポ・リッピとルクレツィア・ブーティについては、下記2冊がゆかりの場所の写真も多数掲載していて参考になります。
図説 ルネサンスに生きた女性たち 河出書房新社ふくろうの本 佐藤幸三2000
世界名画の旅3イタリア編 朝日文庫1989(初出は朝日新聞日曜版。世界名画の旅1~5に収録後、地域別に編集して文庫化)

フィレンツェのカルミネ教会に向かって左側の路地を入っていくと、カルミネの裏手に当たる道沿い(via dell’ Ardiglione)にリッピの生家が残されていて、それを示すプレートが貼られています。今はただの民家で商店街ではありませんが、リッピの父親の時には肉屋だったそうです。ここはカルミネの裏側の広場のような土地との境となっている、3階建てぐらいの長屋のような何軒かに分かれた家です。通用口から見ると、カルミネは本当にすぐ近くで、今でも人が住んでいるのに驚いたことを覚えています。こんなに近いのならば、カルミネの寄宿舎に入れられたとはいえ、リ・アルティジャーニに描かれている「修道院長のババアやイコンのような絵ばかり描かせる師匠」が嫌になったら、いつでもブランカッチ礼拝堂や実家に逃げることもできたと思います(父母は既にいないので、実家には帰りづらいと思いますが)。

リ・アルティジャーニの内容が史実なのか空想なのかは場合によっていろいろです。例えば、第25話のベルナルド・ベンボとジネブラ・デ・ベンチがレオナルドに肖像画を依頼する話。史実ではベルナルドとジネブラは恋愛関係にあり(2人とも妻・夫がいるので不倫?)、ジネブラの結婚祝いではなく、1480年にベルナルドがフィレンツェを離れることになったために、レオナルドに肖像画を描かせたということのようです(未練がましいですね)。
関連論文は江藤匠氏による下記2点で、レオナルドのジネブラ・デ・ベンチに関する北方絵画からの影響について論じています。ともにインターネットで読めます。
一つ目は東洋大学の国際哲学研究4号(2015年)に掲載された「レオナルド・ダ・ヴィンチとフランドル絵画―《ジネブラ・デ・ベンチの肖像》を中心に―」
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/15429.pdf
二つ目は芸大の西洋美術史研究室紀要Vol.14(2016年)に掲載された「フランドル絵画の仲介者としてのベルナルド・ベンボ :《樹木の判じ絵(arboreal rebus)》の導入をめぐって」。東洋大学の論文で字数制限のため書き切れなかったことの追加だと思います。2番目は論文の要約版です。
https://geidai.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=788&item_no=1&page_id=13&block_id=17
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/66/2/66_KJ00010199713/_pdf

これらの論文のテーマは北方絵画からの影響ですが、私にはジネブラの肖像を描かせた理由とか恋愛関係の方に興味がいきます。また、リ・アルティジャーニで対談記事をしている池上英洋氏もこの件について書いています(池上英洋著レオナルド・ダ・ヴィンチ―生涯と芸術のすべて―筑摩書房2019のP249)。この中で池上氏は「彼にとって彼女は精神的な愛を捧げる相手」「注文主をベンボとするのが合理的」「制作時期を1478~80年とする説に与したい。ジネブラの21~23歳時にあたり、モデルの年齢としても相応しい」としています。注文主と制作時期は、諸資料の状況から見て池上氏の考えに同感(結婚祝いならジネブラ17歳だが、絵はもう少し年上に見える)ですが、「精神的な愛を捧げる相手」というのは疑問に感じます。このケースとほぼ同時代の例として、シモネッタとジュリアーノの件が有名であり、辻邦生の小説「春の戴冠」ではシモネッタとジュリアーノが同居していたという設定をしていますが、それはあくまで小説の中での想像であり、ストーリーの展開上そのような関係を考えたのでしょうが、馬上槍試合での勝者へ冠を渡すミューズという衆人環視の公的な舞台での役割を演じているので、実際の恋愛関係というのはちょっと無理だったと思います。一方、ジネブラとベンボについては、そのような公の場で披露するようなことではないし、上記論文で書かれているように「友人の家で遇うと一目で恋に落ちた」ということなら、お互いに夫・妻がいる立場でも実際の恋愛関係だったという可能性の方が高いのではないかと思います(論文ではペトラルカの恋人ラウラのことも述べられていますが、このことからは精神的な愛を捧げる相手だったかどうかは判断できないでしょう)。結婚祝いとしての肖像画ということでは、同じ頃の例として、Met展に出ていたダヴィデ・ギルランダイオ作セルバッジャ・サセッティの絵とか、近代の例ですがスコットランド展に出ていたフランシス・グラント作の絵があります。これらは結婚する娘の絵であり、父親の立場からのものですが、ベンボが家族でもないジネブラの絵を結婚祝いで注文したという従来の説はやはり不自然という気がします。それよりもフィレンツェを去る時に愛人の肖像画を描かせたという方が自然に思えます。また、レオナルドがこの二人の関係を知っていたら、ジネブラの肖像画裏面に最初に書かれたという「徳と名誉」(現状の「美が徳を飾る」の下面にあって赤外線撮影で判明)の文字をどんな思いで書いたのかも気になります(上記論文―特に芸大の方―では裏面の文字はレオナルド以外の手とする説も書かれていますが)。

なお、ベルナルド・ベンボの息子ピエトロ・ベンボも32歳の時に、チェーザレ・ボルジアの妹でフェラーラ公アルフォンソ・デステ(イザベラ・デステの弟)の妻であったルクレツィアと不倫関係だったので、親子そろって似たような人間です(ルクレツィアの方も3度目の政略結婚の時でありベンボが2人目の愛人。その後イザベラ・デステの夫を3人目の愛人とするので、ルクレツィア・ボルジアの方が一枚上手です)。

ジネブラ・デ・ベンチの肖像画の復元案については、以前に貴ブログで紹介していただいた2年前の代官山での「レオナルド・ダ・ヴィンチ 夢の実現展」で興味深く拝見しましたが、その時に今回の論文のことを知っていたら、もっと別の見方をしていただろうと思いました。(その時にヤマザキマリ氏と池上英洋氏の話を初めて聞きましたので、その点でもご紹介に感謝しております。)

リ・アルティジャーニに関するヤマザキマリ氏と池上氏の対談記事は、芸術新潮2019年6月号、7月号、2022年7月号にも掲載されていて、今回のとんぼの本に掲載された対談記事と違う部分もあるので、合わせてご覧になることをお勧めします。(例えば、北方絵画にはアイドル性がないとか、ヴァザーリの列伝は歴史小説として読まないといけない―これはリ・アルティジャーニが史実なのか空想なのかと一緒ですね。)今年7月号の対談記事で、レオナルドがジネブラ・デ・ベンチの肖像画の依頼を受ける時に、アントネッロのあの受胎告知の絵を参考に見せられて衝撃を受けるという、ヤマザキさんが空想で作った場面について、池上氏もその着想に感心していますが、こういう部分は歴史小説ならば許される範囲なのでしょう。

ジネブラ・デ・ベンチのことを長々と書きましたが、ルネサンス美術でも日本美術でも、その本質を理解するのには関係する女性のことを詳しく知ることが必要と思っています。昔は今と比べて子供が成人するまで生きられる割合はかなり低いので、多くの子供を作らなくてはならないから、当然妻や妻以外の女性が何人も必要ということになります。日本史では系図は大体男だけで書かれていますが、できれば女も含めた系図が欲しいと思っています(女は防犯上の理由などもあって名前を公表しないことが多いので、系図に書きにくいという事情もありますが)。源頼朝と義経の関係(異母兄弟は別の家族)とか源頼家の遺児による実朝暗殺などは女性を含めた系図を見ていないとなかなか理解できないことです(頼家の正室辻殿の発願による伊豆修禅寺本尊大日如来―運慶の弟子実慶作―に関係する内容)。
Unknown (k-caravaggio)
2022-07-27 19:18:50
むろさん様
コメントありがとうございます。
また、書籍・論文など多数紹介くださり、ありがとうございます。

まずは、所有している『図説 ルネサンスに生きた女性たち』と『世界名画の旅3 イタリア編』の該当箇所を読みました。

フィリッピーノには妹がいたのですね、母ルクレツィアより先に亡くなったのですね、プラートにあったフィリッポの工房やフィリッピーノが母のためにサンタ・マルガリータ女子修道院近くに購入した家は1944年の空爆で破壊されてしまったのですね、など今更ながら知りました。

芸術新潮3冊は、地元の図書館に貸出予約したところです。

引き続きよろしくお願いいたします。

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