ドガ作品、「ウクライナの踊り子」へ改名 英美術館 【2022.4.5 AFP】
英ロンドンの美術館ナショナルギャラリーは4日、ロシア軍によるウクライナ侵攻を受け、フランス印象派の画家エドガー・ドガの絵画「ロシアの踊り子」を「ウクライナの踊り子」に改名したことを明らかにした。
同作品は、ドガが19世紀末に制作。ウクライナの国旗の色である青と黄色のリボンを結び野原で踊る3人の踊り子が描かれているが、ロシア人を描いたものと長い間認識されてきた。
作品はナショナルギャラリーのメインコレクションに含まれているが、現在は展示されていない。同美術館の公式ウェブサイトには、踊り子たちが「ロシア人ではなくウクライナ人であることはほぼ間違いない」と記されている。
同美術館はAFPの取材に対し、改名の理由を「絵画の主題をより良く反映させるため」と説明した。
改名は、英紙ガーディアンが最初に報じた。同美術館の広報担当者は同紙に対し、作品の題名は「何年も前から議論の的」になっていたと説明。「だが現在の状況により、ここ1か月間でこの作品に対する注目が高まっており、題名を変更する適切な時期であると判断した」と語った。
エドガー・ドガ
《ウクライナの踊り子》
(「ロシアの踊り子」改め)
1899年頃、73×59.1cm
ロンドン・ナショナル・ギャラリー

1890年代後半、東欧から多くのダンス劇団がパリにやってきて、ムーラン・ルージュ、フォリー・ベルジェール、カジノ・ド・パリ、あるいはモンマルトルにあるドガの家の近くのブラッスリー・デ・マルティールなどで公演した。
これら公演の評判は、リュミエール兄弟により制作された短い白黒映画によっても高められた。
これらパリにやってきたダンサー、そしてドガが描いたダンサーは、ロシア人ではなくウクライナ人であったことはほぼ確実である。
(ロンドンナショナルギャラリーHPの作品解説より)
ドガは、主に1890年代後半、これらウクライナの踊り子たちを主題とするパステルやスケッチを多数制作している。
以下、主な作品。
エドガー・ドガ
《ロシアの踊り子》
1899年、62.9×64.8cm
メトロポリタン美術館

エドガー・ドガ
《ロシアの踊り子》
1899年、61.9×45.7cm
メトロポリタン美術館

エドガー・ドガ
《ロシアの踊り子》
1899年頃、62.2×62.9cm
ヒューストン美術館

エドガー・ドガ
《ロシアの踊り子》
1899年頃、66.5×56.2cm
ヒューストン美術館

エドガー・ドガ
《三人のロシアの踊り子》
1890年代、62×67cm
ストックホルム国立美術館

ゲッティ美術館はドガ「ウクライナの踊り子」シリーズ作品を所蔵していないが、過去に個人コレクションの作品を展示したことがあり、そのアーカイブに対して、2022年春にコメントを追加している。
(要旨)
上記のテキストは最初に公開されたものとして保持されているが、現在の状況では明確することが必要である。
このパステルカラーのいわゆる「ロシアのダンサー」は「ウクライナのダンサー」であり、19世紀末に民族舞踊劇団の一つとしてフランスで公演し、おそらくそれをドガも見た。
残念なことに、ウクライナ文化の重要性と独自性にもかかわらず、これらのダンサーは一般的に「ロシアのダンサー」とフランスでは呼ばれていた。なぜなら、当時、ウクライナの大部分は、ロシア帝国の一部であり、皇帝アレクサンドル2世は、帝国全体でロシア化政策を実施していたためである。
ドガ自身、ウクライナ人が何世紀にもわたる抑圧にもかかわらず、その文化や伝統を保持してきたことを尊敬していたものの、(誤って)この一連の作品を「ロシアのダンサー」と称した。その後もその名前で呼ばれた。
「今回の名称変更をはじめ、ロシア連邦西部の国や民族による美術を包括的に「ロシア」と称する傾向について、再検証と見直しの機運が高まっている」(美術手帖2022.4.6ネット記事)ようだ。