オルセー美術館が収蔵するカイユボット・コレクション(画像メモ)
印象派の画家カイユボット(1848〜94)。
カイユボットが国家に遺贈したコレクションは、8画家40点。
うちミレーの2点の素描(ルーヴル美術館収蔵)を除く、7画家38点を現在オルセー美術館が収蔵する。
以下、オルセー美術館が収蔵するカイユボット・コレクション38点の画像を掲載する。
オルセー美術館の目玉作品も多数含まれる。
マネ


ドガ







ルノワール






セザンヌ


モネ








ピサロ







シスレー






1894年にカイユボットは45歳の若さでこの世を去る。
カイユボットが28歳のとき(1876年)に認めた遺言書には、カイユボットが蒐集していた印象派画家たちの作品を国家に遺贈する遺志が記されていた。
遺言執行人のルノワールと画家の弟マルシャルは、当時の美術局長官で官立美術学校校長のアンリ・ルージャンや現代美術を扱うリュクサンブール美術館の館長レオンス・ベネディットなどと2年にわたる交渉を行い、最終的に約半数の40点が受け入れられることとなった。
この間、新聞や雑誌はカイユボット遺贈問題をセンセーショナルに扱った。
モネやルノワールなどはすでに世に認められつつあり、当初フランス政府はすべての作品を受け入れる決定をしたらしい。
しかし、かつて国家と美術アカデミーが主催する官展(サロン)に反旗を翻してグループ展を開催した画家たちの作品を、国家が受け入れることに反対する人たちもいた。
官学派の大家で印象派に最も敵対していたジェロームのような画家の過激な意見などが紙上を賑わした。
のちにこの事件は、蒐集家としてのカイユボットの名前を世に知らせることとなった。
そして、いまではカイユボットのこのコレクションはオルセー美術館の展示の中心のひとつになっている。
しかし、このことが、画家カイユボットの存在を忘れさせる結果をもたらすのである。
(2013年ブリヂストン美術館「カイユボット展」図録所収、島田紀夫『カイユボット・コレクション』より)