東京でカラヴァッジョ 日記

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ダヴィデ・ギルランダイオ《セルヴァッジャ・サッセッティ》-「メトロポリタン美術館展 2021-22」

2021年11月27日 | メトロポリタン美術館展2021-22
メトロポリタン美術館展
西洋絵画の500年
2021年11月13日~2022年1月16日
大阪市立美術館
 
 
ダヴィデ・ギルランダイオ
《セルヴァッジャ・サッセッティ》
1487-88年頃、57.2×44.1cm
メトロポリタン美術館
 
 
モデルの女性
   セルヴァッジャ・サッセッティ(Selvaggia Sassetti)。
   1470年フィレンツェ生まれ、当時17歳頃。
   何故だかえらく目立つ目頭が気になるが、その表情も、髪型も、赤い珊瑚のビーズのネックレスも、絹の衣装の緑色も、実に好ましい。
 メディチ銀行の総支配人フランチェスコ・サッセッティの、7人の娘たちのなかの5番目の娘。
 1488年にシモーネ・ダメリゴ・カルネセッキ(Simone d’Amerigo Carnesecchi)と結婚。本作品は、彼女の婚約の記念画として注文されたものと推測されている。
 
 
フランチェスコ・サッセッティ(1421〜90)
   サッセッティ家は、13世紀には皇帝派に属する繁栄した商人の家系の一つ。その後、教皇派の勝利により凋落し、さらにペストにより多数の家人を失ってしまったが、新人(ペスト後に成り上がった者)とは違う由緒ある家系。
 そのような自負のもと、生まれてすぐに父親を亡くしたフランチェスコは、2人の兄とともに家系の再興に励む。
   1440年(19歳頃)にメディチ銀行のジュネーヴ支店勤務によりキャリアをスタート。1446年(25歳)にジュネーヴ支店長、1459年、銀行本体経営の補佐役として呼び戻される。フィレンツェで最も尊敬される「世界を見聞し財産を蓄えて戻った商人」である。
 1469年にメディチ銀行の総支配人となり、亡くなるまで務める。ただ、彼が総支配人であった期間は、メディチ銀行は衰退の一途を辿る。イタリアあるいはヨーロッパ全体の経済情勢のせいだとも言えるが、彼自身の責任も大きいとする説もある。
 
 
サンタ・トリニタ聖堂サッセッティ礼拝堂
 フランチェスコは、1480年までにサンタ・トリニタ聖堂に礼拝堂の権利を手に入れる。
 ヴァチカン・システィーナ礼拝堂の壁面フレスコ画2面を担当しフィレンツェ美術界の人気画家となった当時30代前半のドメニコ・ギルランダイオ(1449〜94)に、礼拝堂の装飾を依頼する。このサッセッティ礼拝堂の祭壇画と壁画による装飾により、フランチェスコは、家系再興に向けた目標の一つを現実化し、加えて西洋美術史にパトロンとして名を残すこととなる。
 壁画は、フランチェスコの守護聖人である聖フランチェスコの物語6面など。彼自身や妻と家族、ロレンツォ・ディ・メディチやメディチ家の一族、側近、人文学者たちの肖像も描きこまれる。
 そのなかに、フランチェスコの5番目の娘、セルヴァッジャもいる。
 
ドメニコ・ギルランダイオ
《聖フランチェスコの生涯  スペーニ家の子どもの蘇生》部分
サンタ・トリニタ聖堂サッセッティ礼拝堂、フィレンツェ
 この礼拝堂の装飾は1485年までには完成しているので、冒頭の肖像画よりも若い頃(10代前半)のセルヴァッジャの姿ということになる。
 彼女の姉リザベッタと妹マッダレーナの姿も描かれる。
 
 
ドメニコ・ギルランダイオによる肖像画
 メトロポリタン美術館は、サッセッティ家の肖像画をもう1点所蔵している。
 
ドメニコ・ギルランダイオ
《フランチェスコ・サッセッティと息子テオドーロの肖像》
1488年頃、75.9×53cm
メトロポリタン美術館
 ドメニコ・ギルランダイオによるフランチェスコとその息子テオドーロの肖像。背景には、フランチェスコがキャリアと富を築いたジュネーブの風景が描かれる。
 
 
 
 画家ギルランダイオ一家は、ドメニコ、ダヴィデ、ベネディットの3兄弟。美術史上名を残しているのは長男ドメニコ。ダヴィデはどうやらギルランダイオ工房運営の裏方的な役割を担ったようである。冒頭の女性肖像画を制作したのはダヴィデとされるが、史料に記述が残るダヴィデの作品は1点も現存しないという。
 
 
【参照】
石鍋真澄著
『フィレンツェの世紀』平凡社、2013年刊


4 コメント

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ダヴィデ・ギルランダイオ (むろさん)
2021-11-28 23:18:47
ギルランダイオの絵について、詳しい解説をしていただき、ありがとうございます。
以前のコメント投稿で、フィリッポ・リッピ、クリヴェッリ、ギルランダイオなど出品作のうち興味のある作品について手持ち資料で分かることを投稿すると書きましたが、東京展までまだ時間があることと、最近は他の美術展の事前準備などで忙しくて、Met展の準備までは進んでいないところでした。それで今回の文章を読んで、特にドメニコの弟ダヴィデに関して手持ち資料の範囲で確認してみました。

まず、石鍋氏のフィレンツェの世紀の第20章サセッティと、以前ご紹介いただいたMetホームページのこの作品についての部分を読みました。今回の出品作のセルヴァッジャに関するサセッティ礼拝堂フレスコ画の肖像との関連についての文章は、Metホームページの解説文から要約されたものですね。確かにフレスコ画の水色の服を着てこちらを見つめている女性はMetの肖像画と似ているし、フレスコ画はその3年ぐらい前の肖像として納得できるものと思います。ただ、その右隣の女性については以前から水色の服の女性よりも年上の顔に見えると思っていましたが、上記Metホームページの解説では「11歳のマッダレーナは~棺のそばに取り乱した人物としてひざまずいて」とあり、左隣に立つ「16歳のリサベッタ」も含めて、この手前3人の女性に対する人物同定が正しいと言えるのか、ちょっと疑問に思います。Andreas Quermann著Ghirlandaio, 1998 という本のこの部分の解説には「寄進者の娘たちと彼の友人たちが描かれ、(その友人の名前3人分と)かれらの妻と子供たち―全てメディチ家の忠実な支持者」とあります。手前の女性3人は大きく描かれているのでサセッティの娘たちでいいと思いますが、中央の水色の服の女子が15歳のセルヴァッジャではなく、11歳のマッダレーナという可能性はないのでしょうか。(後ろにいる男性たちと、顔が少しだけ見えている女性はサセッティの友人とその妻子でしょう。)

Metホームページの解説文には「most recent monograph on Ghirlandaio, Jean Cadogan (2000)」という本が取り上げられ、この本については中央公論美術出版のヴァザーリ美術家列伝第5巻(2017)掲載の「リドルフォ・ギルランダイオ、ダヴィド・ギルランダイオとベネデット・ギルランダイオ」伝の注釈1で、「ダヴィドに関しては特にJ.K. Cadogan,Domenico Ghirlandaio,artist and artisan,New Haven,2000 に詳しい」とありますので、このMetの肖像画とサンタ・トリニタのフレスコ画の女性像の関連について、これ以上の詳しいことはこのカドガンの本を見なくては分からないと思います。

なお、このフレスコ画とS.M.ノヴェッラの同様なフレスコ画の人物同定については、私が確認した何冊かの本でも多少の違いがあり、石鍋氏の本ではサンタ・トリニタの絵の右側の男性像について「作者ドメニコ・ギルランダイオの自画像と弟のダヴィデ。後ろ向きの人物はカッポーニ」としていますが、上記Andreas Quermannの本では「ドメニコの自画像と(ドメニコの妹の夫である)セバスティアーノ・マイナルディ。後ろ向きの人物はカッポーニ」としています。そして、同様のフレスコ画であるS.M.ノヴェッラの絵(SCALA東京書籍の巨匠たち15ではP39の42図)では右端の黒い服の男がマイナルディ、2番目がドメニコ、一人おいて後ろ向きの男がダヴィデです(この同定はヴァザーリのギルランダイオ伝より。Andreas Quermannの本でもこれを採用)。顔の特徴を見るとドメニコはどちらも似ていますが、サンタ・トリニタの2番目の若者とS.M.ノヴェッラの右端の若者は似ているので、これはマイナルディであり、弟のダヴィデはサンタ・トリニタの絵には出てこないことになります(石鍋氏の本は間違い)。ただ、カッポーニとしている後ろ向きの男はS.M.ノヴェッラの後ろ向きの男(ダヴィデ)と似ているので、カッポーニではなく弟のダヴィデという可能性もあるかとも思います。(このS.M.ノヴェッラに描かれた弟のダヴィデ・ギルランダイオですが、堂々としていて、とても格好のいい男だと思います。)

また、上記本文で「史料に記述が残るダヴィデの作品は1点も現存しないという」とありますが、これはどこに書いてあったのでしょうか?
上記中央公論版美術家列伝完全版第5巻のダヴィド・ギルランダイオの項目を読むと、ヴァザーリの記述として「フランス国王に送るためのモザイク画」(現在エクアン城所蔵、図版掲載)と1489-90年に支払い記録の残るサンタ・マリア・ヌオーヴァ施療院にあったキリスト磔刑と聖人たちのフレスコ画(現在フィレンツェのサン・サルヴィ修道院食堂美術館所蔵、図版掲載)の2点の作品がダヴィド・ギルランダイオの作として取り上げられています。(後者については将来フィレンツェに行く機会があったら、まだ行ったことのないサン・サルヴィのアンドレア・デル・サルト作最後の晩餐を見たいと思っているので、このダヴィド・ギルランダイオの絵も忘れないようにするつもりです。)

今回のことで手持ちのギルランダイオ関係資料(日本語で読めるものとして、平凡社ファブリ画集、SCALA東京書籍イタリア・ルネサンスの巨匠たち15、NHK出版フィレンツェ・ルネサンス4、英文資料としてAndreas Quermannの本、Met発行のイタリア・スペインルネサンス絵画など)を確認しましたが、このMetの肖像画とサンタ・トリニタのフレスコ画の人物像についての関連が出ているものはありませんでした。Met発行の本は1987のもので、今回出品されている女性像の作者についてはドメニコ・ギルランダイオとなっていました。これ以降、特に上記の2000年発行のカドガンの本による詳細な研究で弟ダヴィデの作と判定されたのだと思います。

サンタ・トリニタの話が出たので、最後にこの教会とその前の広場に関する思い出話などを書いておきます。
フィレンツェではシニョリーア広場、ドゥオモ広場などが特に好きな場所ですが、このサンタ・トリニタ広場もそれに次いで好きな場所です。今フェラガモ本店が入っているスピーニ・フェローニ宮でこのフレスコ画に描かれている子供の転落と蘇生が行われ、その建物がそのまま残っていること、その向かいにあるサンタ・トリニタ教会に入るとその場面の絵が見られること、また、この絵が描かれた10数年後にはサンタ・トリニタ広場の前でレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロが言い争いをしたこと(たまたま通りかかったミケランジェロに対し、何人かで立ち話をしていたレオナルドがダンテの解釈の話をミケランジェロに振ったら、バカにされたと思ったミケランジェロが、騎馬像をレオナルドがいつまでたっても完成できないことを取り上げて、レオナルドが恥をかいたという件)など、今も変わらずにこういった出来事の舞台がそのまま残っていることに深い感慨を覚えます。そして、サンタ・トリニタ広場から出ている狭い通りも、泊まったホテル2ヵ所がここだったので、何回も通った所です。一番北にあるポルタ・ロッサ通りでは、その名の元になったポルタ・ロッサというホテルに泊まりましたが、13世紀頃の建物という素晴らしいホテルで、隣は中世邸宅博物館になっているダヴァンザーティ宮です。次に行った時は宿泊料金がかなり高くなっていたので、ここは諦め、サンタ・トリニタ広場の一番南にあるサンティ・アポストリ通りの塔のあるホテルに泊まりました(以前お勧めしたホテルです)。サンティ・アポストリ教会というフィレンツェ有数の古い教会のすぐそばであり、ここには洪水で被害を受け、修復されたヴァザーリの祭壇画(無原罪の御宿り)があります。どちらもシニョリーア広場まで5分ぐらいで行ける立地であり、また行った時はどちらかに泊まりたいと思っています。
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Unknown ()
2021-11-29 21:45:40
むろさん様
コメントありがとうございます。

 本件記事に際しては、石鍋氏『フィレンツェの世紀』と本展の図録がメイン参照先で、あと東京書籍「イタリア・ルネサンスの巨匠たち」やMETホームページなどのネット情報を見ています。

 「史料に記述が残るダヴィデの作品は1点も現存しない」という記載は、本展の図録からです。ネットを見るとダヴィデ作とされる作品は何点かあって(例えばフィラデルフィア美術館やファッツウィリアム美術館、メトロポリタン美術館の別作品など)、少し迷ったのですが、そのまま記載しました。中央公論版の美術家列伝は見ておりません。

 サンタ・トリニタのフレスコ画の女性3人ですが、真ん中の女性は、本展出品作と同じ特徴で描かれているので、同一モデルであることは間違いないでしょう。一方、跪く女性は妹だという本展の図録の説明について、別の姉なのではないかと思ったりもしてましたので、むろさんさんの問題提起には納得です。

 METの1987年発行の本では、本展出品作はドメニコの作となっているとのお話、帰属の問題は難しいですね。

 いろいろと詳しい情報をありがとうございます。
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追加コメント (むろさん)
2021-12-01 23:21:27
David Ghirlandaioに関する追加コメントです。

本展の図録に書かれた情報を参照していたのですね。東京に来た時に買います。
サンタ・トリニタのフレスコ画の女性3人については、中央の女性よりも右の女性の方が(中央の女性よりも後ろにいるのに)顔のサイズも大きく描かれているので、老けて見えるということと合わせ、この右の人物が中央の女性よりも若い11歳の妹とは思えません。

私は西洋絵画の作家別研究には、まずカタログレゾネを見ることが第一と考えていますが、本格的なカタログレゾネはなかなか入手できないし、国内の図書館でもほとんど閲覧できません。私が持っているのもボッティチェリとフィリッポ・リッピぐらいであり、その他の画家はカタログレゾネに準ずるものとして、少し古い出版ですがRizzoliのシリーズを集めたり、ペルジーノやルカ・シニョレッリ、カラヴァッジョなどについては作品リストの出ている画集等を見ています(カラヴァッジョはタッシェン)。今一番欲しいのはフィリッピーノ・リッピ(ネルソン&ザンブラーノ著)とクリヴェッリ(ザンペッティ著)のカタログレゾネですが、絶版であり、また、かなり高価な本なので、いつ入手できるかは分かりません。

ギルランダイオやヴェロッキョ、ポライウォーロについてはRizzoliのシリーズも出ていないのですが、インターネットで読めるZeriのサイトというのが現存する作品を知るのには役に立ちます。イタリアのサイトでFondazione Federico Zeri(フェデリコゼーリ財団)というところが運営していて、ルネサンスなどのイタリア絵画に関する画家別作品リストと図版が見られます。
http://catalogo.fondazionezeri.unibo.jp/ricerca.v2.jsp?view=list&batch=10&sortby=LOCALIZZAZIONE&page=1&decorator=layout_resp&apply=true&percorso_ricerca=OA&locale=it
(itをjpに置き換えて投稿していますので、itに戻してください。)

この右側ARTISTAの欄は画家の収録作品の件数順に並んでいて、242件のところにBigordi Domenico (Ghirlandaio)、47件のところにBigordi David (Ghirlandaio)があります。画家名は本名で書かれていて、ボッティチェリならFilipepi Alessandro (Sandro Botticelli)357件、カラヴァッジョならMerisi Michelangelo (Caravaggio)70件となっています。
上記のDomenico Ghirlandaio、David Ghirlandaioのどちらにも今回の出品作であるセルヴァッジャ・サッセッティの絵は掲載されていないのは残念ですが、このZeriのサイトはルネサンスやバロックのマイナーな画家についても多くの作品を掲載しているので、利用価値はあると思います。なお、David Ghirlandaioの47件中には前コメントで書いたエクアン城のモザイク画とサン・サルヴィのキリスト磔刑と聖人たちのフレスコ画も写真が掲載されています(10番目と15番目)。

次に、前コメントの訂正です。1987年Met発行のイタリア・スペインルネサンス絵画の本に、このMetの肖像画とサンタ・トリニタのフレスコ画の人物像についての関連のことは書かれていないと書きましたが、再度見直したら書かれていました。その部分の日本語訳は以下の通りです。
この肖像画のモデルは、フィレンツェのサンタ・トリニタ教会のサセッティ家のためにギルランダイオが描いた、フレスコ画の聖フランシスコが死んだ子供を蘇生させる女性の傍観者に非常によく似ている。ギルランダイオはしばしば彼の恩人とその家族を彼の宗教的な場面に含めたので、これは彼女がサセッティ家の一員であり、おそらくメディチ家のビジネス顧問であるフランチェスコ・サセッティの娘であったという推測につながる。
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Unknown ()
2021-12-03 18:07:29
むろさん様
コメントありがとうございます。

 12/1に受信した大阪市立美術館メールニュースによると、本展図録が楽天ブックスにて送料無料で購入できるとのことです。このためだけに新たに楽天ブックスのユーザーになるのは抵抗がありますが、既ユーザーであれば便利そうです。

 Zeriのサイトについては、その存在は認識していましたが、活用には至っていません。活用方法の一つを教えていただきありがとうございます。しかし「ARTISTAの欄は画家の収録作品の件数順に並んで」いるとは。そのほうが便利な人がいらっしゃるのでしょうね。
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