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《トラヤヌス帝記念柱》の浮彫- 「永遠の都ローマ展」(東京都美術館)

2023年10月12日 | 展覧会(西洋美術)
永遠の都ローマ展
2023年9月16日〜12月10日
東京都美術館
 
 
ネルウァ(在位:96-98)
トラヤヌス(在位:98-117)
ハドリアヌス(在位:117-138)
アントニヌス・ピウス(在位:138-161)
マルクス・アウレリウス・アントニヌス(在位:161-180)
 
 ローマ五賢帝。
 
 本展では、五賢帝の2代目、トラヤヌス帝の記念柱を紹介するコーナーが設けられている。
 
 
 
 トラヤヌス帝は、2度にわたるダキア王国(現在のルーマニア辺り)との戦争を106年に終結させたあと、ローマの造営事業に取り組む。
 
 フォロ・ロマーノの北側に位置するフォリ・インペリアリ(皇帝たちの広場)に、カエサル広場、アウグストゥス広場、ネルウァ広場に続く、トラヤヌス広場を建設する。
 トラヤヌス広場は、2階建ての大ホール(バジリカ・ウルピア)、ラテン語本とギリシャ語本をそれぞれ収納する2つの図書館、商業センターを伴う巨大なもの。
 そして、113年、2つの図書館に挟まれた位置に、トラヤヌス帝記念柱が奉献される。
 帝の死去後は、記念柱の基壇内に蔵骨器が安置され、記念柱は墓標の役割も果たすようになる。
 記念柱は、1900年以上たった今もそこに立っている。
 
 
〈参考〉1896年頃のトラヤヌス帝記念柱の写真
(Wikipediaより借用)
 
 高さ約5メートルの基壇に、高さ約30メートルの大理石の円柱が載る。
 その頂上にはトラヤヌス帝の像が置かれたが、中世に失われたらしく、1587年にシクストゥス5世の命により聖ペテロの像が置かれた。
 
 基壇の扉口のうえには、「この円柱がローマの元老院とローマ市民によってトラヤヌス帝に捧げられたものである」「多くの事業によっていかに高い丘と土地が取り除かれたを宣言する」旨の碑文がある。
 
 この円柱の内部には、185段の螺旋階段があり、頂上の展望台まで登ることができる(ただし、相当かなり前からずっと閉鎖されていて、一般人は登れないようだ)。
 
 基壇および円柱には、トラヤヌス帝のダキア戦争の勝利およびダキア属州の獲得を記念する浮彫が施される。
 
 基壇には、戦利品の武具の浮彫。
 
 円柱の表面には、2度のダキア戦争の経過を表した、高さ89〜125センチの装飾帯が螺旋状に取り巻く。
 柱身を23回転しているので、全長約200メートル。
 全155場面からなる一大歴史絵巻が、下から上へ連続して施される。
 ローマの歴史浮彫の金字塔と言われている。
 塩野七生氏は『ローマ人の物語9 賢帝の世紀』にて、トラヤヌス帝記念柱の浮彫の各場面を解説することによって、ダキア戦争を説明している。
 
 
 
 本展におけるトラヤヌス帝記念柱のコーナーは、記念柱の映像紹介と、4点の展示品にて構成される。
 
 ピラネージによる21点の銅版画を組み合わせた《トラヤヌス帝記念柱の正面全景》1774-75年、ローマ美術館蔵。
 縦285センチもの大きさ、円柱浮彫の再現の緻密さ、円柱浮彫の場面説明もあって、見事なもの。実物大複製が欲しい。
 
《トラヤヌス帝記念柱、1/30縮尺模型》、1960年代、ローマ文明博物館蔵。
 高さ100センチ、円柱浮彫の再現には力を入れず、ピラネージの版画のあとでは、オモチャに見える。
 
 そして、ローマ文明博物館蔵の「トラヤヌス記念柱からの石膏複製」が2点。
 複製か、とがっかりしてはならない。
 オリジナルは現在も、トラヤヌス帝記念柱にある。
 しかも、この複製は、ナポレオン3世が、教皇ピウス9世に依頼して、ヴァチカンの優れた鋳型職人に制作させた、実物から母型をとった原寸大の石膏レプリカ。
 今となっては、大気汚染もあって、実物よりもレプリカのほうが詳細がわかりやすいという話も。
 この石膏レプリカは、ローマ文明博物館にて、全場面が話の順に間近で見られるよう並べて展示されているという。
 
 
 この「トラヤヌス記念柱からの石膏複製」2点は、本展で唯一撮影可能。
 以下、画像とともに。
 
 
《モエシアの艦隊》
1861-62年(原作は113年)
古色加工を施した石膏
140×222×13cm、ローマ文明博物館
 
 第1次ダキア戦争(101〜102)の第2次遠征のための準備作業。
 画面左側の、いきいきと働く兵士たちの描写に惹かれる。
 
 
 
〈会場内解説〉
 右側にトラヤヌス帝と将校、軍旗を携えたローマ軍兵士たちがいる。
 左側には船に食料を積み込もうとする兵士たちがいきいきと表わされている。
 手前の船は錨を上げ、櫂を握る兵士たちが漕ぎ出そうとしているところだ。
 彼らはダキア(現在のルーマニアの一部)駐留軍に物資を供給していたモエシア(現在のセルビアとブルガリアの領域)艦隊である。
 
 
〈塩野七生『ローマ人の物語9』より〉
 遠景に見える石造の公共建築物の林立や円形闘技場から推測して、トライアヌスが冬営していたのは都市化も進んだ軍団基地であったにちがいない。ローマ人が近モエシア属州の州都にしていた、シンギドゥヌム(現ベオグラード)であったかもしれない(注)。もしもそうならば、ドナウ河を六百キロも河くだりしないとノヴァエには達せない。陸路を行くにしても、ドナウ河が防衛線である以上、戦力の敏速な移動が第一目的の街道も河に沿って敷かれているのだった。
 「円柱」には、基地前の河岸で兵糧を船に積み込む兵士たちの姿が描かれている。そして、軍装に身を固めた兵士たちも次々と乗り込む。トライアムスは、平服と言ってよいトーガ姿のままで上船する。ドナウ河を防衛線と考えてからのローマは、ドナウにもライン河同様の船隊を常備していた。馬の運搬専用の輸送船まであったのだ。
 
(注)本展図録解説によると、舞台は、ドナウ河畔の都市ウィミナキウム(現在のセルビアのコストラツ)の城壁前。ウィミナキウムの円形劇場の遺跡は2011年に特定された、とのこと。なお、コストラツはベオグラードから車で70分ほどの距離にあるようだ。
 
 
 
《デケバルスの自殺》
1861-62年(原作は113年)
古色加工を施した石膏
143×217cm、ローマ文明博物館
 
 ダキア戦争の最終盤。
 ダキア王に向かうローマ騎兵たちの迫力に魅入る。
 
 
〈会場内解説〉
 軍事作戦の末、最後の戦いに勝利するローマ軍の場面である。
 追い詰められたダキア人の王デケバルスはひざまずき、曲刀で喉を切り自ら命を絶とうとしている。
 
 
〈塩野七生『ローマ人の物語9』より〉
 追いつめられたデケバロスに、四方八方から迫るローマの騎兵。馬を捨てたダキア王は、樹の下にひざをつき、短剣を胸に突きあてる。それを止めもせず、かえって見守るかのようなローマ騎兵。武士の情けでもあったのか。
 だがその直後、王の頭部は切りとられた。
 
 
 
 浮彫の全場面を見たくなる。
 また、ローマ旅行時に見た記憶はない《トラヤヌス帝記念柱》の実物も見たくなる。
 仮にそれが実現して、仮に柱の内部に入れるようになっていたとしても、登るのは遠慮しておこう。
 
 
(参照文献:記事内で触れていないもの)
・『世界美術大全集5 古代地中海とローマ』第6章、青柳正規執筆、小学館
・『西洋美術の歴史1 古代』第4章、芳賀京子執筆、中央公論新社


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