秦新二「フェルメール展 名画争奪の現場-世界の「至宝」が来日するまでのスリリングな功防戦」(文藝春秋2008年12月号)
2008年に東京都美術館で開催されたフェルメール展。7点のフェルメール作品が来日した。
その舞台裏を語る、全7頁。以下、抜粋。
フェルメールの展覧会を企画する世界中の美術館学芸員のあいだには、いくつかの暗黙の了解がある。
そのひとつは、ローン・リクエストを出してはいけない作品が3点あるということだ。
その3点とは、<デルフトの眺望>と<真珠の耳飾りの少女>、<牛乳を注ぐ女>だ。
<真珠の耳飾りの少女>
当時の小渕恵三首相からオランダの首相へ手紙を書いていただき、大阪での展覧会に出品することに成功した。しかし、この「事件」はさまざまな波紋を広げ、今後この作品は半永久的にマウリッツハイスから動くことがなくなった。
<牛乳を注ぐ女>
この作品はアムステルダム国立美とオランダ文化省の間で、大陸間の移動は駄目、海を渡ってもいけないという特別な取り決めがある。
館長が取った荒業は<牛乳を注ぐ女>を日本に貸し出し、見返りに(記念建造物修復の)サポートを得るというものであった。
(その後館長は辞任。)理由は明らかではないが、この貸し出しとの関連を否定することはできないだろう。
<ワイングラスを持つ娘>(独・アントン・ウルリッヒ美)
「大レンブラント展」のときも<家族の肖像>というレンブラントの作品の貸し出し交渉を繰り返していたのだが、都合6度断られている。
しかし、私たちはそれにもかかわらず館へのサポートを惜しまず続けた。日本で考える以上に、ヨーロッパではこのような活動が重視される。館長はそのことに感動し、快諾してくれた。
<ギターを弾く女>(英・ケンウッド・ハウス)
館長はあっさり承諾してくれた。しかし、難関として修復家が立ちはだかったのである。修復家というのは常に大きな権限を持つ。彼らがこの絵は輸送に耐えられないと結論を出すと、学芸員も館長も反論のすべはない。
<音楽の稽古>(英国王室コレクション)
「以前、この作品がワシントン/ハーグの展覧会に出品されたのはオランダ女王がエリザベス女王に手紙を書いたことが大きかった。日本でエリザベス女王と同じくらいの権限を持つ方からの手紙があったら、何の問題もなく出るはずだ。」
残念ながら、今回は断念することとした。
本展では、デルフトの画家、カレル・ファブリティウスの作品が4点集められた。
共同企画者からの、2001年のNY・ロンドン「フェルメールとデルフト・スクール展」を質面から超えたいとのリクエストを受けて、とのことである。
現存作品数が10数点とされるなかでの4点である。
カレル・ファブリティウス(Carel Fabritius)
1622年生-1654年没
かつて推測されたようにフェルメール(1632年生-1675年没)の師ではないとしても、「光の処理や錯視効果の追及でフェルメールに確実に何らかのインパクトを与えた画家」(小林頼子氏)であるよう。
デルフト火薬庫の大爆発事故に巻き込まれ、32歳で死亡。
出品4点のなかから、代表作の一つ。
≪歩哨≫1654年
ドイツ・シュヴェリン国立美術館